第1話 歪み始めた日常。(2)

2.

 夜ノやのしま学園はエンチャンターの教育を専門とした国内有数の男女共学の高等学校である。

 県の中央都市、朝松あさまつ市郊外の奥まった場所に位置する夜ノ島はその大半が海に面した矢じり状の町である。

 そんな町の根元に当たる場所に建つ夜ノ島学園には遠方からの入学生が多く、在学する生徒の大半は寮生である。

 校舎から道一つ隔てた場所には生徒が生活の拠点とする学生寮が群れを成して建っていて、夜ノ島と言う田舎には珍しい集合住宅のような佇まいをしている。

 反対に地元から通学している生徒は稀で、全体の一割にも満たない。

 少数派に属する御波透哉みなみとうやは、今日も不機嫌そうな顔で廊下を歩いていた。

 透哉が二年五組の教室に入ると物音に反応した数名が顔を向けた。

 しかし、それらの面々は音源を知ると一様に気まずそうな顔になり、厄介者とのかかわりを避けるように目をあからさまに泳がせる。

「ふん、」

 いつも通りの周囲の反応に軽く鼻を鳴らせる。と言っても別段腹を立てているわけではない。誰の目にも明らかな不機嫌そうな形相が透哉にとっての普通の顔なのである。

 自分に向けられるいくつもの視線に気付いているが無視し、言葉をかけることもしない。


「御波のヤツまた不機嫌な顔してるぜ?」

「また朝から豪々吾先輩と喧嘩してたらしいぞ」

「おい、聞こえるって!」


 ぼそぼそと小言が聞こえたが透哉は全てを黙殺した。

 今朝の一件がもう知れ渡っていることにうんざりする。

 誰とも挨拶を交わさずに肩で風を切って歩き、自分の席に向かう。

 通路を挟んで談笑していた面々がおずおずと身を引いて道を開ける。

 透哉はやれやれ、と第一印象に波及した今に内心でため息を吐く。


――去年の四月。

 透哉が入学してまだ間もないころ、学園内のヒエラルキーを大きく揺るがす事件が起きた。

 当時学園内で幅を利かせていた上級生からの喧嘩を新入生である透哉はその場で買い取り、大衆の面前で瞬く間に撃墜したのだ。

 その時偶然居合わせた全員が驚嘆し、透哉は風雲児として夜ノ島学園に名を轟かせた。

 相手が問題児だったことが幸いし、不思議と教師連中から喧嘩そのものに関しての御咎めはなかった。

 しかし、弊害は生まれた。

 まだ高校生活の右も左もわからない、交友関係も曖昧にしか形成されていない最中の出来事は透哉と言う被害者に間違った印象を植え付けた。


『新入生にもっと危険な奴がいる』


 と言う具合に。

 結果、伸した上級生の悪評を自然と引き継ぎ、周囲は透哉と無意識に距離を取るようになった。

 透哉自身自覚しているし、そういう風に振る舞っている節もある。

 孤独に酔うわけではなく、孤立を望んでいた。

 ふと、透哉は眉を顰めた。

 歩くだけで忌避される自分の席に堂々と腰かける先客がいたからだ。

 学園指定の黒いスカートと純白のブラウスに身を包み、襟元に緑色のリボンをあしらった女子生徒である。


「おはよう透哉。朝から人気者ね」


 先客たる少女は、振り向きながら皮肉の利いた笑みと涼やかな声で迎え入れた。その声を聞いた周囲の面々は冷気にでも触れたように揃って肩を震わせる。


「人生を楽しむ秘訣ってのは敵をいかに多く作るかだ。四面楚歌、村八分上等だ」


 現状を加速させる透哉の言動にクラスメイトの草川流耶くさかわるやは肩を竦める。

 寒気がするほどに真っ直ぐ流れる長い黒髪に小さな髪飾りを乗せた和人形のような少女だった。その姿はひな壇に置かれた市松人形を思わせる。

 問題児である透哉に対峙するには余りに幼気な姿である。

 ただ一点、額に巻かれた血が滲んだ包帯を除けば。アクセサリーと呼ぶには不気味なそれは他者を遠ざける要因としては十分な存在。

 加えて、顔に張り付く無邪気を装う表情には海千山千の猛者の風格と余裕があった。流耶もまた異端児として扱われる生徒の一人であり、透哉とは少しワケアリの関係なのである。


「あなたのそういう子供っぽい所好きよ?」

「ふん、俺はお前のそういう人を小馬鹿にした物言いが嫌いだ」


 透哉は憎まれ口を叩き、着席したままこちらを見上げる流耶に睨みを利かせる。


「そう、それは残念ね」


 流耶は素っ気なくも愉快そうに返しながら透哉の席を離れ、そのまま教室を出ていった。

――結局なの用なんだよ。

 相変わらずよくわからないクラスメイトの戯れに溜息を吐いた。透哉は眉根を寄せ、今度は本当に不機嫌な顔つきで席にどっかりと座り込む。

 当然そんな状態の問題児に声をかけるものはなく、透哉の周りには誰も干渉できない見えない結界のような空気が流れていた。

 そんな最中、透哉の前の席で体を丸めて寝ていた生徒がもそりと顔を上げた。


「お、御波おはよーさん! 今日はえらい早いけどどなんかしたん?」


 関わるな危険状態の透哉を出迎えたのは紛うことなき犬。

 全身がふわふわとした白い毛に包まれた携帯電話のコマーシャルでも有名な北海道犬である。後ろ足で首の下をかき大層リラックスした様子である。

 それが透哉の前の席に忠犬よろしく鎮座し、あろうことか流暢な関西弁で喋りかけてくる。


「ああ、おはよ。今更ながらありえない光景だよな」


 早めに登校してきた理由にはあえて触れず、クラスメイトの松風犬太郎まつかぜいぬたろうに至って普通に挨拶を返す。

 入学してから一年二ヶ月。

 クラスメイトに犬がいることに違和感がなくなった自分の順応性を褒めたくなる。

 入学式当日、高校生活への不安を抱えたまま教室へと赴いた透哉からそれをまとめて吹き飛ばす原因となったのが器用に表情を作る松風その犬である。


『先生、教室に犬がいるんだけどー?』

『誰が犬やねん! 僕は、魔犬の松風犬太郎や!』

『……やっぱ犬じゃねーか!』


 そんなこんなで初日から打ち解けた二人(?)である。

 それからと言うもの何故か飼い主として扱われ、進級する際にも「飼い主から離すわけにはいかない」と強制的に同じクラスにされた。透哉が周囲から距離を置かれる理由の一つに松風の存在もある。

 そんなこんなで透哉と松風の付き合いは一年になるのだが、未だに松風が何なのかを透哉も他のクラスメイト達も知らない。

 本人言うところの『魔犬』と言う謎の職業もよくわからない。本当は人間で呪いか何かで犬の姿をしているのか、シンプルに魔力に特出した犬なのかさえ不明。ちなみに寮生らしく、寮の中には彼専用の犬小屋がある。以前出身を聞いたが犬の鳴き真似をされて誤魔化された。

 色々と詮索した結果、出た答えは『魔犬』と言う札の付いた喋る犬と言う当初と何ら変わらない物だった。


「人間、慣れてもーたら案外気にならんもんやろ?」

「お前は犬だけどな。まぁ、安心しろそのうちテメェの化けの皮諸共、毛皮を剥がしてやるからよ」

「物騒なこと言いつつも御波は僕の親友やもんな」


 しんみりとした顔つきで語る魔犬、松風。

 その顔がまた人間味を帯びていて微妙にキモイ。


「忘れへんで。緊張しとった僕に御波がかけてくれた言葉。今思えばあれは僕を勇気づけよう思って言ってくれたんやなぁ」


 松風は歯と舌を出して笑顔を作り、肉球(本人は親指のつもり)を立てる。


「どんだけめでたい頭してんだお前は」


 放置しておくと感涙とか流し出してめんどくさそうだったので程よくちゃちゃを入れて邪魔をしておく。


「――御波!もう僕たち親友やね!」

「うぜぇ」


 透哉は感極まって飛びついてくる松風を鞄の角で迎撃する。すると松風は大の字になって倒れて動かなくなる。

 わざわざ起こしてやるのも面倒だったので伸びた松風を足で通路の端に寄せる。透哉は何事もなかったように席に座り直し、中身がほぼ空の鞄を置いた。


「ど、動物虐待だ……」

「いや、松風はクラスメイトだろ?」

「じゃあ、いじめかケンカってこと?」

「一方的な暴力だろ」


 背後から松風の扱いをめぐっての議論が小声でされていた。

 透哉は上体を反転させると凶悪に眇めた目で黙らせる。


(めんどくせー)


 例え透哉が問題児で周囲から浮いていても流耶や松風のように平然と関わってくる者も少なからずいる。その多くが一癖も二癖もある透哉に引きを取らない変り種ばかり。

 影では御波軍などと呼ばれ変人の代名詞的扱いを受けていることを透哉は知らない。


(たまに早く来るとこうだもんなー)


 椅子を傾け白い天井を仰ぎながらに思う。

 すると隣の席でうつぶせになって寝ていた女生徒がすっと顔を上げた。

 背中を覆い隠すほど長い銀色の髪に青い瞳をした整った顔つきの少女である。健康的に隆起した鎖骨の上にはいつも藍色のチョーカーが巻かれている。


「朝から何の騒ぎだ? み、御波か……?」


 半開きの目をこすりながら、寝起きの少女、源ホタル《みなもとほたる》は聞いてきた。


「お、おう、おはよう」


 そのホタルの無防備な仕草に一瞬ドキリとしつつ、透哉は答えた。

 源ホタルを一言で言うならば、忙しいやつである。生徒会副会長とクラス委員を並行して務め、生徒とは思えないほど仕事を抱えている。労働の疲れからか、朝はこうして顔を伏せて寝ていることが多い。


「うむ、」


 ホタルはそう呟くと眠そうな表情を取り払い、伸びた松風と透哉を交互に見ると僅かに思案して女性にしては少し低めの声で言った。


「御波、いくら飼い主だからと言ってむやみに動物を痛めつけるのは感心しない」

「俺は飼い主じゃないし、足でつつきながら言っても説得力ないだろ」

「いや、もしかして死んでいるのかと思った」


 ホタルは言い終えると最後に一撃強めに蹴る。松風は細いうめき声を上げる。


「毒液を吐いたぞ」

「違うゲロだ」

「まぁ、いずれにしても飼い主としてちゃんと処分……後始末はしておけよ?」


 そう言い残しホタルは再び机に顔を伏せた。


「だから俺飼い主じゃないし。処分と始末って意味あんまり変わらないし……」


 いっそ保健所に連れて行ってみるか? などと少し物騒なことを考えながら透哉は松風の尻尾をつかみ机の上に乗せ、廊下の方が騒がしいことに気が付いた。

 窓が迫りくる気配に怯えるようにカタカタと揺れていた。


 キーンコーンカ――ガッシャァーン!!!


 始業のチャイムと重なるタイミングで教室の前の扉がプロペラみたいに回転して吹き飛び、ガラスが砕け散った。


「ふぅ、とうちゃーく!」


 扉がなくなった入口から快活な女性の声。


「あー、だるい。職員室でコーヒー飲んでいたら馬鹿が窓突き破って飛び込んでくるし、今日は朝からろくなことがないわねー」


 二年五組の面々は破壊音に驚きつつも、原因を知ると「ああ、いつものことだ」と思い、各々自分の席に着き姿勢を正した。少し前まで好き好きに教室内に散らばっていたとは思えない、妙に統制のとれた行動の原因は飛び込んできた女性への畏怖に他ならない。

 声の主は「く」の字に変形した扉を足蹴にし、ガラス片を踏み砕きながらずかずかと教室に入ってきた。


「とりあえず教師が学園の備品ぶっ壊すのはどうなんだ?」

「いいのよ。ほっときゃ直るし、それに私はセンセーだし」

「この反面教師」

「ん? 何か言った?」


 突如教室に乱入してきたこの豪快な女性は二年五組の担任、矢場嵐子やばらんこ。文字通り嵐のような教師である。ベージュのシュシュで束ねられた長い髪に、「色気? 何それ食えんの?」とでも言うかのような上下ジャージ姿。

 矢場は件の扉を足蹴にしながら教卓に着く。その僅かなすきに扉は自然に立ち上がり元のレールの上に戻り、傷一つなく復元された。

 この現象は扉に仕掛けがあるわけではなく、学園そのものの構造体制にある。

夜ノ島学園の校舎には常時魔力が通っていて備品の大半は破損してもその場で自動修繕される仕組みなっている。


「我がクラスは精鋭揃いで実に気分がいいわね。委員長、号令」

「はい。起立、礼、着席!」


 壊れた扉を横目で見つつ、クラス委員のホタルが号令をかけた。

 自身の蛮行を意に介さず、矢場はクラス内をぐるりと見渡し出席簿を広げた。


「全員出席っと。あーそれと御波、あんた廊下に立ってなさい」


 流れるように言い渡された罰に透哉は頬杖をついていた手を滑らせ、机に顔を打ち付けた。


「何で俺がそんなことしなきゃいけねーんだよ!?」

「思い当たる節あるでしょ?」 


 矢場は呆れた風に言って出席簿を閉じると、


「朝っぱらからあのバカを職員室に投げ込める奴なんて学園内探してもあんたぐらいのもんでしょ?」


 この学園で『バカ』と言えば七奈豪々吾で相場は決まっている。ひたすら喧嘩に明け暮れ暴れ回っていた日が嘘に思えるぐらいやられ役が板についてしまっている。

 けれど当の本人が楽しそうなので(透哉以外)誰も過去を蒸し返そうとは思わない。


「あー、そんなことがあったな……」


 矢場の言い方だと豪々吾は透哉に投げ飛ばされたことは伝えていないようだった。


「本人に聞いても『転んだ』の一点張りで埒が明かないのよ」


 誤魔化すにしてもかなり無理があったが案外口は堅いらしく、意地でも仲間は(あまり思われたくないが)売らないタイプのようだ。


(ったく、無駄な所で律儀なんだよな)


 透哉が内心で豪々吾の健闘を称えつつ廊下に出るため席を立つと、


「御波、バケツなら後ろの掃除用具箱の中よ。水はトイレで汲んで終わったら花壇にでもまいといて。あー、そのままじゃなくて柄杓を使ってまんべんなくね?」


 廊下に立たせるのはおまけで本当は雑事の方がメインのではないだろうかと思わず疑ってしまう。けれど余計な口を挟んで更に仕事を増やされたらたまらないので透哉は素直に従う。


(ちくしょう、絶対楽しんでやがる……)


 教卓からニコニコと笑みを送る矢場を尻目に教室を後にした。

 指示通りトイレに来た透哉は蛇口を全開にしてバケツに水をザバザバと注ぐ。

 鏡に映るそんな間抜けな自分の姿にため息が漏れた。どうせばれないので水を少なめに入れて誤魔化そうと思ったがバケツの内側には印がきっちりとされていた。

 それを見た途端特大のカップ麺を作っている気持ちになったのは言うまでもない。


 キーンコーンカーンコーン


 水音に紛れて始業のチャイムが鳴り、一時間目、矢場担当の魔力学の授業が始まる。

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