第9話

 教会の裏口から建物に入ろうとした瞬間、視界が暗転した。

 いや暗転というのは正しく無い。ふと下を見ると、教会が、村が、森が凄まじい速度で足もとから遠ざかっていく。夜空に打ち上げられたように目のくらむ速度で上昇を続け、周りに星屑しか見えなくなってからどれだけ時間が経ったろうか。気がつけば俺は戦場の上を漂っていた。


 そこはゴブリン軍と解放軍が血みどろの戦いを繰り広げている、ナイン山脈の麓だった。

 山の端が薄っすらと白みかけている。

 一体どれ程の戦闘を続けたのか、攻め手も守り手も満身創痍だ。戦況としては数に勝るゴブリン軍が優勢であり、人間側は粗末な木の柵の前で辛うじて踏みとどまっているに過ぎない。


 その防衛戦の中心に、ひときわ目立つ装いのカノンがいた。白銀の鎧も美しい金髪も返り血で汚れて見る影もないが、一歩も引かぬという強い意志にあふれたその姿は、戦場に立つだけで周りを鼓舞し、支えていている。

 そんな彼女に柵の中から連絡兵が駆け寄り、何事かを伝える。その瞬間、彼女の表情が明るくなったのが上空からでもわかった。


「皆の者、聴け!」

 カノンが声も割よとばかりに大音声で叫ぶ。


「我が軍の別働隊が、敵主将を討ち取った!主将のおらぬ烏合の集など恐るるにたりぬ。各自奮起し、夜明けまで持ちこたえよ!この戦、我々の勝利だ!」

 カノンを中心に歓声が潮の様に拡がっていく。それに反して敵軍の動揺が手に取るように伝わってくる。


「馬を曳け!」

 暗闇を押して見事な栗毛の馬が連れられてくる。カノンは馬に跨ると、戦線を駆け巡り味方を鼓舞し始めた。

 上空から見ていると、彼女の馬が駆け巡るのに合わせて面白い様に戦線が勢いを盛り返していく。いくらゴブリン軍が夜間に強いとはいえ、長時間の戦闘で敵軍も士気が下がっていたのだろう。一気に形勢が逆転し、ジリジリと敵軍が下がり始めた。

 そこに手早く手勢をまとめたカノンがキリで穴を穿つ様に敵軍の中軍を切り裂いていく。

 ついに敵軍が総崩れになって潰走を始めた。

 今後の事を考えれば追撃して敵の頭数を減らしておくべきだろうが、味方にもそこまでの余裕もありそうに無い。

 彼女が軍勢を取りまとめて後退しようとしたその時だった。


 カノンが乗る馬の足元で出し抜けに強力な炎熱系の呪文が炸裂した。驚いた馬が棒立ちになるのを何とか立て直そうとする所に雨の様に矢が降り注ぐ。

 周囲の騎士達が声にならない悲鳴をあげる中、スローモーションの様にカノンは馬から落ちていった。


 …………………


「…。ぉい。おい。」

 抑えた声とともに頬を叩かれる。

 目を開けると木製の廊下に横たわる俺をパーティのメンバーが心配そうに覗き込んでいた。


「どうしたのよ、急に倒れたりして。」覗き込んでくるリティを手で制し、ジグルトが顔を覗き込んでくる。

「呪いやダメージのたぐいは無いようじゃの。すまぬが議論をしている余裕は無い。進めるかの?それともここで待機するかの?」


 俺は半身を起こして状況を確認した。

 どうやら、屋内に入るや否や、意識をなくしたらしい。

 今までに無い経験で不安はあるが、ジィさんの言う通り、身体に異常はない。いける。声に出さず頷く俺の腕を掴んで、バルが身体を引き起こしてくれた。

 先程の光景はなんだったのだろうか。先程の白昼夢が気になるが、今はそれどころでは無いと疑問を頭から追い出す。


 幸い、敵はこの騒ぎに気がついていない様だ。ソフィアが作戦続行のハンドサインを出す。俺たちが礼拝堂に続く扉の前でスタンバイすると、ソフィアが肩から上だけをゴブリンの女性に変えて礼拝堂の柱の陰から半身を覗かせて手招きをする。

 広間の敵兵が注意を奪われる隙ついて、地下室に続く階段を下りた俺たちは、地下室に雪崩れ込むや否や、入口の扉を遮断した。


 中の様子は事前にソフィアが内偵をしてくれたので把握出来ている。

 無理やり掘り広げられた地下室は30メートル程の奥行きで、無骨な壁に松明が燃やされている。


 部屋の中央には精緻なサグディ砦の模型が置かれており、無数の旗が改めて砦の絶望的な状況を示して入る。


 その模型の奥、空気の入れ替え用の炉と煙突の前にゴブリンロードが鎮座していた。


 明らかに周りのゴブリンとは異なる存在感のある個体。

 通常のゴブリンが1メートル強のミドリの肌をした矮小な体躯をしているのに対して、ロードは鈍く輝く赤銅色の肌で身長も優に2メートルを越えている。

 ロードとはいえ若い個体なのか、無駄のない引き締まった身体で、鋭い眼光でこちらを睨んでくる。


「敵数、12。作戦継続。」

 ジィさんが手早く状況を確認して指示を出す。

 有無も言わせず畳み掛け、奇襲のアドバンテージを最大限に活かさなければならない。


 リティとバルが真っ先に飛び出して前線を構築する。その後ろですかさずルーが術の詠唱にかかった。


「かけまくもかしこき、大雷神おほいかづちのかみかしこかしこみまお申す。」


 シャンと神楽鈴が鳴る。

 たった1人で唱えているはずなのに、まるで輪唱の様に声が重なって響いてくる。


幾世いくよを越えてわたらせ給え。し方、行く末にあだなす、禍事まがことの今此処にあらむをば、清め給え、祓い給えと、申すことを聞食きこしめせ…」


 ルーの両腕に包帯の様に巻かれた紙垂しでがスルスルと自然に解けて宙を舞う。空中で複雑に折れ曲がった紙垂は12の神獣の姿をとりはじめた。


 子

 丑

 虎

 卯

 辰

 巳

 …


『紙垂はカミナリの形を表します。カミナリの事を稲妻イナヅマ、稲の妻と呼ぶ様に、神鳴り《カミナリ》が落ちると稲が豊作になるでしょう? だから、カミナリは神の恵みの象徴なんです。』


 ルーが紙垂を清めながら説明してくれた事を思い出す。

 その言葉の通り、神獣に姿を変えた紙垂しきがみ達はパリパリと音を立てて帯電し始めた。


「呪文を完成させるな!」

 近衛兵のリーダーだろう。一際恵まれた体格に大振りのシミターを携えた個体が檄を飛ばす。

 慌てて飛び出してくる敵兵をリティ達が大きく武器を振るって牽制する。


 ソフィアには自信ありげな返事をしたが、決して余裕がある訳では無い。勇者の不在は中盤の構えを薄くし、思いの外チームの地力を失わせていた。

 特に今回の様な数で勝る相手との混戦では尚更である。ほとんど防御力のない後衛ルーとジグルドの所まで敵の侵入を許す訳には行かないが、数に勝る相手を前衛のバルとリティだけで捌ききるのは困難だ。前衛をすり抜けてきた敵を討ち取るのは遊撃手である俺の役割だが、勇者と2人がかりで対処できたかつてとは負担が違いすぎる。


 バルの背中からタイミング見て飛び出した俺はバルの大楯をかいくぐってきた敵兵の脇腹に深々とナイフを差し込んだ。

 すかさず後ろの一体がメイスで脛を狙って来たので、横っ跳びに跳躍し、クナイを顔に投げつける。思わずバックラーで顔を覆った敵兵を盾ごと突撃したバルが吹き飛ばした。

 その僅かに開いた隙間を、背後に控えていた別のゴブリン兵がすかさず埋めてしまう。分かっていた事だが、頭数を減らさない限り、いくら相手が雑魚でもジリ貧である。


 だから、今回はルーの呪文の完成を優先した。


「散れ!」「!」

 ジィさんが号令をかける声に弾かれ、俺たちは左右に身を投げ出した。

 同時にルーが最後の詠唱いのりを練り上げる。


「清めたまへ! 雷神招来かみわたり!」


 鋭い叫びと共にちょうど敵兵の頭数分、12の稲光りが一瞬前まで俺たちがいた空間を駆け抜けた。

 ライトニングの呪文は一撃で生き物を屠るほど強力ではないが、雑魚どもを痺れさせ、行動の自由を奪うには十分な威力を持っている。

 ただし、その呪文を同時に12発も打つ事など、普通はできはしない。

 勇者と行動を共にした事で目醒めた、異能の力があって初めて、時間と神力の許す限り呪文を重ねがけする無茶が成り立っている。


 雷の雨は狙いを過たず、次々と目前の敵を打ち据えていく。


 勝った、そう思って床から視線を上げた俺は、思いがけない光景に背筋を凍らせた。

「あいつ自分を盾にして!」

 地下室の最奥、暖炉の炎を背にしたロードの巨軀がぐらりと揺れて膝をついた。全身に三本の雷撃を受けて耐えられるはずがない。それを承知で部下を背中に庇ったのだろう。

「行け…」

 絞り出すように呟いたロードの背景から二体の近衛兵が飛び出してくる。


 そして、目一杯引き絞ったボウガンからルーの薄い胸まで、射線を遮るものは何も無かった。



《勇者の消滅まで残り38日》






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