第10話「欲張りは負けるものだよ」
木々の間を縫うように走りつつ、ジュリは白い男をきつくねめつけた。何があっても仲間を傷つけさせるつもりはない。
その行為自体に意味はなかったが、何故だか男は一瞬怯んだようだった。そんな変化を見逃すはずもなく、まずは男の足を狙って銃弾を放つ。すると間髪入れず、彼女の横を通り抜けて黒い男に何かが突き刺さった。
――今の光はよつきの武器だ。動きが止まった隙を狙ってくれたのだろう。黒い男が胸をかきむしるようにしてもがくと、白い男にも動揺が走った。
ジュリはそのまま木の陰から大きく踏み出し、今度は白い男の胴へと銃口を向けた。目一杯精神を集中させれば、先ほどよりも大きな弾が放たれる。
次々と弾を生み出すことはできなくなるが、威力は違う。それは真っ直ぐ白い胴を貫いた。喫驚の滲む断末魔の悲鳴が辺りに響き渡る。
しかし油断はならない。黒い男の怨嗟の眼差しに射貫かれそうになり、ジュリは慌てて結界を生み出した。パリンと、また氷が砕けるような音がした。やはりそうだ。これはこちらの男の技だ。おそらく氷系だろう。
よく見ると前方の雪から氷の棘が無数に生えている。無論、ただの氷ではないに違いない。不用意に踏み込めば餌食となるし、そうでなくとも足場がどんどん悪くなっていく。この天候向きの技だ。
「残念でしたね」
けれども、それは接近戦を好む相手に有効な技だ。ジュリは意識を集中させると、黒い男の胸目掛けて銃を構える。
まずは一発、かすめるような弾で相手の意識を逸らし、次に先ほどよりも大きい銃弾を放つ。よつきの攻撃で既に負傷している黒い男には、これを防ぐような結界を生み出す力はない。
薄い透明な膜を突き抜け、青白い銃弾が黒い男を貫いた。かすかな悲鳴すら聞こえなかった。白い光と共に、男は瞬く間に空気へと還っていく。
息を吐いたジュリは、銃を掲げながら振り返った。ちょうどアキセの銀の弾が、一人の魔族を葬り去るところだった。
その向こう側では、よつきがサホの援護に回っているのが見える。相手の魔族が多いことに気づいて動いてくれたのだろう。ジュリはどうにか呼吸を整え、アキセの傍へと駆け寄った。
「アキセさんは怪我ありませんね?」
魔族が光の粒子となって消えていくのを横目に、ジュリはまず問うた。今の魔族がアキセが相手をしていた最後の一人だったらしい。いつ見ても不思議な武器を抱えた彼は、ちらとこちらに視線を向けて頷く。
「はい、大丈夫です」
「でしたら引き続き空を警戒していてください。そのうちまた来ます。たぶんここへの道が一番空で手薄になっているんでしょう。転移を使われると、数まで把握できないので要注意ですね。私、サホさんたちの様子も見てきます」
そう言い残しながら、ジュリはよつきたちの方へ走り出した。アキセが怪我を隠している可能性は否めないが、少なくとも集中力は落ちていないようなので任せても大丈夫だろう。
崩れた雪塊を避けながら駆けると、ちょうどよつきの弾丸が灰色の男を貫くのが見えた。これで最後だろうか? 周囲に他の魔族の気はない。転移を使ってくるような気配も、今のところ感じ取れなかった。
「サホさん、よつきさん」
動きを止めた二人の方へ走り寄る。銃を下ろしたよつきは、何か言いたげにこちらを見た。「呼びかけるのはサホが先なのか」と文句を言っているようにも見える。もちろん、そんな無言の抗議は今は無視だ。
「怪我していますね? 二人とも腕を見せてください」
ジュリが眉をひそめてそう指摘すれば、二人は弾かれたように顔を見合わせた。まるで互いが負傷している可能性など考えていなかったと言わんばかりだ。ジュリは大きなため息を吐く。
「よつきさんが一発で仕留めていない段階で、集中力が落ちているのはすぐにわかります。あとサホさん、怪我した時のかばい方が昔から変わりません。よつきさんには気づかれなかったかもしれませんが、私はわかりますからね?」
ジュリは口早にそう指摘した。誰かが怪我をしていないかどうか見破るのは、昔からの特技だった。
すぐに隠そうとする人が側にいたので癖になったようなものだ。普段との動きの違いから予測をつければ、大概は当たる。この二人なら動きを見慣れているから確実に見抜ける。
「隠すのはよくないですよ」
口をつぐんだよつきは、ばつが悪そうに顔を背けた。サホはどこか悪戯っぽい苦笑を浮かべながら、わずかに視線を逸らしただけ。二人とも反論はない。やはり図星のようだ。眉尻を下げたジュリは、大きく肩をすくめた。
「嘘は止めてくださいね。いざという時の判断、役割分担にも影響することです」
「……やっぱりジュリさんには敵いませんね。ほんの少し、かすめただけなんですけど」
畳みかければ、観念したサホは小首を傾げてこちらを見た。軽く結わえられた銀の髪が揺れる様も、申し訳なさそうに青い瞳が細められるのも、幾度となく見たものだ。成長してもそこは変わらない。
「ではアキセさんに見張ってもらっている間に、一人ずつ治してしまいましょう。敵はまだまだいます」
無言のままでいるよつきの腕を引き、ジュリは空へと一瞥をくれた。その先にはまだ魔族がいる。肉眼で確認できる距離ではないから、何がどうなっているのかはわからないが、それでも膠着状態が続いているのは気から察せられた。
そのこと自体は、奇跡のようだった。今そこにはアースとレーナしかいないはずだ。普通に考えれば、とっくに瓦解している。
「急ぎましょう。負担をかけ続けるわけにはいかないですからね」
誰にとは明言せず、ジュリは唇を引き結んだ。各々が限界まで挑んでも勝てる保証などない。そんな戦いであることを、意識せざるを得なかった。
神技隊がそろそろもたない。
その事実に気がついてはいたが、それでもレーナは思うように動けないでいた。できる限り魔族を地上へ行かせないよう立ち回りながら、ミスカーテと対峙する。そんなことは、本来であれば不可能だ。
どうにか懇願してアースに上空へ行ってもらったが、それでも魔族の数が多いのはいかんともしがたい。
「以前のようだったらな」
ついぼやきをこぼしながら、右手から迫る赤い光弾を不定の刃で切り捨てる。技と技がぶつかり合った際に特有の高音が鳴り響いた。
雪積もる山間で炎系を使うとは。誰の技かは知らないが考えられている。雪崩でも起きれば、まず間違いなく神技隊らは巻き込まれる。故に彼女は見過ごせない。
次は左方からだ。彼女は反転した勢いのままさらに刃を振るい、そのまま巨木の枝へと着地した。刃の切っ先がかろうじて何かをかすめた。この感触は、おそらくミスカーテの黒い鞭だ。
「ずいぶん舐めた真似を続けてくれるね」
顔を上げれば、空からミスカーテがこちらを見下ろしていた。その手には、いつの間にやら見慣れない機械の姿がある。黒く四角い箱のようだが、その隅が怪しく明滅している。何らかの装置だろう。
「そんな調子で僕に勝てると思ってるのかな? 浅はかな」
「どうだろうな? 胸に手を当てて、お前も考えてみたらいいんじゃないか?」
明らかに不服そうなミスカーテへと、彼女はいつも通り微笑んでみせた。ミスカーテが本気でかかってくれば、上空の魔族の動きにも対処している余裕などない。
しかし今はミスカーテ自身にも枷がはめられた状態だ。その危うい均衡のおかげで、膠着状態となっているだけに過ぎない。そのことにはミスカーテも気づいているだろう。
「言ってくれるねぇ。でもこれを使えばそんなこともできなくなるさ」
しかしどうやらミスカーテの我慢も限界に近づいているらしかった。手にした箱を揺らす様子から、彼女はそう感じ取る。
「僕は亜空間も研究していてね。それを利用すれば、毒を効率よくばらまくこともできるってわかったんだ。ほら、空間を歪ませればね。便利だろう?」
饒舌に語り始めたのは、そうする方が有利だと判断したからだろうか。それとも苛立ちが募りすぎた結果なのか。ミスカーテの言動からは判別できない。
彼女は気を探りながら、片手を幹に添えた。
ミスカーテの毒に対してなら、解毒剤がある。しかしそれは飲ませて休ませれば回復するというものであって、即効性はない。毒を無力化はしない。
今ここで地上に撒き散らされるのはまずかった。神技隊らが動けなくなれば、他の魔族の餌食になるだけだ。
「ばらまき方の制御ができないのが難点だけど。でも部下が多少巻き込まれても、僕は困らないしね」
楽しげに笑ったミスカーテは、大袈裟に肩をすくめた。それは半分本音で、半分は嘘だろう。彼自身はどうでもよいと思っていても、あまりに多くの魔族が巻き込まれればイーストが決断してしまう。
だが現状では、大半の魔族は空の上にいた。制御というのがどの程度のものを指しているのかは不明だが、上下どちらかくらいに範囲を絞り込めるなら、神技隊だけを効率よく巻き込める寸法だ。
「ね、面白いだろう?」
不意にひときわ強い風が吹く。煽られたミスカーテの赤い髪が、黒衣が、不規則に揺れた。
それでも彼女は黙していた。感情を逆なでし、焦らせるのがミスカーテのやり方だ。動じる素振りを見せるのは賢くない。それでもあの機械を一刻も早く破壊するに超したことはなかった。冷静に、確実に一撃を繰り出さなければ。
動くなら今だ。彼女は心を決め、精神を集中させた。手にした刃がわずかに大きくなり、周囲の空気を震わせる。彼女はそのまま枝を蹴った。体にふわりと風を纏わせれば、重力など感じなくなる。
「君の信念はわかりやすくていいね」
機械を抱えたミスカーテが笑った。こちらが何を選択するかなど、わかりきっていると言いたげだった。実際その通りだ。選択肢などないに等しい。だがやらねばならぬのだから、躊躇などなかった。
黒い箱を強い光が包む。と同時に、彼女は刃を突き出した。しなるように伸びた青白い剣先が黒い箱を目指す。ミスカーテの気が膨らんだが、結界を張るのとどちらが早いだろうか。
「欲張りは負けるものだよ!」
ミスカーテが吠えるや否や、下からかすかな悲鳴が聞こえた。聞き覚えのある声。――これはサツバのものだ。
ほんのわずかだったが、そちらに気を取られたのがまずかったらしい。結界を突き破った切っ先の軌道が、わずかにずれる。機械の角をかすめたそれは、そのままミスカーテの腕を軽く撫で上げた。
刹那、箱から放たれた光が激しく明滅した。体が引きちぎられそうな違和感と痛みに、彼女の意識は一瞬遠のきかけた。――これは空間の歪みだ。巻き込まれかけている。
それでも気を頼りに刃を振るうと、くぐもった悲鳴が聞こえた。だが感触が浅い。これもかすめただけだろう。
彼女は吐き気を堪えつつ、纏わせた風を操って地上を目指した。ぐにゃりと曲がった視界はろくに役に立たない。当てにできるのは気のみだ。
「サツバ!」
切羽詰まった誰かの声が鼓膜を叩く。今度は北斗だ。彼らの近くにはまだ魔族の気があるが、先ほど感知したよりも一つ減っている。どうにか打ち倒したのか、それとも空間の歪みの巻き添えになったのか。
雪面に降りた彼女は、気だけを頼りに刃を横薙ぎにした。その切っ先が何かに触れる。爆ぜ割れる光球の気配に、木々が揺れる音がした。
いや、それだけではない。ついで響いたのは奇妙な破裂音だ。同時にちりちりと肌を焼くような痛みが来る。
この感触には覚えがあった。ミスカーテの毒を浴びた時と同じだ。機械を破壊しきれなかったらしい。
「神技隊、下がれ!」
声を張り上げつつ、彼女はすぐさま結界を生み出した。機械でばらまくというのは小瓶ごとだったようだ。そうなると、迂闊に技を放てなくなる。
かといってそれらを探し回る暇もなかった。空からミスカーテが迫ってくる気配がする。空間の歪みのせいで、遠距離からの攻撃が意味をなさないためだろう。本来なら接近戦は彼女に利があるが、誰かを守りながらでは話は別だ。
「レーナ!」
焦燥感の滲む呼び声に、応える余裕はなかった。顔を上げた彼女は、気だけを頼りにミスカーテに向かって刃を振るう。降りかかった毒の量は少ないだろうが、それでもわずかでも効果が出てくれば負けは必至だ。
しなる刃は、しかし今度は空を切るだけだった。それでも動じずに身を捻った彼女は、即座に結界を生み出す。ばちばちと火の爆ぜるような音を立てて、透明な膜が何かを弾いた。この感覚は破壊系だ。
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