第16話「どんな相手でも負けない前提で挑まないと」

 そういうところが青葉だなぁと、滝は常々感じる。変なところで自信がない。

「ええ。打ち合わせがしたいの」

 梅花に見上げられて、青葉は目を白黒とさせていた。心当たりがないと言わんばかりだ。苦笑を堪えた滝は、もう一口パンにかじりつく。ベーコンの塩気が口の中に広がった。胃袋を刺激する味だ。

「打ち合わせ……?」

「うん、明日のこと。シン先輩たちとの一戦があるでしょう?」

 ごく当たり前といった調子で梅花が口にしたのは、滝の予想通りの内容だった。

 彼女自身は、自分が強くならねばレーナが実力を発揮できないという事実は知らないはずだ。それでもこのままでよいとは考えていないのだろう。真っ直ぐ青葉を見上げる眼差しからもそれは伝わってくる。

「梅花、勝ちたいのか?」

「当然でしょう。今さら何言ってるの? 私たち、いつかあのミスカーテみたいな魔族とも戦わなきゃいけないのよ。どんな相手でも負けない前提で挑まないと」

 いや、梅花はさらにその先まで考えているのか。まさかあのミスカーテに相対した時のことまで想定しているとは、滝も思わなかった。

 彼女が無理を無理と言わないのは、必要なことをただ事実に基づいて考えるからだろう。レーナすら苦戦するような相手だから、端から無理だなどと決めつけてはいけない。

 ――いずれはそのさらに上に位置する五腹心だってこの地に降りてくるはずなのだ。レーナたちがいるから大丈夫とは、考えてはいけない。

「お前、すごいな」

 青葉は感嘆の吐息をこぼす。ようやく、自分がずいぶんと狭い範囲での懸念を抱いていたことに気がついたらしい。

 ここで無茶をして怪我をしても意味はないが、かといっていざという時に相手が遠慮してくれるはずもなかった。ならば今できる範囲で、ぎりぎりのところを狙いながら、ただできることを探っていくしかない。

「……何が?」

「いや、何でもない。そうだな、対策を練らないといけないよな。よし、わかった」

 青葉の声には強い承服の色が滲んでいた。首肯した青葉はそのまま梅花の肩を叩く。そしてちらと滝へと一瞥をくれた。まるで「わかったよ」と答えるような眼差しに、滝は目だけで頷いてみせる。そして再びトレーからカップを持ち上げた。

「じゃあ部屋に行こう。それじゃあ滝にい」

「ああ」

「滝先輩、お邪魔しました」

 軽く挨拶の言葉を口にした二人が遠ざかっていくのを、滝は横目にしつつ何度目かの苦笑を飲み込んだ。こうして歩く時の距離でさえ以前よりも縮まっているという指摘は、あえて胸の中にしまっておくことにした。




 試合中によそ見をするような暇はない。それでも慣れ親しんだ気が訓練室に入ってきたことは、意識せずとも感じ取れた。これはミケルダの気だ。

 梅花は素早く視線を走らせる。噂を耳にして見学に来たのだろうか? 一昨日からシリウスが頻繁に顔を出しているのは皆の知るところだが、さらにミケルダまで来るとは。

 複雑な気持ちになりつつも、梅花は対戦相手――シンとリンを見据える。先ほどよりもわずかながら距離を縮められていることに気づき、梅花は白い床を蹴った。

 後方へと飛び退りつつ、念のため結界を張る。ついで間髪入れずに頭上へ青い光弾を数個放った。着地した彼女は即座に辺りを確認する。いつだって位置把握を怠ってはいけない。

 頭上に浮かんでいる青葉に対して、シンとリンは頑として空中戦を挑むつもりがなさそうだった。後方のリン、前に出るシンという立ち位置は大きく崩さず、その中でこの楕円形の試合場を目一杯使って動いている。こちらが何を嫌がるか、わかっていての行動だ。

 頭上で気が膨れ上がった。梅花の放った光弾を、青葉が叩き落とす音がした。技と技が触れ合った時とは微妙に違う、かすれた高音。レーナが調整した剣は青葉の腕にすっかり馴染んでいるようだ。光弾を破壊することなく進む向きだけ変えるというのは、簡単にできることではない。

 青白い光球は、こちらへと大きく踏み出していたシン目掛けて降り注いだ。舌打ちしたシンは躊躇わずに剣を振るう。砕かれた青い光の残渣が、白い空間へと散っていった。

 本当ならここで即座に追撃したいところだが、リンがそうさせてはくれない。吹き荒れる風が、シンを巻き込むのを避けながら梅花の方へと突き進んでくる。これが厄介だ。

「梅花!」

 青葉の声がしたが、梅花は一顧だにせず頷くだけにとどめた。先ほどからこの反復だ。対処法も一緒だった。梅花の生み出した結界が、迫る風を無へと還す。

 単純な繰り返しの中で互いの隙をうかがう攻防が繰り広げられて、一体どれくらい経つだろう。

 普通なら誰もが飽きてくる頃だった。それでも勝負の行く末を見守っている人々から緊張感が失われることはなく。もちろん、梅花たちは片時も油断などしていられなかった。

 息が上がってきたのを自覚しつつ、梅花は結界を張りながら右手へと跳躍する。

 集中力が切れるのが先か、体力が尽きるのが先か。それがこの試合の勝敗を決めると、始まる前からわかっていた。体力の面で最も不利なのは梅花だろう。だからシンたちは梅花が動かざるを得ないような戦い方をしている。あちらの狙いは明白だ。

 足手まといにはなりたくない。ならばどうすればよいのか。――技は使いようによっていかようにもなると教えてくれたのはレーナだ。だから梅花は考える。勝機は必ずあるはずだった。

 結界を解いた梅花は一度立ち止まり、呼吸を整えた。シンとリンはどちらか一方が狙われた時に、駆けつけられる距離を維持している。一方梅花と青葉の距離は遠い。これは青葉の動きを妨げないためだ。

 だがこのまま睨み合いが続けば、梅花たちが不利になっていく。そろそろ決めなければならない時だった。隙を待っていては駄目だ。作り出さなければ。

 一瞬だけ、梅花は頭上を見遣った。視線だけで何かが通じるとは思わないが、おそらく覚悟は伝わるはずだ。身を翻せば、後ろで結わえた髪が視界の端で揺れる。切りたいのは山々だったが、技の発現に影響するらしいのでこのままにしている。

 腕力のなさも、体力の乏しさも、いくら嘆いたところですぐにはどうにもならない。それでも今の自分に可能な最大限を、ひたすら目指していくしかない。

 梅花は次々と光球を放ち、そのうち幾つかに雷系を混ぜた。まずは真っ直ぐシンとリンの方へ。次は頭上へ。この場で一番全体が見えるのは青葉だ。だから彼女は常に彼の位置に気を配りながら動く。

 シンが焦れて床を離れれば、こちらが有利になる。空中戦で青葉に勝てる者はほとんどいないだろう。だがこれはまず期待できない流れだ。空中で仕掛ける無謀さは、きっとシンが一番よくわかっている。

 シンとリンはおそらく、梅花へと迫る機会をうかがっている。それまではひたすら慎重な攻防を繰り返している。だから隙を作るためにはもっと動いてもらう必要がある。つまり、誘わなくては駄目だ。

 青葉が再び光弾を叩き落とす音を聞きながら、梅花は足を止めた。そして右手に青白い刃を生み出した。その場で深呼吸をすれば、周囲のざわつきが感じ取れる。ミケルダが名を呼ぶ声も、かすかに聞こえた。

 光弾を切り裂いたシンがこちらを見据える。同時にリンの気が一気に膨らんだ。誘われてくれたようだ。

 もちろん、この賭けに負けたら梅花たちの敗北だ。おそらく、体力だけでなく集中力も切れる。意を決した梅花は、左手を掲げつつ一気に後方へと飛び上がった。全身に薄く風を纏わせれば、ふわりと体が軽くなる。

 同時に、前方から青い風が巻き上がった。精神系の風だ。リンが生み出したそれは、梅花が先ほど放った光弾を巻き込み、バチバチと音を立てながら広がっていく。

 ――噂は本当だったらしい。リンは、精神系が使えるようになった。

 周囲から悲鳴にも似た声が上がるのを耳にしつつ、飛び上がった梅花はさらに結界で身を包む。そしてうねるように近づいてくる風に向かって青白い刃を振るった。範囲が広い分、ここまで届く頃には勢いはずいぶん削がれているはずだ。

「青葉!」

 かけ声は一つだけ。精神を集中させ、梅花は迫る青い風を青白い刃で切り裂いた。ほぼ間髪入れずにその隙間へと青葉が降りてくる。

 ばちり。どこかで黄色い火花が散る。リンの風に巻き込まれた雷の光球だ。狙い通りだ。それはほんの一時だけ、観客やリンたちの視線を引きつける。

「リン、そっちだ!」

 シンの警告が反響する。はっとしたリンに青葉が迫る。さすがのリンも、青葉相手に短剣を振るうのは分が悪いと自覚しているだろう。大きく横へ飛びつつ、風を生み出すべく手を掲げた。

 体力が尽きる前に集中力を奪う。それが梅花たちが立てた作戦だった。そのための策は幾つか練った。リンが精神系の技が使えるようになったという情報を耳にした時は絶句したが、しかし基本的な方針に変更はなかった。

 青葉がリンに迫る一方で、シンもそちらへと向かって走り出す。今度は梅花だけが上空にいる態勢だ。ここからなら全体がよく見渡せる。

 躊躇はなかった。梅花はやにわに精神の矢を生み出した。それらが向かうのはシンの前方だ。精神量に任せて、かいくぐるのが不可能な量を一気に叩きつける気持ちで放つ。

 こちらを一瞥したシンの顔が険しくなった。が、彼は速度を緩めなかった。細身の剣を一降りすれば、青い矢の大半が消し飛ぶ。

 その間にリンの気が膨らむ。迫る青葉に向かって、リンが生み出したのは青い風だ。

 ただの風ならば無視して突っ込むことも可能だが、精神系の場合はそうはいかない。剣で道を作ったところで、風に回り込まれたら意味がない。すぐに動けなくなる。

 青葉が警戒したのは、梅花の目でもわかった。それでも飛び込むしかないと判断するのもわかりきったことだった。彼の背後からシンが近づいてきている。ならば梅花にできることは青葉の援護しかない。

 狙うはリンの足下だ。まずは大きな青い光弾を一つ、素早く放つ。ついで体に纏った風を調整し、その光弾を追った。

 そうしている間にも、周囲へと黄色い光球を散らせることは忘れない。雷系だ。観客の目を灼くような数だが、ここは許してもらおう。それぞれ自衛がこの場の鉄則だ。

 後退したリンが生み出した風を、青葉の剣が裂く。その隙間へと身を滑り込ませた彼に、シンが手のひらを向けるのが見えた。

「後ろは任せて!」

 声を張り上げた梅花は結界を生み出した。――シンと青葉の間に。シンが放った炎は透明な壁に阻まれて霧散する。飛び散る火の粉の向こうで、リンがにやりと笑うのが見えた。

 振り下ろされた青葉の刃に向かって、リンは短剣を突き出す。いや、その短剣から青白い光が伸びた。青葉の長剣を光がかすめた途端、耳障りな高音が響き渡る。

 剣筋がぶれた。さらに踏み込もうとする青葉の腕を、青い風がかすめた。くぐもった悲鳴が梅花の耳にも届く。しかしまだ終わりではない。急降下した梅花は精神を集中させた。ここしかない。

梅花が生み出した結界を、シンの剣が今まさに叩き切ろうとしている。その前に決めなければ。

「飛んで!」

 叫ぶのと技を放つのは、ほぼ同時だった。不定の刃を生み出すのと同じ要領で、梅花は左手を伸ばす。その手の先から生み出されたのは、青い風だった。

 いや、青に見えたものが徐々に白く変わっていく。光弾を巻き込み爆ぜながら突き進んだ風に気づいたシンが、剣を振るおうとした。

 その切っ先が、白い風に弾かれる。シンが眼を見開くのが見える。そのまま突き進む風は、リンの青い風と混じり合った。同時に、青葉が飛び上がる。

 ぴしりと、何かがひび割れるような音がした。それでも梅花は精神を集中させ、風を追いかけて着地する。そして青い風と白い風が打ち消し合ったその空間に、吸い寄せられるように飛んだ。体が軽い。

 もう一度だけ、先ほどの要領で意識を研ぎ澄ませる。シンの動きはこの際は無視した。おそらく青葉が牽制してくれる。

 梅花が突き出した右手から、先ほどよりも小さな白い風が生み出された。リンの短剣から伸びる青白い光も絡め取りながら、それは突き進み――短剣に触れた瞬間、鼓膜を裂くような轟音を生み出した。

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