第14話「巻き込まずにすむ選択肢ってあったんですか?」

「よっしゃ! 決まり決まり。カエリたちは作るの面倒臭い食べ物は嫌だって言うし。美味しい物を食べるなら外食したいって騒ぐんだけど、オレは堅苦しいところは苦手でなぁ」

 ぺらぺらと喋るラフトの顔を凝視しながら、滝は彼の気を探った。普段と変わりないように思えるその気から、何か感じ取れたらよいのだが。

「オレは宅配ピザとかでもいいんだけど、あいつらは納得しなくて。で、解決するにはここに来るしかないと思ってよ」

「……もしかして、レンカに何か作らせる気ですか?」

 滝は思わず真顔になった。自然と声まで下がる。どうやらラフトたちは豪華な食事目当てでやってきたらしい。

 そういえばヒメワは美食家でもあり、たまに豪華な外食を楽しんでいると耳にしたことがあった。彼女が宝くじを当てるのだから皆は拒否できなかったのだろうと思っていたが、実は他の面々も楽しみにしていたのか。

 滝たちにとっては羨ましい話であるが、だらだらするのが好きなラフトには辛い空間なのだろう。彼は味よりも量を重視することが多い。そこがフライングで意見の分かれるところなのか。

「いやいや、そんな大したことじゃあないって。ちょちょっと、簡単なコース料理みたいな感じにしてくれたらいいから――」

「却下」

 だがその負担をレンカにかぶせるつもりなら話は別だ。据わった目になったのを自覚しつつ、滝は腕組みをした。ラフトは以前から彼らストロングのことを便利屋扱いしている節があったが、今回ばかりは許してはおけない。

「ラフト先輩。オレたち皆、怪我や疲労から回復したばかりだってこと忘れてませんか?」

 滝はため息を飲み込む。夢のようであったが、あれは現実のことだ。一歩間違えていれば誰が死んでいてもおかしくはなかった。今後のことを考えれば、少しでも体を休めるべきところだ。

 ――無世界への名残惜しさから、楽しみを奪うようなことを言うのもどうかと我慢していたが、ここは釘を刺さなければならないだろう。

「何だよ滝、そんなに怒るなよ」

「怒りますよ。大体、設備もろくにないところで無茶言わないでください。外食なら、行きたい人で行ってもらえばいいでしょう。全員だと大人数になりますし」

 ラフトは相変わらず深刻味を欠いている。別に皆が揃って行動することにこだわらなければいい話なのだが。実際、滝たちはよくそうしている。

 フライングが普段どうしているのかは知らないが、お金に余裕があるのならば何も悩むことはないはずだった。

「あーそうか、設備、設備なぁ」

「オレの話ちゃんと聞いてます?」

 すると深々と相槌を打ったラフトは再び天井辺りを見上げた。この楽観的な男に正論を言っても無駄だということを、滝はまた思い出す。その気楽さに救われることも稀にあるが、苦労させられることは多かった。

「やっぱり広い台所は必要だよなぁ」

 勝手に納得して独りごちるラフトから、滝は目を背けた。これからはこのラフトとも一緒に生活することになるのかと考えると、ますます気が重くなった。



 冷ややかな宮殿の空気に、扉の閉まる音が染みた。必死の説得を終えた梅花は肩の力を抜く。

 人気の乏しいこの棟の奥では靴音一つしない。忙しない気配が満ちていないこの廊下は、彼女にとっての一つの安息の地であった。だが今はここで脱力している暇はない。青葉を待たせたままだ。

「これだから頭の固い人たちは困るのよね」

 ついついぼやきたくなるのは、疲労のせいだろうか。前例がないからと全て突っぱねようとする局員の顔を思い出せば、つい眉根に力が入る。

 彼らに決定権がないことも多いので、面倒臭がる気持ちもわかるのだが。そこはきちんと上司へ話を通してもらわなければ困る。

 故に給金や食費についての交渉は難航した。リュー一人の力では時間が掛かりそうであったため、結局は裏の手を使うことになった。上の者の名を出すのは正直気が引けるのだが、ここは致し方ないと梅花は割り切る。

 上からの要請で神魔世界に戻るのだから、これくらいは目を瞑って欲しいところだ。

「ま、ミケルダさんには悪いけど」

 一息吐いたところで、梅花はゆっくり歩き出した。さらに細かい提出物が必要になるのだが、それはリューに任せることにしていた。

 梅花はもう多世界戦局専門部に所属しているわけではない。口約束は取り付けたのだから、あとの処理くらいは頼んでもよいだろう。どのみち神技隊絡みのことであれば、リューの正式な判も必要だ。

 静かに歩を進めれば、茶色く染まった靴が視界に飛び込んでくる。これはリンからプレゼントされたものだ。戦いの中でずいぶんと汚れてしまったが、それでもまだ壊れそうにはない。やはり値段に応じた機能なのだろう。

 そのありがたみをしみじみと感じつつ、梅花はやおら顔を上げた。

「ミケルダさん?」

 ふと前方から気を感じた。これはミケルダのものだ。先ほど名前を出したばかりなので若干ばつが悪い心地がするが、まさかそのためだけに逃げるわけにもいかない。

 それにしても一体何の用だろうか? この棟でこちら側にいるのは今は梅花一人だから、他の誰かに用事ということも考えにくい。それが厄介な問題でないことを祈りながら、彼女は一度深呼吸をした。

「梅花ちゃん!」

 しばらくもしないうちにミケルダの姿が見えた。曲がり角の向こうから顔を出した彼は、手を振りながらふわりと微笑む。特徴的な狐色の髪が空気を含んで揺れた。

「ミケルダさん、お疲れ様です。何かありました?」

 軽快な足取りで近づいてくるミケルダに、梅花は首を傾げながらそう問いかけた。彼の気には焦りといった負の感情は滲んでいない。つまり、悪い知らせがあったわけではなさそうだ。彼女はひっそり安堵する。

 しかし「忠告」が理由でないとすれば、疲労回復のためということになる。それだけ忙しいのだろうか。カルマラの目にもそう映るくらいだから、今まで以上なのかもしれない。

 ただし彼にどんな仕事が割り振られているのか、梅花には全く予想がつかなかった。

「いや、特別なことがあったわけじゃないけど、ちょっとね。梅花ちゃん、もうこっちに戻ってきたの?」

「正式にではないです。まだ準備期間ですね。確認したいことがあったので、早めに顔を出しただけなんです」

 小走りで寄ってきたミケルダは、不思議そうに首を捻った。「確認したいこと?」と聞き返したところをみると、基地の方へ出向いたことは知らないようだ。カルマラが降りてきたことも、気づいていないのかもしれない。

「……お金の話です。すみません、ミケルダさんの名前も勝手に出してしまいました」

 素直に白状した梅花は頭を下げた。これだけでも何をしたのかミケルダならばわかるはずだ。案の定、「ああ」と納得を滲ませた声を漏らしている。

「なるほど、そういうこと。いいよ、オレの名前くらいで通るなら。巻き込んでるのはこっちだしね」

 おもむろに顔を上げれば、ミケルダは肩をすくめて苦笑していた。「巻き込んでいる」という響きには明らかに自責の念が含まれていて、梅花はついと瞳を細める。

「それ、ずっと聞きたかったんですが。巻き込まずにすむ選択肢ってあったんですか?」

 シリウスも似たような発言をしていたことを思い出す。けれども果たして、それを避ける術があったのだろうか?

 一体どんな目的で魔族が動いているのかは知らないが。リシヤの森で魔族が復活したことを考えても、ミスカーテがこの星を目指していたことを考えても、ここにいる限りいつか訪れる事態のような気がしてならなかった。

 梅花たちが遭遇したのは偶然かもしれない。だがそれはタイミングの問題で、もっと早ければたとえば乱雲たちが、遅ければ今はまだ幼い子どもたちが、この危機に直面したのではないか? 考えれば考える程、梅花にはそう思えてくる。

「……え?」

「結界が永久的なものでなければ、いつかは、こうなってしまったのではないですか?」

 ――それはミケルダたちには残酷な問いかけなのかもしれない。きっと上はこのような事態に陥らないために、ずっと必死で策を練ってきたのだろう。

 しかしそれは、本当はいつか来るその日を先延ばしにしていただけではないのか。本当はその日に備えて動いておくべきだったのではないか。

「……さすが梅花ちゃんは鋭いなぁ」

 寸刻の間を置いてから、ミケルダはくしゃりと相好を崩した。どこからも怒りの気配は感じ取れなかった。首の後ろを掻きながら、彼は垂れた瞳をさらに細める。

「うん、いつかはきっとこうなるんだと思うよ。でもね、梅花ちゃん。オレはその時に、君たちが当たってしまったことは、やっぱり申し訳ないと思うんだ」

 ミケルダの笑顔は、どこか儚さや物悲しさを孕んでいた。声が温かいだけに、その裏側に滲む彼の心境を思うと息苦しさを覚える。

 梅花は口をつぐんだ。そんな顔をさせたいわけではなかった。そうでなくとも、彼はいつも罪悪感を覚えているというのに。

「しかもさ、オレたちはまだそんな犠牲者を増やそうとしている」

 続けるミケルダの声がさらに陰った。その言葉の真意が読み取れずに、顔を上げた梅花は眉をひそめる。

 犠牲者を増やそうとしているとはどういうことだろう? その犠牲者というのが、梅花たち技使いのことを指しているのだろうということは推測できるが。

「これはここだけの話なんだけど。オレ、新しい神技隊たちの訓練もしてるんだよね」

 突然の思わぬ申告に、梅花は声を失った。一瞬、何を言っているのかわからなかった。

 新しい神技隊? いや、神技隊たち? ピークス派遣から半年も経っていないのに? 無世界から梅花たちを呼び戻しているというのに? 脳裏をいくつもの疑問が駆け巡る。

「たぶんそのうち話が行くと思う。今はまだ内緒ね。梅花ちゃんにだけ、こっそりだから」

 梅花が閉口していると、ミケルダは悪戯っぽく笑って目の前で手を合わせた。頭がくらくらとしてきて、梅花は思わず目を閉じて額を押さえる。

「それって、まさか戦力補強ってことですか?」

「ジーリュ様たちはそのつもりみたい。いや、何かあった際の予備のつもりかもしれないけど。半魔族が復活したのを受けて、人員が必要だって判断に至ったんだ。ほら、宮殿の技使いも減ってるからさ」

 ミケルダは合わせた手をやおら下げた。こともなげに言ってくれると、梅花はため息を飲み込む。

 それでは本当に神技隊は便利屋扱いではないか。誰も断れないのをいいことに、技使いを好き勝手に利用しているも同然だ。上はどういうつもりなのか。

 そう考えた途端、先ほどの自分の発言と矛盾があることに気がついた。誰かが何かを強制されるのは駄目だ。しかしこの星にいる以上、避けられない事態は確実にある。その狭間に、今の彼女たちは立っている。

「オレは、できればそんなことはしたくないんだけど」

「……そうですね」

 深々と梅花は相槌を打った。それでは彼らは、彼女たちは、どうすればいいのだろう。どうすれば皆がそれなりに納得できるのだろう。考えてみてもすぐに答えを見つけ出せそうにはなかった。

 しかし、ただただ時の流れに押し流されているだけではいつか後悔しそうだ。いつまでも「仕方がない」で自分を偽ってもいられない。

「私も自分の立ち位置を、考えなければいけないのかもしれません」

 梅花はそっと唇を噛む。一体何を優先して、何を求めて、選ばなければならないのか。心を決めていなければいつか大事なところで間違えそうだ。

 その時ふいとレーナの言葉が脳裏をよぎった。「優先度が変わらないから」と、彼女は口にしていた。おそらく彼女には明確な軸があるのだろう。そういったものを、梅花も見いださなければならない。

「立ち位置?」

「ええ。宮殿出身の神技隊の一人、というだけでは、きっとこれから迷いが生じるので」

 不思議そうに瞬きをするミケルダへと、梅花は頷いてみせた。そのためには自分にとって何が大切なのかを把握しなければならない。それが一番厄介な難問であることは、振り返らずとも明らかだった。

「色々と教えてくださり、ありがとうございます」

 困惑顔を続けるミケルダへと、梅花は微苦笑を向けた。

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