第4話

 柱にもたれかかっているカルマラを見つけ出し、ミケルダは歩調を速めた。白い回廊に乾いた靴音が響く。

 彼女がここにいるのは気でわかっていたが、実際にその顔を見るとほっとした。いつになく気怠そうな目をして、片足をぶらぶらと揺らしていた。手持ち無沙汰な時の癖であることは彼も知っている。

「カール!」

 語気を強めて呼びかけると、わかっていると言いたげな視線が向けられた。今日のミケルダは気を隠しているわけではないから、気づかれていることは承知の上だ。

 それでもカルマラが顔を上げないから声を掛けたわけだが。彼はそのまま彼女に駆け寄った。

「魔獣弾が現れたんだって?」

 噂を耳にしたのは先ほどのことだった。珍しく睡眠を取っていたからだ。あちこち出歩きすぎて種々の疲労が溜まっていたので、たまには眠ってみようと思ったのだが。

 まさか目覚めてすぐこんな報告が飛び込んでくるとは予想もしなかった。また神技隊を呼び寄せなければならないのかと考えると、早くも気が重い。

「もう知ってるの? さすがはミケね。そうなのよ。でもねー、ちょっと姿を見せたと思ったら何もせずにいなくなっちゃうの。わけがわかんなくて」

 右の踵で床をコツコツと叩きながら、カルマラはそう説明する。その気には不満と疑念が滲んでいた。短い髪を手で掻き上げる仕草にも若干の苛立ちが見て取れる。彼女としては珍しいことだ。

「そうなのか。――誰が調べてるんだ?」

 魔獣弾が姿を見せたのなら、こちらも動き出さなければならない。それでも彼女が暇そうにしているところを見ると、その役目はこちらには回ってきていないのだろう。

 いつもならまず真っ先に話が振られるはずだが、ラウジングのことがあったからなのか。ミケルダも回復途中だったので免除されたのかもしれない。

「どうもケイル様側みたい。でもあれじゃあ足取りは掴めないわねー」

 じれったいという感情を隠しもせず、カルマラは頬を膨らませる。不機嫌なのはそのせいか。ケイルが従えているのは「力を失った者たち」――産の神ばかりだった。人数こそ多いが、相手が魔族となると心許ないのは否定できない。

「オレたちには声が掛からないんだな」

「ラウがまだまだだからじゃない?」

 頭の後ろで腕を組み、カルマラは苦笑を漏らす。呆れの滲んだ表情だが、気には不安が表れている。

 レーナから受けたラウジングの傷は、思っていた以上に深かったようだ。いや、後を引くと言った方が正しいか。一生残るような傷ではないが、回復に時間が掛かる。やはり破壊系が混じると影響が大きいのかもしれない。

 もっとも、治りが悪いのはそのせいだけではないだろうとミケルダは推測していた。

「核は大分回復してるはずなのにねー。やっぱりあんな美少女を刺しちゃったから」

 そう独りごちて、カルマラは深々と嘆息した。その口調に「仕方ないな」という響きを感じて、ミケルダは眉をひそめる。

 影響が長引いているのはラウジングの精神が不安定だからだ、というのは想像できた。精神が回復するには休息だけではなく正の感情が重要だ。しかし、おそらく今のラウジングにはそれが欠けている。

「いやいやカール、それは違うでしょ」

 だが精神が不安定な理由を、相手が美少女だったからで片付けられてはラウジングが不憫だった。そう単純な話ではない。ミケルダが首を横に振ると、カルマラは片眉を跳ね上げてからびしりと人差し指を突き付けてきた。

「何も違わないわよ! 私もさー、相手が魔物っていうか、よくわからない姿をしてる時は躊躇わずに全力出せるんだけど。でも人間に近い容姿だとやっぱり抵抗感があるのよね。関係ない人間巻き込んで後味悪かった経験があるせいかもしれないけど。そういうのって響くのよ」

 いつになく真顔なカルマラの言葉に、ミケルダは曖昧な相槌を打った。

 その経験が、彼にもないわけではない。関係のない人間を巻き添えにした時のあの虚無感は言葉にならない。いくら言い訳を並べてみても、自分を納得させられるだけの力には乏しかった。

 他の動物とは何が違うのか。考えてみた結果、ひどく単純な結論に行き着いた。――気によるものだ。彼らの絶望、嘆き、憎悪が突き刺さる瞬間というのは、何度経験しても慣れるものではない。

「カールでもそうなんだ」

 細かいことは気にしないように見えるカルマラでさえ辛いというなら、ラウジングはなおさらだろう。

 生死に直結するような「何か」が起きた時、一番厄介なのは周囲の者の気だ。「お前のせいだ」という明確な悪意、憎悪。それは精神の深いところを抉る。

「人間に恨まれるのってきついよね……。魔族が向けてくる憎しみとは違うのよねぇ。私たちが割り切れないだけなんだろうけどさ」

 突き付けていた指を下ろして、カルマラは髪をがしがしと掻いた。そして自分で乱してしまったことに気づいたのか、慌てて整え始める。

 その横顔を尻目に、ミケルダは口をつぐんだ。彼女の言う通りだ。相手が魔族なら簡単に割り切れる。しかも今回に限って言えば一番問題なのは、ラウジングにとっては初めての経験というところだ。

 だから止めたかったのだ。どうしても止められないのならば――代わりたかった。

「ま、そういうわけだから、しばらく私たちには仕事は回ってこないと思う。もどかしいけどねー。何かあって後悔しても知らないんだから」

「おいおいカール。それで苛立ってるのか?」

「当たり前でしょ。尻拭いするの私たちよ? だったら最初からやらせて欲しいんだけどっ」

 自分もよく引っかき回しているくせに、という一言をミケルダは飲み込んだ。間違ってはいなかった。もし戦闘になったら……ケイルの下の産の神たちでは手に負えない。こちらに要請が来るのはわかりきったことだ。

「まあまあ、カールも今のうちに回復しておいたらってことでしょう? ほら、どう? 下に降りて何か面白いことでも探してみない?」

 こういう時は機嫌を取るに限る。ミケルダが手をひらひらさせると、カルマラはぱっと顔を輝かせた。この提案は正解だったようだ。

 神界にいるとどうしても気が滅入る。ラウジングだけでなく自分たちまで精神をすり減らすようなことは、どう考えても得策ではなかった。

「賛成!」

 笑顔で頷くカルマラの肩を掴み、ミケルダはちらと周囲へ視線を走らせた。真っ白な回廊には、相変わらず光だけが満ちていた。




 広い食卓の上にあった豪勢な食事は、あらかた誰かの胃に収まったようだった。真っ白な大皿の大半は空になっている。満足そうにお腹をさするようの姿を横目に、青葉は苦笑を漏らした。

 クーラーのよく効いた涼しい部屋には上質そうな絨毯が敷かれているし、そもそも部屋の天井が高い。レースでできたテーブルクロスも高価な物と思われる。青葉たちには馴染みのない世界だった。

 ピークスが働いているというこの屋敷は、彼らの知る無世界のどの建物とも趣を異にしている。だから料理が出てくるまでは居心地の悪さにみんな複雑そうな顔をしていたが、今は誰もが満足げな様子だ。食欲には勝てなかったというところか。

「あーお腹いっぱい! 美味しかったね」

「さすがはお金持ちの家だなあ」

 ようとサイゾウが笑いながら目と目を見交わせる。立ちっぱなしなことも気にならないらしい満面の笑みだった。相槌を打った青葉はさりげなく部屋の奥側をうかがう。

 本日の主役である梅花は先ほどまで隣にいたのだが、食事が終わるやいなやリンに連れ出されてしまった。今は二人で紙袋をのぞき込んでいる。どうやらこちら側の声は聞こえていない様子だ。

 リンによって半強制的に「おめかし」させられているせいで、今この中で一番屋敷に相応しいのは梅花のように見えた。髪を結い上げてるせいもあるだろう。ふわふわと揺れる桜色のスカートは、つい目で追いかけたくなった。

 当人は何故だか不満そうな様子だったが。

「それにしても、よく梅花は断らなかったな」

 青葉の視線に気がついたのか、改めてと言わんばかりにサイゾウがそう口にした。振り返った青葉は瞳をすがめる。確かに、今までの梅花なら絶対に拒否していただろう。彼女が一番嫌がりそうなことだ。

 誕生日パーティーを開きたい。そんな提案を聞いたのは一週間前のことだった。

 戦闘用着衣を手に入れるという一大行事があっさりと終わった後、彼らは別の悩みに直面することになった。一着ずつだろうと予想していたのに、案外数があったのだ。特に女性物が多い。

 これらをもらうに至った動機のことを考えると、予備にするのも憚られた。そこで他の神技隊にも手渡そうという話になった。

 その相談中に、梅花の誕生日が近いことがリンたちに伝わってしまった。祝われたことがないことまでばれてしまったら、リンが動かないはずもなかった。

 それでもパーティーをやりたいという声を聞いた時は、青葉も大して本気にはしなかった。お金と場所の問題が難点となるのは予想できた。

 それがまさかこんな事になるとは。企画者はリンだが、ジュリが協力することになったのも大きい。この二人が絡むとどうも勢いがつく。

「リン先輩に押し切られたんだろ」

 大勢の人間に誕生日を祝ってもらうなど、梅花ならまず断るところだ。しかしあのリンの巧みな話術――というよりも半ば無理やりに近い説得には勝てなかったと見える。

 その日に戦闘用着衣の試着もすればいいとか、そんなことを言われたに違いない。

「それにしてもすごい家でぇーすねぇ! こんな部屋を貸してくれるなんて親切な方たちでぇーす!」

 青葉がグラスを手に取り肩をすくめると、背後でアサキの声が上がった。酒は入っていないはずなのにずいぶんと陽気な声音だ。これも食事の力だろうか。シンが「まったくだな」と同意するのも耳に入る。

 スピリットの三人、シークレット、ピークスが集まってもなお余裕のある室内には、幸せな気で満ち溢れていた。

 これは少し、食の重要性を考え直さなければいけない。毎日は無理だとしてもたまには美味しい物を食べないと精神の回復にも影響しそうだ。梅花に相談だなと青葉が考えていると、しみじみとしたシンの声が鼓膜を震わせた。

「しかもこんな料理まで……。ピークスには感謝しないとな」

 どうやらシンも同じことを感じているらしい。視界の端に映った横顔から、青葉はそう読み取った。

 スピリットの方が安定した収入があるはずだが――現に、今日もサツバとローラインは仕事で来ていない――普段は慎ましやかな生活を送っているんだろうか。何事にも慎重な傾向のあるシンだから、その可能性は否定できない。

 青葉は水を飲み干すと、またグラスを食卓に置いた。

「いいえ、私たちは何も。たまたま計画しているところをお嬢さんに見つかっただけですよ」

 そこで、ウーロン茶の入った容器を手にしたジュリが近づいてきた。姿が見えないと思ったら、空になったものを取り替えに行っていたのか。

 前から思っていたが、やはり彼女は気が利く。他のピークスの面々がのほほんとしているだけにそれは際立った。

「場所が悩みだったので助かりましたね」

 微笑んだジュリは、その透明な容器を食卓の上に置く。ちゃぽんと軽い水音がして、柔らかな赤茶の髪が青葉の横でふんわりと揺れた。

 照れているわけではなく、本気でそう考えているようだ。しかしちょっとした催しのつもりがこんな大きな会になったのは、ひとえに彼女の功績だった。

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