第14話

 遺伝情報を利用して全く同じ姿形の個体を作り出す技術があり、それがクローンと呼ばれていたことは、青葉も知っている。けれども、少なくとも神魔世界では、それは発展しなかった。

 問題点は幾つもあれど、研究していく利点が乏しかったからだ。そこまで頑張らなくても大概のことは技でどうにかなってしまう。それなら治癒の技をどう利用していくか工夫していった方が手っ取り早い。

「何か色々問題があったとかで、禁止されたんだろう? まあ、百歩譲ってクローンだったとしても、それで同じような技使いになるわけがない」

 それに、結局はこの疑問点に辿り着く。どうやったら技使いとなるのかいまだ明らかにはされていない。ひょっとすると、このまま永遠の謎となるのかもしれない。

 いつか忽然と技使いが生まれなくなるのではと危惧していた人々もいたらしいが、幸か不幸かそのような予兆はなく、こうして今も技使いは存在し続けている。

 どうすれば技使いが生まれるのか、どうすれば強くなるのか。それがわかったら一大発見どころの騒ぎではないだろう。それを望むのが正しいのかすら、青葉には何も言えない。

 誰もが強い技使いとして生まれることを夢見ている世界だ。万が一方法がわかってしまったら、争いの火種にもなる。

「まあ、そうなんですよね。ただ……レーナさんたちは、わたくしたちの常識を遙かに超えたところにいますから」

 曖昧に頷いたよつきは、そこで一旦言葉を切った。つと逸らされた視線を追うように、青葉も右手を見る。

 お泊まり会をする子どものごとくはしゃいでいるラフトたちの姿が、何だか遠かった。反響する賑やかなやりとりに、よつきのため息はすぐ掻き消される。

「もしかしたら、この世界のどこかに、人工的に技使いを作り出す術があるのかもしれません」

 よつきの発言は、ひどく不気味に青葉の耳に残った。背筋を這い上がってくる嫌な感情を振り捨てるよう、「まさか」と彼は笑った。




 遮る物の乏しい海外沿いは、とにかく風が強い。しかし日の気配が長く残るため、しばらくは寒さを意識せずにすんだ。

 それでも夜が更けていけば、洞窟内に吹き込む風もやや冷たくなる。海の匂いの染み込んだ空気が、唯一の光源となっている火を揺らがした。

 長剣を岩壁に立てかけて座り込んだアースは、大きく息を吐く。向かいにどっしりと座ったイレイが両手を挙げると、その影も揺れた。

「あー面白かったね! 大変なことになってたね! 迷路だったね!」

 爛々と瞳を輝かせながら、イレイは口を開く。迷路というのは、おそらくリシヤの森のことを指しているのだろう。あの気持ちの悪い空間をそう称することができるのは、さすがイレイといったところか。

 方向感覚が鈍るのは好きではないので、アースとしては心地よい場所だとは思わない。

「あれを面白がるのはイレイくらいだろ」

 すると奥の方であぐらをかいていたネオンが、うんざりとした声を発した。ネオンはしばらくの間イレイと二人だったので、なおさら疲れを覚えたに違いない。神技隊とのやりとりでも、何かあったのかもしれなかった。

 だから、ついでとばかりに食料を調達して帰ると主張したイレイには、付き合わせなかった。ますます疲労困憊して後に響くのが目に見えていたので、「見張り」という名目でレーナと一緒に無理やり先に帰した。

「えー? だって、ようも楽しんでたよ?」

「ようってのはお前のオリジナルだろ。例外だ例外。お前と一緒」

 ネオンがげんなりした様子でひらひら片手を振ると、レーナがくすりと笑い声を漏らした。言いつけ通りに、ネオンの隣でしっかり見張られていたようだ。椅子代わりにしている岩に腰掛け、膝の上で手を組んでいる。

 炎に照らし出された彼女の横顔に疲れが見えないことを確認し、アースは岩壁にもたれかかった。世話が焼ける仲間たちが多くて困ったものだ。

 すると、そこへ一人遅れていたカイキが洞窟内に入ってくる。大きな布袋を抱えた彼の眉根は寄っていた。

「何でオレが全部持たされなきゃならないんだか……」

「カイキがずっとさぼってたからだよ! おかえりー」

 ぐちぐち言いつつ嘆息したカイキは、イレイの目の前に袋を置いた。そしてアースをちらりとだけ見やってから、ネオンの横に座り込む。

 カイキは疲労を主張するよう足を投げ出し、額に巻いていた布を取った。その動きに呼応するように、風に揺られた火の粉が跳ねる。

「誰もさぼってねーって。人聞きの悪い。大体、どうしてこんな量――」

「いっぱい遊んだからお腹すいちゃってさー」

 カイキの言葉は、イレイのうきうきとした声に遮られた。憎々しげな視線を向けられてもイレイはものともせず、楽しそうに袋の中を覗き込んでいる。

 諦めた様子のカイキは、眉間の皺を手でほぐしながら両膝を抱えた。お得意のいじけ状態に入ったのだろう。今回は長引くだろうかと考えると、アースの方がため息を吐きたくなった。

 そんな周りの様子など意に介さず、イレイは木の実を一つ手に取って口を開く。

「わー美味しそうっ。あの森には見たことない物がいっぱいだよね。そういえばあそこ、この間よりもさらにひどいことになってたけど。戦闘があったから?」

 首を傾げたイレイが何気なく放った疑問は、アースも気にしていたことだ。リシヤの森には特別な事情があるようで空間が歪んだままとなっているが、それにしてもこの短期間で悪化するとはどういうことなのか。

 答えを求めるよう、彼はレーナへ視線を転じる。

「そうでなくとも揺らいでいたんだがな。……そろそろ限界かもしれない」

 目を伏せて、レーナは深々と相槌を打った。穏やかな声音ながらも、そこには危惧と諦念の入り交じった何かが滲み出ている。アースは眉をひそめた。姿勢も表情も変わらないが、冷たい地面を見つめる眼差しが重い。

「限界って?」

「どうにか保たれていた均衡が、崩れるかもしれない」

 躊躇なく尋ねるイレイに、レーナは静かに返答する。隠しているはずの彼女の気が、一瞬だけ揺らいだように感じられた。

 はっとしてその気配の一端へ手を伸ばしても、すぐに見失ってしまう。錯覚だったのだろうかと思うほど、彼女の様子は変わりなかった。アースは口に出しかけた言葉を飲み込み、瞳をすがめる。

「均衡ねぇ。そもそも、そのリシヤの結界っていうのは何を守ってるんだ?」

 イレイが怪訝そうに瞬きしていると、カイキが首の後ろを掻きつつ口を挟んだ。

 それはアースも一度聞きたかったことだ。あのラウジングとかいう男たちが気にしていたところからして、重大な何かには違いないだろう。しかし何度あの森を訪れても、その片鱗も掴めない。

「守っているんじゃない。封じているんだ」

 レーナは頭を振った。予想外の言葉に、誰もが黙り込んだ。結界とは何かを守るものではなかったのか? アースは岩壁から背を離し、彼女を食い入るように見つめる。

 それでも彼女が気にする様子はない。その双眸はひたすら真っ直ぐ地面を見据えるのみだった。

「何を封じているんだ?」

 イレイもカイキもネオンも落ち着かない様子で黙している。仕方なく、アースはそう尋ねた。できる限り冷静に、探るつもりはないと表明するよう軽い調子で、それでも疑問を吐き出す。

 すぐさま答えが得られるとは思わなかったが、問いかけずにはいられなかった。ゆるりと頭をもたげた彼女の眼差しが、逡巡なく彼を捉える。

「魔族、そして半魔族だ。転生神リシヤはかつて大量の魔族たちをあの地に封印した。リシヤの結界と呼ばれているものは、その一部。『こちら側』に立ち現れている部分のことを指している」

 まるであらかじめ答えを用意していたかのような、よどみのない返答。しかしその内容はアースたちが理解できる範囲を越えていた。転生神リシヤという名は以前にも聞いたが、その者が魔族を封印したというのか。

「えーちょっと待ってよ、レーナ。言ってることがわからないよ」

「魔族は知っているだろう?」

「うーんと、魔物のこと?」

 アースよりも先に、イレイが問いの続きを声に出す。こういう時、躊躇いのないところは相変わらずだ。体を使い頭を横まで倒したイレイを見て、レーナは苦笑を漏らした。空気がわずかに軽くなる。

 彼女は手を組み直すと、言葉を選ぶようにそっと洞窟天井辺りを見上げた。

「そう、魔物と呼ばれている者たちのことだ。彼らは神と呼ばれる種族と生存をかけて争っている。その一環で、かつて、転生神リシヤが数多くの魔族を封印した。それが大戦終結を導いた」

 まるで空想の中、お伽噺の中の出来事のような、実感の湧かない話だ。

 しかし「冗談だろう」と突き放すこともできない。先日のあの緑の男――ラウジングの形相を思い起こし、アースは深く息を吸った。「魔族」と口にした時のあの反応は、彼女の言葉を裏付けるものだった。

「それじゃあ、その結界が壊れちゃったら、また大戦が起きるの?」

 誰もが憚るような疑問を、イレイはいつもの調子でぶつけた。微苦笑を浮かべたレーナは、アースたちを順繰りと見る。皆の顔に浮かぶ感情を読み取ろうとしているようだった。

 自分が今一体どのような表情をしているのか、アース自身にも定かではない。不安を抱くほど現実感を覚えてはいないが、しかしとんでもない事態が迫っているという危機感を察知してはいる。

 レーナは何かに満足したように、わずかに口角を上げた。頬へと落ちてきた長い前髪の一部をのけつつ、小く頷く。

「そうだ。だから今あの結界に壊れてもらったら困るんだ。もう少し保ってもらわなければ」

 イレイはなるほどと相槌を打っていたが、アースはその言い様に違和感を覚えて眉根を寄せた。まるで壊れることが前提であるといった口調だ。それを食い止めたいわけではないのか。

「それまでに、オリジナルたちには強くなってもらわなければ」

 付言したレーナは軽く肩をすくめた。ここ最近、彼女の口癖となりつつある言葉だ。一体どこまでの強さを求めているのか、アースにはわからない。

 既に現時点でも、彼らは技使いとしては十分強い部類に入る。もっとも、アースの相手としては大分物足りないのだが。

「それじゃあ、はっきりそう言えばいいじゃない。強くなれって」

「言ったさ。でも、それを聞いてはい頑張りますとは、普通はならないだろう? それに――」

「それに?」

 レーナはつと目を閉じた。何かを推し量るように息を詰め、組んだ手に力を込める。その様をアースたちはまじろぎもせず見つめた。

 彼女の思惑を探りたくても、明らかな拒絶の壁がそこにある。時の流れが止まりかけたように感じられるが、そうではないと告げるがごとく、吹き込んだ風の音が洞窟内に染み入った。

「――彼らの後ろには神がついている」

 たっぷり間をおいてから、重々しさを纏った言葉が空気を震わせた。その言外に示されているものが、アースには読み取れない。

「どういう意味?」とイレイが尋ねても、レーナは目を瞑ったまま首を横に振るばかりだ。ゆっくり瞼が開いても、複雑そうな微苦笑は変わらない。

 彼女はこうやっていつも肝心なところで口をつぐんでしまう。しかも、問いただせない空気を滲ませて。

「接触するにも、限界がある。もちろん、それでも打てるだけの手は打とうと思う。ただ、残念ながら時の流れは待ってくれない。手遅れになる前に伝わるといいんだが」

 目を伏せたレーナは、組んでいた手を解き、胸元に触れた。首に巻いている桜色の布の端を掴む様は、じっと何かに耐えている者のようだった。また何かを察知しているに違いない。

 彼女が捉えている感覚は、普通の技使いが感じ取れる範囲を大きく逸脱している。それは利点でもあり欠点でもあるのだろう。

 押し黙った彼女を見ていられずアースが口を開こうとした時、彼女は凛と顔を上げた。彼へ向けられた双眸には、不思議な輝きが満ちている。諦めと覚悟を滲ませた瞳に見据えられると、あらゆる言葉が喉の奥へ落ちていった。

 息を呑む彼へと微笑みかけてから、彼女は神妙に口を開く。

「時は待ってくれない。この星は、遅かれ早かれ戦場となるだろう」

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