第5話

「……そうだ」

「お前はどうしてそんな無茶をするんだ?」

 肯定が返ってきたところで、彼は語調を強めた。片膝を立ててずいと詰め寄ると、彼女は右手を後ろについて少しだけ距離をとる。

 彼は瞳をすがめて彼女の左手を取った。白くて細い指先は、強く握れば折れてしまいそうに見える。この手があんな武器を、技を生み出すのかと思うと、いつも不思議な心地になった。

「この手も治ったばかりだろうが」

「あ、いや、戦ってないし。その、心配してくれるのはありがたいけど、大丈夫だから。平気だから、その……」

 彼は握った左手を引き寄せて、間近から顔を覗き込む。普段は鷹揚とした態度を崩さない彼女も、こういう時ばかりはたじろぐから不思議だ。

 それでも結果には結びつかないから困る。全く響かない。相変わらずの微苦笑を続ける彼女に、どんな言葉を投げかけたらいいのか。

 何度注意しても彼女は無理をしようとする。おそらく彼女にとってそれらは無理の範疇に入っていないのだろう。出会った当初の言動を振り返れば、頷けることだった。

 死の可能性が低い範囲の行動は全て「大丈夫」で済まされる。それでも同じことを続けていいとは、彼には思えなかった。

「一体どの辺りが大丈夫なのか説明しろ。少しでも精神を回復させなければならないんだろう?」

「そうだけど、でも一人じゃ寝てられないし」

「お前は子どもか」

 疲れを覚えた彼は、彼女の手をそっと離した。握られていた左手をさすりながら、彼女は困ったように小首を傾げる。仕草一つ一つが可愛らしいだけにたちが悪かった。これだからイレイたちも甘い言葉を掛けてしまうのだ。彼女のためにはならないのに。

「――戦っていないのなら、こんな朝方まで何をやってたんだ?」

 仕方なく質問の方向性を変えた。大きな目を瞬かせた彼女は、ふわりと花が咲くように微笑む。心臓を掴まれたような心地になる笑顔から、彼は慌てて目を逸らした。すると穏やかな彼女の声が空気を震わせる。

「オリジナルたちの様子を見ていた」

 彼女は梅花たちのことを語る時、いつもこんな顔をする。普段から微笑んでいることは微笑んでいるのだが、別のほころばせ方をする。

 その表情を直視するのは非常に困難なことだった。幸か不幸か、彼女にはそんな顔をしている自覚がないらしい。

「まさか、夜の間ずっとか?」

「うん。見ていたというか感じていたというか。オリジナルの気が不安定だったからな。気になって」

 何気ない彼女の言葉に違和感を覚え、彼は顔をしかめた。そして首を捻りながら彼女を横目に見る。真正面からでなければ耐えられそうだ。

「神技隊らは、全員気を隠しているはずだろう?」

 彼は立てた膝の上に肘を置き、昨夜のことを思い返す。アースたちの突然の襲撃を恐れ、神技隊らは気を隠して生活しているはずだった。だから感じ取れるはずがないのだ。

「うん、隠しているな。でもオリジナルのはわかる」

「はぁ?」

「どんなに隠していても、存在そのものの波長は変えられない。同じ空間にいればわかるよ」

「……はあ?」

 彼女の説明は理解しがたいものだった。たまに彼女はこんな言葉の使い方をするから困る。この手の話になると、どんなに噛み砕いて説明してもらっても、納得するには到らない。

 そもそもの感覚が違うのだろう。彼女が何者なのかわからなくなる瞬間だった。――いや、わからないのは彼自身についても言えることか。

「それはつまり、あちらにもお前の波長が伝わる可能性があるってことじゃないのか?」

 かろうじて理解できた話を、彼は問いかけてみる。すると彼女は何故だか楽しそうに頷いた。頬に振れた髪の先を払ってから、胸元で両手を合わせる。

「そうだな、それだけは避けられまい。ただ、まだオリジナルはこれがわれの波長だと気づいてはいないだろう。感じ取れるようになるにはもう少し時間がかかると思う」

 彼女は気を隠しているから、そこから感情は伝わってこない。それでも心底嬉しそうだというのは見ていればわかる。幸せで仕方ない者の顔だ。

 彼は段々怒っているのも馬鹿らしくなり、片足を投げ出して岩壁にもたれかかった。待ち疲れて体が重い。

「……アース?」

「もういい。だが今日はどこにも行くなよ。出歩いた分しっかりと休め。いいな」

 顔を背けたままうんざりとした声を出し、彼は再度彼女の手を掴んだ。彼女は首肯したようだった。逃げ出さないよう腕を引き寄せると、怖々と寄り添ってくる。

 こういう時どうにか離れようと静かに抵抗していた過去を思えば、ずいぶんと軟化したものだ。いや、それは彼も同じか。

 結局は彼もこうして許してしまうのだから、イレイたちのことは言えないかもしれない。息を吐きながら目を瞑ると、「ありがとう」という囁きが鼓膜を揺らした。彼は何も答えず、ただ瞼の裏で朝日を感じた。




 夜も更けようという時刻、公園には十名の神技隊が集まっていた。予定外の会合となったにもかかわらず、全ての隊が了承してくれた。木の幹に寄りかかった青葉は、ベンチに座る梅花の横顔を見る。

 重たげな書類の束を幾つか抱えて彼女が戻ってきたのは、今朝のことだ。昨日の夕方宮殿に呼び出されたので、半日ほど拘束されていたことになる。

 どことなく浮かない様子に思われたので理由を問いただしたところ、すぐに神技隊を集めなければならない事態が発生したという。だがもちろん、全員を集めるわけにもいかない。そのため、各神技隊からリーダーを含めて二名ずつ来てもらうことにした。

 それでも皆の予定を合わせるとこんな時刻になってしまった。青葉としては、体調が万全ではない彼女にこんな時間まで仕事をさせるのは避けたいところなのだが。

「まず、一番重要な点から話しますね」

 書類の束を膝の上に載せて、梅花は口を開く。街灯に照らされた眼差しから、わずかな憂いが見て取れた。

 それを察したのか否か、真っ先に頷いたのはリンだった。ベンチの背に軽く腰掛けている状態だから、梅花の顔が見えるとも思えないのだが。無論、誰もが気を隠しているので、そこから読み取れるわけもない。

 スピリットからは予想通り、シンとリンが来ていた。シンはリンの横にたたずんでいるが、街灯に背を向けているため青葉からは表情がよく見えない。それでも神妙な顔をしているだろうと想像することはできた。

 梅花は皆が異を唱えないのを確認し、一言ずつはっきりと口にする。

「リシヤの空間の歪みについては、皆さん知っていると思いますが。その歪みが最近ひどくなっているようなんです。その調査のため、私たちの中から二隊ほど、応援に来て欲しいとの要請がありました」

 夜の静寂が深みを増した。一拍おいてから、何人かが「えっ」と声を漏らす。青葉は昼間に話を聞いておいたので、そこまでの衝撃は受けなかった。

 リシヤの話は、特に技使いの中では有名だ。今から二十年ほど前、突如としてリシヤの街が消えた。街が存在していた場所は森に覆われた世界となり、周囲を含めて空間の歪みがひどくなった。

 そのため、今リシヤの森一帯は立ち入り禁止区域となっている。ごく一部の技使いだけが、足を踏み入れることを許可されているという。

 だがそういった状態は、取り立てて珍しいことでもない。神魔世界は数百年に一度くらいの頻度で、とある地域が消滅するということを繰り返していた。

 リシヤの前はナイダという街がそうだった。今はそこには山と谷しかない。空間のひずみに飲み込まれたというのが通説だが、では一体どうしてそんなことが起こるのか、いまだ謎だった。

「リシヤ出身のレンカ先輩なら知っていると思いますが。あの森には無秩序な結界が多数存在していて、それが空間の歪みに影響を与えているのではないかという推測です。結界が、弱まっているのではないかと。それを調査して欲しいんだそうです」

 皆が黙り込んでいるのも意に介さず、梅花はさらに説明を続ける。やはり周囲から言葉はなかった。

 それにしても、リシヤに多数の結界が存在しているというのは初耳だ。噂にも聞いたことがなかった。他の一般人と同様、青葉もリシヤの近くに出向いたことはない。滝は足を踏み入れたことがあると言っていたが、それは特例だろう。

「それも早急に、だそうです」

 梅花はそこで言葉を切り、辺りを見回した。名前を出されたレンカは相槌を打っていたが、残りの面々は理解の乏しい顔をしていた。

 結界の話も唐突だが、その調査に神技隊が駆り出される理由がわからない。調べるだけなら宮殿の人間だけでも事足りるはずだ。あそこにもそれなりに技使いがいる。

「えーと、それってつまり、神魔世界に戻るってことよね?」

 静寂を打ち破ったのはリンの疑問の声だった。梅花はリンの方へと一瞥をくれ、大きく頷く。

「そういうことになります。期間については不明です」

「そ、そう……」

「調査期間中は宮殿に寝泊まりすることになると思います」

 わずかな躊躇の後、梅花はそう付け加えた。辺りの空気がますます重苦しくなるのが、青葉にも感じ取れた。全員気は隠しているのに、それは著明だった。

 全く同じ気持ちだからかもしれない。宮殿の居心地の悪さは、神技隊なら誰もが経験済みだ。長期間に渡る「講義」の際に、嫌と言うほど味わっている。

 困ったことになったと、青葉は内心でため息を吐く。二隊選ばなければならないのに、これでは積極的に行きたがる者は出てこないだろう。そうでなくとも、仕事を抱えている者は難しい。

「結界関連ということは、補助系得意な人がいた方がいいですよね」

 皆が発言を躊躇う中、先に口を開いたのはジュリだった。ベンチの脇に立っていた彼女は、周囲の者たちへ視線を巡らせる。そして最後に、隣にいるよつきへ目を向けた。

「一隊は私たちピークスでいいんじゃないでしょうか。私は補助系が得意ですし、仕事の方もまあ何とかなりますから」

「何とか……なりますかねえ」

「なりますよ、大丈夫です。私が何とかします」

 困惑顔のよつきに対して、ジュリは悠然と首を縦に振る。ジュリが治癒の技に長けているというのは、先日の亜空間で聞いた。彼女の腕は信用はできるだろう。率先しての立候補は、他の者たちの事情を慮ってのことか。

 すると今度はそれにフライングのラフトが続いた。

「じゃあもう一隊はオレたちでいいんじゃね? ヒメワとか補助系の使い手だろ。ミンヤも確かそれなりに使えるし、オレたち仕事ないし」

 小石を足の上で弄んでいたラフトは、にひひと笑って腕組みをした。聞き捨てならないのは後半の言葉だ。

 思わず顔をしかめた青葉は、同じく怪訝そうな顔をしたシンと目を合わせる。無世界での一番の悩みはどうやって生活費を稼ぐかだ。それなのに働いていないとは一体どういうことなのか?

「え、仕事がないって、お金はどうしてるんですか?」

「宝くじ。ヒメワの奴がくじ運よくてさー。今のところそれで生活には困ってないから」

 青葉たちの疑問を、リンが代弁してくれた。目を丸くするリンへ、ラフトは腕を組んだまま得意げな笑顔を向ける。信じがたい話だ。しかし虚勢を張っているようにも、嘘を吐いているようにも見えなかった。

「そうしてもらえるとありがたいですね。梅花やリンは怪我が治ったばかりだし」

 ついで滝がそう同意する。青葉としてはその点が最も気がかりだったので、行かなくていいのなら一安心だ。宮殿が絡むと梅花にしわ寄せが行きやすい。

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