第2話

「本当に気のせいであればいいんですけどねえ。どんな気配だったんですか? ジュリ」

「うーん、結界が生み出された時の感覚に近いと思いました。今はないですね」

 問いかけると、ジュリは頬に左手を当てつつ空を睨みつけた。そこまでわかるとはさすが彼女だと、よつきは感服する。

 気をどこまで感じられるかというのは、技使いの中でもかなり個人差が出るところだ。よつきは今まで自分よりも気に聡い人間に会ったことがなかった。しかし神技隊に選ばれてからは、次々とそういった人物と顔を会わせている。

 つくづく世界の広さを感じさせられる。――いや、神技隊に実力者が集いすぎだと言った方が正しいか。

「リンさんならもっとちゃんとわかるかもしれないんですけどね」

 視線を足下へと戻したジュリは、ため息を吐いた。今でも十分だと言ってやりたいが、何の慰めにもならないのでよつきは唇を引き結ぶ。耳の後ろを掻いていると、コブシが落ち着かなさそうに視線を彷徨わせているのが目に入った。

「どうかしましたか? コブシ」

「隊長、そろそろ戻りましょうよ。遅くなったらまた奥様に心配されます」

 コブシが気にしているのはそのことらしい。確かに、先日の買い物が長引いたときは何故だかひどく心配された。怒られるのならばともかく、案じられるというのが不思議だった。迷子になるとでも思っているのだろうか。

 無世界の一般的な常識はいまいちよくわかっていないが、どうもあの家族は普通ではなさそうだと最近感じているところだ。

「まあ何もなさそうですしね。いいですか? ジュリ」

「はい、よつきさ……隊長」

 頷いたジュリは、コブシへと一瞥をくれて言い直した。コブシたちが『隊長』という呼び名にこだわっているためだ。

 住み込みしている山田家の人間の目がある時は名前で呼んでくれているが、こういう場では頑なに隊長呼びをすることを強要している。よつきにとっては迷惑なことだった。

 そう呼ばれるようなことは何一つしていないし、そんな実力があるわけでもないのでむずがゆい。単にリーダーという肩書きがあるだけだ。

「それじゃあ行きますか」

 しかし何度も隊長と呼ばないよう注意しても、効果はなかった。もうよつきは諦めかけていた。説得するための労力が惜しいともいう。彼らのこだわりは不安の表れでもあるのだろうと、自分に言い聞かせるよりほかなかった。

 仕方なく踵を返したよつきは、しかし突如として感じた異変に眼を見開いた。頭上に妙な気がある。

「よつきさん!」

 ジュリの切羽詰まった叫びが響く。咄嗟によつきは前方へと身を投げ出した。受け身をとって転がると、体に弾かれたペットボトルが転がる音がする。

 と同時に、背後で何者かが着地する気配があった。軽く地面を叩く靴音に続いて、コブシの慌てる声が響く。

「な、何者ですか!?」

「青い、髪……?」

 すぐさま立ち上がったよつきは、慌てて振り返った。そして目を疑った。

 彼とジュリたちとの間に立っていたのは、青い髪の男だった。青空よりも濃い、何かの花の色を思わせる鮮やかな青だ。瞳も青いし、服も髪ほどではないが青に近い色合いで纏められている。まさに青を体現したような青年だ。

「誰ですか!?」

 問いかけながらも、味方ではないと直感で感じ取る。無世界の人間であるわけもない。男からは強い気が感じられていた。技使いだ。そして、戦うつもりだ。彼を中心にぶわりと気が膨らんでいる。

「ジュリ!」

「はいっ」

 慌てたため名前を呼ぶことしかできなかったが、ジュリは意図を汲んでくれたようだった。彼女が手を掲げると同時に、周囲に結界が張られる。

 通行人に見られたらまずいことには変わりないが、これで被害は最小限に抑えられる。よつきは歯噛みしながら構えをとった。これは本格的に技を使う必要があるかもしれない。

 青の男は無表情のまま、右手を掲げた。その手の中に不定の炎の刃が現れる。

 まずい。危惧した通り、男は戦うつもりだ。この状況ではよつきたちの方が確実に不利だった。この狭い路地では思うように身動きが取れないのに、こちらは三人もいる。下手な技の使い方をすると味方に当たりかねない。

「剣は得意じゃないんですけどね」

 独りごちたよつきは、黄色い刃を生み出した。雷系だ。これならば剣術で歯が立たなくとも、相手を牽制することができる。ちょっとした接触でも動きの妨げになるからだ。

 しかし青の男は顔色一つ変えなかった。周囲を気にする素振りもなく、軽く地を蹴る。

 迷いのない男の動きを注視しつつ、よつきは手に力を込めた。振り下ろされた炎の剣を、黄色い刃が受け止める。重い一撃だ。

 技と技がぶつかり合った際に特有の、耳障りな高音が鼓膜を震わせる。耳鳴りにも似ているそれに顔をしかめながら、よつきは一歩後退した。

 一撃、一撃を受け止める度に下がらざるを得ない。的確で重い。淡々と青の男は剣を振るっていた。よつきはどちらかといえば遠距離からの攻撃を得意としているので、これは辛い。

「隊長!」

 青の男の向こう側で、コブシが悲痛な顔をしている。コブシもジュリも接近戦は苦手だと言っていたように記憶していた。これは本格的にまずいかもしれないと、よつきの中に焦りが生じる。

 他の神技隊が気づいて駆けつけてくるとしても、時間はかかるだろう。

「よつきさん、飛んでください!」

 その時、ジュリの声がした。意図を確認する余裕もなく、言われた通りよつきは大きく跳躍した。風を体に纏わせ、自分の身長より高く飛び上がる。

 その足下を、何かがかすめていったのがわかった。コブシの前方へと飛び出したジュリが、両手を前に突き出しているのが見える。

 青の男がジュリの方を振り返る。彼女の手のひらから、続けざまに黄色の矢が生み出された。同じく雷系だ。青の男は無表情のまま、それらを炎の剣で払い落とす。

 バチバチと火花を飛ばしながら消えていく黄色い矢の行方へと、よつきは目をやった。そしてありがたくない事態に気がついた。

「ジュリ! 人が来ます!」

 結界の向こうに一般人の気があることに、よつきは気がついた。はっとしたジュリは後方を確認しようとし、しかしそれが命取りになりかねないことを察して躊躇する。

 だが不思議なことに、戸惑いを見せたのは青の男もそうだった。男は無表情のまま首を傾げると、踵を返す。

「……え?」

 空中に浮かんだまま、よつきは首を捻った。ジュリたちに背を向けて走り出した男は、よつきの方を確認もしなかった。逡巡することなく炎の剣を消し、結界に向かって手を伸ばす。

 無理やり破られた結界の悲鳴が肌に感じられた。青の男はそのまま結界の外へ飛び出す。

「ちょっ――」

 突然のことに理解が追いつかない。青の男の姿は、曲がり角の向こうへ消えていった。ゆっくり地上へ降りたよつきは、走り寄ってくるジュリへ一瞥をくれた。

 それからもう一度、男の消え去った方を見やる。結界を即座に消したジュリは、後方を気にしながら近づいてきた。

「よつきさん」

「行っちゃいましたね」

 頷いたよつきは、こちらの路地を覗き込んでくる少年の姿を横目に見た。好奇心と不安がない交ぜになった顔をしている、見たところ普通の男の子だ。物音に気づいてやってきたのだろうか。

 戦闘の様子は見られていないと思うが、事件があったと通報でもされたら困る。どうしたものかと悩んでいると、急に笑顔になったジュリが勢いよく頭を下げた。

「本当にありがとうございました。助かりました」

「……え?」

「助けていただかなかったらどうなっていたことか」

「……えっと、あの」

 突然の言葉によつきは返答に窮する。先ほどから混乱続きだ。するとジュリはにこやかに微笑んだまま、コブシへやおら視線を向けた。コブシもぽかんとした顔をしている。事態がわかっていないのはよつきだけではないようだ。

「どうかお礼をさせてください。ほら、あなたも」

 ジュリはコブシを手招きしてから、よつきの背をぐいと押した。少年とは逆方向だ。ようやく彼女が演技をしていることを悟ったよつきは、それでも上手い返答が思い浮かばず「はぁ」と気のない声を漏らす。

 慌てたコブシが近づいてくるのがわかった。ジュリはよつきの腕に手を添えると、こっそり耳打ちしてくる。

「とにかく、あの少年がついてこられないように店に入りましょう。話はそれからです。戦闘中の様子は見られていないようですし」

 冷静なジュリの判断に感服しながら、よつきは即座に首肯した。少年が追いかけてこないことを祈りながらも、脳裏には青の男の姿を思い描いていた。




「そろそろ、この真夜中の見回り止めてもいいんじゃない?」

 先を行くミツバが、唐突に立ち止まった。ちょうど街灯の下で足を止めたため、淡い金髪と緑の瞳が目映く照らし出されている。

 つられて足を止めた滝は、脈絡のない発言に首を傾げた。見回りと称したこの夜の散歩は、滝たちが『幽霊屋敷』に住むようになってから始まった。もう三年以上は続いている。

 違法者を見つけ出すという意味では役に立たない行為だった。しかし誰も文句を言わなかったのは、無世界の夜を皆気に入っていたからだ。

 この住宅街も夜が更ければ人気がなくなる。人の目を気にせず空を見上げることができる。神魔世界ほど闇夜の濃い夜ではないが、それでも瞬く星を見ると心が落ち着いた。月の満ち欠けは、神魔世界も無世界も変わらなかった。

「急にどうした?」

「だって僕らが相手しなきゃいけないの、もう普通の技使いじゃないじゃん」

 それなのに突然どうしたのかと訝しんだが、答えはすぐに返ってきた。なるほど、アースたちのことを気にしているらしい。

 彼らの狙いが神技隊となると、確かに無防備に歩いている時間は減らした方がいいのかもしれない。もっとも、だからといって家に引きこもっているのもよくない。住処まで把握されてしまうのはまずい。

「それもそうだがなー」

「こうやって誰かと歩くのは楽しいんだけどね。でもさあ、こっちには武器がないし。別に僕たち戦闘訓練を受けてきたわけでもないし」

 頭の後ろで両腕を組んだミツバは、滝の方を振り返り唇を尖らせた。滝は苦笑しながら相槌を打つ。

 神技隊の目的は違法者を取り締まることであり、戦うことにはない。技使いであれば子どもの頃にじゃれ合いという名の簡単な戦いを経験していることが多いが、そのための訓練を受けているわけではなかった。もちろん、実戦経験はない。

「滝は剣のお師匠さんがいたんだっけ? でも僕にはそういうのもなかったし」

 こんなことになるとは誰も思っていなかった。少なくとも滝たちはそうだった。いきなり亜空間に連れ込まれて戦いを仕掛けられるというのは、想定外だ。

 しかも上の方針もはっきりしないときた。何かが明らかになるまでは身を潜めていたいと思うのも無理はない。

「その気持ちもわかるがな」

 それでは一体いつまでそうしていればいいのか? わからないまま怯えているのは正しいのだろうか? 滝にはそれが判断できない。数日、数週間なら可能だ。しかし数ヶ月、年単位になったら? 心の方が病んでしまいそうな気がする。

「そうやって逃げ回ってばかりいると、いずれ命を落とすぞ」

 その時、ミツバの向こう側から声が聞こえた。揶揄を滲ませた、それなのに澄んだ声だ。滝が息を呑むのと、ミツバが振り向くのはほぼ同時だった。滝は声の主を求めて目を凝らす。

「……レーナ?」

 よく見ると、前方の塀の上に誰かがいる。そこに腰掛けているのはレーナだった。ブーツに包まれた足を組み、悪戯っぽく微笑んでいる。服装は今まで見たのと変わりない。頭の上で一本に結われた髪が、微風に乗って揺れていた。

 両手を塀に乗せたまま、彼女は小首を傾げる。

「どうもこんばんは」

「な、何で君がこんな所に!?」

 一歩後退ったミツバの肩を、滝は手で押さえた。どうやらレーナ一人のようだ。亜空間を使ってこないということは、戦うつもりがないのか? それともこれだけ人気がなければ不要だというのか?

 滝が固唾を呑んでいると、レーナはくすりと笑った。

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