第10話

「うーん、それは強さの定義によるな。まあ、その話はともかくとして、今の神技隊は弱いよ。弱くて脆い。残念ながらな」

 カイキの疑問に対する返答は曖昧なままに、レーナは青葉たちへと一瞥をくれた。彼女の言葉が胸の奥深くに突き刺さった。言い返したいのに、どの反論も声にはならない。

 技使いの中ではかなりの実力者であると、ずっと自負してきた。滝の力は折り紙付きだし、シンや青葉もそこに並ぶとされてきた。

 もちろん戦闘のために特殊な訓練を受けてきたわけではない。しかし、それでも弱くはなかったはずだ。それなのにどうして今こんなことになっているのか?

 悔しい。情けない。腹立たしい。これ以上の敗北があるだろうか? 青葉は右の拳を握った。声を荒げても惨めになるだけなような気がして、叫ぶこともできない。手足の重さがますます鬱陶しく感じられた。

「だから、このままではオリジナルたちは……ん?」

 そこで、不意にレーナは空を見上げた。つられた青葉も顔を上げた。

 青空には依然として薄雲がかかっているばかりで、これといった変化は見られない。青葉たち以外の気配も感じられない。レーナの気を引きそうなものは見あたらなかった。青葉は空からレーナの方へと視線を戻す。

「空間の歪みが変わった。動き出したな」

 レーナは青空を睨みつけながら、そう独りごちた。歪みとはあの空間のねじれのことか? そんなものまで感じ取ることができるのか? 青葉の背中を冷たい汗が伝っていく。

 彼女の見ている世界は、彼らが見ている世界と同じなのだろうか? 気が感じられる技使いとそうではない人間に決定的な差があるように、彼女との間にも大きな隔たりがあるように思えてくる。

「空間の歪み?」

「様子が気になるので見てくる。カイキ、後は任せる」

 足を揺らしながら首を傾げたカイキに向かって、レーナはそう言い残した。そして返答を待たずに踵を返した。細い足が軽く地を蹴ると、ふわりとその体が空に浮く。カイキの気に動揺が滲み出たのが、青葉にも伝わって来た。

「おいレーナ!」

 呼び止めるカイキの声もかまわず、レーナは瞬く間に空の彼方へと飛んでいった。舌打ちしたカイキは枝の上で立ち上がる。彼の焦りを象徴するような葉のさざめきが、青葉の鼓膜を揺らした。

「置いてくなよっ」

 ついで、カイキの体を緩やかな風が包み込んだ。追いかけるつもりだ。青葉は制止するための言葉を、すんでのところで飲み込んだ。

 ようやく滝、シン、ジュリが体を起こしたところだ。レンカはまだ動けるとはいえ、ここで不必要に戦闘をする意味はないだろう。負けたままなのは悔しいが。

 青葉が歯噛みしていると、カイキは枝から空へと飛び上がった。小さくなっていく彼の背中を見送り、青葉は大きく息を吐く。

 左腕と右足はまだ上手く動かせない。この感覚は以前レーナにやられた時と同じだった。おそらくは精神系の技による効果なのだろう。

「行ったわね」

 レンカの静かな声が辺りに広がる。うまく答えあぐねた青葉は、力無く足先を見下ろした。

 自己嫌悪にも近い敗北感に打ちのめされ、意味のない舌打ちをしそうになる。それを堪えるために青葉は再び奥歯を噛んだ。始終変わらず続く葉擦れの音が、妙に疎ましく感じられた。




「あーもう、一体どうなってるんですか」

 よつきはもう何度目になるかわからないぼやきを口にした。

 揺れる下草に紛れるよう見え隠れしているのは、多数の黒い獣たちだ。しばらくは新しい獣が見える度に数えていたが、もうそれは止めている。

 十まで数えたところで完全に諦め、とにかく自分に迫ってくる個体のみに集中することにした。数が把握できたところで、気力が削がれるだけだ。

 額に滲んだ汗を拭っていると、後方からダンの罵声が響いた。この場に居合わせたのが一人ではなかったことが、せめてもの救いだった。

 ちょうどフライングのカエリ、ミンヤ、そしてストロングのダンと合流したばかりだった。彼らは全員「困ったらまずは最初の地点に戻る」を実行した者たちであった。

 だが再会を喜ぶのも束の間、突然黒い獣に襲われた。無世界にいるという熊とも虎とも言い切れない、不思議な生き物だ。

「しつこいですねっ」

 飛びかかってきた一匹目掛けて、よつきは雷の矢を放った。黒々とした胴体に矢が突き刺さると、太い手足が震える。

 体を痙攣させたまま地に落ちた獣は、打ち上げられた魚のようにビクビクと跳ねた。けれども油断は禁物だった。そのうちよろめきながら起き上がり、また攻撃を仕掛けてくることはわかっている。

「いつまで繰り返せばいいんでしょう」

 文句を言う声がどんどん弱くなっていることに、よつきも気づいていた。土系の技も試した、炎系も水系も雷系も使ってみた。しかしどの技もこの獣には決定的な効果がなく、しばらくするとまた動き出してしまう。

 あるものは毛並みを焦がしたまま、あるものは凍り付いた足を引きずりながら、あるものは体を痙攣させながら向かってくる。正直気味が悪かった。間違いなく、普通の生き物ではない。

「もう、しつこーい!」

 遠くでカエリが叫んでいる声が聞こえた。まだまだ元気はあるようだが、そのうち気力もなくなってくるだろう。

 技使いとて、延々と技を使っていられるわけではない。技を使うと精神と呼ばれるエネルギーを消費する。減った精神は黙って休んでいればそのうち回復するが、立て続けに使えば底を突く。そうなったらこの獣たちに対抗する術はなかった。

「倒せないとなると本当に困りますね。せめて武器でもあればいいんですが」

 そう呻いたよつきは、迫り来る一匹目掛けて炎球を放った。色々と試してみたが、炎の技が一番長い時間、獣の動きを封じてくれるようだった。上手く足に命中させれば歩けなくなるものも出てくる。

 しかしうっかり草に燃え移ると大変なので、放つ方向には要注意だ。

 空中で炎球をまともに食らった獣が、吠えながら草の中へと落ちる。息を吐いたよつきは、次に襲いかかってくるだろう獣を求めて視線を彷徨わせた。獣から微弱な気は感じ取れるが、数が多いのでまず対応すべきなのがどれなのかは、目視で確認するしかない。

「……え?」

 よつきは瞳を瞬かせた。彼の目に留まったのは、獣ではなかった。草原の隅に生えている木の陰に、青年がたたずんでいる。

「シークレット先輩……じゃないですよね」

 遠目でも顔は判別できる。先日よつきが相見えたネオンだった。額に空色の布を巻いているのでわかりやすい。顔をしかめたネオンは、幹に隠れるようにしながら首を傾げていた。

 よつきは周囲を見回し、仲間たちにまだ余力があることを確認する。カエリとミンヤは二人で協力して戦っているので大丈夫そうだ。ダンの動きにも乱れはない。

 よつきは意を決すると、ネオン目掛けて駆け出した。長草を踏みつけ、足を震わせている獣を飛び越える。精神を温存するために技は使わない。

「うぇ?」

 よつきが近づいてきたことに、ネオンも気がついたらしい。思い切り眉根を寄せたネオンの口から間の抜けた声が漏れる。もしもこの獣がネオンたちの仕業だとしたら、大元を叩く方が先決だ。よつきは走りながら右手を掲げた。ネオンは慌てた様子で、どこからともなく短剣を取り出す。

「何でこっちに来るんだよ!?」

「戦うために決まっています!」

 よつきの放った氷の矢を、ネオンは手にした短剣で弾いた。先日の戦闘の時には持っていなかった得物だ。どうやらそれも技に抵抗できる特殊な武器らしい。

 これを奪い取れたらなどと、よつきは頭の隅で考える。もちろん、そう簡単に手放してくれる相手ではないだろうが。

「おいおい、今はそれどころじゃないだろう? あの獣を放っておいていいのかっ」

 対峙したネオンの顔は青ざめていた。うごめく黒い獣へ向けられた指先には、不必要に力が入っているように見受けられる。

「放っておくって、人事みたいに」

「人事だよ人事。あんなわけわからん魔物みたいなのには、関わらないに限る!」

 言い切ったネオンは思い切り顔を歪めた。演技とは思えない嫌悪感が滲み出ている表情だ。一歩後退った様子からは、この場から早く逃げ出したいという心情まで透けて見える。よつきはいつでも技を放てるように構えたまま、首を捻った。

「つまり、あなたの仕業じゃあないんですね」

「当たり前だ!」

 どうやらネオンたちの仕向けた罠ではないらしい。様子を見守っていたのは、状況がわからなかったからなのだろうか? しかし嘘を吐いている可能性もまだ残っている。よつきはネオンを睨みつけた。

「本当にあの獣のことは知らないんですね?」

「知るかよっ。大体オレたちは――」

 何かを言いかけたネオンの視線が、上方へと向けられた。はっとしたよつきは振り返った。半ば無意識に掲げた手の先に、結界が生まれる。

 反射のようなものだったが、それは功を奏した。飛びかかってきた黒い獣の爪が、透明な膜に弾かれる。

「こっち来てしまいましたかっ」

 草地へと降りた獣目掛けて、よつきは雷の矢を複数放った。その間に近づいてきていた別の獣には、ネオンが向かっていく。

 赤い瞳をぎらつかせて吠えた一匹の頭上へと、飛び上がったネオンの短剣が突き刺さった。耳が痛くなるような唸り声が響いた。ネオンが短剣を引き抜くと、獣は大きく体をのけぞらせる。

「……え?」

 そして、消えた。光の粒子となって、獣だった体は空気へと溶けていった。よつきは目を疑う。先ほどまでどんな技を仕掛けても倒すことのできなかった獣が、瞬く間に消えてしまった。信じがたい。

「そんな――」

「おいおい、よつきさんよー。ぼーっとしてる場合じゃないぜ。どんどん来るぜ」

 眼を見開いたよつきの鼓膜を、ネオンの意地悪い声が揺らす。横目で見やると、ネオンは肩をすくめながら口角を上げていた。

 その視線を追うように、よつきはもう一度振り返った。先ほどよりも数を増やした獣たちが、じりじりとよつきたちの方へと近づいてきている。中には足を引きずっているものや毛を焦がしているものもいるが、無傷なものも混じっていた。

「まいったなーこりゃー。レーナにどうするか聞かないとなあ」

 短剣をぶらぶら揺らしながらネオンがぼやく。つまり神技隊を狙うよう指示を出しているのはあの少女――レーナなのか。

 一つ情報が得られたのは嬉しいが、この状況は喜ばしくない。唯一敵を倒すことのできる短剣を何とか奪い取れたらいいのだがと、よつきはネオンへ一瞥をくれた。もしくは上手く誘導して獣を倒してもらうかだ。すると片手を上げたネオンは、軽く地を蹴る。

「じゃあそういうことで、ここは任せるわ」

「え? まさか逃げるんですか!?」

 風を纏ったネオンの体が空に浮いた。手をひらひらとさせるネオンを、よつきは慌ててねめ上げた。企みがばれたのだろうか? 爽やかな笑顔が恨めしい。

「だって勝手な判断で動けないしー」

「待ってください!」

 呼び止めでも無駄だった。あっという間に空へと上っていたネオンの姿を、目で追っている時間はない。飛びかかってきた獣二匹へと、よつきは氷の矢を複数放った。

 ネオンのように空へ逃げたいところだが、そのためには他の三人と合流してからになる。少しでも離れてしまうと、ねじれた空間のせいでまたばらばらになってしまう可能性があった。

「本当にもう、どうしようもないですね」

 地に落ちた獣から距離を取り、よつきは苦笑を漏らした。背中を伝う汗の量は、増すばかりだった。

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