分裂

手術が終わって、半分起きて半分麻酔でウツラウツラしてる間は良かった、ハッキリ言って、どこまでが夢でどこからが現実か、わからなかったし。

私はその時「何でセントレア空港にいるんだろう?誰が連れてきてくれたんだろう?」と思っていた。

集中治療室の照明が空港の照明に見えたんだろうか?何でそんな事を思ったのかはわからない。


頭がハッキリしてきて絶対安静の期間、これが辛かった。


動けなくて、頭が痛くて、眠れなくて・・・という時に右側の寒痛覚麻痺がわかった。

もう自分の中で一杯一杯で、現実が受け止められなかった。

その時に自分の中で「良いじゃん、注射も点滴も痛くないんだよ?何も考えなければ何事もなく毎日が過ぎていくんだよ?寝てるだけで良いんだよ?」と誰かが問いかけた。


そこがターニングポイントだったと思う。

もしそこで「辛さを誤魔化せる、感じない自分」に主導権を渡してしまったら自分はどうなっただろう?

人格が分裂してしまったのだろうか?


「もし人格が分裂していたら」という感覚は、私しかわからないし、頭の中でもう一人の自分が語りかけてくる感覚は、私にしか書けない話で、小説を書くとしたら書きたいが・・・・親、兄弟は読んだら泣くだろうな、と思ったら書けない。

ここまでですら、「何かがあって読んだらどうしよう?思い出したら泣くかな?」

と思って書くのを迷った。


プロじゃないんだから、自分を切り売りする必要はない。

でも、「これは書いておかないと」

みたいな強迫観念があるのも確か。

うーん、わからん



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