第8話

 その後アイスリンは夕飯を食べ、お風呂に入り、部屋に向かうと、ドアの隙間からベッドの中で芋虫が丸まっているのが目に入りました。

 アイスリンは扉の前で一頻り右往左往すると、意を決し、部屋に入りました。

「……何よ、あんた」

 芋虫はこれ以上近づくなと必死に睨みました。それでもアイスリンは歩みを止めず、ベット脇にしゃがみ込んで芋虫と目線を合わせました。

「イモムシさんは十分一人で考えたよ。だから手伝わせて、お願い」

 アイスリンは芋虫の目を射抜くように見詰めました。

「なっ、何よ、いきなり! あたしのことは放っといて!」

 芋虫は悲鳴を上げるように叫びました。でも何故か芋虫はアイスリンの瞳から目を逸らせませんでした。

「ダメだよ。今のイモムシさんを一人にはできない。迷子になっちゃうよ」

「一人が良いに決まってるでしょ! 誰にもキズつけられないし誰かをキズつける心配もないんだから! ヒノアラシのジレンマとかいうのはね、ウソよ! だって寒さは無視すればいい。寒さはゴミ箱にでも捨てて出てこないようにフタをガムテープでぐるぐるにすればいい。そうして部屋の隅のクローゼットの中にでも放りこめばいい。そして部屋に鍵をかければいい。不安ならその部屋の前で陣取って守ればいい。それでいいの! そうすればきっと何もかも上手く行くから!」

 芋虫は落蝉がジージーもがくように言いました。

「ダメ。それじゃ何も解決しないよ」

 アイスリンはギュッとシーツを握りました。

「あんたに何が分かるのよ!」

 芋虫は持ちうる嫉妬全てをアイスリンへ向けました。

「分かんないよ。でもだれにだって嫌なことはあるよ。それに、わたしの友達、夢を絶たれたの」

 アイスリンは呼吸が苦しくなり、身体中がズーンと重くなった気がしました。

「…………」

 芋虫は窺うようにアイスリンを見ました。

「……交通事故で……」

 アイスリンは堪らなくなり涙が溢れてきました。そして零さないように上を向きました。

 それを見て芋虫はオロオロしました。

「ごめんね。わたしが泣いちゃダメだよね、本人が一番辛いのに」

 アイスリンはTシャツの半袖で乱暴に目元を拭きました。

 芋虫は首を横に振りました。

「あんたが泣いてくれたお陰でちょっとは頭冷えたわ」

 そして芋虫は続けました。

「確かに辛いよ。けどさ、何時までも後ろばかり気にしていたら真っ直ぐ前に進めないよ。過去を思い出すために今を消費し続けたら未来もきっと失敗する。そうでしょ? 今日でさえも上手く使えないなら多分明日も上手に使いこなせないだろうから」

 言い終わると、芋虫は一呼吸置いてケッと嗤いました。

「まぁこれ、蟻の受け売りだけどね。簡単に切り替えられるヤツは余程優秀なヤツか、そこまで本気じゃなかったヤツだけよ」

「……蟻さんっていい人だね」

「そう? アイツは弱ってるヤツに説教垂れたのよ?」

「でも、気にかけてるよオーラ全開で何もしない、何もアドバイスしない偽善者は、最悪だよ……」

 アイスリンはギッと拳を握りました。左手はじっとりと湿り、鉄の臭いがしました。

「あー、いるよねー。『大丈夫?』『心配してるよ?』とか言っていざって時に助けてくれないヤツ」

 芋虫は頷きました。

「…………芋虫さんはどう思う? そういう人」

 アイスリンは迫るように見上げました。

「んーと、イラッとする。でもまだマシでしょ? キリギリスみたいにヒトのキズを抉るワケでもないし、まぁ多少は悪化するけどね」

 芋虫はうんざりした顔で言いました。

「……そっか……」

 アイスリンは力無く頷きました。

「あー、何であんたが深刻な顔すんのよ! とにかく過去の失敗は本人次第で良くもなるし悪くもなる。そーゆーことよ」

 芋虫は一人でウンウンと頷きました。

「失敗はダメなんじゃないの?」

 アイスリンはキョトンと芋虫を見ました。

「ほれ、先人の知恵に失敗は成功のもとってあるでしょ」

「なら挫折はいいこと?」

 アイスリンは不思議そうに言いました。

「違う。挫折が大事なんじゃない。挫折して立ち上がって、更にそれを生かす経験が大事。だから失敗しなくたって何かをしようと意志を持って成し遂げることもそれと同等よ」

「そっか」

 アイスリンは相槌を打って、言いました。

「じゃあ挫折から立ち上がるには時間に任せればいいの?」

「まぁそうね。そーゆー手もアリだけど、あたしの場合トラウマみたいになってるから合わないわ。過去が頭の中で膨らむばかりよ。フラッシュバックが酷くなるだけ」

 だから悩んでんのよ。そう言って芋虫は溜息を吐きました。

「うーん、難しいな。人に聞いてもらうのは?」

「カウンセリングね。それはもうアリに無理矢理やらされたわ」

「ダメか……」

 二人は考え込み、部屋は静かになりました。

 窓から差した月明かりは寝台を照らし、そしてアイスリンの顔に濃く影を落としました。時折、ストロベリーブロンドの髪が夜風に吹かれて光の中へと入り、キラキラと輝きました。

 芋虫は考えるのをやめ、呆れた顔でアイスリンを見ていました。

「……もういいよ。後はあたしの問題だもの」

 芋虫はポンとアイスリンの頭を撫でました。

「でも……」

「十分よ、ありがと。それに近々定例会が開かれるらしいし、こんな時期にやることじゃないわ」

 芋虫はアイスリンに優しく微笑みかけました。

「その定例会ってなんなの?」

 アイスリンは小首を傾げました。

「うっそ! あんたマジで子供だったの? 」

 芋虫は目を丸くしました。その反応にアイスリンはムッとしました。

「ごめんごめん。定例会ってのは要するに子供狩りのリストを作るのと、お偉方がお茶したりする会のことよ」

「こっ、子供狩り?」

 アイスリンは目を見開きました。

「あれ、それも知らないの? 子供って言っても未成年のことじゃなくて知識と判断力の欠いた愚者のことよ。それを文字通り狩るのが子供狩り。だからあんたは気を付けなさい」

 芋虫は心配そうな顔をしました。

「お偉方って?」

「偉い大人のことよ。うちのマスターも参加するんだから」

 芋虫は誇らしげに言いました。

 すると廊下から軽い足音が聞こえてきました。足音は部屋の前で止まり、半開きのドアがギッと開きました。

「貴女達、まだ起きてたの?」

 蟻はおにぎりの乗ったお盆を片手に立っていました。

「そのおにぎりは芋虫さんに?」

 アイスリンは笑って訊きました。

「別に、私の夜食のついでよ」

「ほらね。そーゆーヤツなのよ、アリは」

 芋虫は左右に首を振って言いました。

「えー、そーには見えないけどな。ツンデレでしょ」

 アイスリンはニヨニヨと笑いました。

「何の話か知らないけれど、早く寝なさい」

 蟻は机にお盆を置くと、さっさと出て行きました。

「はーい」

 またね。アイスリンは芋虫と手を振り合い、自室へと向かいました。

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