11.5-05 一羽じゃない

 やってきたのは、家の前にある納屋。

 トキは両腕に物を抱えながら、納屋の引き戸にそっと手を置いた。


「良かった。開いている」


 音を出さないよう慎重に戸を開けて、電気をつける。

 中は物がたくさん置かれているが、整理整頓されてきれいになっていた。


「正月前に掃除をして、しばらくここで暮らしていたからな。あの時持ってきた物もそのまま置いてあるはずだ」


 トキは辺りを見回しながら、一歩、納屋の中に入った。二階へ行きたいのか、そばにあるはしごに足を掛ける。


「ちょっと待ちなさい」


 その動きを、後ろから見ていたアオサギが止めた。

 トキが振り返り、「なんだ?」と不思議そうに首を傾げる。


「あなた、本気なの?」

「本気とは、なにがだ?」


 はしごから足を離し、トキはきょとんとした顔を見せた。

 アオサギは唇を尖らせて、トキの抱える布や紙束を指差す。


「本気でそのマフラーを作ったり、手紙を書いたりするつもりかしら?」


 トキは、不機嫌そうな目つきをするアオサギの心境を知ってか知らずか、素直にこくりと頷いた。


「あぁ。服を取りに自分の部屋に入った時、このマフラーが目に留まってしまって……。どうしても気になってしまったんだ。作りかけだったから、完成させれば、満足できると思うんだ……」

「それ、あの子のプレゼントでしょ? 直接渡すつもりなの?」

「いや。玄関先に置いておこうと思う。手紙も添えて」


 トキはたくさんの物を抱えた腕に力を込めた。


「マフラーを完成させて、手紙を書けば、俺の気持ちも整理できると思うんだ。だから頼む。今夜だけ待ってくれないか? 明日になったら、すべて終えて、鳥に戻るから……」


 真剣な眼差しでトキは言葉を紡いだ。

 アオサギはその様子を見て、「はぁ……」とため息を吐く。


「別に、あたしに許可なんて取らなくていいわ」

「そうなのか? だが、アオサギが早く戻れと言うから」

「いいのよ、もうっ。あなたの気持ちはわかったから。好きにしなさい」


 トキの表情がぱぁっと明るくなった。身体の向きを変え、アオサギにまっすぐと向き直る。


「ありがとう、アオサギ」


 目を細め、唇が弧を描き、微笑みを浮かべる。


「なっ、なによ、急に改まっちゃって」


 笑顔を真正面に受け、アオサギは慌てたように周りをキョロキョロしながら言った。

 不思議そうに目をまばたかせてその様子を見つめ、トキははにかみながら言葉を続ける。


「アオサギがいなければ、俺はどうしていいかわからないまま途方に暮れているだけだった。アオサギのおかげで、俺は先に進むことができた」

「……先に進むじゃなくて、元に戻るだけじゃないのかしら」

「ん? なにか言ったか?」

「なんでもないわ。そろそろ見張りが帰ってくるから、バレないように隠れてなさい。あたしは鳥に戻るから」


 最後の一言に、トキの目が驚いたように丸くなった。


「もう戻るのか?」

「当たり前よ。あなたたちが普通じゃないくらい長ーく変化へんげしているだけで、本来の使い方はこんなものなのよ」

「本来の使い方?」

「な、なんでもないわよっ! 早くマフラー作って、手紙書いてきなさい! 今晩中に終わらせるのよ!」


 アオサギはトキを納屋に押し込んで戸を閉めた。

 二階へ昇っていったのか、コツコツと小さな足音が戸越しに聞こえる。

 ダイサギとコサギが帰ってきて、傍らに降り立つ。

 アオサギはまたため息を吐いて、納屋の二階を見つめた。


「自分の気持ちを整理できると思う、とか言って、あの様子じゃあ……」


 おそらく今頃、マフラー作りに取りかかろうとしているであろうトキの姿を想像する。真剣な眼差しで毛糸を編み始めるその頭の中に思い描く人は、きっと一人しかいないのだろう。そんなに想いを寄せたまま鳥に戻るなんて……。


「きっと、できっこないわよね?」


 アオサギが呟き、肩をすくめる。ダイサギとコサギもこくこくと首を縦に振った。

 それでも、納屋の二階を見つめたまま、アオサギがまた小さな声でささやいた。


「あなたはあの子ばかり気にして気づいていないでしょうけど、あなたを気にかけている鳥たちは、たくさんいるのよ」


 振り返って頭上を見る。闇夜に紛れて見えなかったが、そこには動く者の気配があった。

 スズメが屋根の上でしきりに下を気にしている。いつもはやかましいケリが生け垣の中で鳴くのを必死に堪えている。トビも近くの木から様子を眺め、キジバトも電柱の上から首を伸ばしてこちらを見つめていた。足もとの茂みにはキジが潜み、シジュウカラも電線に止まって心配そうに尾を上下させていた。


「鳥が姿を変えるのは、強い想いを叶えるため。ここにいるみんなが、あなたに出会って、なにかしらの想いを感じ、それを返したいって思ったんだから」


 ある者は退屈しのぎのお礼として、ある者は命を助けられた恩返しとして。この九ヶ月、いろんな鳥たちがトキを注目し、気にかけてきた。トキが家を追い出された時も、瞬く間に話が広がり、アオサギの耳にもすぐに知らせが届いた。 


 ――みんながみんな、あなたを助けたいと思った。みんなの想いを代表して、あたしはヒトの姿になって、あなたの前に現れたんだから。


 本当にそれだけ? と、ダイサギがアオサギの胸の内を見透かすように脇腹を小突き、首をわざとらしく傾けた。


「べ、別にあたしは、あんな優柔不断な鳥のことなんて、なんとも思ってないわ!」


 アオサギが激しく首を横に振る。けれどもその頬は赤く染まっていた。


 ――同じ姿になれば、少しは気になってくれると思ったけど、やっぱりあなたは、あの子しか頭にないみたい。まぁ、鳥に戻ったとしたら、結局どこか遠くへ行ってしまうんでしょ? だったら、このままのほうがいいのかもしれないわ。


 諦めに近い大きなため息を吐いて、アオサギは音を出さずに手を叩く真似をした。


「さぁ、みんな。明日は忙しくなりそうよ。覚悟してなさい」


 その一言で鳥たちが一斉に翼を広げて、闇夜に飛び立つ。

 自分と関わった鳥たちが今、自分のことを想っていると、トキは知るよしもなく夜は更けていく。

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