3-10 !?しておしまい!
カワセミくんを家に迎え入れたその夜、わたしは自分の部屋で宿題をしていた。
トキは自室に閉じこもってなにかをしている。
カーくんとカワセミくんは、お風呂に入っている。
階段を降りてすぐ隣にあるお風呂場から、
「カワセミ! このタワシを魚だと思って、とっ捕まえるんだ!」
「うん! いっくよー!」
バシャァーンッ!!
「ちょっと……、大丈夫かな……? バスタブ壊さないでよ?」
思わず声がするほうへ振り向いて、独り言が
カーくんは、最初こそ変ないちゃもんをつけていたけど、今は一緒にお風呂へ入ったり、カワセミくんを
カワセミくんもなんだかんだで、トキやカーくんと上手くやっていけそう。
「独りぼっちは嫌、か……」
不意にカワセミくんの言葉がよみがえった。
ふと、壁に掛けられたフォトフレームが目にとまる。
ずっとここに飾ってあって、いつもは気にもとめない、まるで部屋の風景に溶け込んだような一枚の写真。
そっと手を伸ばし、写真が収められたガラス板に触れる。
映し出されているのは、わたしの家族の姿。
コンコンッ。
突然、戸を
我に返って手を引っ込め、戸のほうへ顔を向ける。
「なな? いるか?」
戸の向こう側から、トキの声が聞こえた。
「トキ? いいですよ、入って」
返事をすると、戸がするすると開いてトキがやってくる。
わたしは
「どうしました?」
トキと向かい合って、わたしは首を傾げた。
トキは手になにかを持っている。目を泳がせて、手に持つ物を見て、わたしを見て、口を開いた。
「作ったんだ。お前に……」
そう言って、手に持つ物を広げてわたしのもとへ差し出す。
それは、白いハンカチ。
そして、隅っこには可愛いヒヨコの
「えっ? これ、トキが作ったんですか!?」
「あぁ。あの部屋に置いてあった本に、道具と作り方があった。その通りに作ってみたんだが……」
部屋には、お母さんが買って手を付けていない手芸本がたくさん置いてある。キット付きの物もあったから、それを使って作ってくれたんだ。
わたしはハンカチを受け取って改めて見た。デフォルメされたふっくらと丸いヒヨコ。つぶらな黒い目も可愛い。刺繍なんてやったことないけど、お店で売っていたら迷わず買ってしまいそうだ。
「勝手に取り出した物だ。もしも迷惑なら、もとに戻す」
トキはわたしから目をそらし、言いにくそうに話す。
わたしは首を横に振り、笑顔で言う。
「ううん、すっごく
最近部屋でこそこそしていたのは、これを作っていたからだったんだ。確かにトキ、最初この家に
「ありがとう、トキ!」
ハンカチを胸に当て、トキに向かって言った。
トキはわたしの顔を見て、目を丸くする。肩の力を抜いて、小さく息を吐いた。
「そうか」
トキの視線が、わたしの机の上へ移る。
「なにかしていたのか?」
「はい、学校の宿題です」
「邪魔をしたな。もう戻る」
そう言って、トキは
トキの背中が、わたしから遠ざかっていく。
わたしはとっさに、トキの
「待って」
親指と人差し指で袖をぎゅっと握った。
トキがこっちを振り向き、不思議そうに首を傾げる。
なんだろう……。別に用はないんだけど……。
今は、一人になりたくない……。
「ちょうど休憩しようと思ってたんです。ちょっと、おしゃべりしませんか?」
そう言って、わたしはトキを引きとめた。
トキはまだ疑問を浮かべたような顔だけど、身体をこちらへと向け直す。
「そこのベッドに座ってください。あっ、このスズメの抱き
「あ……あぁ……」
トキをベッドの端に座らせて、置いてあった長細いスズメっぽい抱き枕を渡す。
わたしは机の上にハンカチを置いて、広げた宿題を片付ける。
「そういえば、カワセミくんから聞きました。トキがカワセミくんに、ちゃんとわたしと話をするようにって、言ってくれたんですね?」
雨が降り出して、わたしとカーくんが布団を取り込みに行った時のこと。窓を
「あの時はカワセミがなにを考えているのかわからなかったが、あのまま一羽にさせてはおけなかっただろう」
「……そうですね」
トキもわたしと同じことを考えていたのかな。
わたしはトキのほうを向いた。トキはスズメを両手に抱えて持て余しながら、わたしを見ていた。けれどもなにかに気付いて、視線をそらす。
「それ……」
「えっ?」
トキが見つけたのは、わたしのすぐ横にあるフォトフレーム。
「これですか?」
「あぁ。俺のいる部屋にも、同じ物があった」
わたしはフォトフレームを壁から外して、トキの横に座った。
「これは写真って言うんです。えっと、昔の画像というか、昔のことを記録したものっていうか……、うぅん……、昔の思い出みたいなものです」
トキが小首を傾げる。説明が上手くできない。わたしはトキと一緒に写真を見て、その中の一人に指を差した。カワセミくんよりも幼い女の子が映っている。
「これが、小さい頃のわたしです。まだ、保育所に行ってる頃ですね。それで、隣のこの人がお兄ちゃん――わたしより先に生まれた兄妹です。こっちがお父さんで、こっちはお母さん――えっと、わたしを生んで育ててくれた人です。それで、こっちがおじいちゃん、こっちがおばあちゃん――お父さんの、お父さんとお母さんって言えばいいのかな?」
指を差しながら説明した。トキが指を追いながら、わたしの
「みんな、わたしの家族です。ずいぶん昔に撮った写真ですけどね」
「家族……」
トキがわたしの言葉を繰り返して、写真をじっと見つめた。
そしておもむろに、あるところを指差す。
「これは、俺がいつも座っているベンチだよな。この家で撮ったのか?」
それは、幼いわたしとお兄ちゃんが座っている木のベンチ。後ろには、まだ小さかった頃の柿の木もある。
さすがトキ、細かいところに目が行くんだね。
「はい。あのベンチ、お父さんが昔作ってくれたんです。それで、完成した時に、せっかくだから写真撮ろうって、家族みんなで集まって撮ったんですよ」
「みんな、この家に住んでいたのか?」
「はい。だって、家族ですから」
「なら、なぜ今はいない?」
トキの素朴な質問。
たぶん、
でも、いざ問いかけられると、言葉に詰まってしまう。
「なな?」
「あっ、いえ……。カーくんにもこの前同じこと言われたなって思って……」
そう取り繕って、わたしは話を続ける。
「みんな、いろんなところにいっちゃったんです……。お父さんは、この写真を撮った何日か後に事故で死んじゃったんです。それからおじいちゃんは、わたしが小学校の頃に亡くなって……。わたしが中学の頃に、お兄ちゃんは大学に進学して遠いところに行って、それから、おばあちゃんが亡くなって……」
記憶を思い返しながら説明していく。なんだか、ほとんどお葬式の記憶しか残っていない。お兄ちゃんは、ある日キャリーバッグ片手に「行ってきます」って言って、おばあちゃんの葬式以外は帰ってこなくなった。
「それで今年の春、トキと会う少し前ですかね、お母さんが仕事の都合でちょっと遠いところに行って……。だから今この家に住んでるのは、わたし一人になっちゃったんです……」
写真を見つめながら、話をしていた。写真の中で笑う幼いわたしが、どうしてか、さっきのカワセミくんと重なる。
『もう、さびしいの、いや……。ひとりぼっち……いや……!』
不意にカワセミくんの言葉が頭の中でよみがえる。なんだかその声は、わたしの声にも聞こえる気がして……。
木のフレームを握った手に自然と力が入った。
「なな?」
「あっ、いえ……トキの家族は、どんな家族だったんですか?」
自分の家族の話をすると、ついついぼーっとしてしまう。わたしは写真をベッドの上に置いた。話を変えようと、トキのことについて訊いてみた。
トキはしばらくなにも言わずにわたしを見つめて、ゆっくりと口を開く。
「俺は、ななの言う家族には育てられていない」
その一言に、わたしは言葉を発せずにトキの顔を見つめた。
トキは目を伏せ、傍らに置かれた写真を視界に入れながら話を続ける。
「卵から生まれてすぐ、俺は巣から落ちたんだ。それからしばらくは、ヒトが俺を育ててくれた。その後、巣に一度は戻されたが、上の大きなヒナが優先され、親鳥は俺にほとんど食べ物をくれなかった。だから、俺はまたヒトに捕まり、仮の親鳥へ預けられた」
静かに、ゆっくりと紡がれる言葉。
聞いていくにつれて、心がキリキリと締め付けられていく。
わたしはぎゅっと、自分の手を握りしめた。
「ご、ごめん、トキ……。知らずに、こんなこと、訊いて……。ごめん……」
トキの顔を見て、謝った。
自分が話題を変えるためだけに、安易に訊いてしまったこと。
後悔の念が、わたしの胸を強く突き刺している。
トキはわたしを見て、
「なな、言っただろ。ヒトの世界と俺たちの世界は違う。施設の中では、よくあったことだ。俺以外何羽も、仮親に育てられていた。だから、俺はそのことを、悲しいとも辛いとも思ったことはない」
まるでわたしの反応を心得ていたみたいに。
トキは落ち着いて、わたしを諭してくれる。
じっとわたしを見つめて、やさしく口を開いた。
「むしろ……、今は俺よりもお前のほうが、悲しそうな顔をしている」
トキの淡い黄色の
その奥に、くしゃくしゃに
その頬に、一筋、涙が流れる。
「トキ……ごめん……っ」
次の瞬間、気持ちが
「わたしも……わたしも、カワセミくんみたいに嫌だって、言ったら……独りにならずに、済んだのかな……?」
トキに言ってもしょうがない、けれども言葉が口を
涙が、
お母さんが出発する時も泣かなかったのに。一人になった初日も泣かなかったのに。
なんで、今になって……。なんで、こんなに……、こんなに胸が、苦しくなるんだろう……。
「なな」
その時、わたしの肩をなにかが柔らかく触れた。
「っ!?」
びっくりして顔を上げる。
そこにいたのは、トキ。
わたしへと身体を寄せ、両肩を掴もうとしていた。
けれどもわたしの動きに驚いたのか、ビクッと手を離す。
「ち、違うのか? カワセミが泣いていた時、お前はこうやって、カワセミを……」
トキが戸惑った様子でわたしに訊く。
わたしはもう、胸が一杯だった。
首を何度も、大きく振る。
「ううん……、合ってる……。合ってるよ……、トキ……っ」
そのままわたしは、トキの胸に顔を埋めた。
もう涙は、どうしても止まらない。
トキはわたしの背中をさすってくれる。頭も
どちらの手もぎこちなくて、震えていた。
感じていた。こんなことさせて申し訳ないって思った。
けど、もうわたしは、泣く以外のことができなかった。
それから、カーくんがなぜか怒って部屋に入ってくるまで、わたしはずっとトキの胸の中で、赤子のように泣き続けていた。
――織りなす物語に加わった、
時にそれは、
時にそれは、涙の青へ染まっていく。
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