青く澄んだ空の下で

千賀 華神

第1話 ミタちゃん

ミタちゃんはとにかく大きな丸い目をしていた。動物に例えると、おいおい、そんな目で見つめるなよ~、と言いたくなるマーモセットのような感じで、小さな身体に不釣り合いなほど大きな瞳で、一度見つめられると忘れられない印象を残した。


 彼女はとても背がちっちゃいから、クラスの中では当然ながら席は一番前だ。しかも、教壇の真ん前。その席にちょこんと座っているんだけど、マーモセットだから落ち着きはなくて、いつもそわそわしていている。


 そのミタちゃんは、ボクが先生に指されるとくるっとこっちを向く。必ずこっちを向く。かなり素早く、ボクが指された瞬間にはもうこっちを見ている。だから、ボクは席を立ちあがるときから、あの大きなマーモセットの瞳を意識しないわけにはいかなくなる。


 目が合っても絶対に視線を逸らせない。時には瞬きすら止めているようだった。とにかくじっと見つめる。片方の肘は椅子の背もたれに、もう片方の肘は机に置いて、足をブラブラさせながらボクをじっと見てる。ニコッとほほ笑むわけでもなく、かといって睨むわけでもなく、じーーーっと見てる。ボクが先生に指された問題の解答を終えるまでじっと見ている。そして、ボクが解答をし終えて、席について、やれやれと思っている間もまだじっと見ている。ボクも教壇の真ん前にいる彼女の方向を見ないわけにいかないから、何気なくそっちを見る。すると、一、二、三、と数えるくらいの時間、ボクを見つめたあとで、くるりと前を向く。だけどにこりともしないのだから訳が分からない。


 そこまで見つめられると気になる。だけど、恥ずかしくてとても聞けない。






 ある日、学校の遠足があって、学校から3キロも離れたボクの家の近くを通って目的地の公園へ行くことになった。


ボクの家は、とんでもない田舎にあって、大きな木が周りを囲んでいて家など見えない。小さなころからお化け屋敷みたいだね、と言われ続けてきたから、年に一度、ボクの家の近くを通ることになる遠足は、とても気が重い行事だった。


 この日も後ろで幼馴染の卓の大きな声がする。


「あそこあそこ、あそこがとし坊の家!」


 そもそも、この「とし坊」という言い方をやめてくれ……


「えっ! どこどこ! どれ?」


 長ちゃんの素っ頓狂な声も聞こえる。ミタちゃんと仲良しの長ちゃんが騒ぐということは、きっとその近くにミタちゃんも並んで歩いているに違いない。


「あそこだよ、大きな木で囲まれてるだろ、お化け屋敷!」


 小学3年生だから仕方がない。そういう言い方をするもんだ。


「わぁ~、本当だ! 見て見て、お家は見えないよ! ミタちゃん、あれだよ、あれ!」


 うるさいんだよ、お化け屋敷だの、家が見えないだの、普通だよ普通、普通の家だよ、と反論したくなるが、悪いことに小学3年のボクは今よりもっとずっと気が弱い。顔を赤くして俯くばかりだ。



すると後ろからサクサクサクとボクに走り寄ってくる足音がする。ちっちゃいけど、軽やかに走ってくる感じ。思った通り、ミタちゃんだ。


「わかっちゃったよ、とし坊んち」


 口をきいたのはこれで何度目だろう? 彼女はボクをじっと見つめるわりに、話しかけてくることなど一度もない。休憩時間とか放課後にはどこに行っているのか、姿を見かけることも少ない。まして、声をかけてくるということなどなかった気がする。そもそも彼女からも「とし坊」なんて言われるとは思ってもみなかった。だって、ボクは彼女のことを苗字以外の呼び方をするなんて、とても想像できなかったから。


「お化け屋敷じゃないよ、本当に。普通にTVとかあるし…… 」


 ボクは必死に言い訳しようと思ったが、何を言ったらいいかわからない。なぜ、そんな言い訳をしようとしているのか、その理由もよくわかっていない。


「じゃあ、トムとジェリーとかも見る?」


「見るよ…… 毎日」


「面白いよね! あんたトムさんね? あんたジェリーちゃんでしょ? ワォ、トムとジェリーだ!」


 彼女はボクのお気に入りの「ナポリよいとこ」のセリフを真似た。


 この瞬間、前の席に座ってるちっちゃくて変な子だったミタちゃんが、とてもかわいい子に変わった。いつもじっとボクを見ている瞬きをしない瞳ではなく、ぱちくりぱちくりと瞬きを何度も繰り返す、小学3年生らしい女の子の瞳に変わった。


 ボクたちはしばらく並んで歩いた。本当は決まった列があって、ボクとミタちゃんが並んで歩くのはルール違反だけど、列はなんだかバラバラになってきているし、先生もあまりに間隔が開くと早くしなさい、って叱るけど、とりあえずクラスの全員がいるようなら、遠足だしあまり叱ってもなと思ってくれていたのかもしれない。


 そのうち卓と長ちゃんが後ろから追いついてきて、4人でトムとジェリーの話を何度も繰り返した。誰が一番セリフを覚えているか、そんな自慢大会になると、どんどん参加者が増えてきて、数多くのセリフを覚えていたミタちゃんは急にみんなの人気者になっていった。


 ボクは、ミタちゃんはボクに話しかけてくれたのに、横取りされた気分になって不貞腐れた。なんだよ、ミタちゃんも調子いいよな、くらいな気持ちになった。





 遠足が終わると急にクラスの雰囲気が変わった。それまでよそよしいところもあったクラスが、急にみんな仲良しになったようだった。特に、これまではあまり人垣ができることのなかった、教壇の真ん前の席あたり、つまり、ミタちゃんの席のあたりに、何人も人がいるのが当たり前のようになった。


 ボクは天邪鬼だから、そんなミタちゃんをみているとなぜか悔しくなってきて、彼女がこっちを

じっと見ていてもそれからはなるべく無視することにした。


 どうせ、ボクと遊ばなくても、いっぱい友達いるから関係ないよね


 そんな気持ちだった。ボクは卓やほかの男子とサッカーしたり、ドッジボールしたり、休憩時間になると真っ先に校庭に出るようになった。





 遠足が終わり、梅雨になり、その梅雨もいつの間にかあけてしまった頃、そろそろ、夏休みが来るなとワクワクし始める頃のことだった。いつものように遊んで帰ると、ばあちゃんが不思議なことを言う。


「女の子と会ったかい? 」


 ボクには何のことだかさっぱりわからない。


「女の子って誰のこと? 陽ちゃんのこと? 知らないよ、ボクは遊ばないよ、女の子となんか」


 ボクはばあちゃんに女の子と遊んでいるのかと叱られる気がしたからそう答えた。陽ちゃんは幼馴染で、梅の木の下で素っ裸でちょこんと座っている写真があるくらいの幼馴染だから、女の子でもないけど。


「陽ちゃんじゃないよ、女の子がふたり来て、とし坊いますか? っていうから、きっと水神様で遊んでるよって教えたんだけど、会わなかったかい? 」


「知らね」


 ボクは心当たりもないし、女の子の話をいつまでもするのが恥ずかしかったので、そのまま風呂に入って、トムとジェリーを見た。





 次の日、学校へ行くと、長ちゃんとミタちゃんがボクの席に来た。


「いなかったね~、せっかく遊びに行ったのにぃ~、残念だったよね、ミタちゃん」


「うん、せっかく行ったのに。遠かったぁ~」


 ボクはちょっとムッとした。そんな遠くまでわざわざ来て、遠い遠いと言われても、ボクにはどうしようもないし、ボクだって嫌なんだから。


「勝手に来るなよ!」


 ボクは少しムッとした顔でそう言った。本当はちょっと嬉しくもあったけど、そうは言えないから、怒った顔をした。


「せっかく行ったのに…… ねぇ、ミタちゃん」


「…… 」


 ミタちゃんはじっとボクのことを見ていた。あのマーモセットの瞳で……






 それから数日して、終業式になった。面倒くさいことに、1学期に描いた絵とか習字とか、学校に置きっぱなしにしていた絵具とか、そういうものを全部持って帰らなきゃならないから、終業式の日は面倒くさい。夏休みに入るせっかくのウキウキ感が半分飛んでしまう。ボクは片道3キロのことを考えて、うんざりしていた。


 いよいよ、先生がお別れの挨拶をすると思っていたら、なぜかミタちゃんを呼ぶ。


「三田さん、こっちへ。

 みんな、聞いてください。

 今度、三田さんが、お父さんのお仕事の都合で、学校を変わることになりました。二学期から新しい学校に通うことになるので、みんなとはこれでお別れです。大きな声でさようならといいましょうね」


 え~~~っという声もあっという間に抑え込まれて、みんな声をそろえて


「三田さん、さようなら!」


 と大声を出した。


 教壇の高いところに立ったミタちゃんは、ちょこんと頭を下げて、


「みなさん、さようなら」


 それだけ挨拶すると、何事もなかったかのように席に戻った。


ボクはちょっと理解できない感じがした。少し会えない時間があっても、きっと二学期の途中でまた一番前の席にはミタちゃんが座っているに違いない、それ以外の想像ができなかったから、きっとそうなるだとうと思っていた。



 帰り際、何人もがミタちゃんの席を取り巻いて、どこに引っ越すの? とか、寂しいねとか寂しくないの? とか、住所教えてとか、教えるとか、手紙書いてねとか書くねとか、そういう話でミタちゃんをなかなか放しそうになかった。


 ボクはミタちゃんがみんなの人気者になってからは彼女がボクのことをじっと見る回数も減った気がしていたし、人気者になった彼女はちょっと生意気になったと思っていたから、その席の近くを通らずに、帰ろうとした。



 下駄箱で上履きを袋に入れて、大小さまざまの手荷物を取りまとめて、さあ帰るか仕方ない、と思っていたところに、ミタちゃんが走ってやってきた。


「とし坊、帰っちゃうの? 」


「うん。帰るよ。遠いし」


「そう…… これ、住所」


「あ、そうだね…… 」


 ボクはお別れの時に交わす言葉はさようならしか教わっていない。だけど、今、ミタちゃんにいう言葉はさようならではない気がしたから、言葉が見つからずに、そのまま俯いてしまった。


「これ…… お家に帰ってから読んでね」


 そう言って、彼女は小さく折りたたんだメモみたいなのをくれた。


 ボクは誰かに見られるとマズいもののような気がして、半ズボンのポケットにすぐに仕舞い込んだ。


「じゃあね、バイバイ」


「うん、バイバイ」


 それだけ言うと、彼女は身を翻して教室に戻って行った。




 ボクはその手紙をなかなか開く気になれなかった。どうせさようならと書いてあるんだろう、遠足の時は楽しかったね、遊びに行った時にはいなくて残念だったよ、そういうことが書いてあるのだろうと思った。ひょっとすると、ボクが冷たくしたことが伝わっていて、なんで冷たくしたの? ってかいてあるのかもしれないと思ったりもした。


 それくらいしか思いつかなかった。ボクはミタちゃんのことを良くは知らないことに気づいた。


 ばあちゃんが早くお風呂に入れと煩い。その前に読んでしまおう。


 そう思ってボクは手紙を開いた。


……


 トシボーはわすれているとおもうけど、クラスでせきがきまるとき、私がクラスで一番せがちっちゃいから、みんな一番前のせきはお前だよ、みたいにいったのに、トシボーだけが、そういうのはへんだとおもいますっていってくれて、うれしかったよ。



…… 


 忘れていた。ミタちゃんが忘れていると思うけどと言った通り、すっかり忘れていた。そう言えば、卓だったか、誰かが、一番前の真ん中は三田さんでいいと思いま~すとかふざけてて、なんとなくクスクス笑う声がして、ボクは別にミタちゃんのことを思ったわけでもないけど、そういう決め方はおかしいだろ、だってみんなくじとかじゃんけんとかそういうことを言っているのに、って言ったっかな……


 だけど、結局、先生も、背のちっちゃい人はできるだけ前にしましょうね、黒板が見えないと困るでしょ、とか言いながら、ミタちゃんを真ん前の席にしてしまった。


 そうだった! おかしいよ、一番前は仕方ないにしても、なぜミタちゃんは真ん中って決まってるの? ボクはそう思ったんだった。


 でも…… それ以上はボクも何も言えなかったんだった。


 そっか…… そんなこと覚えているんだ。


 ミタちゃん、ボクのことをじっと見つめてくれていたのは、あの時のことを忘れていないよ、と教えてくれていたんだね。


 なのにボクは結局なにもできなかった。しかも、みんなと仲良くなっていくミタちゃんを無視した……



 ふと、遠足の日のことを思い出した。ボクの家をとり囲んでいる大きな木の上には、青く澄んだ空が広がり、白い雲が綺麗だった。その空を見上げていると、ミタちゃんがボクを追いかけてきてくれたんだった。




 ばあちゃんが風呂に入れとうるさい。


 ミタちゃんとはもう会えないのかな…… そう思うと、ボクは急に悲しくなった。お風呂に入って、頭からざぶりとお湯をかぶった。

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