第107話 秘密の花園

「くふふん。流石はフェジアール機関の五大錬金術師。ここを訪れる人々の殆どが、そこに大木があると信じるのにね」

 不敵な笑みを浮かべながら、メルは後方にある大木を右手で持っていた木の杖で指差す。

 その仕草を瞳に映したアルカナは腕を組んだ。

「ふーん。あなた、中々やるじゃない。アタシじゃなかったら、騙されてたかも。あなたの名前は?」

「エルメラ守護団序列八位、夢幻の僧侶。メル・フィガーロ。そう。ここは夢の世界。二年前の誰かさんの不始末を隠すために、メルが作り出したの。まっ、もうすぐ夢から覚めちゃうんだけどね」


 眠たそうな表情のメルが杖の先を地中に立てる。その瞬間、木々が生い茂る景色が百花繚乱の花々が咲き誇る色鮮やかな花園の景色に塗り替えられていく。

 不思議な現象を目の当たりにしたアソッドとミラは周囲をキョロキョロと見渡した。

 そんな中で、アソッドの目は大きく見開かれた。

 前方に向けられた視線の先には、数メートルほどの大きさの深緑の植物が生えている。

 緑の太い茎は、全身を緑に染めた髪の長い少女の裸体のように見える。

 助けを求めるように伸ばされた両腕を茶色い葉が覆い、色褪せたピンク色の花が少女の頭の上に咲く。


 異様なその姿を目にしたアソッドは頭を抱えた。

 急に襲い掛かってくる頭痛と共に誰かの声が聞こえてくる。


「アソッド。大丈夫。私が守ってあげるから!」


 頭に浮かび上がったのは、どこかで聞いた少女の声。

 頼もしさと優しさを兼ね備えた声に、アソッドの心は満たされていく。



「ふーん。幻覚で人面植物を隠してたんだ」


「大正解。正直な話、最近ムクトラッシュで流行している奇病の原因は、あの子だよ。可哀そうに。余計なことに首を突っ込まなかったら、あんな目に遭わなくて済んだのに。誰にも気づかれない秘密の花園で恐怖する。少しずつ死へと近づいていることに。あの子は、自らの運命に抗うため、根を地中に張り巡らせ、街中の人々からチカラを吸い取ろうとした。これが真相だよ。さぁ、そろそろ駆除してよ。このままだと、ムクトラッシュの誰かが死ぬから。それが目的でここに来たんだよね? ただし、あのまま駆除したら、あの植物と一体化したあの子、死ぬから、注意してね。それと、二年前に発見された新種の薬草、アレはあの子が生み出したものだから」


 眠たそうな瞼をさすったメルは、近くに見えたミラの視線を向け、頬を緩める。


「くふふん。この秘密の花園にアソッド・パルキルスが訪れるまで、このメルはここに放置されてたけど、その役目もこれでお仕舞い。ルスちゃんに報告して、このまま帰って寝てもいいけど、その前にメルを増やそうかな?」


 企みを漏らすメルがミラの眼前に飛ぶ。

 その瞬間、アソッド・パルキルスの頭に少女の姿が浮かび上がった。

 長い黒髪は腰上の高さまで伸ばされ、二重瞼の茶色い瞳から優しい眼差しが自分に向けられる。

 アソッドよりも少し高く、小さすぎない胸を持つその少女は、銀色の鎧を着ていて、優しく手を差し伸べていた。


「アソッド。大丈夫。私が守ってあげるから!」



 その瞬間、アソッド・パルキルスの記憶の扉が開いた。




 人気のない石畳の歩道を歩き、アソッド・パルキルスは家路を急いだ。そうして、差し掛かった曲がり角を右折しようとした瞬間、誰かが彼女を背後から呼び止めた。

「アソッド・パルキルスなのですね? やっと会えて、嬉しいのです」

 聞き覚えのない少女の声に反応したアソッドが背後を振り返る。その先に、白髪の短い髪と尖った耳を生やした自分と同い年くらいの少女が佇んでいる。

 白いローブに身を包む低身長の少女と対面したアソッドは、首を捻った。

「えっと、どなたですか?」

「ルス・グースなのです。私はあなたに会いたかったのですよ。さて、自己紹介は済んだので、そろそろ、私と一緒にお茶会へ行くのです。美味しい紅茶をみんなが待っているのですよ!」

「お茶会って、いきなりやってきて、何なんですか?」

 不信感を抱く人間の少女が後退りする。だが、ルスは彼女の行動を気にすることなく、首を捻りながら、距離を詰めた。


「もしかしたら、不手際があって、招待状が届かなかったのかもしれないのです。あとでそれを回収しとかないと、面倒臭いことになりそうなのです。どうやら、お茶会作戦は失敗のようですね。残念なのです」

 ルスはしょんぼりとした顔になると、左右の曲がり角から一人ずつ白いローブに身を包む人物たちが顔を出す。フードで顔を隠し、素顔を見せない彼らは、ルスの元へと歩み寄った。


「だから、言ったのに。お茶会に招待して、そのまま拉致。この物語は失敗する結末に至るって。その上、紅茶の中に睡眠薬も仕込まないなんて……」

 曲がろうとした角から現れたアソッドと同程度の身長の少女の指摘を聞き、ルスは眉を潜めた。

「睡眠薬入りのマズイ紅茶を飲ませるわけにはいかないのですよ。私の話を聞けば、素直に来てくれると信じているのです! あまり手荒いことをしたくないのが人情なのですよ」


 その間にアソッドは突然現れた不審な少女たちに背を向け、全速力で駆け出す。

 だが、それよりも先に、ルスは彼女の眼前に飛び、逃げようとする少女の前に立ち塞がった。


「逃げても無駄なのですよ。あなたの動きは捕捉済みなのです。こうなったら、別案で行くしかないようなのですね。じゃあ、隠れてないで、出てきてほしいのです」

 そのヘルメス族の少女の答えに従い、ルスの左右に二人の白いローブで身を隠す者が立った。

 退路を断たせるように、白いローブの五人組はアソッド・パルキルスの周りを取り囲んでいく。

 逃げ場を失い恐怖に怯えるアソッドの右手をルス・グースが掴んだ。

「さぁ、一緒に来るのです」

「いや、離してください! 助けて……」


 その直後、大きな叫び声に呼応するように、誰かが少女の前に飛び出した。その黒髪ロングの少女は、瞬時に少女を捕まえようとする影との距離を詰め、腰の鞘から緑色の剣を抜いた。

 その動きを察知した五人は一斉に体を後方に飛ばす。

 窮地を救ってくれた少女の真剣な顔を見た瞬間、少女の中で安心感が生まれる。 


「アソッド。大丈夫。私が守ってあげるから!」

 長い黒髪は腰上の高さまで伸ばされ、二重瞼の茶色い瞳から優しい眼差しがアソッドに向けられる。

 アソッドよりも少し高く、小さすぎない胸を持つその少女は、銀色の鎧を着ていて、優しく手を差し伸べていた。

「アビゲイル。助けて。この人たち、私を連れ去ろうとしたの!」

 アソッドが真剣な表情で訴えると、アビゲイルは両手で剣の柄を握り、周囲に見える五人の不審者たちを視認する。


 その中で、アビゲイルの前方でルス・グースは両手を叩いた。

「あの一瞬で剣を抜き、アソッドの周りにいた私たち全員の首を取ろうとするなんて、流石なのです。私たち全員ヘルメス族じゃなかったら、全滅していたかもしれないのですよ。アビゲイル・パルキルス」

「あなたたち、誰だか知らないけど、私の妹に手を出すなんて、絶対に許さないから!」


「どうやら、失敗だったようなのです。一応、人払いの術式を展開していたはずなのですが、余計な目撃者まで出てきてしまいました。迂闊だったのです。でも、残念なのです。あの術式を打ち破る実力を持った女剣士の存在が、みんなの記憶から消されるなんて……」

「何? はっ!」

 突然のことに、アビゲイルは両目を見開いた。背後から誰かに右肩を触られ、その姿はアソッドの視界から一瞬で消えていく。


「アビゲイル!」と名を叫びながら、アソッドは周囲を見渡した。だが、この場にいるのは白いローブを着た不審者たちだけ。

 いつの間にか、その人数は五人から三人に減っていた。


「さて、邪魔者はいなくなったので、まずは……」

 ポンと両手を叩いたルスが右手の薬指を立てる。そうして、鉄の短刀を取り出すと、すぐにアソッドの前に飛び、彼女の右手の薬指を掴んだ。

 間もなくして、その指先に切り傷が刻まれ、血液が垂れていく。

 それを待っていたかのように、ルスは不敵な笑みを浮かべ、右手の薬指を立てた。

 その一瞬で、透明なガラスの試験官を召喚すると、アソッドの血液をその中へと注いでいく。


「これで準備は整ったのです」







 記憶の世界から現実に引き戻されたアソッド・パルキルスはハッとした。

 それと同時に、ゾッとした恐怖が押し寄せ、彼女は目を見開いた。



「アビ……ゲイル。アビゲイルなの? そこにいるのは?」


 不意に浮かび上がった名をアソッドが呼ぶ。だが、植物と一体化した少女は答えない。

 そのあとでアソッドはミラの耳元で囁くメルに怒りの視線を向けた。

「アビゲイルに何をしたの? 答えて!」

「くふふん。メルはルスにここを幻覚で隠すよう命令されただけだから、ただの共犯だよ。まっ、メルはあの子が人面樹に変えられるところに居合わせたけどね。愚かな勇者様の悲惨な最期。大切な妹に関する記憶まで奪われ、全てを失い、絶望しながら姿を変えられた女騎士さん。実に滑稽だったよ」



 ミラの目の前から、一瞬でアソッドの前に体を飛ばすメルが不敵な笑みを浮かべる。


「ふーん。ここまで聞いて、理解できたわ。あなた、最低ね」

 近くで話しを聞いていたアルカナ・クレナーが怒りの視線をメルに向ける。

 その間に、ミラは身を震わせながらアソッドの背後に立った。


 目の前にいるヘルメス族の少女の顔を睨みつけたアソッド・パルキルスは瞳を輝かせながら、一歩を踏み出そうとした。


「アビゲイル。待ってて。今助けるから!」


 だが、何かが足首に絡まり、動くことができない。

「えっ」と驚き、足元に視線を向けたアソッドは目を見開く。

 右足首には黒い足枷が嵌められていた。


「なんで?」と困惑するアソッドの真横をミラが通りすぎていく。

 そうして、彼女の前に立ったミラは、虚ろな瞳で両手を合わせた。


「ごめんなさい。こうすることしかできなくて……」

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