第63話 聖水の武道家
ブラフマの知人という少女は、右手人差し指の上に浮かべている透明な球体に自身の指を突き刺した。指をクルクル回し、中の液体を掻き混ぜた彼女は、腑に落ちないような表情を知人に見せる。
「珍しいです。ブラフマが私を呼び出すなんて……」
「そうじゃな。聞きたいことが二つ、頼みが一つある」
「何です?」
「まず、アソッド・パルキルスは聖人かもしれん。聖人七大異能の一つ、神の手で瀕死状態のワシを助けたから間違いないわい」
「……パルキルス」
眉をひそめ、顔を曇らせたステラがそう呟く。そんな顔を見て、アソッドは「えっ」という声を漏らした。
「もしかして、私のこと何か知っているんですか?」
当然の疑問を聞いたステラ・ミカエルは少し遅れて、顔をパッと明るくした。
「聖人に会えたのは、二人目です!」
グイグイと迫るステラを前にして、ブラフマは首を横に振る。
「まだそうとは決まっとらぬ。アソッド・パルキルスは本当に聖人なのかを確かめてほしいんじゃ」
「なるほどです。これでアソッドが本当に聖人だったら、大ニュースです。実験をする価値はありそうです」
「そうじゃな。次に、ラス・グースという名前に聞き覚えはあるかの?」
二つ目の問いに対しステラは、一瞬驚き、口を左手で覆った。
「ラスちゃんがどうしたです?」
「やっぱり知り合いじゃったか」
「元同僚です。私の仕事の前任者で、仲は良かったです。それで、ラスちゃんがどうしたです?」
何かがおかしいとアソッドとクルスは思った。あの時、ブラフマはヘルメス族の少年に倒されたと語ったのに、なぜ、ステラはラスをちゃん付けで呼ぶのか?
考えを巡らせ、クルスは思わず両手を叩いた。
「そうです。あのシステムの影響で性転換したんですよ」
「性転換ですか? そんなことがあり得るんですか?」
隣のアソッドが首を傾げ、ステラは再び目を輝かせる。
「いいこと聞いたです。男になったラスちゃんに会いたいです。それで、ラスちゃんがどうしたです?」
「ラス・グースは聖なる三角錐の刺客として姿を現し、ワシと死闘を繰り広げたんじゃ。その結果、ワシは負け、瀕死の重傷を負ったというわけじゃな。そこで、もう一度彼奴と戦うため……」
「聖なる三角錐……大体分かったです。要するに修行相手になってほしいということです。ブラフマの頼みなら断れないです。ちょうど、守護団内で対能力者を想定した術式を話し合っている最中なので、それの実証実験もできそうです。ということで、修行場所はヘルメス村にするです」
「あの、ステラさん」
右手を上げ、クルスは彼女の名前を呼ぶ。すると、ステラはキョトンとした顔で首を傾げた。
「何です?」
「僕は強くなりたいです。お願いします。稽古を付けてください」
頭を下げ頼み込む長髪の少女を前にして、ステラは溜息を吐く。
「残念だけど、弱い人には興味ないです」
見下したような口調で断るメイド服姿の少女は、冷たい目をしていた。それでもクルスは引き下がらない。
「どうして分かるんですか?」
「大体分かったです。あなたは弱いです。エルメラ守護団序列五位の私が言うので、間違いないです。納得できないなら、手合わせしてもいいです。聖水の武道家と呼ばれる私に指一本でも触れることができたら、稽古してもいいです」
「分かりました。あなたを倒します」
決意を固め、クルスはジッと倒すべき相手の姿を瞳に捉え、両手両足に気合いを込めた。その一方、ステラはその場から動かず、姿勢を棒立ちにして、瞳を閉じた。
「戦闘開始です」
一歩も動こうとしないステラと距離を詰め、彼女の右頬に拳を打ち込む。
だが、その一撃はステラ・ミカエルに届かない。
弱者の拳が頬に食い込むよりも先に、彼女の首が左右に揺れる。
そのことに気付かないクルスは、夢中で両手を握って、連続して拳を打ち続けた。
だが、瞳を閉じた彼女は、まるで相手の動きが見えているかのように、放たれていく一撃一撃を避けてみせた。
それから、彼女は余裕たっぷりな表情で右手の人差し指を立て、空中に何かを記す。
「無駄な動きが多いです」
声と共にステラの姿が消える。そして、クルスの体は、地面に叩きつけられた。何が起きたのかすら分からず、体に激痛が走る。
風で舞ういくつもの葉が、五大錬金術師の助手の頭の上に落ちていく。
「弱いです。五大錬金術師の助手って言っても、大したことないですね。保険として、錬金術式を記しながら戦おうと思った、私はバカでした。無様に倒れるなんて、やっぱり弱いです」
吐き捨てたステラが閉じていた青い瞳を開き、弱者に背を向けた。
その右手の人差し指の上には透明な球体が浮かんでいる。
「負け……ま……せん」
後方から一撃で倒したはずの少女の声が聞こえ、メイド服姿の少女は立ち止まる。
振り返ると、フラフラな状態な挑戦者が立ち上がっていた。
立っているだけで精一杯な状態だというのは、誰が見ても明らか。
そんな五大錬金術師の助手の胸に、アルケミナを最凶の敵から守りたいという強い意志が宿る。
「諦めなさいです。素人に毛が生えた程度の格闘術は、通用しないです」
「イヤです。諦めません。僕は一か月間で強くなって、先生を守ります」
「格闘なめんな!」
激昂の顔で睨みつけられ、クルス・ホームは一瞬ビクっとした。
それと同時に、格闘家が右手の人差し指を向ける。
指の上に浮かぶ透明な球体を、指で弾き、分からず屋な敵に当てようとした。
だが、それはクルスの右手に当たった瞬間に消失してしまう。
この不可思議な現象を前にしても、ステラは一切驚かず、フラフラな少女を蹴り上げた。
五大錬金術師の助手の体は宙を飛び、そのまま地面に叩きつけられる。
「驚きは隙になるって誰かが言っていたです。その異能力に驚いていたら、一発殴られていたかもしれないです」
圧倒的な力の差を見せつけた少女は、地面に散乱する青葉を踏みつけ、グルリと体を回転させた。
「あなたが手に入れたいのは、ラスちゃんと互角に戦う力ですか?」
そう問われクルスは、這い上がりながら首を縦に振る。
「そうです」
「だったら、無理です。あなただけの力ではラスちゃんに勝てないです。ラスちゃんの戦闘力は今のブラフマ・ヴィシュヴァと互角に戦うほど。それほどの力をたったの一か月で手に入れようなんて、無理です。私が知ってるラスちゃんは、たった一人の凡人が倒せる相手ではないですし、こんなこと考えるなんて、格闘を舐めてるとしか思えないです」
「それでも、僕は先生を守る力を手に入れないといけないんです!」
固い決意を口にしたクルスは、真剣な目でステラと向き合う。だがしかし、その声は冷徹な目をした彼女には届かない。
「高位錬金術師の後ろに隠れて、守られていた方がお似合いです。お姫様みたいに」
「そんなのイヤです。だから、もっと強くなって……」
「この凡人、ムカつくです」
突然、右頬に衝撃を受けたクルスは脱力した。もはや立ち上がるだけの力すら残されていない少女の視界が歪み始める。
この一部始終を見せられたアソッドは、慌ててクルスの元へ駆け寄ろうとする。だが、それよりも先に、ステラは同行者の一人に耳打ちした。
白いローブで身を隠すその者は、首を縦に動かし、気絶している少女の元へ歩みを進める。そして、彼女の体に触れると同時に、姿を消した。
いつの間にかクルスの姿も見えなくなり、アソッドは驚きを隠せなかった。
「クルスさんに何をしたんですか?」
尋ねる聖人疑惑少女の問いを聞きながら、ステラは冷徹な視線を彼女に向ける。
「私の傍付きと一緒に、瞬間移動させたです。さっきのは大人げなかったから、チャンスを与えたです。あの塔を攻略できたら、もう一度手合わせしてもいいって。まあ、二度と立ち上がれなくなるまで、痛めつけられるのがオチですけど……」
簡単に説明した後、ステラはもう一人の同行者に視線を移す。
「マリー」
そう呼んだ後、白いローブで身を覆うもう一人の傍付きは、一瞬消え、ステラの眼前に姿を現す。
「マリー。私とアソッドをあの塔の最上階まで飛ばしてほしいです。それから、ここに戻ってきて、ブラフマと一緒にヘルメス村に戻りなさいです」
「わしの修行は?」
「ディエルノとやればいいです」
短く答え、ステラとアソッドの姿が、ブラフマの視界から消える。それから数秒でマリーと名乗る錬金術師は戻ってきて、ブラフマはあの村の土を踏んだ。
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