第58話 突然の裏切り
真っ赤な絨毯が敷かれた縦に広い王室の中、高級感を漂わせた扉の近くに散乱した無数の槌に、中肉中背の白いローブ姿のボスが視線を向けた。
その人物、トール・アンが突然右手の人差し指を立てるのを近くで見ていたメランコリア・ラビは目を丸くする。
そんな仲間を他所にトールは魔法陣を瞬時に記す。すると、周囲に散らばっていた槌が次々に弾けて消えていった。
「トール、何をやっているの? あたしが盗んだ槌を全部壊すなんて……」
「外が騒がしい。あの槌の中に発信器が仕込まれている可能性があるから、壊してみた。今、ラスに外の様子を見に行ってもらっているところだがな」
白いフードで顔を隠すトール・アンは冷酷な目で消し去った槌の残骸を見つめる。
「用心深いね。じゃあ、あたしも外の様子を見に行こうかな?」
メランコリアが王室の豪華な扉を開けるため、右手を伸ばす。だが、その手はトール・アンに捕まれた。
「待て。メランコリア。ちゃんと責任を果たしてもらわなければ困る。あれを盗んできたのはお前だろう? あの中に発信器が仕込まれていたとしたら、それを探し出し潰さなかったお前にも責任がある!」
「だから、こうやって外に出て、侵入者らしき人がいたら、処理しておこうかと……」
言い切るよりも先に、メランコリアは戦慄する。冷たい残忍冷酷なオーラをトールが纏っているような感覚に彼女は身震いした。
トールはローブで隠された顔を左手で隠し、冷酷な視線をメランコリアに向けた。
「メランコリア。疑わしきは罰する。私自らお前を粛清しよう」
「ウソ。なんであたしがトールに殺されないといけないの? あたしが知っているトールは仲間だけは大切にするような人で……」
一瞬で仲間に詰め寄ったトールの右手が、メランコリアの腹部に食い込む。耐えがたい衝撃を受け、彼女は豪華な扉に叩きつけられた。
トールから強烈な殺意を感じ取ったメランコリアは恐怖と激痛からか、立ち上がることすらできなかった。
「やめて。発信器を見逃したあたしが悪いのは分かってるから」
「それが最期の言葉か? メランコリア・ラビ」
獣人の女の心は恐怖に支配されていく。その身は小刻みに震え、大きく見開かれた瞳からは大粒の涙が流れていく。
うつ伏せに倒れたまま、両腕を後ろに掴まれ拘束されたメランコリアが顔を上げる。そんな彼女の視界に少年の姿が飛び込んできたのは、数秒後のことだった。
尖った耳が特徴的な黒髪の少年、ラス・グースに向け、メランコリアが叫ぶ。
「ラス。助けて! あたし、トールに殺されちゃう!」
藁にもすがる思いでラスに泣きつくメランコリア。だが、ラス・グースは無表情のままで、右手の薬指を立てた。
そうして、灰色の煉瓦模様を召喚すると、すぐにそれを右手で持ち、助けを求める仲間の膝元で叩く。
その動きを視認したトールは、拘束していたメランコリアの両腕から手を離し、体を後方に飛ばした。
自由になったメランコリアは体を起こした。そうして、希望に満ちた明るい顔を仲間に見せる。
「あっ、ありがとう。助けてくれて……」
だがしかし、一瞬の希望は絶望へと突き落とされていく。
立ち上がろうとした足は動くことがない。体が重たくなる違和感を抱えながら、真下に視線を向けると、靴が灰色に染まっていった。
「何を……したの?」
メランコリアの疑問を聞き、ラスは彼女に背を向けたまま答える。
「石化凝固の槌を使いました。一分程であなたは石像になります」
「……なんで、あたしを裏切ったの?」
しばらく沈黙したラスが一歩も動けない仲間の元から遠ざかっていく。
「裏切りの理由ですか? 強いていうなら、この聖なる三角錐は不必要になったからですね。これからの聖なる三角錐にとって不都合なことを覚えているあなたを、ここで始末する。最初から決まっていたことです。最期に良い事を教えてあげます。僕たちが初めて出会ったあの日、あなたが知っているトール・アンは死にました」
「ウソ! じゃあ、あたしの目の前にいるのは……」
「気が付きませんでしたか? トールは時々、自分のことを私と呼んでいることに。あとのことは自分の頭で考えてください。とは言っても、石像になったら、何も考えられなくなるんですけどね」
不敵な笑みを浮かべるラスがトールとすれ違う。
そして、トールは石化が進行しているメランコリアの前に立った。それから、彼女の髪を強引に掴むと、獣人の女を無理矢理に立たせる。
「尻餅ついてる石像なんてカッコ悪いでしょう。私のことを愛しているのならば、カワイイポーズでも取ったらどうなんですか?」
「イヤァァァ」
王室に悲鳴が響く。次第に石化が進行していき、メランコリアは何も考えられなくなっていった。
口と瞳を大きく開け、恐怖と絶望に染まった顔が固まっていく。
そうして、完全に石像に成り果てたメランコリアを見た、トールが失笑した。
「棒立ちかぁ。つまらない石像だが、いい顔をしている。そう思わないか? ラス」
「邪魔しないでください。仮の器を用意しているところですから」
いつの間にかラスは座り込み、白いチョークで床に魔法陣を記していた。
その背後に、ルス・グースが姿を現す。
「ラス、忙しいのですか?」
「そうですよ」
振り返ることなく答える妹に対して、ルスは首を縦に動かした。
「分かったのです。メランコリアも動けないし、ルクシオンたちは外出中。今この場にいる聖なる三角錐のメンバーは私達だけ。これなら二往復しても大丈夫そうなのですね」
そう言い残すと、ルスは一瞬で王室から姿を消した。
「ところで、仮の器はどんな奴なのだ?」
記号を記すラスにトールが尋ねると、ラスは顔を上げることなく淡々と答えた。
「そうですね。今生成しているのは、カワイイクマのマスコット人形です。次の器が見つかる、もしくは審判の日を迎えるまでは大人しくしてもらいます」
「イヤだ。適当に誰か拉致してこい。そいつを私の仮の器にする!」
中肉中背の両手足をバタバタと動かしたトールを見て、ラスは溜息を吐く。
「お言葉ですが、この聖なる三角錐は壊滅状態にしておくのが、僕たちの計画です。この通りに計画を進めなければ、支障が生じるでしょう。それに、常人があの槌を使えば、せっかく生成した器が壊れてしまいます。今のトールは、偶然選ばれたに過ぎないのですから」
「あの槌はお前らが預かるってことか? 分かった。今日のところはクマのマスコット人形で勘弁してやる。その代り、次の器はルクシオンにしろよ。アイツのブラフマに対する復讐心は使えるからな」
「……あの槌との適正があったら考えます。今のところ、審判の日を迎えるまでマスコット人形生活が続くと思ってください」
ラスは最後の記号を記し、魔法陣が完成させた。直後、魔法陣の中央にキラキラとした瞳が特徴的な茶色いクマの人形が魔法陣の上で生成される。
数秒の時が流れ、白いローブで覆われていたトールの体が崩れ落ちる。それと同じタイミングで、テルアカとマリアと手を繋いだルスが姿を現す。
「ちょっと早かったみたいなのですね」
茶色いクマの人形が黒く光るのを見たラスは、ルスの右肩に触れる。
「ルスお姉さま。これで計画の第二段階終了ですね」
「滞りなく終わって良かったのです。本当の戦いはここからなのですが……」
その後、ラスは茶色いクマの人形を抱え、庭にいるテルアカ達を瞬間移動で王室に連れて来る姉を待った。
到着と同時に、ウサギの耳の痩せた女性の石像が飾られた部屋の中でトールの寿命は尽きた。痩せ細って骨と皮になった三十代くらいの男性の遺体が王室の赤い絨毯の上に転がる。
「これであなたの魂は解放されるのです」
男性の遺体を見下ろす聖人が小声で呟く。その脳裏には、全てが始まったあの日の出来事が浮かんでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます