嘘吐き小村の真っ赤な真実

野方幸作

第1話

「彼女」が今いるここは日頃よく親しんでいる教室とさほど変わりはない。

堆く積まれた机や椅子と、「彼女」の眼前の椅子にがっちりと固定された、麻袋を被せられた一人の男の存在を除けば。

しかし、制服を着た「彼女」にしてみればそれも「日頃」と大差ない。

ここ204教室は西校舎2階の奥、ちょうどコの字型廊下の、階段から最も離れた教室でありアクセスするためには少々便利が悪い。

そういった理由から余剰の椅子や机の置き場所となっているが、隣の203教室は現在2年3組の教室として使用されているため昼間も不良生徒の溜まり場と化すこともなく、そして放課後は放課後で、わざわざこんな面倒な教室を溜まり場にする生徒もいない、風紀上なんの問題もない空き教室になっている。

そういう位置付けのはずの教室だが、今「彼女」の前には教室椅子に縛り付けられた男がいる。

しっかりと固定された男の手首から先の、おそらく利き手であろう右の手指は、最早利き手としての機能は今後一切果たすことができないと判断して差し支えない程度に5本とも平たく潰されていた。

「彼女」の右手にはペンチーーーと呼ぶにはいささか語弊のある、激しい威圧感を放つハサミ状の金属製物質が握られている。

男の表情は麻袋が被せられているので窺い知ることは出来ないが、少なくとも快適な表情を浮かべていないことだけは麻袋の下に咬まされているさるぐつわ越しのくぐもった息遣いと、男の首から下を縛り付けている縄が立てる音から容易に想像が付く。


「つまり君は、海外出張に乗じてどこかしらの国にこの資金データを売り渡すなりなんなりしたかった訳だ。・・・・・・もし良ければ、どこの国か、私に、教えて、くれない、かな・・・・・・?」

USBメモリーを左手で弄びながら必要以上に言葉を区切り「彼女」は尋ねる。もちろん男の右手指を粉砕したペンチを右手でかちかちと空打ちすることも忘れない。

男の息遣いに変化が現れた。何かしら言いたげな様子だ。

「・・・・・・何だい?よく分からないね・・・・・・?」

男の耳元でペンチをかちりと一回打ち鳴らす。

男の息遣いが悲鳴に変わる。尤も、さるぐつわがよほど強力に咬まされているのか、声はほとんど漏れず、馬の鼻息にも似た粘性のある、ふごふごとした荒い吐息のみが外に漏れた。

「なるほど、言う気になってくれたようだね」

「彼女」の言葉に安堵したのか、男は勢いよく首を縦に振る。

ありがとうと言った「彼女」は、彼の麻袋を外しながら「でも」と無表情で続ける。

「知ってるかな?どんなに人間鍛えても痛覚だけは誤魔化せない」

麻袋に下にあった男の表情は、「彼女」が握り替えた抜歯用鉗子を見て再度強張った。

年の頃は20代後半と思われる、露わになった彼の顔からはおおよそその年代の人間が持ちうる若さが消え失せていた。彼の瞳と肌からはツヤが消え、眼孔は落ちくぼみ、ほうれい線は明らかに深みを増していた。


「大声を上げようなんて考えないこと」

男の口に開口器を挟み、こじ開けながら「彼女」は言う。

麻袋の下で暗順応していた男の目が、麻袋が取られた直後に走らせた視線の先に、先ほど自分の手指を砕いたであろうペンチを含む、大小の物騒な物件類を認めた瞬間に男からそんな気力を奪っていたことに「彼女」は気付きもしない。

「麻酔は期待しないでくれる?」さるぐつわを解くと間髪入れずに鉗子を男の口の中に滑り込ませ、舌を挟む。

同時に手際よく開口器を外し男の口を解放する。

男は舌を摘まれた、間の抜けた調子でぼそぼそとトルコだと言った。

「本当?」鉗子を左手に持ち替え、「彼女」は右手で更に新たなペンチを取り、男の前歯を挟み込む。「彼女」が少しでも力を入れれば男の前歯は小枝の様に簡単にへし折れる。

男はついに泣き出した。喉の奥から空気を絞り出す様な、小さな泣き声だった。

「・・・・・・私は本当かどうか訊いてるだけなんだけど」

と「彼女」は呟くが、男は泣き止まない。

「彼女」は右手のペンチを握る力を歯をへし折らない程度に強くする。男は必死にもう一度トルコだと言った。

直後、「彼女」はペンチを前歯から放し、左上の奥歯を挟み、そのまま粉砕した。

「次は親不知の治療って訳にはいかないよ」

「彼女」は淡々と告げる。

男は痛みに耐えかね、暴れそうになるが全身を縛る縄と舌を挟む鉗子がそれを許さない。

「本当のところは・・・・・・?」

「彼女」が、男が嘘を吐いていると判断したのは全くの直感だった。しかし、その直感は当たっていた。

男は半ば叫ぶ様にシリアだと言った。

「トルコとシリア。隣り合った国だけど名前は似ても似つかないね・・・・・・?」

でも、と彼女は続ける。

「今度は本当みたいね?」

彼女の囁きに口から血を吐きながら男は必死に肯定する。


「嘘吐きは泥棒の始まりなんて言うけど、この場合どっちが先なのかしら?情報を盗んだのが先か、嘘を吐いたのが先か」

「彼女」はさっきとは逆順で男の口にさるぐつわを咬ませようとする。

男は質問に答えなかった。

「彼女」も答えが来るとは期待していなかった。

元通り麻袋まで被せられた男が教室の一角に居座る、数十分前までの構図が再び出来上がるまでに時間はさほど要しなかった。

「彼女」はがちゃがちゃと器具を通学鞄にしまい込む。

ふと「彼女」が口を開いた。

「ねえ知ってる?この国だと泥棒は油のお風呂で釜茹でにされるの」

男には要領を得ない問いかけだった。この男も日本人なので、石川五右衛門の話くらいは知っている。それとこれとがどうつながるのだろうと男はぼんやり考える。

「もうじき私の仲間が来る」と、腕時計を一瞥し、「彼女」は言う。

ため息とともに「彼女」は更に続ける。

「でも残念。ここにはあなたが入れるお風呂はないから」

「彼女」はそう言うと鞄からPSS自動拳銃を取り出し、おもむろに男に照準を合わせると引き金を2度絞った。

発射された7.62ミリの鉛の塊は男の眉間と心臓を正確に通り抜けた。

「彼女」は自分の眼鏡の右レンズにかかった返り血に無感動にピントを合わせた後、携帯電話をポケットから取り出し、連絡先のアイコンを親指で叩いた。

目当ての名前を見つけると、そのまま発信ボタンを押した。

相手は1コール目で出た。

「うん、いつもの教室。全部訊けたし、全部終わったからよろしく」とだけ伝えると、すぐに電話を切った。

そして、掃除用具入れのロッカーを横目で見ながら「彼女」は

「で、どうして貴女はここにいるの?」と言った。


「西川さん?」と呼びかけるとロッカーが心なしか少し揺れた気がした。

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