第58話 ⑦

 誘拐一日目。


「ありがとう、夢のような時間だった」

 菅二は満足そうに囁くと、ベットに横たわる雨牛の頭を愛おしそうに撫でた。

 手足を拘束していたロープを外し、雨牛を解放する。

「じゃあ、私は仕事に行くね。食べ物と飲み物はそこに置いておくから。トイレはこの部屋を出て、左の突き当りにあるから行きたくなったら行ってね。あと……」

 菅二の声色が変わる。その声は今までの明るいものと違い、暗く冷たい。

「黒いドアには、近づかないでね。分かった?」

 雨牛は生気のない表情で頷く。

「いい子」

 菅二はニコリと笑うと、雨牛の頬に軽いキスをした。

「じゃあ、また後で」

 そのまま、菅二はドアを開け、部屋を出て行った。

「……」

 ベッドに横たわる雨牛は動けない。体力を大幅に奪われたということもあるが、何より精神的なダメージが大きかった。


 そのダメージは、雨牛の心に深い傷を付けた。


 それでも時間が経つと、まるでゾンビのような動きで雨牛はベッドから降りた。

 傷付けられた心は元には戻らないが、それでも、生きるために雨牛は立ち上がった。

「……逃げなきゃ」

 雨牛は無理やり脱がされた服を拾って着る。ポケットを調べるが、持っていたはずのスマートフォンがなかった。菅二が盗んだのだろう。

 スマートフォンは諦め、部屋のドアを開ける。


 部屋から出ると、廊下が横に伸びていた。


 菅二が言っていた通り、左の突き当りにトイレがある。右に進むと赤いドアと黒いドアがあった。雨牛は赤いドアを開けようとするが、鍵が掛かっており、開かない。

 雨牛は次に黒いドアの前に立つ。菅二が開けるなと言っていたドアだ。

(なんだ?この匂い)

 黒いドアから微かに生臭い臭いがした。このドアの奥には何かがある。

 雨牛は、意を決してドアノブに手を掛ける。


「……」

 ドアノブは動かなかった。黒いドアにも赤いドア同様に鍵が掛かっており、開かない。


「……そうだ。窓!」

 確か、ベッドのある部屋には窓があった。窓なら、例え鍵を掛けられていてもガラスを割れば、外に出られる。もし、頑丈な強化ガラスだったとしても、外の通行人に助けを求めることが出来る。雨牛は急いで、ベッドのある部屋に戻った。

 ベッドの横に赤いカーテンで閉じられた窓がある。雨牛は急いで窓に近寄ると、勢いよくカーテンを開けた。カーテンを開けると、そこには外の景色と青空が広がっていた。


「……くそっ!」


 雨牛はドンと壁を蹴る。

 窓の外にある景色と青空。それは唯の絵だった。


 雨牛は部屋を出て再び赤いドアの前に立つと、力いっぱいドアを叩いた。

「誰か、誰かいませんか?助けてください!」

 何度もドアを叩き、必死に助けを求める。しかし、反応はない。

 ドアを蹴ったり、体当たりしてみるが、ドアはとても頑丈でビクともしない。


 体力を使い果たした雨牛は、赤いドアの前に座り込む。

 部屋の中や廊下には時計がなく、スマートフォンで時刻を見ることも出来ないので、此処に連れられてから、どれ程の時間が経過したのか分からない。


 雨牛はそのまま、赤いドアの前で眠ってしまった。


 何時間経ったのだろう。赤いドアがギイイイイと開く音で雨牛は目を覚ました。

(誰か来た!?)

 助けを求めた自分の声が届いたのか?雨牛の顔に笑みが広がる。


 しかし、次の瞬間、雨牛の顔は笑顔から絶望に染まった。


「ただいま。いい子にしてた?」

 菅二春は、雨牛を見て「ニヤァ」と不気味に笑った。


「うわあああああああああああああああああ!」

 菅二が赤いドアから現れた瞬間、雨牛は彼女に体当たりをした。

 菅二を押しのけ、そのまま逃げようとしたのだ。しかし、雨牛の体当たりを受けても菅二は微動だにしない。

「そんな……」 

 雨牛はショックを受ける。いくら、疲労しているとはいえ、男の手加減なしの体当たりに、華奢な女性が耐えられるはずがない。

 だが、まるで巨大な岩を相手にしているかのように、菅二の体はピクリとも動かない。

「いきなり抱き付いてくるなんて、そんなに私に会いたかったの?」

 菅二は雨牛を抱き寄せると、強引にキスをした。

「んんんっ!?」

「んっ、んっ、ぷはっ」

 キスを終えた菅二は雨牛の手を掴むと、ベッドのある部屋へと歩き出した。

「は、離して!」

 雨牛は暴れるが、菅二の手は外れない。凄まじい力で、雨牛は引きずられる。  部屋に入ると、菅二は雨牛をベッドに放り投げた。そして、両手両足をロープでベッドに縛り付け、雨牛に覆い被さる。

「じゃあ、しようか」

 菅二は雨牛の耳元で甘く囁く。

「やめて、やめてください!お願い、もう、やめ……!」

 雨牛の悲鳴を無視し、菅二は雨牛の唇に自分の唇を重ねた。


 誘拐二日目。


 一日目と同じく、雨牛はベッドに縛り付けられ、菅二に無理やり関係を結ばされていた。

「どう?新しいの買ってみたんだ」

 菅二は自分の格好を雨牛に見せる。菅二は昨日と同じ、露出の高いネグリジェを着ていた。ただし、昨日着ていたものとは違い、今日着ているネグリジェは白い。

「ねぇ、君は白と黒、どっちが好き?」

「……」

「答えてよ」

 菅二は、質問に答えない雨牛の耳を舐めた。

「ひっ!?」

 雨牛の全身がビクリと震える。菅二はもう一度同じ質問を繰り返す。

「ねぇ、君は白と黒、どっちが好き?」

「……く、黒……です」

 雨牛が質問に答えると、菅二の顔がパァと明るくなった。

「分かった!じゃあ、これからは黒を着てくるね。教えてくれてありがと。ご褒美を上げる」

「ひいっ!」

 菅二は再び雨牛の耳を舐める。それから、菅二が仕事に行くまでの間、雨牛は菅二に襲われ続けた。


 誘拐三日目。


 菅二が仕事に行った後、雨牛は部屋の中にあった鏡台の鏡を割った。割った鏡の破片を集め、それをベットのシーツでくるむ。

 雨牛がしようとしていることはこうだ。

 菅二が赤いドアから入って来た瞬間、彼女に向けてシーツを振り、大量の鏡の破片を飛ばす。そして、菅二がたじろいでいる隙に赤いドアから外に逃げる。

 菅二は信じられない程、異常な力を持っている。しかし、『目』は別のはずだ。

 もし、鏡の破片が目に入れば、彼女とて無事では済まないだろう。

「でも、いいのか?こんなことして……」

 柔らかい目に鏡の破片が入れば、最悪失明してしまうかもしれない。雨牛は迷う。だが、このままだと……。

 頭に浮かんだのは家族、学校の先輩、友人、そして、一人の少女。


(絶対、皆の所に帰るんだ!)


 最後の最後まで迷った末、雨牛は作戦を決行することに決めた。


 数時間後、赤いドアが開き、菅二が姿を現す。

「ただい……」

 赤いドアが開いた瞬間、雨牛は菅二に向かってシーツを振った。シーツの中にくるんでいた鏡の破片が飛び出し、菅二を襲う。菅二は破片をよけない。

「なっ……!」

 雨牛は驚き、目を見開く。鏡の破片は確かに、菅二の顔に当たった。当たったはずなのに、破片は一枚たりとも菅二の体に刺さっていなかった。

 目にも入ったはずなのに、菅二は痛がる素振りすら見せない。

「あーあ」

 菅二は床に散らばった鏡の破片を拾う。

「これ、鏡台の鏡だね?結構気に入ってたんだけどな」

 破片を持ちながら、菅二は雨牛に近づく。雨牛は思わず身構えた。しかし、雨牛の傍まで近づくと、菅二は鏡の破片をあっさりと捨てた。そして、雨牛に抱き付く。大きな胸が雨牛の体でグニャリと潰れた。

「他の人間なら許さない。けど、君なら許してあげる」

「は、離して……ください!」

「許してあげるけど、罰は受けてもらうね」

 菅二は、雨牛の耳元に口を寄ると静かに囁く。

「今夜は寝かさないよ」


 誘拐四日目。


 菅二は嬉しそうに雨牛に囁く。

「今日はオフなんだ。だから一日中、君とできるよ」

 そう言って、菅二は雨牛に覆い被さった。

「……」

 雨牛の目はうつろで焦点が定まっていない。強引な行為により、無理やり与えられ続ける強すぎる刺激、そして恐怖。さらに時間すら分からない環境に置かれ、雨牛の心は、限界に近づいていた。

 菅二は言葉通り、その日は一日中、雨牛とベッドの中で過ごした。

 ベッドの中で菅二が囁く。

「ああ、幸せだな」

 

 誘拐五日目。


「どう、気持ちいい?」

 菅二は、雨牛の耳元で甘く囁く。


「はい……気持ち……いいです」


 生気のない目で雨牛は答えた。菅二は「ニヤァ」と口元を歪める。

「嬉しい。やっと、私を受け入れてくれたんだね!」

 お礼とばかりに、菅二は雨牛にキスを落とす。そして、雨牛の手足を拘束しているロープを外した。

 拘束が解かれても雨牛は、抵抗することも逃げることもしない。何をされても菅二の行為を受け入れた。


 百時間を超える監禁、そして何十時間にも及ぶ菅二との行為に、雨牛の心はついに壊れた。


「あっは。あははははっははは!」

 部屋の中から、菅二の笑い声とベッドが軋む音が響く。今まで聞こえていた雨牛の悲鳴は、もう聞こえなくなった。


 誘拐六日目。


「フンフンン」 

 菅二は、今とても気分が良い。鼻歌を歌いながら、雨牛がいる部屋へと向かう。


 菅二の第一の目的は、自分の子供を作ることだ。本来なら、必要なのは雨牛の肉体だけで、心まで奪う必要はない。

 だが、今は、雨牛が自分を受け入れてくれたことが、とても嬉しかった。


 なるほど、これが恋というものか。


 生まれて初めて味わう感覚に、菅二は人生で一番の幸福を感じていた。


 今の雨牛は、菅二の質問に対し、全て肯定的な答えを言うようになっていた。

「気持ちいい?」と問えば「気持ちいい」と答え、「今、幸せ?」と問えば「幸せ」と答える。

 それと同じく、雨牛は菅二の頼みも聞くようになっていた。

 菅二が「キスして」と頼めば、雨牛からキスをし、「胸を触って」と頼めば、菅二の大きな胸に手を沈めた。


 雨牛の肉体は完全に、菅二の支配下に置かれている。


 だが、菅二には一つだけ気掛かりなことがあった。

「私と付き合って」という頼みにだけは、雨牛は沈黙するのだ。


 菅二がどんなに「私と付き合って」と頼んでも雨牛は首を縦に振らない。


 菅二は、その理由に思い当たっていた。

「あいつがいるからだ」

 菅二は、ギシリと歯ぎしりをする。今、雨牛の肉体は菅二を受け入れている。しかし、心は違う。

 雨牛の心は壊れた。しかし、壊れた心の中に一欠けらだけ残っていたものが、菅二を恋人にすることを拒否していた。その一欠けらには、一人の少女が映っている。


 あいつがいる限り、彼の心は完全に私の物にならない。


 だから、菅二は決めた。あいつを排除しようと。


「早い方がいいな」

 明日からしばらく、スケジュールに余裕がある。空いている時間を使ってあいつを排除すればいい。まるで、買い物の行くかのような軽い気持ちで菅二は考える。


 彼の肉体は手に入れた。後は、あいつを排除し、それを彼に聞かせればいい。

 そうすれば、きっと彼の心は私に向く。彼の肉体だけでなく心も私の物にできる。


「楽しみだな」

 菅二は上機嫌に鼻歌の続きを歌う。赤いドアの前に立つとウキウキしながら鍵を開けようとする。その時……。


 ピンポーン。


 玄関のチャイムが鳴る音がした。菅二の機嫌が急降下する。

「これからって時に……」

 大好きなお菓子を食べる寸前で取り上げられた子供のように、菅二は怒りを露わにする。大きなため息を吐きながら、玄関まで行き、ドアホンの画像を見た。

「……ッ!」

 菅二の中に湧き上がっていた怒りが、驚きにかき消される。画面には予想外の人物が映っていた。


『ごめんください。菅二さん』


 画面の中の人物は、ドアホンのカメラに向かって、丁寧な声で話し掛ける。


 波布光。菅二が排除しようと思っていた相手がドアホンの画面に映っていた。


『お話があります。開けていただいてもよろしいでしょうか?』


 


 







 

 




 

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