3話 身近な精霊の憂鬱

 水溜まりの脇で佇む美女の姿を、友は眺める。


 友と同じくらいの背丈。

 すらりとした手足に、腰の位置が高く魅惑的なヒップライン。

 服の上からでもわかる、とても大きな胸。


 簡素なシャツとジーンズだというのに、見るだけでわかるスタイルの良さ。

 顔も筆舌し難いほどに優れた造形で、高い鼻に大きな緑色の瞳。


 陽光の加減で変化する、白翡翠のような色合いの髪色。

 そんな長い髪を風にたなびかせた美女が、水たまりの脇で佇んでいる。


 顎に手を当て、思案しているようだ。

 美女を見て友は眉間にシワを寄せるが、横の桜は真逆の反応をした。


「あ、ルフィーだ!! やっほー!!」


 顔を輝かせて、桜は手を大きく振る。

 ルフィーはゆっくりと顔を向けると、にっと笑った。

 歯の見える人の良さそうな笑顔である。


「や。ユウとサクラじゃない」


 二人を迎えるルフィーの口から出てきたのは日本語だ。

 外国人然とした外見であり、少々違和感を覚えるが、


(まあ、日本暮らしが長いのは間違いない)


 ルフィーの事情を知る友からすると、然程疑問に思うことではなかった。

 小走りを始める桜に手を引かれたまま、ルフィーの顔を眺める。


「サクラ。こんなところで、どしたのさ?」


「もちろん、学校帰りの寄り道だよ」


 親しみが十全に込められた笑みでルフィーと話す桜の横で、友は周囲に視線を向ける。

 今までの道と同じように、木々と草、そして水たまりがあるだけだった。

 特に、何もない。

 このような場所でルフィーは何をしていたのか、友はそう考え、視線を桜とルフィーに戻す。


「しっかし。相変わらず仲の良いことで」


「にゃっへっへー、照れるよー」


「……あんた、本当オフの時は笑い方が変よね」


「そ、そうかしら? うふふ」


「うわ、気色悪っ」


「ひどいっ!?」


 桜がルフィーにからかわれている。

 このまま暫く静観していようかと思った友だったが、


(黙って見てるだけだと、桜から後で何を言われるか)


 ルフィーを止めないことに対して、桜から批難されると推測できる。

 友はルフィーの桜弄りを止めることにした。


「まあ、桜を玩具にするのは、それくらいにしておいて」


 ルフィーに近づき、頬を指で突く。

 滑らかだった。弾力に富んだ感触も素晴らしい。

 ぷにぷにと押して、肌質を堪能しながら友は首を傾げた。


「こんなところで、何してんの?」


「ああ、うん。ちょっと気になることがあってさ」


 ルフィーは視線を水たまりへと向ける。

 視線を追って友も顔を動かすが、何もない。


「気になることって?」


「んー……、杞憂ならそれで良いんだけどさ」


 ルフィーは頭を掻きながら、友の背後に回り、肩に顎を載せた。

 疲れた様子のルフィーに片眉を上げつつ、友はルフィーの頭を撫でて慰める。


「あんがと。最近、この辺りが物騒じゃん?」


「ああ、なんか変死体の事件が起こってるらしいな」


 帰りのホームルームで聞いたことを思い出しつつ、友は頷いた。

 しかし、ルフィーは溜息を再度吐き、体重を友に掛けていく。

 ルフィーに押されるように、友は前屈みになる。


「違うのよ、そっちじゃなくて」


 抵抗しない友の姿に調子に乗ったのか、ルフィーは友の上に載り始めた。

 本来ならありえない。


 身長差があれば圧し掛かることは可能だ。

 だが、ルフィーの背丈は友と同じだ。


 跳ねて、背中に乗るならば理解するが、ルフィーは流れるように友の上に載った。

 中学生の友に、人間一人の体重を力も込めずに支えられる訳がない。

 しかし友は前屈みの姿勢で、力を一切入れていなかった。

 まるで体重を殆ど感じていないように、平然としている。


(いや、実際感じてないんだけどね)


 今、ルフィーは友の上で寝そべっている。

 友に触れていない下半身は、地面に水平になっていた。

 腰から下を水平にするのは、腹筋や背筋、そして脚に力を込めれば可能だ。


 しかし、ルフィーは力を一片たりとも入れていない。

 へにょりと脱力し、脚をぱたぱたと動かしている。


 明らかに異質な光景だった。

 しかし友も桜もそのことを一切気にしていない。

 当然のこととして受け入れている。


 ルフィーという存在を知っているからだ。


「そっちじゃないって?」


「『人間』サイドの話じゃなくて、こっち側のファンタジー方面の話よ」


 ルフィーは疲れたように溜息を吐きながら、友の上から離れる。

 地面に降りたのではなく、上に向かって離れた。


 ルフィーは宙に浮かんでいた。

 膝を抱えて回転を始める。

 丸まって回るルフィーを眺めつつ、友は首を傾げた。


「こっちって、ルフィー側の話ってことだから……」


「そう。つまり非現実的な『精霊』関連の話でさ」


 宙に浮かび、空中で緩やかに回るルフィーは人と異なる存在だった。


 精霊。

 草木や動物、人、無生物、人工物などひとつひとつに宿っている――とされる超自然的な存在だ。


 本人が口にするように、非現実的な存在だが、ルフィーは現実に存在する。

 友の生活を非凡たらしめる最大の理由たる精霊は、いじけていた。


 発言を待つ友だったが、ルフィ―はうにゃうにゃと唸っている。

 辛抱強く待ち続けていると、ようやくルフィーは他の動きを見せた。

 深く溜息を吐いて、友の頭を掴む。


「なんかさあ、この辺で最近多いのよ。精霊が荒ぶるのが」


「そうなの?」


「そう。自力で具現化できる上位精霊様としても、見過ごせないんだけど。うなー」


 ルフィーは友の髪の毛をわしゃわしゃとかき回す。

 手慰みと言うには荒々しいルフィーの挙動だった。


「……なんかストレスたまってんねー、なしたの?」


 乱雑な憂さ晴らしを受けていることに、友は苦笑を浮かべ訊ねる。

 ルフィーは即答せずに、しばらく友の頭を弄っていたが、手を止める。

 今度は癒やしを求めるように友の首に腕を回し、ルフィーは友の頭を抱えた。


「たまるわよ。ちょっと聞いてくんない?」


 多分に八つ当たりが込められた強めの抱擁だった。

 しかし呼吸はできるし、苦しくはない。

 友は抱きかかえられながら、ルフィーの愚痴を聞くことにした。

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