12 休憩所の住人

 身体が、重い。


 少しだけ寒いような、それでいて熱いような、とりあえず不快な感覚。

 どうやら汗をかいているようだ。不快感があるわけである。

 ただ、その事に驚くまでにはえらく時間がかかった。熱を出して寝込む事は月に一度はあったので、その状態に不快感はあっても異常であるとは認識できなかった。

 ……身体の感覚がある。それこそが驚くべき事実であるというのに。


「生きて、る?」


 確認のために、声を出す。それから、手を上げる。鏡が無いのでそれが自分の物か判別はつかなかった。だが、動かしたい方に動いたので、とりあえず自分のものと仮定しておく。

 しばらく、自分が生きているのだという実感をかみ締めていたが、そのままというわけにもいかない。

 何せ、気持ち悪いのだ。


 どれだけの間寝ていて、どれだけの量の汗を流したのか想像もつかない。

 ただ少なくとも、じっとしていれば何も解決しない事は理解した。

 だからこそ、身体全体に力を入れて、ぐっと起き上がる。


 しかし。


「―― いッ?!」


 自身が横たわっていたベッドから起き出すまでは良かった。そこから立ち上がった途端、胸の辺りに激痛が走る。

 それはもう、息が出来なくなって、頭から床に倒れこんでしまうくらいに。


「か、はっ」


 あまりにも痛すぎて景色が歪む。

 が、次の瞬間には嘘のように痛みが消えて、後には途轍もない疲労感が残った。激痛に対し、身体中に力を入れてしまったからだろうか。


 嵐のように過ぎ去った激痛には多々疑問が残るが、まあ、今は無いから、良いか。


 それより、ここはどこだ?

 俺が意識を失う少し前も視界が真っ白になっていた。あの時は影のない、本当に真っ白な空間だった。しかしここは、真っ白な部屋である。


 俺が眠っていたのは、天蓋付きの大人が3人寝ても余裕がありそうな大きなベッド。

 他にも縦長のタンス、ベッドの隣に置かれたミニテーブル、数多くの本がしまわれた大きい本棚と家具は様々ある。そのどれもが、白い。


 装飾は豪華な家具達だが、白以外の色が見当たらない。本の背表紙はともかく、表紙、中身に至るまで。テーブルの上に生けられた花は、その茎までもが。

 ともかく、目に付く全ての家具、床、壁、天井に至るまで、影の色である黒と、その影が織り成す灰色のグラデーションはあれど、赤も青も黄色も無いのである。


 かろうじて、俺自身からは色が失われていないのが幸いか。肌色の手を眺め、安堵する。

 光多めの白黒写真風な世界に紛れ込んでいたら反応に困る。

 そんな事を、床に寝転がりながら考える。


 立ち上がって、またあの激痛があったら――


 そう考えてしばらく床に寝転がっていた。床は全面が真っ白でふわふわした絨毯のため、いくらでも寝転がっていられそうである。しかし、それではいけないだろうな。

 痛みを感じたのは、ちょうどあの、聖剣に何度も刺し貫かれた部分。あの時感じなかった痛みを、一気に味わったような気分である。


 正直、怖い。もし、立ち上がる度にあんな痛みを受けるかもしれないと思うと、足腰から力が抜けていってしまう。

 それでも、立ち上がれと心のどこかで誰かが叫んだ。

 だから、というわけではない。ただ、その声を無視してはいけないと思ったのもまた事実であった。


 立ち上がると、痛みは無かった。

 自分だけしかいない静寂の中、俺は再び部屋の観察を始める。俺が倒れた所とは反対方向にゆっくりと歩いていった。


 どこか身体に違和感を覚えるものの、何ら問題無く辿り着いて再び胸を撫で下ろす。

 ここがどこなのか。場合によっては、元の俺が死んでしまったという可能性すらあるのだ。先程の痛みはいわゆる幻覚の類かもしれないし。


 ちなみに、ベッドの向こう側も真っ白だった。

 タンスを物色すると、中に俺の制服が入っていた。自分の着ている物が真っ白なパジャマだったから、どこに行ったかと思ったよ。


 ここが何なのか疑問は残るが、今は誰もいないようだし、自力で調査するか。まず、どうやら円柱状であるこの部屋にある扉は2枚。鍵穴の類は無いので、鍵を掛けようにも掛けられないだろう。


 扉の材質は、一方は大部分が曇りガラス。もう一方は不明だ。

 人、というか生き物がいるような気配は無し、と。


 まずは曇りガラスの扉を開ける。見えるのは、トイレ、バスタブ、洗面器。要するに水周り関連。

 そしてもう一方は、廊下に続いている。


 廊下も見事に真っ白だったが、風呂があるのはありがたい。

 見知った魔法に『浄化』という便利な魔法があった。毒液を消し去ったり、スケルトンなど、所謂幽霊系のアンデッドモンスターを倒したり、と大活躍である。

 アンデッドはもちろん、モンスターの中でも不浄なモンスターにも効く。その応用で、体表や周囲の空間を楽に掃除できてしまう万能な魔法であった。


 もっとも、浄化魔法はそれなりに魔力を喰うので連発は出来なかったが。

 まあ、俺はバンバン使ったけど。


 その魔法を使う事と、この不快感を消した実感を得る事は違う。ただ清潔にしたい気分とシャワーなどで水を浴びたい気分は違うのだ。パンを食べた気になるのとパンを食べるのとでは、満足感というか、実感できる度合いが別物なのである。


 俺がベッドで流したらしい汗なんかは浄化できれいにしておいて、俺自身はシャワーを浴びる事にした。服がぴっとりと肌に纏わり付く感覚が、先程からどうにも気持ち悪くてしょうがない。

 タオルも「使ってください」と言わんばかりに目立つ場所へ置かれていたので、遠慮無く使う事にする。たとえ勝手に使ったと怒られても、汗臭いままその人の前にいる事の方が失礼だし。何よりあんな激痛の後で目が覚めているといっても、同時に疲れてしまって今は少し眠気に襲われていたのだ。

 入って、完全に目を覚ましたいし。



 閑話休題



 さっぱりして、鏡の前に立つ。そこまで行ってようやく、諸々の違和感について気が付いた。

 まず、身体に何かしらの違和感があった事。高等部一年はちょうど成長期で、俺の場合特にそのピークを迎えているのか、異世界に召喚された一ヶ月で少しだけ身長が伸びていた。


 火を見るより明らかに、というほどではないが、学生生活を順当に続けて得られるような肉体ではなかったので、結果的に見違えていたと思う。

 しかし、鏡の中に映った俺は、身長はともかく鍛えていたはずの肉体が一ヶ月前のものに戻っていた。


 たかが一ヶ月、されど一ヶ月。レベルという分かりやすい強さの指標があるために、肉体に現れる影響はかなりのもの。

 人族は筋肉が強化される、髪にちょっとだけ艶が出るなどのちょっとした変化。これが魔族、特に亜人や獣人だと、年齢関係なくレベルに見合う肉体に成長するとの事。ラビリス族のルディも14歳の割には背が高いと思っていたのだが、肉体的には18歳だそうだ。


 ちなみに、ラビリス族は全体的に背が低いらしい。高い者でも170センチには達しない。平均的な日本人の身長よりも若干低めである。そのため、ルディは肉体的には既に成人しているそうだ。


 話は逸れたが、レベルという強さの表記が出た時点で俺はレベル上昇の恩恵を受けていた。ルディが成人の肉体を手に入れたレベル25というのは相当な成長である。

 普通の少し細めだった体型が、細マッチョ辺りになったくらいだろうか。それでも異様な変化。


 その変化が、無くなっている。いわゆる普通の、少し細めだった体型に戻っているのだ。

 これで合点がいった。強くなった事で覚えた力加減や、成長して得た身長と今の身長の誤差。それらがどういうわけか一ヶ月前のものに戻って、身体を動かした時に違和感として残るのだ。


 何故そうなったのか。

 一応、心当たりはある。むしろそれしか思い当たらなかった。


 コリア。俺がこの部屋に来る直前、というか、意識のある中で最後に見た人物だ。


 権限がどうとか、アビリティがどうこうと言っていたし、何かを知っているのは間違い無い。

 もう一度彼女に会わなければ。彼女はたしか「説明は後で」と言っていたし、また会える可能性はあるのだろう。ともかくまずは、部屋や部屋の外を調査してみない事には始まらない。


 よし、すぐにでも着替えて、まずはこの辺りの位置情報を調べよう。そもそもこの場所が、先程までいた世界と同一なのか。それも含めて色々と調べたい。

 というか、魔法が使える時点で俺にとっては『異世界』であるので、可能性があるだけでも希望はある。あの崩壊しかけた世界がどうなったのか。気になるし。

 というわけで、浄化魔法で一応はきれいにしてあるパジャマを持って浴室から出た。

 そこに、誰かがいるとは考えずに。


「……え」

「ふぇ? きゃあ?!」


 ……パジャマとタオルのおかげで、最悪の事態だけは避けられたと言っておこう。


「申し訳ありません。何度かノックして、お返事が無かったので。寝ているのなら汗を拭おうかと思っていたのですが」

「いや、俺も不注意だった。まさか人がいるとは思わず、思い切りドアを開けたからな」

「いいえ。スイト様がいないと確認したにもかかわらず、この部屋に留まったわたくしがいけないのです。思えばスイト様は年頃の男の方ですもの。こちらこそ不注意でした」

「そうは言っても、着替えを浴室に持っていかなった俺にも責任はある。他人の部屋だというのに不注意だった。すまない」


 謝罪を互いに交し合いつつ、俺は目の前で顔を赤らめつつこちらをチラチラと見つめてくる少女を観察する。ただやはり、話し方からしても大正浪漫風な人だと思った。

 彼女の名前はコリア。つい先程俺が探そうと決意したその人だ。


 タイミング悪く鉢合わせたコリアと俺だったが、あの後すぐにコリアは部屋の外へと出て行った。大声で服を着るように催促しながら。

 腰にはバスタオルを巻いて、上半身はパジャマで隠れていた。それでも、女性から見ればはしたない格好をしていたのだ。俺だって気心の知れない、それも異性にあんな格好を見られたのは恥ずかしい。だがそれ以上に、彼女もあの格好の俺を見るのはさぞ居心地の悪かった事だろう。


 今は無事服を着た俺と謝罪し合っている俺とコリアだが、状況を切り取って見れば、俺が悪い。

 悪いはずである。


 ただ、先程から口喧嘩に発展していると感じているのは俺だけだろうか? 自分が悪いと言い切った方が勝者であると言わんばかりの迫力で互いに責任を負おうとしている。

 最初から責任を押し付けあう事は無かったが、途中からどうにも引けなくなってしまった。段々と思考が麻痺してきて、もうどちらともが悪いという事にしたいが、それはどことなく癪に障る。


 次第に声が大きくなって、最終的にはどちらも息を切らすなどという状態に陥ったのだった。


「うん、まあ、コリアもスイトも仲が良いのは良いけど、そろそろお話しても良い?」

「「……」」


 互いに睨み合いのこう着状態になったところで、少年の声が聞こえてきた。

 自己紹介も何もしていないが、コリアといいこの少年といい、俺のことを知っているようだった。


 ただ、俺は2人共に見覚えなど無いのだが。

 コリアは薄紫の髪と濃い紫の瞳をした少女で、コスプレでもしていなければ見られないような姿だ。異世界で和服を着た外人風の者達は大勢見たが、大正浪漫風の着こなしは見かけた事が無いので新鮮である。


 もっとも、新鮮さやものめずらしさで語るなら、少年の方が勝っているが。

 あのフィオルでさえ瞳は空色だったし普段着は白かったが、公式の場では黒いドレスを着用していた。


 それがこの少年はどうだ。髪、瞳、肌、服に至るまで、その全てが白いのだ。かろうじて瞳は灰色がかっているから位置が分かるが、赤みを帯びた肌はフィオルよりも白い。


 不健康そうではない、かなりギリギリのラインである。おしろいでも塗っているのではと勘ぐってしまうくらいで、もしこれが元からのものなら、化粧品の謳い文句である「驚きの白さ」というのをコケに出来そうだ。かなりきれいである。

 彼の服は、肩が見えるほど幅広の丈が長いシャツに、短いパンツ。太ももを覆うソックスに、平たいイメージの靴。髪は余裕を持たせてまとめられており、その房を右肩にかけている。


 どちらも容姿端麗。フィオル達のいる世界でも薄紫色の髪色は珍しいので、もしすれ違い程度でも会っていたなら覚えていないわけが無かった。

 2人は、この真っ白な空間の住人なのだろうか。


 場所を変えると言われて通された部屋は、またもや真っ白だった。絵画や壷といった富を表すような家具は置かれていないし、背の低い本棚には先程と同じく背表紙も真っ白な本が並べられている。

 部屋にあるのは、おおよそ3人が座れる幅のソファが向かい合うように2つ。その間に膝丈のテーブルが1つ。本棚が1つ。

 あとはシンプルなデザインのシャンデリアくらいで、他に家具と呼べるものは無い。

 ただ、部屋が真っ白だからこそ目立つ物があった。


 家具ではなく、扉である。


 俺やコリアもそうだが、こんな真っ白な空間だと、少しでも色のある物は浮く。どうしても白くなりきれない人間の少年でさえ、少しだけ浮いているほどだ。

 だからこそ、部屋の奥に見える、明らかに大理石っぽい石造りの扉が異様に目立つ。灰色に黒い小さな斑模様。ただでさえ色が無い部屋に、色と模様まで付いた扉は、それだけで浮く。更に言うならその扉に多数の彫刻が施され、金色の縁が付けられているのだ。

 色に関してはシンプルさを追求したこの部屋とは、ある意味で対極に位置する超ゴージャスなデザインである。


「自己紹介から始めるか……僕はラクス。― コントラクトゥス ―を略して、ラクス。君のことは知っているから、紹介は省いても良い」


 無表情、というか、若干眠そうな顔で自己紹介する少年ラクス。ラクスはコリアと共に俺の向かい側にあるソファに完全に背を預けて、かなりリラックスしている。


「私はコリアです。名乗るのは2度目でしょうか? ただ、あえて更に何か語るとすれば、今の私は、自身の名とスイト様の名前やアビリティについてしか覚えていないという事ですね」


 コリアは申し訳なさそうにそう告げる。

 記憶喪失、という事か?


 記憶の中の彼女は、自身の事を「わたくし」と呼んでいた。何かあるとは思っていたが、記憶喪失だったのか。

 それに加えて、彼女の容姿は死に掛けた際に出会った時よりも、幾分か幼げに見える。俺といい彼女といい、何が起こっているのやら。


「時間は有り余っているけど、君の性質上、あまり時間は掛けない方が良いだろうね。だからまず結論から言わせてもらう。君は死んでいない」

「……それは、そうだろうな」


 なんだか知らないが、激痛が走ったのだ。死んでゴーストにでもなっていたら別かもしれないが、そうではなさそうである。シャワー温かかったし。


「まあ、放っておいたらあと一秒で死んでいたけどね。けど、それだと彼女の存在に矛盾が生じてしまうし君の存在そのものにも問題が生じる。簡単に言えば、君を無理やりにでも生かす必要があった。その手段が彼女であり、その代償が彼女の記憶だったわけだ」

「……はぁ?」

「更に簡単にしようか。君はコリアのおかげで助かった。で、彼女諸共ここに来た。僕はこの『休憩所』の住人で、君達は客人というわけだ」

「休憩所?」

「そう呼ばれる理由は僕も知らない。その質問は『鶏が先か卵が先か』と同じで、聞いたところで誰も応えられないし、知らない。ただ、この場所はあらゆる『狭間』に位置する空間で、ある地点AからBに移行した際に極々稀な確率で引っかかる」

「狭間というと、たとえば空間転移、とかか?」


 魔法:空間転移は、文字そのまま任意の地点へ移動する魔法だ。

 空間拡張の使われた空間では発動阻害が起きてまともに使えなくなる、使う魔力量が多い、ある程度記憶力や空間把握力に長けていないと使えないなどの理由であまり使われないが、便利だ。

 俺は使い放題だったな。


「そうだね、それもある。狭間というのは、空間、時、夢。人と人の間に出来る絆なんかもそう。強すぎる絆のせいで、ここに迷い込んでしまう人がいるみたい。もちろん自分の意思で来る人もいるけどね」

「いるのか」


 一見何もなさそうな部屋だし、別にもう一度来たいと思える要素は無さそうだが。


「次に訪れる休憩所がこことは限らないし、休憩所の住人もずっと同じではないから意図して来る人はかなり少ないかな。でも、住人からここに繋がる鍵を渡されれば、話は別」

「鍵? ……まさかとは思うが、あの趣味の悪い扉の鍵か?」

「失礼な事を言うね。まあ僕もアレを作った人とは趣味が合わないとは思うけど。それと質問に対する答えはYESでありNOでもある」


 ラクス。コントラクトゥスだっけ? たしか、ラテン語で契約って意味だった気がする。台詞からして、明らかに俺がもといた世界の住人ではないのだろう。しかし、それ故にラテン語の名前というのが少し気になった。まあ、偶然だろうけど。


「あの扉は出口専用。向こう側からは開かない。来る者は休憩所のどこかに突然飛ばされてくるから。……この鍵はあくまで座標固定のための道具だよ」


 ラクスが身を乗り出してテーブルに手をかざすと、その手の下方に白い光が集束し、弾ける。

 光が消えた後、そこにはこれまた真っ白な歯車が残されていた。歯車には、金色の線で繊細優美な模様が描かれており、しかし常にその模様は蠢いて、瞬きした瞬間に全く知らない絵柄へと変化する。

 何の支えも無いのに浮かんだままで、なんとも不思議な歯車だ。


 この鍵、という事は、彼の言った鍵とはこれなのだろうか?

 鍵穴なんかの無い鍵なら、形は何でも良いだろうし、歯車という形でも別におかしくない。勝手に車や家の鍵を連想して勝手にがっかりしたが、まあ自業自得だな。


「ああそうだ。その鍵はスイトにあげるよ」

「えっ」

「実は『前回』の君と約束していてね。君は覚えていないだろうが、次に君がここへ来たら、何度でもこの休憩所へ来られるようにしてほしいって」

「前回、ね。俺は前にも来たことがあるのか」

「ああ。君が異世界に召喚された時にね。ちなみに、スイト達の感覚で言うと、今はその召喚直前、かな。扉から外へ出れば、直後に変わる」

「……ちょっと待ってくれ。それって、時間が巻き戻ったという事でOK?」

「何で英語なのかは疑問だけど、そうだよ。あれ、説明しなかったの? あんなに張り切っていたのに」

「あんな状況で説明なんて出来ません!!!」


 あんな状況。

 ああ、俺が恥ずかしかったやつか。

 今思い返せば別にポロリは無かったし、ギリギリセーフだと思う。

 出ていた肌の大部分は隠れていたし、大衆浴場ならありえる程度。というか、海パン一丁の方が露出度は高いし。


 とはいえ、感じ方は人それぞれ。コリアにとっては重大な問題なのだろうな。じゃないとあんな口喧嘩に発展しないだろうし。

 そのコリアは、思い出したのか顔を僅かに赤く染めて、咳払いをする。


「スイト様に起きている現象の理由は、私が持っていたらしい力の一端です。らしい、というのは、先程も述べたように記憶が無いので確信が無いからですが……持っていたメモによれば、時間遡行能力は私の能力だったもので、今の私には無いようです」

「簡単にざっと調べてみたよ。確かに君が使えるようになった能力、アビリティと言った方が良いかな。それは元々コリアが持っていたものだ。今回はそれをコリアが強制発動させたみたいだね」


 えー、俺がここにいるのはその、時間遡行とやらのアビリティのせいである、と。

 で、その時間遡行のアビリティは元々コリアが持っていて、今は俺の中にあると。

 今回はそのアビリティを、コリア自身が強制発動させてここにいる。か。


「というか、アビリティって何だ?」

「君が知っている単語だと、超能力が一番近い。潜在型別個体識別能力とかっていう呼び方もあるみたいだけど面倒くさいだろ」


 それは異論無い。


「じゃあ、もう1つ。ラクスの言い方だと、あの死に掛けた状態よりも前から俺は能力を持っていた、ともとれる。一体どの時点で、俺はそのアビリティを持って――」

「お教えできません」


 ラクスに聞いたはずが、その隣にいるコリアが否定してきた。

 それも、ハッキリと。俺の言葉を遮ってまでして。


「……えっ、あれ? うーんと。とにかくダメです。教えちゃ、ダメです」

「心配しなくても教えないよ?」


 終始変わらぬ調子のラクスが、コリアに賛同した。どうやら教える気は毛頭無いらしいな。

 というか、コリアは無意識に否定していたようだ。本当に記憶喪失なのか疑うような、ハッキリとした物言いだと思ったが……本能的行動だったようだな。

 絶対に話したくない、と。


「ごまかすようで悪いけど、話を進めさせてもらう。今君のいる時間帯は、君が死に掛けた一ヶ月前。正に召喚が起こったその瞬間だ。君が元いた世界と、君が召喚された世界の狭間にこの休憩所は存在し、そこに『前回』の君は訪れた。

 この世界は何のためにあるのか。それは住人である僕にも分からない。けど、ここで何が出来るのかなら分かる。だからこそ、僕は『前回』の君に色々と説明した。君は全て忘れているようだけど。


 今回は、現在から過去へ行く途中だね。

 そのアビリティは過去へ行く専用の力で、指定した『レベル』の地点まで戻るものらしい。レベル0と1はここか召喚の間に出るようだよ。

 ああそうだ。この鍵以外にも渡したいものがあるから、待っていてくれ」


 続け様に説明をし終えて、ラクスは扉から出て行く。

 よく見ると、部屋には3つめの扉があった。俺達が入ってきたものと同じく真っ白なのだが、あのゴージャスな扉に目を奪われて存在を忘れていた。

 1分もしない内にラクスは戻ってきて、俺に何かを差し出した。

 何か、というか、見覚えのありまくる物なのだが。


「……何故わたあめ」

「わたあめですね。これは何ですか、ラクス様」

「君達の見たままの物だね。内容は違うけど」


 ラクスはずい、と、わたあめを更に俺の方へ押し出す。

 食べろ、という事だろうか?


「食べて」


 当たっていたらしい。

 何で、と聞くのは許されないのだろうな。相変わらず無表情で、何を意図しているのか全く分からない。凄く厄介な人間だな、こいつ。

 ん、俺? 俺は人並みに表情が変わるだろ。ハルカさんも結構俺の心情を汲み取ってくれていたし。


 というか、何故こんな部屋の中でわたあめを食べなきゃいけないのか。と、せめて反論しようとしたのだが、無表情ってこんなに目力の強いものだったか……?

 コリアはコリアで期待のまなざしを送ってくるし。


 ……ええい、ままよ!

 ぱくっ。


 そういえば、わたあめなんて久しぶりに食べたな。

 夏祭りの屋台で売られているわたあめって、アニメのキャラクターが描かれている袋入りで妙に手に取りづらいし。

 妹にはよく買ってやったけど、妹が俺に分けてくれた事は無い。母もそうなのだが、わたあめが大好きだったから。


 妹は、元気にしているのだろうか。

 召喚が起こった後、向こうの世界で――


 ―― あれ?


 口に入ったわたあめが、口の中で溶ける。砂糖の甘い味と香りが広がって、その瞬間、激しい頭痛が俺を襲った。


 これ、わたあめ……じゃない!

 溶けて、融けて、解ける。

 それは―― 記憶。

 懐かしさを覚える夏祭りの記憶から、強制的にこの一ヶ月の記憶に塗り変わる。


 記憶の奔流。

 頭を内側から殴られたような、妙な感覚。

 そして、気付く。



 ……俺は、とても、とても大事な事を忘れていたのだ、と。

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