50/ エピローグ

 二日後。ティービー邸での騒ぎの後片付けや、様々な揉み消しを終え、シャノたちはアパルトメントへ戻ってきていた。巨大な怪物が暴れまわったなど、説明したところでとても信用されまい。幻想を敷く異構<バイルト>が消え、ティービー邸がその姿を取り戻した後、ウォルトン新聞社の姿は消えていた。事後処理の殆どを『うん、なんとかしよう!』と言ったヘーレー曰く、遺変<オルト>が本格的に暴れる前に、立ち去ったとのことだった。


 イルフェンはすっかり元気を取り戻し、嬉々として邸宅の新たな修理プランを考え始めていた。スラーとアンリエッタは、一度アダムス家の方に戻るとのことだった。


 シャノは一日ぶりに、我が家のソファに体を投げ出した。丸一日拘束されていた上層のソファとは違う、固いクッション。思わずティービー邸の上質なソファが恋しくなるほどだった。


「はあ、散々だったな今回は……」


 愚痴を零すシャノに、ジャックが肩を竦めた。


「いつもだろ、お前は」

「はーい、やめやめ、忘れたいことを掘り返すのは」


 けれど、良いこともあった。別れ際にスラーから渡された報酬の額が良かったのだ。依頼と言う形でなくとも、結局は彼らを助けていたには違いないのだが、それでもこうして支払う価値がある仕事をしたと見做されるのは嬉しいことだった。


 上層富豪連続殺人は収束した。失われた命は多く、すぐにはその損失を取り戻せはしない。けれど、奪われなかったものもある。今は束の間の平和を喜ぼう。今日は、スラーたちがアパルトメントを訪れる予定になっていた。勿論、事態の解決を祝して。


 玄関の呼び鈴が鳴った。シャノは客人を迎えるべく立ち上がった。


「はい、セジウィークさん――」


 ドアノブに手をかけ、扉を開ける。そこには見知らぬ痩せた男が立っていた。最初に目に入ったのは真っ赤なジャケット。その下には汚れた白衣。郵便配達員ではなさそうだった。


「ご依頼ですか?」


 痩せた男は鼻で笑った。


「悪いがな、こんな所に頼むようなモノ好きじゃねェんだ」

「はあ、では何の御用で?」


 シャノは怪訝な顔で聞き返した。依頼人でも郵便配達でもなければ、この家を訪れる者など思いつかなかった。新しく越してきた住人……という雰囲気でもない。痩せた男は詰まらなそうに言った。


「いやァ、何だ。代理だよ、代理。アイツ、依頼料払い損ねてるだろ」

「アイツ、って――」


 アイツ。依頼料。考え込んでいると、痩せた男はぐいとシャノに一枚の紙切れを押し付けた。厚みのある上質な紙の手触り。小切手だった。その額を見て――シャノは固まった。


「は、はわ……」


 震える手で桁を確認する。この探偵事務所の平均的な依頼料を基準にすると、一桁、いや二桁読み間違えたのかと思った。だが、何度数えなおしても、確かにそこには五百万リング、と記載されていた。


「ぐ、グリフィン、こ、これ、すごい額が……」

「何?」


 混乱した表情のシャノから小切手を受け取るグリフィン。紙面には確かに五百万リングの額面と、『シアーズ海運 アール・シアーズ』の文字が記載されていた。


「これは……ムソウからか。あの男、まさか経営者だったとは。金に余裕がある、というのは真実だったようだな」

「そ、それにしても、こんなに沢山どうしたら……!?」

「その程度でギャーギャーと狼狽えんなよ。ケッ、チンケな探偵タンテーだぜ」

「待て、奴からこれを預かった貴様は何者だ」


 痩せた男は鼻で笑う。敵意を含んだ挑発的な目つきで彼はシャノとグリフィンを見た。二人は理解する、この男も黄金の昼の集いゴールデンヌーンに属する者だと。


「名乗りが必要か? 要らねーだろ、今はな」


 玄関の不穏な様子を感じ取り、台所から顔を出したジャックは、フライパンを片手に口の端を上げた。


「――ハ、何だ、敵からわざわざご挨拶とは、ノコノコ解体されに来たのか?」


 痩せた男は舌打ちした。


「馬鹿か、オメーは。こんな凡庸なアパルトメントで殺す気か?」

「馬鹿は手前だろ。手前一人程度、どうとでも隠蔽出来るだろうが」


 この赤毛の男が本気であることは、この場の全員に理解が出来た。その気になれば、この男はすぐにでもフライパン一つで頭を叩き割るだろう。


「チッ、嫌になるぜ。オメーみたいなやつが一番嫌いなんだよ、オレは」


 痩せた男もまたジャックを睨み返した。この男とて手ぶらで敵の元へ訪れた訳ではあるまい。何か武器や能力の一つは隠し持っているに違いなかった。


「分かってんだろ、ココでオレが死んだって、アイツらは代わりを見つけるだけだ――黄金の昼の集いゴールデンヌーンは止められねえぜ」


 事実、そうだろう。それはシャノたちも、ジャックも理解していることだった。だから、これは互いに挨拶だ。好きにやらせるつもりはない、という確認だ。痩せた男は踵を返した。赤いジャケットが色彩のないアパルトメントの色に映えた。


「じゃあな、そのうちオレとも戦うことになるだろうさ。その時は、を名乗ってやるよ」


 言うと、男は静かに階段を下りて行った。白衣の裾が風に煽られ、ひらりと舞った。その背を上から見守っていると、すれ違うようにスラーとアンリエッタがアパルトメントの階段を上って現れた。三人の顔を見て、スラーはきょとんとした様子だった。


「探偵殿? 険しい顔だが、何かあったのか?」

「ええと、それは後で話しましょうか」


 シャノは慌てて、彼らを迎えるべく扉を開けた。


「上層の家と比べると、狭くて申し訳ありませんが。ようこそ、セジウィークさん、アダムスさんそれと……」


 二人の後ろに視線を移す。彼らの他にもう一人。布で顔を隠した人物が居た。二輪用ツナギレーシングスーツにも似た黒く、ぴったりとした服装の男。布で覆われた下に首はなく、燃え盛る炎があることを、シャノは知っている。


「何て呼べば良いんでしょう?」


 シャノは問うた。名前のない怪異に。スラーが生き生きと目を輝かせた。


「そうだろう、やはり名前が必要だな! 私も幾つか考えてみたのだがね、特に気に入っている候補は――」

「否、それは断る」


 首のない男はきっぱりと断った。そして、続けた。自らの意思で。ただ聞こえる願いに従うのではなく。人々の意思が望むなら、そう在ろうと己自身で決めたのだから。


「我が身は――首なし騎士デュラハンだ」



 ◆  ◆  ◆


 テムシティ下層。シュガーポット地区はいつも変わりばえしない。壁のらくがきに、悪臭を放つゴミや汚物。段ボールの上で丸くなって眠る薄汚い男たち。そんな中で、一つ違ったことと言えば、修理屋フロッグズネストが経営を再開したことだった。店主のエイデンはカウンターで油にまみれた機械をいじっている。店の扉が開いた。年代物のラジオや自動窓拭機が並ぶ店に、似つかわしくない客だった。時代遅れのロングスカートが、山積みになった商品の間でふわりと揺れる。


「貴方、良かったわね、命があって」

「コネリーのトコの魔女か」


 エイデンが億劫そうに顔を上げる。そこには黒髪の女が居た。瞳の奥に秘密を隠した美しい顔には呪術的な化粧が施されている。


「愛想が悪いわね。貴方の商品を流通させるための伝手を紹介してあげたのは、私なのに」

「ドロシー、オレはもう秘術<フィア>を売るのはやめたんだよ」

「そう。貴方が別の道を選ぶことを決めたなら、それで良いと思うわ」

「何だ、コネリーから脅迫でも預かって来たのかと思ったぜ」

「そうなら、もう既に貴方の体に魔術クラフトを使っているところね」

「じゃ、何の用だよ」

「退院祝いよ」


 ドロシーはカウンターの上に花を置いた。立ち寄る途中の花屋で見つけた、可愛らしいフラワーアレンジメントだ。エイデンは目を丸くした。運ぶ途中に傷めたのか、オレンジの花弁が一枚ひらりと舞い、小銭皿カルトンに落ちた。花弁を拾うエイデンを、じっとドロシーは見る。何かを見通すような目で。


「――でも、忠告よ。既に一度、彼らは秘術<フィア>を知ってしまった。貴方たちにとってそれが大した価値のない技術だったとしても――彼らにとっては蜜だったのだから。貴方は正体を隠して、フライブレスを流通させてしまった。だから、アレは彼らにとっては彼らのモノになってしまった。……私は魔術クラフトをノーブランドでは売らないのよ。あくまで私が作るモノ。私が管理するモノとして魔術クラフト。でも、貴方は違った。彼らに力を与えてしまった」

「それは――」


 魔女は言う。その神秘的な目に映るものを告げるように。


「気をつけなさい。一度与えた力は、また誰もが欲しがるわ」


 ◆  ◆  ◆


 この街の下層では、その中心に大きな運河が流れている。西から東にかけて横たわるこの川は、都市の名の通りテム川という。昼は船が行き交うこの川も、夜は闇と霧に包まれている。川にかかる橋に三人の男が居た。見る者が居れば分かっただろう。それが悪名高い死体漁りの犬ブラックドッグの三人だと。


 彼らの足元には正体不明のドラム缶が一つ。ギブ・バイロンがそれを抱え、川の真ん中へと投げ捨てた。大きな水柱を一つ上げ、ドラム缶は沈む。深い水底へと。やがては泥に塗れ、他の投棄ゴミと区別がつかなくなるだろう。


「シャノンにはバレてないみたいだな。オレがフィリポ・ビバルディを殺したって」

「ハハハ! 長年の宿敵、赤い荷馬車カッロ・ロッソをようやく片付けられたとはめでたい! フィリポも下手を打ったものだ。おっと、ギブにとっては元雇い主の一人だ。不謹慎だったかな?」

「構わん。俺は稼げる奴につく。それだけだ」


 立ち去ろうとする三人の前に、人影が近づいた。テムシティの濃い霧の中から、革靴の音を立てて男は現れた。高級スーツに身を包んだ、魅惑的な褐色肌の男。


「――相変わらず、悪さをしているようですね」


 アンドレアス・バードは静かに声を掛けた。周囲には他に誰もいないようだった。腹心のギャレット・デファーでさえも。


「今のは、消えたビバルディですか」

「ドラム缶を引き上げて、オレの仕業だとでも新聞に書くか?」

「書きませんよ。読者はそんなこと、喜びませんから。まあ何年後かに、行方不明のフィリポの遺体を発見――という記事を出すのは楽しそうですが。まあ、少し様子を見に来ただけです。こちらは一件、取材に失敗しましてね。なので他を出し抜いて勝ちを得た貴方の顔を見て腹を立てておこう、という所です」

「ああ、部下に歯向かわれたんだって? あの女お前が首にしたなら、うちで拾うかな」

「彼女とは業務面と私生活面で齟齬があっただけですよ。先だっての行動はもっともです。彼女の有能さは私も認めるところ。既に現場に復帰していますよ」

「なあんだ、ウォルトン新聞社はお優しいなァ」

「ええ、我が社は社員を大事にしていますから」


 橋の途中に一台の車が止まった。中には三人の人間が乗っていた。黒塗りの高級車の扉が開き、中からスーツの女が身を乗り出した。


「しゃちょー、皆揃いましたよぉー。早く行きましょうよ」

「まあ、店の予約には間に合うんだけどね。だがアンドレアス、この通りフローレンス嬢が腹ペコなようだから」

「社長お、すみませえん、私は大丈夫でえす、積るお話があればごゆっくりしてくださあい」


 アンドレアスは微笑み、部下たちの方へと優雅に手を振った。


「失礼、これから慰労会なんです」

「そりゃ、ごゆっくり」

「ええ」


 アンドレアスを乗せた高級車が走り去るのを見送り、コネリーたちもまたその場から立ち去る。バイロンがぽつりとコネリーに尋ねた。


赤い荷馬車カッロ・ロッソを壊滅させたこと、探偵に黙っているつもりで? いつか厄介事を引き寄せると思いますが」


 コネリーはニヤリと、見る者を不愉快にさせる笑みを浮かべた。


「その時になったら、あいつらに解決させればいい」


 ◆  ◆  ◆


 上層都市の騒ぎは収束し、下層都市の新聞もまた普段と変わらないくだらぬニュースを流し始めていた。だが――騒々しい地上に反して、この都市の暗闇はいつも変わることはない。

 黄金の昼の集いゴールデンヌーンなる者たちが息づくここは、巨大回廊メガロクロイスター。無数の歯車が機械を回し続ける、永遠に。


遺変<オルト>No.5、現界実験の終了。霊核の消失を確認。構成霊は霧散』



 荒々しい銀の拳が、男の顔を殴った。ベッドに横たわる男は為す術もなく拳を受け、血を吐いた。


「ゲホッ……、その節は、申し訳ないと思っていますよ、ネクロクロウ殿」

「申し訳ない、だと? だったら何だ、貴様が行動を省みるとでも?」


 もう一度殴ろうとしたネクロクロウに、フライクレイドルが割り込んだ。ネクロクロウが怒りに満ちた表情で赤いジャケットと白衣の男を睨んだ。


「待てっての、それ以上つまんねエことしてんじゃねエよ」

「どけ……あと五発は殴らねば気がすむか……!」

「あのなア、オレは目の前で仲間割れ見るためにオメーの腕を直した訳じゃねえっつうの! オマエらどっちもオレの患者だろうが、アア? 大人しくしろ、じゃねーとその腕ももう調整しねエぞ?」


 義手義足の女は血が滲まんばかりに唇を噛んだ。だが最後の理性が彼女を耐えさせた。これ以上口を開けば怒りが爆発しかねないとばかりに、無言で踵を返し、その場から立ち去った。


 フライクレイドルはウェアサイスの頬の痣を見た。手酷くやられたようで、殴られた個所はくっきりと青く鬱血していた。


「何で好きにやらせてんだよ」


 フライクレイドルは溜息を吐いた。ウェアサイスの技量であれば、大怪我を負っていようとネクロクロウの拳から逃れることが出来たはずだった。少なくとも抵抗の意思を見せれば、ここまで酷い痣にはならなかっただろう。呆れる主治医に、悪びれなくウェアサイスは微笑んだ。


「良いじゃないですか、彼女には何の打算もありません。ただ拙者を殺したいだけです。純粋なんですよ」

「狂ってンなあ、オマエ」

「ははは、貴殿の正気が羨ましいですよ」


 フライクレイドルは取り合わず、彼の頬に薬を塗ってやった。――狂っているのだ、この男は。果てのない道を見すぎたために。だが、それは誰しも同じことだった。フライクレイドルを除く、全員が。故に、彼らは黄金の昼の集いゴールデンヌーンと自らを称す。いつか辿り着く<黄金色の昼下がり>を夢見るが故に。


「所で、探偵殿に依頼料を渡して貰えましたか?」

「行ってきてやったよ。ったく、こっちは金をくれてやってるってのに、喧嘩売ってきやがって。探偵タンテーなんてロクな連中じゃねーな」

「ははは、フライクレイドル殿は怪しいですからね」

「オメーが言うな、オメーが」


 フライクレイドルはウェアサイスの頭をはたく。


「言っておくがな、ネクロクロウの言うことももっともだぜ。あの探偵タンテーどものところに乗り込み、果ては首なし騎士とりたさにスラー・セジウィークの始末の邪魔だ。アイエネスが許そうが、オマエ、今回は暴れ過ぎだ」

「何を言います。それこそ、我々が我々であるからして、当然のことでしょう?」


 空想を現実に。幻想を現実に。彼らは願うのだ。人の夢見るすべてを、手に入れるために。


「――憧れこそが、我らの原動力なのですから」



--------------------------------------第3話 首なし騎士(了)

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