テムシティ・チョコレート災害 3

 チョコレートまみれの廃工場で手に入れた地図に従い、シャノたち三人は大きな通りまで来ていた。レストランやカフェテリアが並ぶこの場所は、平日昼間でも人通りが多い。


「おっと。どうやら、あそこらしいな」


 コネリーが示した先にあるのは、一軒のティーショップだ。地図に書かれたチョコレート販売所の一つは確かにここを指していた。シャノはぐるりと周囲を見渡した。


「売人が露天でも出してるのかと思ったけど、そんな様子もないね」


 周囲は店を覗く人々や忙しなく働く店員の姿くらいのもので、怪しげな露天商や建物の影に立つ売人の姿はない。


「……ということは」

「ヒヒヒ、偽商品ノックオフを扱っているのはあのティーショップ自体、ってことだろうな」


 落ち着いた色調のティーショップは、この寒い時期にもかかわらずテラス席まで客の姿があった。中々に繁盛しているらしい。


「店の外から見る分にはそんな様子はないし、売っているなら中のテイクアウトショップかな」

「となると、ちょいと店の中にお邪魔して確認してみるしかないな」


 コネリーは店の入口に向かって歩きだす。だがバイロンはシャノを抱えたまま立ち止まり、気乗りしない表情をする。

 

「……ウル。入るのですか? あの店に?」

「当然、入ってみなきゃあどうにもならないだろう?」

「……いえ、ですが……」


 コネリーの言葉にも、バイロンはまだ渋る。


「ヒヒヒ、何だいギブ。オレのプランが気に食わないっていうのかい?」

「ええ、まあ、その……」


 大抵の者は太刀打ちできぬ大柄な体躯の持ち主が、嫌そうにティーショップの入り口を見た。――そこに、ずらりと並ぶ長蛇の列を。


 人。人。友人同士から母娘やカップルまで、様々な人間が男女交えて、ティーショップの前で列を成している。ひしめくその様子はまるで菓子に集る蟻の群れのようだ。並んだ列はティーショップの前をぐるりと回って、さらに隣の店の前にまで及んでいる。バイロンは重苦しく息を吐いた。


「ざっと、二時間待ちにはなると思うのですが」

「ヒヒヒ、そりゃあ仕方ないだろう? このオレであろうと、魔法のように長蛇の列を消し去ることは出来ないからなァ!」


 コネリーは楽しげに笑った。バイロンは諦めた表情を浮かべた。こうなればコネリーはどう忠言しても方針を変えない。一体何が琴線に触れたのかは解らないが、どうやら彼はこの状況を楽しんでいるようだった。シャノは同情した目でバイロンを見上げた。


「……そっちも苦労してるんだね」

「仕事だからな」


 テムシティにて畏れを以てその名を呼ばれる、死体漁りの犬ブラックドッグの幹部、『猛牛』のバイロンは、その内心を見せぬようそっけなく返事をした。



 一時間後。ティーショップの列は進み、三人は店の入り口まで近付いてきていた。賑わう客の中に、顔に傷のある大柄な男やニヤけた顔の男が混ざっている様子は浮いている。しかも一人は何故か大男の小脇に抱えられているのだ。顰め面で一時間もその状態を続けるバイロンの忍耐力は中々のものだ。


 また一組、客が店に入ると入れ替わりに店員が現れた。


「お客様。お待ちの間にメニューをどうぞ」

「ああ、ありがとうございま――」


 差し出されたメニューを取ろうとして、シャノは言葉を詰まらせ、給仕姿の男をまじまじと見た。この店の制服である、整ったシャツとベストは初めて見るものだ。だがその立ち姿、その顔には非常に見覚えが会った。店員の赤毛が揺れた。


「……ジャック!?」

「なんだ、シャノじゃねえか」


 高い背に、何処でも目立つ赤い長髪。どうみても同居人のジャックその人である。


「……お前、何で抱えられてんだ?」

「……色々あったんだよ」

「罰を与えている最中だ」

「ったく、他のお客様のご迷惑になりますので、おやめ下さい」

「ヒヒヒ! そう言われちゃあ仕方ない、冷ややかな視線が集まってて面白かったんだけどな。ギブ、下ろして良いぞ」


 コネリーに促され、バイロンは渋々とシャノを下ろした。後ろに並ぶ客はようやくと言った様子で憮然と嘆息した。


「やあ、問題児クン。久し振りだなァ」

「ハ、手前が負け犬面晒して以来だな?」


 コネリーとジャックは笑みを浮かべて向かい合う。挑発的な言葉にじろりとバイロンが睨みを効かせたが、ジャックは動じない。


「ジャックが何でこんな所に?」

「何でって、あのな、シャノ。仕事に決まってるだろ」

「しご、と……?」


 シャノは改めてジャックを見た。ピンとアイロンがかかったティーショップの給仕服。紛うことなき、店員の姿である。


「お前のショボい稼ぎだけじゃどうにもならねえからな。こうやって自分でも稼いでるってワケだ」

「ジャックがティーショップの店員だなんて……」


 傲慢にして不敵、怪異と正面から切り結び、表には出せぬ所業を幾つも持つこの男が、紅茶とケーキの香りが芳しいティーショップ勤め。現実を飲み込めずにいるシャノに、ジャックが追い打ちをかける。


「ハ、驚け、俺はここの看板店員だぜ?」


 ……見れば確かに、列に並ぶ客の中からちらほらと、ジャックを見つめる女性の視線がある。――あの人達、どういう関係なのかしら? あの若い方は親しげだけど、女性なのかしら、男性なのかしらと好奇心を抑えられない様子で女性たちは失礼にならない程度に彼らに視線を送っている。


「ま、まさかジャック……!」

「そう、この行列は俺に会いに来た客ってわけだ。客にメニューを渡してるのもサービスの一貫ってワケ」


 俄には信じられないことだったが――よくよく見れば、仕立ての良い制服に身を包み、澄ました顔をしたジャックは、確かに中々の美男子だった。普段の生活態度からは到底感じられなかったが……実はこの男、顔が良いのである!


 ジャックが髪を掻き上げ、目線をサービスすると、列に並ぶ客が黄色い声を上げた。大人気であった。


「おやおや、本当にモテるらしいな」

「フン、女から金を巻き上げる才もあったとはな」

「ジャックって……意外と美男子だったんだね」

「意外とはなんだ、意外とは。聖バレンタインデーが近いだろ。贈り物だって随分と貰ってるんだぜ?」

「え、ジャックが貰う側なんだ?」


 今は二月の二週目。聖バレンタインまであと数日だった。聖バレンタインでは多くの場合、男から女へと贈り物をする。


「こっちも手土産用の花は用意してるけどな。どうも東方の国の文化とやらでな、最近下層でも流行ってんだと、女から男へチョコレートを渡すってのが」

「チョコレート!」


 シャノが声を上げた。チョコレート。そう、一時間もティーハウスに並んでしまったが、本来の目的はそれなのだ。


「おっと、チョコレートとはね。話が繋がってきたじゃあないか」

「あん?」


 コネリーがニヤけた笑みを浮かべ、ジャックに問いかける。


「なあ、この店で扱っていないかい? <王室御用達>チョコレートってヤツをさ」


 シャノも続けて説明した。


「今、その王室御用達ブランドのチョコレートについて調べてて。何か知っていれば教えて欲しいんだけど」

「ああ――アレか。ふうん、成程な」


 ジャックは何かピンと来た様子だった。少し待てと告げると、一度店の中に戻る。


「店長、ちょっと休憩とるぜ」

「あ、ジャックくん! 困るよ、君目当てのお客さんが沢山いるんだから!」

「十分もしないって。すぐ戻るよ」


 特徴のない風貌の店長は慌てていたが、ジャックは鷹揚に手を振りその場を抜け出した。ジャックに呼ばれるがままに、三人は一時間も並んだ列を抜け、店の裏手に集まった。


「……で、死体漁りの犬ブラックドッグが、偽のブランドチョコレートに何の用なんだ?」


 ジャックは真っ先に切り出した。店が偽商品ノックオフを扱っていることを隠す様子はまるでない。店員の間では周知の事実なのだ。


「ヒヒヒ、知っているなら話は早い!」

「持ち帰り商品として提供してるんだがな。結構売れてるぜ、アレ。ま、流石に繁盛してるティーハウスが偽物を扱っているとは思わないんだろうな。商品棚を素通りしていく聡い客もいるが」

「つまりあの店長、知っていて偽チョコレートを売っているわけだ」

「ま、ここらじゃよくあることだろ。それに、味はそれなりだぜ。馬鹿を騙すには十分なくらいにはな」


 ジャックは取り出したチョコレートの包み紙を開き、シャノの口に一粒放り込んだ。


「むぐ。美味しい」

「だろ」


 口の中で転がすと、先程のチョコレートと似た蕩ける味がした。コネリーは続けて言った。


「その偽物のチョコレートにさ、迷惑しているんだよ。オレの許可もなく裏の商売をされちゃあね」

「売るのをやめろってか?」

「いいや。そうしても良かったが――それはさ、オレが直々に潰すことにした」


 コネリーの目がぎらりと光った。獲物を狩る獣の残忍な目がそこにあった。


「ヒヒヒ! だから知りたいんだよ。それを流通させてるヤツをさ」

「つまり縄張り争いか、精が出ることで。……で、こっちに見返りは?」


 ジャックは図々しく手を差し出した。闇社会の一端を牛耳る男に、当然のように報酬を要求しようというのだ。


「当然だろ? こっちは勤め先の情報を売るんだからな。リスクを払ってる」

「このオレにノータイムで見返りを要求とはまったく、育ちが悪いよなァ」

「雇い主と客が近くに居るのに、職場の裏手でそれ言えるの、本当に凄いよ」


 シャノはその図太い手腕に呆れるばかりだ。バイロンはその厳つい顔でじろりとジャックを睨み、コネリーの指示を待った。コネリーはそれを宥めた。


「そうだなぁ、アンタは即物的なモノが好みそうだ。このティーハウスの店長を隠居させて、アンタを経営者にしてやるってのは?」

「いらねえよ、そんな規模のデカいモノ。大体、働くのはこのシーズンだけの予定だ」

「ヒヒヒ、残念だなァ! デカい重しを持たせたらアンタに綱をつけれるかと思ったんだが! ……じゃあ、これが妥当ってトコかな」


 コネリーが合図するとバイロンがジャックに幾らかの札束を取り出し、渡した。それなりの分厚さである。ざっと二十万リングはあるだろう。


「どーも! 話が解るようで助かったよ」

「わ、わたしのいつもの報酬よりずっと多い……少し情報を渡すだけなのに……」

「フ、哀れだな。貴様と奴の価値にはそれだけ差があるということだ」

「くそ、いつか絶対に高額払わせてやる……」


 バイロンは鼻で笑った。悔しさに呻くシャノを無視して、他の三人は話し始めた。ジャックは金を仕舞い、チョコレートを売った相手のことを思い出し始めた。


「ウチの店に偽商品ノックオフのチョコレートを売りつけた奴だったか。こういうモノ扱ってるにしちゃあ、身綺麗な男だったぜ。そこらの馬鹿の安い商売って感じじゃあなかったな。だが、どこかの闇組織の仕事って雰囲気でもなかった。……ああ、そうだな。ありゃ、堅気かたぎの商売人みたいに、自分の新商品を売り込みに来たって感じだった」

「フム……いや、良い情報だった。どうもありがとう」

「ウル、もう良いのですか?」

「ああ。思った以上の成果だとも。次に行ってみよう」

「分かりました」


 バイロンがシャノの首根っこを掴み、再び荷物のように抱え上げた。シャノは目を丸くした。


「え、これまだ続くの?」

「当然だ。ウルの腹の虫を収めるまでは役立ってもらうぞ」

「ええ……」


 残酷な言葉を告げるバイロンに、ジャックは呆れた顔で指摘した。


「それ、お前も割と滑稽だぞ」

「フン、その程度のこと、堂々としていればどうということはない」


 バイロンは無表情で言い切り、シャノは諦観をより一層深めた。もはや猫の前の鼠、闇社会の前の無力な一般人なのである。立ち去ろうとする三人に、ジャックは思い出したように声を掛けた。


「ああ、そうだ。もう一つ。隣の区で同じチョコレートを売ってるヤツを知ってるぜ」

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