16/ 二つの依頼 1

 夜は更け、リバーサイドエリアの周辺は川からの風でぐんと寒さが増している。冷たい夜風が建物を撫でる中、ホテルの突き出した旗に逆さまの状態でぶらさがり、ふてくされた赤毛の男がいた。


「クソ、油断した……いや違う、油断なんざしてねえ。アイツの軌道に反応できなかった。真っ向から負けた」


 ジャックの肩には薄っすらと血が滲み、シャツの胸元もほつれている。苛立った様子でブツブツと呟いた後、ジャックは何もかも投げ捨てるように両腕を放り出した。


「ああ、クソッ、負けだ負けだ! この俺が! あいつよりデカい化物だって殺してやったこの俺が! ムカつくったらないぜ……あの野郎、次にあったら絶対に殺すぞ」


 ジャックがあの黄炎の首なし騎士の胴体を真っ二つにする様子イメージを思い浮かべた時だった。ホテルの中から大きな声が聞こえた。気づけば、何やら会場がざわめいている。自分の思考に集中していたが、そういえばホテルの中が妙に静かだった気がした。普通ならば、人の多い空間というものは、何かしらの気配を感じるものだ。それが、ジャックが熟考を続けられるほどに静かだったのだ。


 意識をホテルに向けると、ざわめきのさざ波が漠然と伝わってきた。何があったのか。ジャックはその経験上、すぐに気付いた。

 ――血が流れたのだ。


 ◆ ◆ ◆


 下層都市で最も豪奢であろう客室は、今や怪奇映画さながらの凄惨な様相だった。植物柄の壁紙も優美な曲線を描く机照明ライトスタンドも血に染まっている。噴き上がった血が天井にまで跳ね、白い天井にぽつぽつと赤い染みを残していた。


 床に倒れているのは……グーニー・ラスケット氏。かつてはそうだった。今は首の切り離された死体になっている。


 かつて共同で事業に取り組んだラスケットの名を聞いて飛び出したスラーは部屋の扉を開き、死体を見るなり昏倒した。彼は今、廊下でアンリエッタに介抱されていた。


「これは……酷いな」


 切断されたラスケットの頭部は、行儀よくローテーブルの上に乗っていた。目を剥き、舌をだらしなく伸ばした末期の表情は無惨なものだった。とても親族には見せられまい。

 シャノは眉を顰め、部屋の様相を見渡した。あちらこちらに血液が飛んでおり、凶行を隠す様子はまるでない。遺体が凄惨さに反して、家具類は倒れた様子もなかった。


 絨毯の血の跡を踏まないよう注意しながら、死体に近づき、グリフィンは唸った。


「会場の外で被害者が出るとはな……」

「ラ、ラスケット様はスピーチの最中に、お部屋に戻られて……夜のお薬をお忘れになったそうで、私は外でお待ちしていたのですけど、中々出ていらっしゃらないので、お部屋に入らせて貰って、そうしたら……」


 どうにか気を保っていた使用人はわっと泣き出した。無理もない。一人で死体を発見して、会場まで知らせに走ったのだ。野次馬の一人が使用人の肩を抱き、部屋から連れ出した。入れ替わりに、大柄な男が血塗れの部屋に足を踏み入れた。


「おい、どけどけ。関係者だ」


 そう言って野次馬たちを押しのけ現れたのは、大柄な赤毛の男――最後に見た時よりも服装が乱れてはいたが、首なし騎士を追って消えていたジャックだった。


「ジャック! 無事で良かった。全然戻ってこないから心配したよ」

「チッ。俺が居ない間に何だ、この有様は。随分と楽しそうに撒き散らしやがって。その場に居合わせたかったぜ」

「不謹慎な話はよせ。他の人間も居る」


 グリフィンは仮面の奥から不機嫌そうに睨みつけた。シャノはジャックの肩に滲む乾いた血を見た。


「随分やられたみたいだけど……そっちは何があった?」

「後で話す。今はこっちだろ」


 どこか不機嫌そうな様子に、シャノはそれ以上の追求をしなかった。それにジャックの言うことにも理がある。科学技術会合の主催側は警察と連絡を取りに行ったようだった。となれば、自由に部屋を調べられるのは今だけだ。


「首のない死体……やはり、一連の事件と関係があると見ていいか」

「まだ断定は出来ないけど……その可能性は高いだろうね」


 上層の裕福層を狙った連続首斬殺人事件。被害者は三人。そして今夜、一人増えた。シャノが部屋を調べている途中、上着のポケットから振動がした。シャノは携帯電話セルフォンを取り出し、通話ボタンを押した。


『――やあ、シャノン・ハイド? どうやら事件が起こったようだなァ、ヒヒヒ!』


 それは知った男の声だ。人を不快にさせる笑い声が携帯電話セルフォンから響いた。


「コ――」

『おっと、オレの名は伏せておくように。他の人間がいるんだろう? その方がオレにとっても、アンタにとっても都合がいい』


 思わず名を口にしかけたシャノに、コネリーは通話越しでも分かるニヤニヤとした声で言った。


『ヒヒヒ! 残念だったな、シャノン・ハイド。アンタが居たというのに被害者が出てしまうなんて!』

「殺人が起こると、最初から解っていたのか?」

『まさか、それならもっとピタリとした情報をアンタたちにくれてやってたさ。でもまあ――有り得ないと思っていたわけでもない。これだけの人間が揃えばね。で、どうなってるんだい? そっちの様子は!』

「……被害者は一名。名前は――」

『名前はグーニー・ラスケット。……だろう?』


 シャノが情報を伝える前に、コネリーは先んじてその名を言い当てた。


『ヒヒヒ、当然その程度は調べがついている。それが、このオレというものさ』

「何でそれを……たった今殺されたばかりだろ」

『おいおい今更じゃあないか、愚かなシャノン・ハイド! オレの情報の早さは知っての通りだろう? それで、アンタは今何してる?』

「グリフィンたちと一緒に現場に居るよ。色々調べたくてね」

『ああ、それは良い。アンタの為に招待状を用意してやった甲斐があった!』


 コネリーの満足そうな声が携帯電話セルフォンから響いた。


『その現場、よく調べておくことだ。そして今晩見たものは――全て忘れずに居るんだ。今日の出来事が、これから起こることの鍵になる。だから、シャノン・ハイド。よぉく見ておくんだ、何もかもをね――』


 ――じゃあ、報告を待っているよ。そう言って、コネリーは一方的に通話を切った。後には静かになった携帯電話セルフォンだけが残された。


「今のは……奴か?」

「うん、そう――ローウェルさんから」


 コネリーの偽名を使い、シャノは二人に電話の内容を伝えた。


「もう状況は把握してるみたいだよ。相変わらず早いことで」

「あいつのことだ、参加者の中に俺たちとは別にツテのある奴が居るんだろ」

「スラー・セジウィークと知人である以上、他に縁のある者がいても全く不思議ではないな」


 この都市で最も情報に通じ、情報を支配している男。それが死体漁りの犬ブラックドッグ、ウル・コネリーである。上層民の集まりであれど、その中に幾つものパイプを持っていたとしても彼にとっては当然なのだろう。


「……それにしても、よく調べておけ、か。奴は何を知っているんだ」

「招待状を融通したのも、何かこっちとは別の狙いがある。それが何かは解らないけど。ただセジウィークさんの護衛をさせる為ってわけじゃあないだろう」


 シャノは部屋の窓に近付いた。開け放たれたままの窓からは風が入り込んでいる。部屋の高さは十階。犯人はここから入って、逃げたのだろうか。白い窓枠には足跡も残されていない。窓の外を覗き込むシャノに声を掛けたのはジャックだった。


「待てよ、今そんなつまんねえモン調べたってしょうがねえだろ。物盗りでもなし、やり口は鮮やかなモンで、争ってもなく、さっと殺してさっと消えてる。何か残していたとしても、床を這いずり回らないと見つからねえだろうよ」


 赤毛の元殺人鬼の言わんとすることを、シャノは察した。


「……ジャック、つまり。調と?」


 ジャックはニヤリと満足げに笑みを浮かべた。


「そういうコト。お前、どうせグリフィンコイツの前だからって、品の良くしか調べてねえだろ。ほら、持ってみろよそれ」


 ジャックが徐に示した先にあるのは、テーブルの上の被害者の首だった。静まった空気の後、状況に気付いたグリフィンが慌てた。


「わ、私か?」

「手袋つけてんのはお前だけだろ。良いから持て、動きやしねえよ」

「くっ、そ、そういう問題ではない……遺体の尊厳とか、そういうものがだな……」


 グリフィンは抵抗感を隠せなかったが、渋々とローテーブルに乗った被害者の首を後ろからそっと持ち上げた。人の頭の重さは五キロほどだ。そのサイズからは少し意外なくらい、ずしりとした重みが腕にかかる。ジャックはしげしげと生首を観察した。


「見ろよ。切断面が異常に綺麗だ」


 グリフィンはラスケットの生首から顔を背けたままだった。ジャックは肩を竦め、続けた。


「まずよくある刃物じゃこうはいかねえし、技だって必要だ。どっちも並のモンじゃねえ。特別な刃物と、とびぬけた達人が必要だ」


 ジャックの脳裏に、黄色い炎の姿が浮かんだ。人ならざる動きをし、ジャックに肉薄するまでの力を見せたあの怪異。


「ハ、案外、本当に首なし騎士の仕業かもな」

「彼らは科学者だ。特にラスケット氏は自分の工場を持つ実業家だ。であれば、犯人もそういった関わりの者で、凶器は工業用の鋭利な機械という線もある」

「上層にゃそういうモンもあるんだったな。一度斬りあったことがあるが、中々面白かったぜ」


 グリフィンとジャックが首を調べている間、シャノは分かたれた体の方を探っていた。


「人前で遺体を漁るの、気乗りしないんだよなぁ……」


 頭がなく、体だけの死体は首をもがれた海老や魚を思わせる。ローストする前の七面鳥にも似ている。その懐を探るというのは気分の良いことではない。


 招待客たちが無闇に部屋を覗き込まず、泣き腫らす使用人を宥めることに集中しているのが救いだった。面白おかしさ目当てに死体を見物しようとしないのは上層民のありがたい所だ。


 汚さないようにハンカチごしに、遺体を探る。財布。名刺入れ。科学会員ピンバッチ。桃色の水玉包装に包まれた飴玉が、故人の人柄を偲ばせ、何とも言えない気持ちになる。


 財布の中には紙幣と小銭、それと身分証明書と何かのカードキーが入っていた。恐らく工場のキーであろうそれを財布から抜き出した時――僅かに、緑の燐光が舞った気がした。シャノは首を傾げ、目を擦った。緑の光はもうそこにはなかった。


「シャノン? 何か見つけたか」

「ううん、その……いや、多分、見間違いだと思う」


 先程の戦いの余韻から、フィアを幻視したのだろうか。じっとカードキーを見つめ直した時だった。


「停電騒ぎの次は殺人事件、いやぁ、ゴタつきますねえ、今日は」


 ざわめく人を押しのけ、部屋に入ってきたのは黒いスーツの女だった。スーツに溶け込むような黒く長い髪は一本の毛の乱れもなく、後ろで一つに括られている。黒豹の女は職業的な笑みをシャノたちへと向けた。女を、ウォルトン新聞社のサーシャ・ガルシアをシャノは睨んだ。


「新聞記者……明日の一面のネタを漁りに来たのか?」

「フフ、探偵さんだって。警察の居ぬうちに死体漁りだなんて。おお、恐ろしい。流石、下層民。綺羅びやかな他の招待客の方たちとは違うよねえ。でも、そろそろ止めた方が良いんじゃないかな? 正当な職権がある人たちが来るみたいだからさ」


 サーシャはしたり顔で口の端を上げた。その言葉通り、廊下が何やら騒がしくなり始めていた。シャノははっと顔を上げた。


「しまった、もう来たか……」


 サーシャの言葉の十数秒後、革靴が廊下を踏み鳴らす音が立て続けに聞こえた。姿を現したのは、星刺繍の外套。そしてその護衛である東方かぶれの男だ。銀の髪に縁取られた表情は今は固く、この場を取り仕切る者として彼女は采配を振るった。


「上層警察、下層警察どちらにも連絡をとった。間もなく彼らが到着する。関係者以外は速やかにホールへと戻ってくれ。警察から軽い聴取がある」


 突然の事態にすっかり取り乱していた人々は、反論を許さぬその言葉に寧ろ救われたようだった。文句を言う者もいたが、それでも指針が出来たことに安堵したように、人々は歩き始めた。泣きじゃくっていた使用人も同様に、彼らと共に第一ホールへと向かった。


 あっという間にその場を支配したへーレーは、残った人間に目をやった。そして黒いスーツの女に眉を上げた。


「私が許可を出した記者しかこの会場には来ていない筈だが? どこにでも潜り込んでくるな、ウォルトン新聞社の連中は」

「おやおや、主催殿は下層事情にもお詳しいようで! フフ、これじゃあとぼけても駄目そうだなあ、鼠は退散しておくよ」


 怖い怖いと嘯き、サーシャはしなやかな豹の動きでその場を立ち去った。残されたのはへーレーに未だ具合の悪そうなスラー、アンリエッタ。そしてシャノたち三人だ。スラーは立ち上がろうとしたが、床に広がった血液と遺体が目に入った瞬間、再び座り込んだ。慌ててアンリエッタがそれを支えた。


「ああ、ヘーレー。すまない、何も手伝えなくて……」

「気にしないで良い、スラー。ラスケットのことは……私も残念だよ。まだまだ科学界に貢献出来たのに。君もアンリエッタも混乱しているはずだ、帰って休みたまえ」


 グリフィンはシャノを見た。その手は何事もなかったのかのように後ろ手に置かれていた。へーレーが現れた時には元通り、遺体の首はローテーブルへと戻っていた。


「シャノン。我々も引き上げ時のようだ」

「そうだ、君たちもだ。君たちのことは私から警察に伝えておく。今はスラーを送ってくれ。それが君たちの仕事だろう」


 警察が到着するまでもう少しだけ部屋を調べたかったが、へーレーの有無を言わせぬ様子にシャノは諦めた。


「申し訳ありません、探偵殿。この通り、雇い主もピリピリしている様子。職業柄気になられるでしょうが、この場はお控え願いたい」

「いえ、そんな。こちらに権限はありませんし、当然です」

「そう言って頂ければ有り難い」


 ムソウは雇い主であるヘーレーの代わりに礼を言い、会釈した。


「またいずれお会いしましょう。次会う時は話をお聞きしたいものです」

「話? 何のですか?」


「――無論、首なし騎士について」


 ムソウは微笑んだ。――その背の向こうには、真っ赤に染まった室内と倒れ伏した被害者の首なし死体があった。やがてゆっくりと、部屋の扉が閉ざされた。


 ◆ ◆ ◆


 リバーサイドホテルの入り口に人は少ない。大半の者はまだホールで警察の調べを受けているのだ。スラーはまだ具合の悪い顔をしていた。


「すまないね……。私は機械分野なものだからね、驚いてしまって……」

「仕方がありませんよ、知人があんな風に亡くなられたんです」

「そう言っているのだけどね、この人、気にしちゃって」


 恋人を気遣う表情を見せるアンリエッタを、グリフィンが気遣わしげに見た。


「アダムスさんも、ご無理をされているでしょう」

「ええ、ラスケットさんは私の父とも親しくしていた方だから……でも先にスラーが倒れたものだから、何だか驚く間を逃してしまったみたい。心配して頂きありがとございます、グリフィンさん」


 ホテルの前に、車の前照灯ヘッドライトの光が差し込んだ。スラーたちを都市中央駅セントラルステーションまで送る為、手配した運送車ハックニーだ。

 扉が開き、運転手に案内されるまま、スラーとアンリエッタは運送車ハックニーに乗り込んだ。


「それでは、大変なことになってしまったが、今日はありがとう探偵殿。君たちが居なければ、凶行にあっていたのは我々だったかも知れない。感謝しているよ」

「ええ、本当に。ありがとう、探偵さん」

「お役に立てたなら何よりです。では、無事のお帰りを」


 運送車ハックニーが走り出し、やがてその明かりは見えなくなった。



 リバーサイドホテルの堂々たる姿が、徐々に遠くなっていく。徐々に電灯の数が減り、周囲に木々が増えてゆく。この辺りには巨大都市型公園であるイーバリー・パークがあるのだ。


「まさか、会場内で殺されるとは……」


 流れゆく街の風景をガラス越しに見つめながら、物憂げにスラー・セジウィークが呟いた。


「ラスケットのおじさまも、気を抜いていたのでしょうね。普段はご自宅でも必ず護衛を傍に置いているのに、今日は誰も連れず部屋に戻ってしまって……。まさかたった一日訪れた下層で殺されるなんて」

「うむ……ラスケット氏も今日は少し羽を延ばすつもりだったのだろう。それが仇となってしまったようだが……。だが、これで残りは二人、か……」


 漏れ聞こえる二人の会話にも、運転手はそしらぬ顔をして運送車ハックニーを走らせている。運転手がその会話を記憶に留めることはない。それが彼の仕事だからだ。


 気を紛らわすように外を眺めるスラーの目に、ちらりと、何かの輝きが留まった。妙にそれが気になり、気付いた時にはスラーは運転手に声をかけていた。


「む、すまない。少し止めてくれ」


 運転手は金払いの良い客の言葉に従った。運送車ハックニーはゆっくりと停車し、スラーは車のドアを開け、公園の草むらへと入っていく。


「スラー? 気をつけてね」

「ああ、うむ。大丈夫だとも」


 危険な様子はなかった。野良猫すらいない、ただの都市型公園だ。大きな枝を掻き分けた時、スラーの目の前で何か、小さな灯火が煌めいた。否。それは、黄に踊る火の欠片。


 イーバリー・パークの片隅。生い茂った低木の間。

 昼間は子どもたちが遊ぶそこに――死色の炎を纏う首のない男が、倒れていた。


 ◆ ◆ ◆


「――では、ギャレット・デファー。サーシャ・ガルシア。フローレンス・フラウ。報告をしたまえ」


 テムシティ下層、セントラルエリアに立つウォルトン新聞社の最上階の一室に、彼らは居た。彼ら三人もまた、警察の聴取が始まる前にするりと抜け出していた。そしてこの場には彼らの他にもう一人。鼻の高い端正な顔立ちに、美しい褐色の肌。この男こそ<銀鷲>。即ちウォルトン新聞社を支配する男、アンドレアス・バードだ。


 最初に口を開いたのはギャレットだった。


「先に連絡した通り、一人殺された。名前はグーニー・ラスケット。GRマシーン社の社長だな」

「ふむ、容疑者は?」

「不明だ。だが首を落とされていたそうだ」


 サーシャが口を挟み、説明を引き継いだ。


「そうそう、すぱーっとね。こういう派手な事件は影響を受ける奴が出ますけど、あれは模倣犯じゃあないと思いますねえ。見てきましたが、切り口が相当綺麗でしたもん。前三件の死体は見てないから断言は出来ないですが、もし模倣犯だとしたら犯人は本物より凄い奴ですよ」

「……アンドレアス。僕は、実は殺人よりも気になっていることがある」

「というと、何でしょう?」


 言葉を選び、ギャレットは彼にしては珍しく躊躇いがちに言葉を続けた。


「……事件が起こる直前、停電があった」

「ああ、ありましたね。あれがどうかしたんですか? たった数分のことでしょう?」


 数分間の暗闇の記憶。スピーチに飽いてきた最中の出来事で、会場内の電気設備のトラブルか、第一会場の照明が全て落ちた。招待客たちは身動きがとれず、復旧まで退屈な時間を過ごす羽目になった。ただそれだけの出来事だった。――彼らにとっては。


「僕は……あの時、


 ギャレットの言葉に、アンドレアスは興味を揺さぶられたように目を細めた。


「そんな類の記憶はない。だが照明がついた時、不安が僕の胸に残っていた」

「君のような男が、ただの停電に不安を覚えるはずはない。しかし、君の中には確かに、あるはずのない不安の欠片が残っていた、ということですね」


 ギャレット・デファーは他の社員からものぐさで、やる気のない中年記者だと思われている。だが一度切り替えれば、その下には闇組織モッブともやり合い、幾度もの危機を潜り抜けた辣腕記者の顔がある。それがただの停電で不安を覚えた。その事実にこそ、ギャレットは妙な胸騒ぎを覚えた。


「サーシャも同様だ。彼女は停電の後、フローレンスを探しはじめた。だが彼女はたかだか停電で人を探し回るほど、感傷的な人物ではない」


 確かに、サーシャにも心当たりはあった。どうして、自分はあの時胸騒ぎのままに、フローレンスを探してしまったのか。その答えは今も思い出すことは出来ない。


「成程、興味深い。非常にね。ギャレット。君は、その出来事をどう分析していますか?」


 アンドレアスの問いに、ギャレットは慎重に口を開いた。


「……


 その言葉に、社長室の空気がざわめき、アンドレアスは楽しげに――笑みを作った。


 ◆ ◆ ◆


 テムシティ下層ウエストエリアは、下層の裕福層が多く住まう地区だ。他の地区と比べるとこの辺りはいかにも高級住宅街といった趣で、治安も良い。脛に傷のある者たちが集まるシュガーポット地区は言うまでもなく、学生街のフラットダウン地区ですら夜中の独り歩きは危険だが、ここウエストエリアであれば、夜の浅い時間に女性が歩いていることも珍しくない。


「スラー、あの人まだ眠っているのかしら」


 艷やかなクルミ材の扉から入ってきたスラーに、アンリエッタは言った。足元には高級な絨毯が敷かれ、家中くまなく電気が配線されているというのに、暖炉には暖かな火が灯っている。当初の予定を変え、彼ら二人は上層のアダムス家ではなく、下層のセジウィーク家へと帰宅していた。勿論その理由は彼らが連れ込んだモノにある。


「ああ。さて、だが起きた所で彼は喋れるのだろうか? 何か意思疎通の手立てを用意しておいたほうが良いかも知れないな」

「食事も悩むわね。人間を食べる、なんて言われたら流石に困ってしまうわ」


 アンリエッタは冗談めいて言った。


「フフ、貴方があの炎の人を連れてきた時は驚いたけれど。駄目ね、私。今は興味の方がすっかり勝っているみたい。貴方と居るといつも変なことに出会うけど、怪物は新鮮ね」

「やはり……危険だと思うかね?」

「勿論、それは否めないわよね。家の一つくらい爆発するかも」


 アンリエッタはスラー以外には見せない、悪戯な表情で微笑んだ。アンリエッタ・アダムス。スラーにとって初めて、科学とすら引き換えに出来ると思った女性。スラーはアンリエッタのこういう所が好きだった。


 幸い、彼女はスラーから科学を奪わなかった。スラーの愛する科学ごと、彼を愛した。故に彼はその人生において尊い二つのものをどちらも得ている。


「彼――彼で良いのかも解らないが、ともかく、彼が起きたら呼んでくれ。私は地下に居る」

「例の製造の様子を見てくるの?」

「ああ。ラスケット氏まで亡くなった以上、急がなくては。残された時間は……多くないだろうな」



 セジウィーク家の地下室は広い。子供の頃は様々な玩具が置いてあって、年の近い姉と朝から晩まで遊んだものだった。今はスラーの作り上げた大型機械で埋まっている。大学の頃から、彼はここで個人的な実験を行っていた。特に――秘密の実験の時は。


 石造りの階段を降り、冷えた地下室に足を踏み入れる。スラーが電気をつけようと壁を撫でた時だった。


「――帰ったか。セジウィーク」


 機械が立ち並ぶ暗闇の奥から、唸るような声がした。スラーは目を丸くしたが、さほど驚かなかった。その声が知った人間のものであることにすぐ気付いたからだ。スラーは声の元へと近付いた。そこに――小柄な女の姿があった。黒いジャケットにダメージパンツ。今風の格好の上には謎めいた銀色の仮面を被っている。


「ネクロクロウさん、こんな時間にいかがされました? 今夜は会合だと伝えておいたはずですが」

「進捗を確認しに来ただけだ。すぐに済む」


 コツリ。軽い足音を立て、暗闇の奥からその女――ネクロクロウが姿を現した。


「ああ、それなら。どうぞ御覧ください」


 スラーが一歩下がった。その後には、幾つもの配管で繋がれた巨大な機械があった。獣のように唸りを上げ、稼働する機械の中央には耐熱硝子の炉が据えられている。ゴボゴボと吹き上がる液体は――緑色の輝きを放っていた。


 スラーは自信のある笑みを浮かべた。独特の神秘的な光が地下室を照らし出す。

 それは――精製フィアの輝きだった。

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