異界より来たりし鋼鉄の魔王 3

 三人が帰宅すると、運送店員によって三階分の階段を登り、ソファが室内に運び込まれた。

 ジャックとグリフィンは今まで使っていた古いソファをゴミ捨て場へと運びに行った。幸運なことに、丁度明日は大型ゴミの回収日だった。


 かくして、まっさらではないが、程良く品の良い黄色いソファがシャノの自宅に置かれることになった。他の調度品はやれ譲って貰っただとか、拾ってきただとか、備え付けだとか、粗安チープなものばかりっであり、当然ながらこの新人ソファは――。


「……浮いてるなぁ」


 一人部屋に残されたシャノは、見慣れぬ新しいソファの前に立ち、唸った。拵えも布の張りも丁寧に作られ、手入れされたソファは中々に場違いだ。


「……とはいえ、きちんとした調度品なんて、父さんが死んで以来だしなぁ。……うん。悪くない。悪くないよね。たまには贅沢しても。割り勘だし?」


 滑らかな流線を描く腕置きを眺めながら、一人満足気にシャノは微笑んだ。その物言わぬ新たな同居人を堪能していると、静かな外から重い足音が聞こえた。アパルトメントの廊下がぎしりと鳴る音だ。


「あ、二人とも、おかえり――」


 シャノがおもむろに部屋の扉の方を向いた……その時だった。

 ――メギギギギギッ!!

 大きな軋みと共に、薄い扉の上半分が――吹き飛んだ。


 粉々に割れた木片がドアマットの上に散乱した。

 ――呆然とするシャノの前に、その異物は現れた。


 ギシリと、重い金属が床を踏みしめる音がした。昼の光を遮る巨大な影がそこに、居る。


 それは、鋼鉄の鎧だった。

 闇を身の内に湛えるが如き漆黒。頭部を覆う兜の隙間からは表情を伺うことは出来ない。

 その装具は何をも通さぬほど厚く、角を模した曲がった頭部装飾は見る者に禍々しさを感じさせる。


 人々が馬を駆り、剣を振るった時代。今や物語や博物館でしか見ることのない、巨大な黒鎧の騎士が安いアパルトメントに立っていた。


「――ドゥは感知する。


 科学都市において場違いなその鎧は、低く捻れた声を発した。恐ろしい鎧の後ろから、ひょこりと小柄な影が姿を現した。


「あっ、あのソファね?」


 訛りのある東洋人の男だった。悪魔的な風貌の鎧とは対照的に、いかにも軽薄そうだ。


「よ、鎧……?」


 ようやく言葉を絞り出したシャノに、不健康に痩せ細った不気味な女が笑い声を上げた。


「ひえ、ひえ、ひえ……見られたね。良くない、良くないよ……

「……ッ!」


 その言葉にシャノはようやく我を取り戻し、その場から逃げようと床を蹴った。――だが間に合わない。逃れるよりも早く、シャノの側頭部に重い打撃が入った。


 視界がぐらついた。体の感覚がままならず、床に倒れ込む。

 ――そして、シャノの意識は暗転した。


 ◆ ◆ ◆


 ――数分後。

 扉が破壊された部屋にはもはや誰も居なかった。


「……シャノン?」

「面倒があったみたいだな」


 グリフィンとジャックが帰宅した時、留守番をしていた筈の家主の姿は忽然と消えていた。買ったばかりのソファと共に。


 ◆ ◆ ◆


 ――低く、唸る動力エンジンの音がする。生温い空気と街の音が肌を撫でる。

 ガタン。ガタン。ガタン。

 地面からの不規則な振動に、シャノはぼんやりと目を覚ました。


「ここ、は……」


 周囲は薄暗いが夜ではない。どこかの隙間から細く外の光が漏れていた。視線を動かすと、側には購入したばかりの黄色いソファがあった。


「あ、起きたわよコイツ」


 訛りのある声がした。シャノが見上げると見覚えのある東洋人の姿があった。部屋を襲った集団の一人だ。咄嗟に動こうとして、腕を縛られていることに気づいた。東洋人は立ち上がると、荷台と運転席へと通じる小窓を開けた。


「ロロ、人質が起きたわよ。どうする? 殺す?」

「まだ生かしとけ。交渉に使えるかも知れねえ」


 運搬車トラックの運転席から頭部に花の入れ墨をした禿頭の男が返事をした。どうやらこの男が無法者集団のまとめ役らしかった。だが最も印象的だった巨大な鎧の姿はこの場にない。


「御前たちは……」

「フフフ、良い質問ね! 聞きなさい!」


 東洋人のオウリンはその小柄な体で精一杯偉そうに胸を張る。


「ワタシたちは、世界の破壊者たるボスのもと、悪事で財を成す極悪集団――『深海駆ける魚影アビスラーダ』!」


 オウリンの宣言に、シャノは眉を顰めた。


「……聞いたことないな……」

「これから有名になるわ!」

「ひえ、ひえ……ならない方が良いんじゃないの? 悪いコトするんだしさ」


 花の入れ墨をしたロロは溜息を吐いた。


「こいつが訊いてるのはそういうコトじゃないだろ……俺たちは、御前が管理していた光る石を頂きに来たんだ」


 光る石。心当たりのない単語だった。シャノは困惑した。


「光る、石……? 何のことだか……」

「あーら、誤魔化しちゃって。とぼけるのが下手ね。でもこっちはちゃあんと知ってるのよ?」


 東洋人のオウリンは言うと、取り出したナイフをくるりと回し、車内に積まれた黄色いソファの腕置きに詰まったクッションを切り裂いた。布を引き裂く歪な音と共に、白い綿が姿を現した。――それだけではない、ソファの素材と共にぼろぼろと、薄黄色の石の塊が零れ落ちた。半透明の色をした神秘的な石は、ゴロリと音を立て床に転がった。その色に、その形に。シャノは見覚えがあった。よく見るものとは少し違う、だが紛れもなくそれはいつも近くで目にしている――。


……!?」


 色こそ薄いが、それは紛れもなく秘術<フィア>の源である、媒介素の塊石だった。フィアは失われた技術、失われた神秘であり、故にこそグリフィンはそれを<秘術>と呼ぶ。機械科学栄える現代において表に出ることはない。


 ――だが、一部の世界においては違う。

 本来知る者のない筈のフィアは、術者の預かり知らぬ所で、じわりと都市を侵食し始めている。死体漁りの犬ブラックドッグ、ウル・コネリーも口にしていたことだ。テムシティの裏で、フィアの技術が扱われていると。


「フィアの……闇取引か……!」


 彼らを睨むシャノの様子を見て、無法者集団たちは顔を見合わせた。


「……オータム。そいつ、思っていたのと違うんじゃねえか?」

「あー、だよねえ? ロロもそう思う?」

「……御前。この石入りソファの管理を任されてたんじゃないのか?」


 ロロの問いに、シャノは縛られたまま首を振った。


「違う、そのソファは


 三人の無法者たちは、難しい表情で再度顔を見合わせた。最初に口を開いたのはオウリンだった。


「……どういうこと?」

「ひえ、ひえ、ひえ。ボクは解ったよ?」

「あいつ、石の取引の関係者じゃねえ」


 彼らの計画はこうだった。裏でフィア片石を流通させている組織やつらから石を奪い、高値で売り払う。石の一部は彼らのボスに献上する。大金が手に入り、ボスも満足する。そういう手筈だった。だが彼らが縛り上げ、誘拐してきたこの若者は全くの無関係の人間らしかった。


「つまり――あいつは何かしらの手違いで、本来石を預かっていたヤツからソファを買っただけの、不運なバカってことだ」


 ロロは断じた。詳細は解らないが、恐らく最初に訪れた中古家具屋の店主が本来の一時預かり主だ。あの壮年の店主は裏組織と繋がりがあり、端た金で他の組織へフィア片石を受け渡す役をしていたのだ。


「ええっ? でもコイツ、この黄色い石のことを知ってるみたいじゃない」

「黄色い石のことを知ってる、不運なバカだ」

「最悪に可哀想だね、それ」

「巻き込んだのは御前たちだろ……」


 彼らの酷い物言いにシャノは不服そうに抗議した。オウリンは考え込む。


「ねえロロ。……ワタシ、思うんだけど。もしかして、不運なのはこいつじゃなくて――」


 オウリンが言いかけた時だった。

 ――突然の衝撃が、車体の横から襲いかかった。

 ドンッッ! キキキキィ!


「きゃあああ!?」

「ひえ?」

「チィ――!」


 轟音。激震。

 激しい揺れに、荷台に居たオウリンとオータムは反対側の壁に叩きつけられた。運転席のロロは咄嗟にハンドルを大きく切った。だが間に合わない。車体は勢いよく車道を滑り、大きな軋みを上げ、横転した。


「あいたぁ……ボクのヒマラヤ産の塩がこぼれちゃったし……」

「な、何? 何なのよ? ロロ、ちゃんと前見て運転してたの!?」

「バカ、俺のせいじゃねえ! 攻撃されたんだよ!」


 ロロが怒鳴る。慌てふためく彼らの前で、車の外装がバリバリと激しい音を立て引き裂かれた。回転する金属歯の刃が、裂けた装甲の隙間からズルリと突き出した。外からの陽光に、見慣れた長い赤毛が透けた。

 

「お、居た居た。シャノ、生きてるかー?」


 使い慣れた動力鎖鋸チェーンソーを担ぎ、赤毛の襲撃者は――ジャックは頼もしく口の端を上げた。

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