後日談 お待たせ皇子様、出前です!~発熱ノーカウント(後)~
肖子偉は凛風を抱きかかえると自らの寝台まで運んで寝かせた。
その間大人しくしてくれた凛風は、不思議そうな顔付きで自分を寝かせる肖子偉を眺めてくるので、まるで小さな子供を相手にしているようだった。
改めて額に手を当ててみればやはり熱がある。
横になった事で無意識に張っていた気が抜けたのか、凛風が急にくたりとなって力なく目を閉じる。
「凛風、今夜はここで休むのだ。金兎雲には手紙を持たせるので心配は要らない。出前だからと無理をさせてしまったのだな、済まない……」
「……どうして? あなたが謝る必要はないでしょ。でもそうかぁ、何かふわふわすると思ったら、熱があったんだ私」
目を閉じたままどこか疲労の滲む声をして「ふふふ」と楽しげに笑う恋人の姿に、肖子偉の胸に苦い思いが込み上げる。
「笑い事ではないのだ。仕事仕事で疲労が溜まって体調を崩したのではないのか? これからは出前も控えた方が良いのかもしれないな……」
目を伏せ不本意ながら溜息と共にそう告げれば、小さく袖を引っ張られた。
見れば目を開けた凛風がどこか必死な表情で自分を見上げている。
「嫌……それだけはやだ……子偉に会えなくなる……」
「凛風……」
「そうなったら、別の子に取られちゃう」
「え……?」
それはどう言う意味なのかと問い掛ける間もなく、凛風が言葉を続けた。
「ホントはね、ずっとどこかで思ってたんだ。子偉が私を好きになったのは、引き籠っていたも同然のあなたの前に出前を届けたのが私だったからで、しかも白家の包子を作る娘だったっていう特技があったからじゃないのかなって。もしも同じ条件で他の子がそうしたらその子を好きになってたんじゃないのかなって」
「そんな事は絶対にないッ。私はそなただったからこそ……!」
「だって私は女の子らしくないし、男装してると特に男って思われる事が多いし、綺麗な人は沢山他にいるのに、どうして私なのって思うんだよ? 恋する相手の選択肢が少な過ぎたからじゃないのって……」
「凛風、聞いてくれ。本当に私はっ」
肖子偉は主張を切った。言いたい事を言うだけな彼女はたぶん熱のせいで冷静な会話は無理そうだった。ゆらゆらと頭が揺れ見るからに半分意識が混濁している。
安定するように背を支えると顔を覗き込む。
「……ずっと、そのように思っていたのか?」
こくりと、凛風は小さく頷いた。
「だから時々しか会えないのに、出前を減らすのはやだ。こっちにだって綺麗所は沢山いると思うし……」
予想もしなかった凛風の本音であり弱音に、肖子偉は胸をぎゅっと握られたようだった。
そんなわけがないのにどうしてそんな不安を抱くのかと、もどかしさが込み上げ責めたい気持ちもあったが、それ以上に――何て本当に愛おしい、と思ってしまった。
彼女から間違いなく傾倒されているという事実に歓喜すら湧いた。
自分は絶対に彼女を手放さないと、そう誓った。
「凛風、そなたが男に見えた事など、初めて会った時から一度もない。そなたの凛々しい姿も可愛い姿も怒っていてさえも、そなただから私の心を動かすのだ。雪露宮に来たのがそなたでなかったなら、二度目の出前を頼む事もなかった」
「んー? ふへへ、そうなの~?」
熱のせいか、切なげな顔をしていたのが嘘のようにヘラリと力なく、それでいて嬉しそうにも笑む恋人の姿に、肖子偉は自らを戒めるためにも掌をぎゅっと握りしめた。
発熱の自覚はなくとも、彼女は自分と会うために無理をして来てくれたのだ。
熱がもっと高くなってきたのか辛そうにしているのに、意地らしくて思わず口付けたくなってしまった身勝手な心を窘めた。
我慢だ。
相手は無防備な病人なのだから。
「あのね、風邪を引いたのは、疲労じゃなくて、昨日出前先でちょっと川に落ちて、それでだと思う」
話の筋がふらふらする凛風が、今度はぼんやりと天井を眺めながらそんな回想を口にする。
肖子偉はもっと椅子を寄せると彼女を自分に寄り掛からせた。
「川に!? どうしてそのような事に?」
只事ではない近況にギョッとして思わず声を大きくしてしまい慌てて肩を竦めた。幸い彼女は驚いたりはしていなかった。
「ええと、ちょっと流れてた白虎を拾って……」
「白虎!? 神聖とされるあの!?」
「うん」
白虎を拾うって何だ、犬猫のように白虎も拾うものだったか、しかも流れていたとは何だ、異国のおとぎ話の桃か……と、肖子偉の思考は果てしない迷路に陥った。
「じい様が飼ってるのは成獣だけど、私が拾ったのは子供だった。それでね、賢い子なの。今はうちに居るよ」
「いやそういう話ではなく……。というか知らなかった、楊仙人はそのような希少な獣を飼い慣らしているのか。そもそも仙人ならいざ知らず、白虎は人と暮らせるものなのか?」
「そこはまだよくわからない。子供だから中型犬くらい小さいし人懐こいけど、後でじい様に訊いてみるつもり。親の所に返せるならそうしたいし」
「うん、それが良いと思う」
そこまで話すと、凛風はきっとずっと不調を我慢していたのだろう、その疲れからか辛そうにしながらも気絶するように眠ってしまった。
再度額に手を当て、これはこのままではいけないと判断した肖子偉は、金に糸目を付けずに即座に医者を手配すると、その医者になるべく早く効くような薬をと頼み込んだ。
「効き目は抜群なのですが、とても苦い薬ですので、病人に飲ませる際は吐き出さないよう気を付けて下され。口の中の不快感を消す用の甘い薬も処方しておきましたので、苦い薬の後に飲ませてやると良いでしょう」
隠れた名医なのか、寝台の凛風をテキパキと診察した眩しいくらいの白髪の老医者は、処方薬と一緒にそう言い置いていった。
額に氷水で濡らした手巾を当てている凛風は、熱のせいか随分呼吸も苦しそうだった。
「早い所薬を飲ませなければ……」
陶器の小さな薬瓶には、見るからに苦そうな深緑色のどろりとした液体薬が入っている。
肖子偉は凛風に声を掛けて起こし上体を支えると、口元に薬瓶を近付けた。
「……うー、苦いにおいー、やだぁー」
薄らと目を開けた凛風が駄々っ子のようにいやいやをした。
「凛風、これを飲まないと良くならない」
「苦いから要らない~」
「駄々を捏ねない」
口に当てた小瓶を傾ければ、彼女が顔を背けたので少し零れて無駄にしてしまった。
「凛風、ちゃんと飲んでくれないと良くならない……」
「いやだ」
「凛風」
「嫌だ! 子偉が飲めばいいよ!」
「凛風……」
眉尻を下げて困った顔をする肖子偉は、やや思案し、何を思ったか凛風の物言い通り小瓶を呷った。
そしてそのまま有無を言わさず凛風に口付ける。
「――っ、んっ、んんんーッ……ッ」
苦さにか、それとも強引な口付けにか、いつものような力が出ないながらにも暴れる凛風が大人しく薬を嚥下するまで、彼は無理やり口付けを続けた。
「すまない凛風。だがこうするのが最良だと思ったのだ。……あとで文句はいくらでも聞く。殴っても構わない」
罪悪感が全くないとは言えない肖子偉は、不味さに呻く凛風をようやく解放すると、次には甘い薬の瓶の封を開けこれなら一人でも飲めるだろうと口元に持っていく。
「こっちは甘い薬だから安心して飲むといい」
しかし、彼女は今度も横に首を振った。
「凛風これは甘いから」
「――子偉が飲ませてくれたら飲む」
「え……」
それはつまり今しがたと同じように口移ししろという意味で……。
「いやそれはええと……今さっきのはそなたがきちんと薬を飲まないからしただけであって……」
「口の中が苦い~、苦いよ~、子偉~、子偉~っ」
「…………」
どこか包子をくれくれとしつこかった黒蛇を彷彿とさせたが、一つ深々とした溜息を落とし腹を括った肖子偉は、薬を口に含むと凛風にもう一度口付けた。
自分の口腔内も苦みが取れて楽になる。
これで一先ずは安心だと凛風を横たえた肖子偉だったが、不意に伸ばされた両腕が首に絡みつく。
「もっと……もっと、頂戴……」
「……っ!?」
ねだる凛風は直前までと同じように肖子偉の唇を求めている。
避ける事も出来ず口付けられて、まさか続けてこうなるとは思ってもいなかった彼は硬直した。
そのせいか、凛風は気の赴くままに甘味を求め肖子偉の口内を深く侵し、しばしして不服そうに顔を離した。
「甘くない……もっとほしい……」
目付きからして完全に熱に浮かされている凛風に自覚があるのかは怪しいが、熱のせいで上気した頬も上がった息も潤んだ瞳も、肖子偉の目には毒にも等しい。
決して不安に思っているなんて考えてもみなかった凛風の弱い部分を知ってしまったのもあって、余計に誘惑に負けそうになる。
「子偉、もっと甘いの欲しい~っ」
もう十分甘過ぎると内心地べたを転げ回っていた肖子偉だが、随分と傍若無人な子供のように振る舞う凛風を、これはこれで可愛いと思ってしまう。
だからこそ彼は抗えなかった。
最初から勝ち目なんてなかったのかもしれない。
「わ、わかったから落ち着いて……」
落ち着くのは果たしてどちらか。
まだ残っている甘い薬を自らの口に含むと、待っている凛風に口移しする。
「ん……」
口内に留まる声すらもベタ甘い。
また何度も彼女から求められ、それほど量は多くはないが、薬が尽きるまでそうした。
(凛風は病人凛風は病人凛風は病人病人病人病人病人! 病人なのだあああーーーーッッ!!)
ともすれば自分の中の理性の字の
深夜遅くに戻った黒蛇は、宿の別の部屋で待機させていた仲間から凛風の話を聞き、包子云々よりも彼女が心配で様子を見に部屋に入った。
燭台一つだけを残し他は消してあるしんとした静かな薄暗い部屋には、人の動く気配はない。
ただ肖子偉の寝台で凛風が大人しく眠っているだけだ。
(ん? 子偉の奴いねえな。厠か?)
てっきり甲斐甲斐しく介抱をしているかと思っていただけに些か意外に思った。
それはともかく、黒蛇は寝台に足早に近付くと眠る男装少女のおでこに手を当て熱を確かめる。
「何だ、今はもうそこまで熱も高くなさそうだし寝息も健やかだな」
「…………良薬のおかげだと思う」
「うおっ!? びっくりした居たのかよ!」
「静かにしてくれ。凛風が起きる」
飛び上がらんばかりの驚きにらしくなく心臓を上から押さえて引き攣った呼吸を繰り返した黒蛇は、寝台からやや離れた部屋の角を睨んだ。
そこに見える布の塊からぼそぼそと声が返ったのだ。
黒蛇はズカズカと丸まっている肖子偉に近付くと無理やり布を引っ張った。
「おいあんた、何でこんな隅っこに居るんだよ。しかも久々に布だるまだし。大体なあ、看病するなら傍でや……」
それ以上の言葉はしばし途切れた。
黒蛇はまじまじと護衛対象を見下ろした。
「え、何? 刺客でも入ったのか?」
「違う」
「じゃああんた何でこんな憔悴してんだよ?」
「放っておいてくれ……」
布を剥がれた肖子偉は黒蛇の手から布を取り戻すといそいそと再び布に包まった。
布だるまから何とも言えない哀愁というか、それに加えて限界まで忍耐を強いられた末の疲労困憊を感じた黒蛇は、それ以上は追究できずにかりかりとこめかみを掻く。
「……彼女を頼む。そこの岡持ちにそなたの包子もあるから食べるといい。私はちょっと頭を冷やしてくる」
「え、あーそ。頑張って」
彼の何を激励しているのか自分でもよくわからない黒蛇だったが、よろよろと部屋を出ていく布だるまが何となく心配になって戸口まで付いて行った。
「よくわからねえが大丈夫かよ、あの皇子様は……」
肩を落とし廊下をふらつく背中を少し見送ってからそっと戸を閉じ踵を返す。
この頃では、黒蛇も付き合っている二人にちょっかいを掛ける事もなく、凛風に足蹴を熱望する事はあっても嫁になれと迫りはしない。
だから肖子偉も彼に恋人の看病を任せたのだ。
信用を得ている黒蛇は、年の離れた妹でも見るような目で凛風の額の手巾を何度か取り替えてやりつつ、薄ら室内に白んだ朝の光が届くようになるまでしばらく適当に過ごした。
「んん……」
正直しばらく食欲は湧かなかったが、朝方になって残すわけにもいかないかと思い立ち包子を食べ終えた頃、寝台で身じろぎする音と小さく呻くような声が上がって傍に行けば、凛風がぼんやりと目を開けていた。
黒蛇は彼女の額に手を当て熱を測った。
「おう天女、気分はどうよ? 良かったな、熱は下がったみてえだぜ」
「……黒蛇が看病してくれてたんだ? ありがとう。だいぶ気分はいいよ」
「まあ途中からな。それまでは子偉の奴が面倒見てたぜ」
「ああ、そうなんだ。何となくは覚えてるけど……うーん?」
まだ少しぼーっとしながらも、半身を起こした凛風はどこか楽しそうに唇に笑みを刷く。
「何か熱のせいか、凄くリアルな夢を見たよ」
「夢?」
「うん。私は雛鳥で、優しくて綺麗な親鳥に美味しい餌をくれくれ~って、すごくねだって何度ももらう夢だった。夢なのに変だけど、餌がすごく甘かったのは覚えてる」
「……へえー」
黒蛇は寝台近くの台に転がる空の薬瓶をチラリと見やり、色々と合点がいった。
「あんたって実はかなり罪づくりだよなー」
「へ? ところで子偉は? 部屋にいないけど」
「ああ、ええとだなー、どっかで転がって煩悩を消してるんじゃね?」
「は?」
「いや、しばらくはそっとしといてやれ」
天井を仰ぐ黒蛇は、肖子偉に心からの同情と、
「そんな状況、俺だったら完全アウトだぜ……」
「はい?」
そして誘惑を耐え抜いた
……因みにそのすぐ後、凛風の首筋に一つ虫刺されもどきを見つけた黒蛇は、理解はしつつちょっとだけ評価を下げたのだった。
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