ご用件は面接ですか?

「えっと、その……面接って……」

 それから半刻、通された小部屋でぽかんとした表情を浮かべる兎上は、未だに自分の置かれた状況を整理しきれないでいた。




*          *



 アメノハシと呼ばれる、錦帯橋めいた大仰なアーチ橋を渡った先に広がるのは、絢爛やここにありと謳わざるを得ない祭り囃子。数多灯る提灯の下、町人と思しき面々が楽しげに談笑し、そこかしこの長屋からは酔いに任せた歓声がひっきりなしに響く。一区画辺りの人口密度で言えば東京と大差ないが、怒号や異臭めいた不快さは無く、人々の顔には愉楽そのものといった歓びが満ち溢れている。旧き善き日本の祝祭とでも呼ぶべき風景には、田舎育ちの兎上も懐かしい思いが無いでは無いが、自分の知るくたびれ果てたそれとは余りに趣が異なり、その事実が一層の混乱を招いていた。


「す、すいません……うわっ……」

 そもそも人混みをかき分けるのに慣れていない兎上は、自らの纏う制服の異様さも重なり、橋を渡り終えるや俯いて進む。なにせ回りは皆が着物だ。時代劇の街が舞台はそのままに人だけが増えただけといった状況。誰も彼も恐らくは自分など眼中に無いと理解はしつつも、赤面する自身を隠しきれない兎上。しかしてようやっと兎上が我に帰る頃には、さっきまで自分を先導してくれていたカカシめいた何かは、もうとっくに姿を消していた。


「え……うそ……」

 雑踏の只中で呆然と立ちすくむ兎上。冷静に考えて誰も自分に興味が無いという事は、裏を返せば向こうから声を掛けてくれる可能性はゼロに等しい。ならば交番を探すべきかと逡巡もしたが、そもそもこの世界にそんなものが在るのかも疑わしい。するとキョロキョロと辺りを見回す兎上は、さしあたって人通りの少ない裏通りに逃げ込む道を選ぶ。




*          *




「はあ、はあ……いったいなんなの」

 裏通りから眺める大通りは相変わらずの喧騒に湧いていて、あそこに一人放り込まれるのは心臓に悪いと改めて兎上は溜息をつく。こういう日陰からお祭りを覗くのが自分には性に合っているのだと、兎上はろくに馴染めもしなかった文化祭の孤独を思い出しながら苦笑する。


「――おい嬢ちゃん」

 しかして安堵の沈黙は一瞬で切り裂かれ、振り向いた兎上の眼前には酔っ払いが数人、徒党を組んでふらふらとしている。わわわすみませんと告げ急ぎ足で逃げようとする兎上だったが、後退りした瞬間に蹴躓き、ぽてんと地面に転がってしまう。


「いてて……」

 図らずも制服のスカートをはだけさせての転倒。だが右往左往する兎上の脳裏にはどうすれば良いのかという問いだけが渦巻いていて、巷には扇情をそそるであろう自身の状態については、一向に頭が回っていない様子だった。


「アンタ、幽郭アマハラの子だろ? 金は払うからさ、ヤラせてくれよ」

 えっ、今時そんなストレートなお誘いですかこんちくしょうと目を白黒させる兎上は、ヤバイとにかく逃げなきゃと地面を這い、窮地を脱しようと試みる。


「あ、あのボク……そういうのじゃないですから……わわっ」

 まあ冷静に考えずとも、片や千鳥足とは言え歩行中の成人男性と、片やコケたままのJKだ。互いの距離は一瞬で詰められ、兎上の脚は男たちによって鷲掴みにされる。


「ほっせえ脚だなあお嬢ちゃん。まさか本当に死んでる・・・・わきゃねえだろうな」

 ぶつぶつと呟く男に、マズいこれは色々される薄い本の事案だと兎上の脳裏が警鐘を鳴らす。なにせ腐女子界隈には、リアルは処女の妄想玄人などごまんといて、悲しいかな兎上はその類だった。


「や、やめてくださいっ! 人を呼びますよっ!」

 だが妄想は妄想だから楽しいのだ。なんだってわざわざ、大切な初めてをこんなおっさんに捧げねばならんのかと腹ただしくなって、兎上は精一杯の虚勢と抵抗を示してみせる。


「へへ……そういうプレイかい。たまには悪かねえ」

 ところが男も男で一向に聞く耳を持たない。ああだから酔っぱらいは嫌いなのだと兎上は内心で呪い、これどうやら本当にゲームオーバーかなと目を瞑った瞬間。


「ぐえっ!?」

 男はがくりと地に倒れ、代わりに兎上の視線の先には、小柄な着物姿の少女が一人佇んでいた。




「あかんなあ、お客はん。その子、うちの新人やさかい、手え出したんなら痛い目でもみてもらわんと」

 妖艶な瞳を細める少女は、残った男どもに振り返ると、言葉尻は穏やかに、されど兎上ですら分かる程の殺気を放ち告げる。


「はて。他にうちに相手して貰いたいゆうお客はん、いてはるかなあ」

 ミニスカの、扇状的に改造された着物。はだける四肢を瑞々しく白く、常世ならざる美しさを湛えているのがその少女だった。


「い、いや……今度お店で相手して貰うわ……おい、逃げるぞ!!」

 一瞬で酔いも醒めたとばかりに、倒れる仲間を担ぎながら男たちは逃げ出す。残された少女はまた兎上の顔を見下ろすと、着くのが遅れて堪忍なあと優しく微笑む。よく見ればうっすらと差された赤い紅以外に、おかっぱの額にはちょこんとした角まである。もしかしたらこの子は、常世の者では無いのかもと一寸思いを馳せる兎上であったが、ろくな思考も許さないとばかりに、少女は次の言葉を紡ぎ出す。


「ほな行こか。鳥威しカカシが知らせてくれてん」

 手を握られた兎上は、相手が余りの美少女であった為に頬を赤面させ、目を背けると言われるがまま抱きかかえられてしまう。この人外の膂力、どうやら益々人ならざる者まったなしと、どちらかといえば好奇心半分で興味を示す兎上。


「えっと、どこへ?」

 しかしてそれはそれ。面接やら何やら、自分には分かりかねる部分が多々とある。まあ何となく想像はするのだが、余りにも縁遠い世界だと思っていただけに、当然の如く実感が沸かない。


「おぼこいなあ。めんせつや、めんせつ。まあもう合格でええと、うちは思とるけど」

 笑みを零す少女がぴょいと一飛びすると、兎上の身体も安々と宙を舞う。だから僅かの数分もしないうちに目的地へと着いたらしく。巨大な旅館めいたそこには、アマハラとだけ書いてあった。




「ここがうちらの店や。言うてここら一帯が、アマハラいう街そのものなんやけど」

 ささと背中を押す少女に抵抗もできないまま、旅館の裏の小部屋に通された兎上は、差し出された茶を啜りながら呆然と座り込む。


「えっと、その……面接って……」

 斯くて冒頭に至った兎上に、負けじときょとんと目を見開くのは少女。


「ほんまに分からんかあ? うちは遊郭。お客はんに春を売って、喜んで帰って貰う――、要は娼館ふうぞくてんや。その面接に来たんとちゃうん?」

 角を指で弄りながら呟く少女の瞳には、信じられんといった驚きが見て取れる。


「あー……やっぱり、そういう感じですか」

 薄々感づいてはいましたと返す兎上も、でも全然状況が飲み込めてなくてと、自分がここに至った経緯を淡々と話す。


「それは気にしいひん事やわあ。だいたいはみんな同じやさかい。アマハラに迷い込む子も、やってくる子も……ええと、名前なんていいはるん?」

 重要なこと聞いとらんかったと笑う少女に「兎上うなかみひよりです」と兎上は答える。


「兎上……ほうほう社の繋がりかあ。それはご縁やわあ。うちはクトノ。漢字で書いたら久しいに刀やけど、面倒やからクトノでええわ」

 何のことやらとちんぷんかんぷんな兎上に対し、クトノと名乗る少女は「知っとるんやろ」といった視線を向けてくる。


「まあうちらの縁はひとまずええわなあ。ほな本題。ひよりんがうちに来たんわ、オヤシロサマの前でなにがしか祈ったから。要するに、せっくすしたいとか。おかねがようさん欲しいとか」


 思い当たる事をさっと言われた兎上は、せめて前者だけは否定しようと「お、お金ですね」と苦し紛れに返す。


「せやろ? やから面接せなあかんわなあ」

 うんうんと頷くクトノに、事情が飲み込めつつある兎上はいっときに沈黙する。まさか、あの恨み節がこの転移に直結しているとは。




*          *




「ざっくり言うたら、実働は一日三時間。オヤシロサマの前で手え合わせて、裏手の本尊様から来はったらええ。こっちの三時間は、向こうの世界の三分やから、アリバイやらなんやら、考えんでええわあ」

 

 それから半刻。クトノの示す条件を聞く限りでは、耳を疑うほどの高待遇だ。うまくすれば時給換算一万。提供するサービスは手で致すだけというライトっぷり。それも帰りしなに日払いで貰えるというのだから最高だ。これで毎月の給料日を気にせず、ガチャったりガチャったり――、いやいや画材を買ったりなんだりできるというもの。


「出勤してもろたら、ここでお化粧してもろて、あとは個室で寝転んで待っとってな、お客はんが来たら室内の黒電話が鳴るさかい、お迎えに玄関まで来てもろたらええ」


 ま、やればすぐ慣れるさかいなとクトノは兎上の肩を叩き、はっと気がつく頃には着付けまでが終わっていた。


「え……着物?」

 見れば白いビキニの上から、スカスカのミニスカ着物が着せられている。谷間なんて無い兎上の事だが、これは屈んだ瞬間に色々とよろしくないものが見えてしまう設計に違いない。


「いうて手ぇだけでのサービスやからなあ。このぐらいは見せてやらんと」

 ケラケラ笑うクトノだったが、そもそもそれ以前に、こんな貧相な身体が売り物になるのかと兎上の脳裏には疑念しかない。


「あのボク……需要が無いと思うんですけど。可愛くないし」

 それ以上の表現があるわけも無い。なにせ元がろくでもない上に、可愛くしようという努力すら怠っているのだ。貧乳、一重、三白眼と、異性から嫌われる要素はスリーカードで揃っているとの自負まである。


「それもまあ、論より証拠やわあ」

 語りながらクトノは、ファンデーションらしきを開きながら準備を始める。てかこんなにメイク道具ってあるのと戦く兎上は、ええいままよと身を委ねるを選ぶ。それに何だか、さっきから身体がぽかぽかと温かい気もする。


「顔が薄い言うんは、化粧映えがするいう事なんやわあ。歌舞伎の女形おやまさんかてそうやろ」

 拡張性があるいうことや、と相変わらず笑うクトノの手は、見る間に兎上の顔を弄って行く。


「ここにブラウンのシャドーを乗せるやろ。んでもって淡紅もちょこっと。ダイヤの原石言うんは、こういうのを言うんや」

 ぺしと肩を叩くクトノの前で、鏡に映った自分の顔に兎上は愕然とする。というか普段の目より二倍はデカイ。てかこの美少女誰よというレベルである。街に居たらちょっとキラキラしすぎてて声もかけられないレベルだろう。予てから気になっていたソバカスも、ものの見事に消えて去っている。


「そういうことやわあ。着物かてそう。ボンキュッボンのムチムチより、ひよりんみたいな寸胴のツルッツルのが綺麗に似合う」


「本当だ……自分が自分じゃないみたい」

 ひよりんという唐突なあだ名に反応する余裕も無く、わなわなと震えつつ四肢を見やる兎上。仮にこの格好で上京していれば、回りの反応もちょっとは違ったろうか。


「ほな、準備も出来たし行こか。初めてのお客はん、レッツトライや」

 おまけにこの鬼っ娘。容赦なくトントン拍子で話を進めやがる。「Hate GO」にもこんな鬼キャラ居たような気がすると漠たる思考が過るより先に、兎上はこの発言を否定にかかる。

 

「え??? まだ働くって言って無いんですけど???」

 斯くて頓狂な声を上げる兎上だったが、それは股間に滑り込まされたクトノの手によって、いとも容易く嬌声に変わる。


「あひっ??」

 気がつけば濡れそぼっているそこ。一体これはどういう事だと訝しむ間もなく、耳元でクトノが、熱い息を吹きかけながら囁く。


「さっきな、お茶のんどったやろ。あれにな、ちょっとだけ身体がほんわかする薬、入れさせてもろたんや」

「それ媚薬じゃないですか!!!!!」


 勢い余って怒声を返す兎上だが、その瞬間に何かが吹き出し、びくんと身体が揺れるのを感じる。


「んっ……イッ……」

「身体がちっこいから、クスリ回るんも早いなあ。これで準備も万端、ちゅーとりあるも兼ねて、ほな先ずいってみよか」


「チュートリアルって……あっ……ゲームみたいに……言わないで下さいッ……」

 とろんとする眼が視界を覆い、どこかで扉の開く音がする頃、果たして兎上の身体は、キングサイズのベッドの上にあったのだった。

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