第3話 力の差
1年くらい経っただろうか、俺はよちよち歩きができるようになっていた。日中はアギリスはどこかに出かけていて、ルーラは家の仕事をある程度こなした後はベッドで横になっていた。ベッドを確認するとそのベッドの下の空間に尻尾のようなものがあった。ベッドには真ん中付近に穴が空いており、尻尾を出すことができるようなのだ。
ルーラが寝たのを確認した俺は大冒険が始まるのである。ベビーベッドの柵を乗り越え、はいはいという4足歩行を駆使して、この家を捜索する。いつもルーラと寝ているこの寝室は2階の部屋となり天井はガラスでおおわれている。日中は日差しで熱いかといえばそんなことはなく、日が差すにしたがってガラスの色が黒く変わり、日光を通さない作りとなっていた。
この部屋には箪笥や鏡、衣服をしまうクローゼットなるものもあった。またこの寝室には望遠鏡のようなものが窓のそばにあった。それを覗いてみたかったが、身長がまだ届かなかったので残念ながらそれはかなわなかった。
そして、2階の部屋をそれ以外に3部屋あった。1つは書斎であり、本がかなり置いてあった。部屋には扉という概念がなく、自由に出入りができた。あとの2つのうち1つは物置のようにいろいろなものが置かれており、もう一つの部屋は逆に何も物が置かれてなくがらんとしていた。
1階はかなり広い客間と、アギリスが寝る寝室、ゲストルームという3部屋があった。家の構造的に変わった点としては、1階の天井がかなり高いということだ。10mくらいはありそうだった。つまり2階から見るとかなりの高さであった。階段は螺旋階段になっており、一度一人で1階にまで行ったときは、帰りがすごく苦労してしまったのだった。
だから、家の捜索とは2階の書斎に行って本を読むということだった。ほぼ毎日のように日中は書斎で過ごしていた。初めてルーラが起きた時に俺がベッドにいなかった時は、かなり心配させてしまったようだが、今では起きた時に俺がベッドにいなければ、すぐに書斎のほうにいるのではと思ってくれるようになった。
「この子、しょっちゅう書斎に入り浸っているの。」
「文字が読めているのか?」
「わからないわ。でも、いつも絵本を手に持っているから。絵を見てるんじゃないかしら。」
「そうか。」
俺がベビーベッドで眠りそうなっていると、2人のそんな会話が聞こえてきた。
そして、今日も書斎で捜索をしていた。手には絵本を持っている。もちろん絵本が読みたいわけではない。絵を見て楽しんでいると思わせておきたいからだ。
何故か俺はこの世界に転生した時、こちらの言葉が理解できたのだが、前世の言葉とは明らかに違うのだ。しかし、なぜか理解できてしまうのである。この年齢で理解できるのはおかしいことであることが、ウェンディを見ていたら分かる。
ウェンディはまだ「ヤー」とか「アー」とか発生していない。それに比べると俺は、本に書かれた字でさえも何度か読んでいると理解できるようになっていたのである。誰も聞かれていないところで声を出してみたりもしたが、なんなく会話ができそうだった。
こうなってくると、いつ声を発していいものかわからず、逆に声を出せずにいた。目安としてはウェンディが喋りだしたころに合わせて、俺も喋りだそうと決めていた。
そして、書斎ではこの世界の知識をいろいろと手に入れていた。一番興味があったのは魔法の本であったのだが、大量の本の中から魔法に関する本を見つけるのは困難だったので、手に取った本からどんどん読むようにしていた。
前はあれだけ睡眠を欲していた体も、今は10時間程度眠れば大丈夫な体になっていたので、その活動している時間がすべて読書の時間で費やされた。
ルーラは天文学に興味があったのか、天文学に関する本がかなりあった。それで手始めにと読み進めていったのが天文学だったのは当然の結果だったのだろう。
天文学などパラパラ読んで終わりかといえばそうではなかった。この世界は元いた世界とかなり違っていたのでとても面白かった。どうやら、この世界には太陽が3つ存在するようなのである。中心にある太陽をビッグサンと呼び、その周りを私たちの住む惑星であるアスンは回っている。ここからが違うのだが、バックサンといわれる太陽が、私たちのアスンの一回り外側を周回しており、常にビッグサンとアスンとバックサンが1直線上になるように回っているのである。そしてもう一つ不規則にアスンの周りを飛び回るイルサンが回っているのである。
こうして一日が22時間から27時間周期で終わっていく。つまりは約24時間でアスンは半回転をしていることになるのである。この世界は元居た地球とはサイズも違うことになる。
だいたい直径が2倍なので表面積は4倍になる計算である。
地理的なことも、現在この世界には大きな3つの大陸と数多くの島が存在している。その島1つ1つは、日本よりも大きいサイズであることが地図を見れば容易に想像できる。世界地図には北半球には2つの大陸が、そして南半球には1つの大陸が描かれていた。
そして今いる場所が北半球に位置する東側の大陸の左上付近のルード皇国というところに位置していることが分かった。
ルード皇国の西側には魔の森が広がっており、どうやら俺はそこで発見されたということが分かった。
そして今住んでいるのは、ルード皇国の端の方であり魔の森の近くの平野であった。シンディーの家はここから100mくらい離れたところにあるらしい。この辺りの住宅はそれほど密集しておらずポツンポツン家があり、その周りにはいろいろな作物が育つ畑があるようだった。
こうしていろいろな情報をアギリスやルーラとその客たちの会話だけでなく本からも吸収していき、この世界のことを分かった気になっていた。
そんなある日、父の友人とその子供と、シンディーと一緒にウェンディーが、我が家へ来ていた。大人同士はテーブルに座り、最近の話を始めていた。父の友人であるイグニールも、これまたハンサムな男であった。このとき気づいたのはこの尻尾の生えた種族は美男美女が多いのではないかということだった。そしてまた、ウェンディーとじゃれあっているイグニールの息子であるイグニスも将来はナイスガイになる予感を十二分にさせていた。
俺はというと、食事をとりすぎたのか、つまりはシンディーの母乳ということにもなるのだが、ちょっとまるまるとしてぽっちゃり系を目指してしまっていた。
『ちょっと痩せなくては、ルーラとアギリスの息子として申し訳ないな。』
そう思いながらじゃれあっているウェンディーとイグニスの輪に入ったときに事件は起こった。
1人でいたら心配かけてしまうと思い、何気なく2人のじゃれあいに参加しておこうと思ったのだが、ウェンディーの右手が肩に当たった瞬間、俺は後ろに吹っ飛びゴロゴロと回転して壁にぶつかったのだ。それを見たウェンディーとイグニスは手を叩いて「キャッキャッキャ」と大喜び。
対照的にルーラとアギリスは、椅子から立ち上がり俺の方へ駆け寄ってくる。
「大丈夫?」
「大丈夫か?」
ルーラは泣きそうな顔で心配してくれている。
「どこが痛いの?指さして。」
俺は肩と背中が痛かったのだが、全く両腕とも動かすことができなかった。
「・・・左肩と・・・背中が痛みます・・・」
それを聞いてアギリスは驚いたような顔を見せたが、ルーラは俺の服を脱がすと左肩と背中に息を吹きかけた。そうすると不思議なことに俺の痛みはほとんどなくなったのだ。俺の体調が安定したのを見ると、ルーラは笑顔になった後、その場に倒れてしまった。
「心配するな。」
アギリスはそう言うと、ルーラを抱え上げ、2階の寝室へと連れて行った。
ウェンディーとイグニスは場の状況を察したのか、2人とも泣き出しそうになっていた。シンディーも椅子に座って子供に対してどう接するか判断に迷っているようだった。
2階から戻ってきたアギリスは、ウェンディーとイグニスの頭をなでながら、
「大丈夫だ。気にするな。」
と優しい声で、声をかけた。
2人はいくらか安心して笑顔が戻ったようだった。
そして、アギリスはイグニールとシンディーに向かいなおして、
「今日は、騒ぎが大きくなってすまない。」
「いや、こっちこそ・・なんか・・ウェンディーが済まないことをしたみたいで・・」
アギリスは首をゆっくり振りながら、
「ウェンディーに罪はない。怒らないでやってくれ。これは俺がいろいろと認識を誤ってしまっていたのかもしれない・・・」
そういいながら俺へと視線を移す。
「いや、お前はよくやってると思うよ。いろいろと話は聞いているからな。力になれることがあったらいつでも頼ってくれ。」
「そうさ、私もあんたの力になるよ。ウェンディーにはまだ理解するのが難しいかもしれないけど、うまいことやってみせるよ。アギラは私の乳で育てたから、自分の息子のように可愛いからね。」
「ありがとう。」
アギリスは一言礼を言って、俺のところへと近づいてきた。
「言葉を理解しているのか?」
今までの一連の出来事はすべて俺のせいであることは明白だった。俺にはまだこの世界のことが何も分かっていない。分かった気になっていただけだったのだ。
この世界で生き抜くには、アギリスとの意思の疎通が必要だった。必要なことは、こちらから聞いていかねば、自分には時間がないように思えた。
「はい、今まで黙っていて申し訳ありません。言葉を理解しているし、喋ることもできます。母さんは何故倒れてしまったのですか?私の怪我が治ったことに関係があるのでしょうか?」
2歳になろうとしている子供があまりにも流暢に話すのを聞いて、アギリス、イグニール、シンディーは驚きの顔をしていた。
それを見たイグニスとウェンディの笑い声だけがリビングにこだましていた・・・。
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