超短編集:喜哀楽

夕涼みに麦茶

喜哀楽

 平成XX年、日本で大人子供年齢問わず、立場の強いものからの圧力により心身を極度に疲弊してしまった者達が集まった圧力被害者の会が発足。何でもかんでも責任転嫁してくる上司、失敗して謝っただけなのに何でも謝れば済むと思っていると勝手に解釈して一層に語気を強める先輩、些細なことですぐに怒鳴る息子夫婦…圧力の種類は違えど、皆共通して「怒り」を伴って為された。年々増加する被害者の会のメンバーの訴えに、国は重い腰を上げて、彼らの救済のための制度を設ける。憤怒抑制法と名付けられたこの制度では、むやみやたらに周囲に怒りを振り撒く人物に対して、有識者で成る第三者機関の裁量で有罪無罪の如何が申し渡される。被疑者は全て被害者による専門部署への通報で立てられる。愉快犯や私怨による嘘通報の問題もあったが、それでも冤罪を作ることなく正しく運用された。有罪となった人物には罰金刑が課せられる。徴収した金銭は被害者に支払われず、代わりに専門部署の運営費に充てられた。

 制度の運用を始めて数年のうちは効果が出たようで被害者数が目覚しく減少したが、それもほんの一時的なものに過ぎず、怒りを相手にぶつけるために罰金を払ってでも法を破る者が現れ、被害者の会に身を置く人たちが更に増加していった。それに併せて政府は憤怒抑制法をどんどん重罰化していき、果てには憤怒禁止法へと名を変えて、日常の些細な怒りの感情さえも許されない状態になった。当然ながら、人間の自由と尊厳を脅かす法律だと批判の声を上げる者も居たが、憤怒禁止法が定められた時には既に95%以上の国民が「怒り」を社会において不要かつ害悪要素と見なしており、反対の声はいとも容易くかき消された。こうして、日本はすっかり怒りの感情を封じ込めた国に変わっていった。この異常事態に、国外からは厳しい意見や非難の声が飛び交い、一時期来日外国人の数は激減した。しかし、この「反怒り思想」に共感を持つ者も少なくなく、日本に旅行に来た数少ない外国人たちの中には、「世界一優しく穏やかな楽園」と賛辞する者さえいた。その声に惹かれてか、日本を訪れる海外からの観光客が再び増加。それと共に、反怒り思想は国外にも浸透を始める。

 それから長い歳月が経った安願15年、遂に世界中から「怒り」の感情が完全に消失した。人々はその在り方を忘れてしまったように、遺伝子レベルで「怒り」を失い、それがさも当たり前であるように日常を送っている。酷いことを言われて馬鹿にされても、ヘラヘラと笑い返すか傷付いて悲しくなるかだけ。大切な人を誰かに殺されても、喪失感から来る涙を流すことしかできない。咎めたり諌めたり叱ったり…そういった反省や改善のきっかけとなる言動さえも失われてしまったため、文明の進歩は止まり、犯罪を軽々しく犯すものが増加。結果、法律はただのお品書きへと変わり、世界はやがて狂人の悦楽と常人の恐怖に包まれた。力あるものは笑顔で人を殺し、弱きものはただただ怯えて悲しみを噛み締めるだけ。平穏を願う人々は次々と命を落とし、狂人たちは互いに殺し合う。魔に魅入られた歓喜と恐怖の時代は刻々と過ぎていった。

 安願推定185年、人類は絶滅した。些細な感情の喪失から始まり、果てに自ら己の種を滅亡させたのであった。


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