第三章「死して生を学ぶ」 第二節
「おい女、そこに立て」
ハデスは、麗子を指差し、玉座の1メートルほど手前の床に移動させた。
「女って、名前で呼びなさいよ……それぐらいも覚えられないの?」
麗子は文句を言いつつも、ハデスの元へ向かった。
「立花 麗子! おまえ、死神になる覚悟はできてるんだろうな?」
ハデスは、声を大にして麗子の名前を言った。文句が聞こえたようだ。
「覚悟は……できています」
麗子は俯き、視線を逸らした。
「本当か……?」
ハデスは訝しんだ。
「……いや、本当のことを言ったら、覚悟ができているかどうかなんてわからないですけど、地獄には落ちたくないし……。もう死んじゃってるけど、このままじゃ死んでも死にきれないから……。――っていうか、大人しく死んでなんかやらない! どうせ死ぬなら、それは死神になるためで! どうせ死神になるんなら精いっぱいやって、死神になってよかったって思えるぐらいまではやりきりたい! やりきる! もう、中途半端のまま投げ出したくない!」
麗子は徐々に興奮と語気を強め、ハデスににじり寄った。
「……で、覚悟はできてるんだな?」
睨まんばかりの麗子の目を見つめ返し、ハデスは問う。
「覚悟は、できてるわよっ!」
麗子は声を大にして断言した。その目にはもう一欠けらの迷いもない。
「………………チィッ、答えようによっては地獄に叩き落としてやろうと思ったのに」
ハデスは、麗子の目をじっと見つめていたが、ふいに不貞腐れた顔をした。
「な……」
麗子は呆気に取られた。
「ハデス様、冗談でもそういうことは言わないでください」
一人離れたところにいる命は、眉間にしわを寄せて注意した。
「誰が冗談なんか言うか。そんなことより、魂をよこしな」
ハデスは、何かを求めるように手を伸ばした。命は返事をすると、すぐにハデスの元へ移動し、左手首の腕輪を見せた。ハデスが腕輪にある赤い宝石を指差すと、そこから青い火の玉が一つ出現し、彼の手元に飛んだ。
「ほう、また微妙な魂だな。元気で良質なくせに、ほんのちょっと悪に傾いていやがる。おまえ、中途半端な奴だなぁ」
ハデスは麗子を一瞥した。
「なるほどな。血迷いさえしなければ、運に見放されなければ、善人として一生を全うできただろうに。確かに、これだと死んでも死にきれん」
ハデスはそう言うと、悲しい目を浮かべた。それでいて、どこか慈愛が感じられる。
いままでのハデスとは雰囲気が違う。
「……まぁだが、あれだな。こいつはきっと、いい死神になる。ひねくれちゃあいるが、実は単純なところがいい」
ハデスはニヤニヤしながら、命をうかがった。
「ボクもそう思います。特に、意思の強さがいい。神様を殴り飛ばせるぐらいですから、相当なものです」
命は頷き、笑顔を浮かべた。
「おまえは本当に嫌な奴だ」
ハデスは笑顔を歪ませた。一方の命はより笑顔を強め、その場を離れた。
「立花 麗子。あいつの口から聞いてるだろうが、死神っていうのは奴隷だ。半永久的に他人の死出の世話をしなきゃならん」
麗子は、命との会話を思い出して頷いた。
「奴隷の末路を知ってるか? 働くことを拒否すれば殺され、家畜のエサになるか、獲物をおびき出すための罠として利用されたりもする。ときには食料になったりな……。死神の場合は地獄に落とす。問題を起こしても同様だ。死神になったところでメリットは無いに等しいぞ。せいぜい、後の世を見られるぐらいだ。死後、この世界や家族や知人がどうなってゆくのかをな。だがな、ときには、その家族や知人の世話をすることもある。いや、必ずする。俺がさせる。おまえにできるのか? 拒否することは許されんぞ。それでも、本当に死神になる気があるか?」
魂を持つ手の五指の先から、血と思われる赤い液体があふれ出し、魂に吸い込まれた。
青い魂が朱に染まる。
「それでもあると言うなら、このおまえの魂を取れ。おまえに、死神としての第二の人生を与えてやるよ」
ハデスは、魂を持つ手をさらに伸ばし、麗子に近づけた。
「……家族や知人の世話をしなきゃいけないって、そんなの望むところよ! 私が死神として立派に働いている姿を見せてあげたい!」
麗子はわずかなためらいを見せるも、かぶりを振って迷いを払い、その手を伸ばした。自分の魂を掴み取った途端、白磁のような色の手が赤く光り輝いて、何本もの赤い筋が手から腕へ、腕から胴体へ走った。まるで血管のようだ。それは全身に達すると、逆流するように胸に集まり、その輝きを強めた。
「!」
その瞬間、心臓が脈打つように、一度だけ鼓動が起きた。
すると、焦げ茶色だった瞳が、命やハデスのような血の色に染まった。
「!?」
麗子はそのことに気づいておらず、身体に起きた不思議な現象に戸惑っている。
手を広げると、そこに魂は無かった。
「これで今日からおまえも奴隷の仲間入りだな。馬鹿な奴だよ、おまえ」
ハデスは肩をすくめると、後ずさり、玉座に腰を下ろした。するとどうだ、その姿が、見る見るうちに幼子へ戻った。
「フゥ、やっぱりこのほうが落ち着くぜ」
ハデスはあぐらをかいた。
「お疲れ様でございます。麗子さん、お礼を」
命は、麗子の隣に移動し、ハデスに対してお辞儀をした。
「あっ、ありがとうございました」
麗子も、思い出したように頭を下げた。
「命、そいつの教育はおまえがやれよ。どうせ、そのつもりだろうが」
ハデスは、麗子と命を交互に指差す。
「はい」
命は頷いた。
「おい、死神にしてやった恩を仇で返すような真似、すんじゃねぇぞ。キリキリ働けよ、馬車馬のようにな」
ハデスは、麗子に向かって顎をしゃくった。
「一々腹立つなぁ……」
「麗子さん、あなたはすでに死神なんですよ。今後は、いままで以上に言葉遣いには気をつけてください」
「はいはい……って、キミはどうなのよ」
「ボクですか? どうして? ボクは常に気をつけて、こうしてちゃんと敬っているじゃないですか。死神の見本のような存在と言っても過言ではありません」
命は不思議そうな顔をし、自分の胸に手を置いた。
「自分で言うかね……」
「まったくだ。なんて厚かましい」
二人して呆れた。その反応が面白いのか、命はご機嫌である。
「ああもう、用が済んだらさっさと出ていけ。鬱陶しい」
ハデスは言葉どおりの表情を浮かべ、しっしと手で追い払う。
「失礼致しました。――麗子さん、行きましょう」
命は深々とお辞儀をし、きびすを返した。一方の麗子は、ハデスのその言い方がどうも気に食わないが、一応は神様で、会社で言えば社長に当たるわけだし、一々腹を立てても仕方がないかと、割り切ることにした。
命を見習ってお辞儀すると、麗子もまたきびすを返した。
「あ、おい、立花 麗子」
「はい?」
ハデスの声がしたので、すぐに前を向いた。
「まず無理だろうとは思うがな……死を、理解してみせろ」
「?」
言葉の意味がわからず、麗子は眉をしかめた。どういうことなのかたずねようとするも、また追い払う仕草をするものだから、聞くに聞けなかった。仕方なく正面を向き、先を行く命を追いかけた。
追いついたところで、いまのはどういう意味なのかと命に問いかけようとするが、彼が、いまはダメだと言わんばかりに手を突き出したので、時期を待つことにした。
扉に近づくと、また地鳴りのような音を立ててひとりでに開いた。
外の通路に出ると、麗子は後ろを振り返った。背後に気配を感じたのだ。見れば、ケルベロスがついてきていた。扉の前でおすわりし、お手をしているのだが、まるで手を振って見送っているようだった。
まもなく扉が閉まり、可愛らしい姿は見えなくなってしまった。
ケルベロスに手を振り返していた麗子は、扉が閉まってまもなく正面を向いた。
「ねぇ、いまのってさぁ、どういうこと?」
「ケルベロスのことですか?」
「違う、ハデス様の言葉よ。わかってるくせにぃ」
麗子はめんどくさそうにし、命はニヤリとした。
「麗子さんはどう思いますか?」
「私?」
「直感的にどう思われたのか、知りたいです」
「直感的にねぇ………………なんとなく、挑戦状を叩きつけられた気がした」
麗子は、ファイティングポーズを取った。
「ふふっ。じゃあ、そうなんでしょう」
命は後ろを振り返り、エレベーターを目指した。
「え、ちょっと、本当はどういう意味なのよ?」
麗子もすぐに後を追った。
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