第二章「死と太陽は直視できない」 第四節
ふいに扉が開いて、二人の女性がストレッチャーを押して入ってきた。
スーツを着ており、一見OL風の身なりだが、それは喪服で、葬儀社の人間と思われる。
霊安室には時計が無く、時間の経過がわかるものと言えば、蝋燭や線香ぐらいのもので、気分的には何時間も待ったようだったが、実際のところは30分も経ってない。
麗子は、ようやくかと思いながら起き上がり、自分だという遺体の顔から布が取られるのを待ち構えた。
女性らは遺体のそばに立ち、しっかり手を合わせて拝んだ後、かけられているシーツと布を丁寧に取り除いた。その下から現れたのは、紛うことなく麗子だった。
眠っているようなその姿からは生気が感じられないため、まるで蝋人形のようだった。額には目立つ裂傷がある。
自分の遺体を前にした麗子は、目を見開き、吐き気でももよおしたように手で口を押さえると、倒れるように後ろへ下がった。壁に当たって、そのまましゃがみ込んだ。
麗子が言葉を失い、ガタガタと震えている中、女性たちは素早くかつ丁寧に遺体をストレッチャーへ移し、今度は頭までシーツをかぶせて、早々に霊安室から運び出す。
「あっ、待って!」
麗子は慌てて叫ぶも、その声は届かず、無情にも扉は閉ざされた。直後に照明が消えて、その場は真っ暗になった。
「いやぁああああああ――――――っ!」
まもなく、扉のそばにある非常灯が点き、室内は暗闇から薄闇になるも、一度パニックを起こしてしまった麗子にとっては、それでも充分な恐怖で、狂ったように悲鳴を上げた。
「大丈夫ですか?」
傍らにいた命がすぐに歩み寄り、優しい言葉をかけて手を差し伸べる。麗子を想っての行動だが、それがいまの彼女には伝わず、死神という存在に対する憎しみをこみ上げさせる結果となった。
麗子は逆上し、近づいてきた命に対して手を上げた。平手で、彼の横っ面を叩いてしまったのだ。
「あ……」
叩いた瞬間、我に返った。
見るからに幼い姿をした命を叩いたことに気づき、一気に血の気が引いたように冷静になったのだ。自分がしでかしてしまったことに驚いて、愕然としている。
「ごっ、ごめんなさい……私……」
叩かれた衝撃で、顔を真横に向けている命。その姿を見つめ、麗子は声を震わせながら謝罪した。すると、彼はその顔を正面に戻し、笑顔を浮かべた。
「ボクなら大丈夫ですよ。気が動転して当然です。――さぁ、とりあえず外に出ましょう。ここにいてはいけません」
命はもう一度手を差し伸べる。麗子は、無言のままにその手を見つめた。
「叩いたりして、ごめんなさい……」
申し訳なさそうに手を伸ばして掴み、身を預ける形で身体を起こした。
「いえ。謝ってくださればそれで充分です。それに、ボクも同じく死人ですから、叩かれたところで、痛くも痒くもありません。なので、気になさらないで」
命はまた愛らしい笑顔を浮かべると、きびすを返した。扉に近づき、鎌で穴を開けて、「どうぞ」と言った。麗子はすぐに霊安室を出る。彼がそれを追う形で外に出た数十秒後、穴はひとりでに閉じた。
麗子の遺体は、地下駐車場に停められている寝台車に乗せられた。
両親や愛莉は、葬儀社が用意したハイヤーに乗り込み、寝台車ともども病院を後にした。
それを、麗子と命の二人は見送った。
「立花 麗子さん、どうされますか? お通夜やお葬式もご覧になられますか?」
命は、隣にいる麗子の顔を見上げた。
「……ううん。もう、いいよ。多分悲しくなるだけだし……。善悪、調べていいよ」
麗子は、片手を差し出した。
「わかりました。ですが、ここではちょっとなんなので、場所を変えましょう。どこか、ご希望の場所とかございますか?」
「え? ……いや、思いつかない」
「そうですか。それでは、こちらで決めさせていただきますね」
命は右手を掲げ、鎌を手にした。
「なっ、なんで鎌を持つ……?」
麗子は、鎌を恐れて後ずさる。
「こうするためですよ」
命は、鎌の長い柄を股の間に挟み、跨った。何をしているのかと思いきや、彼の身体が徐々に浮き上がり、両足がコンクリートの床から離れた。
その姿はまるで、魔女がホウキで空を飛んでいるかのようだ。
ちなみに、三日月のような弧を描く刃は後ろにあり、真下を向いている。床までの距離に合わせて、ひとりでに縮んでいた。
「………………何故?」
その光景を前にし、しばし沈黙していた麗子は、色々な意味を込めてそう問いかけた。
「さぁ、どうぞ。乗ってください」
命は、自分の後ろの空いたスペースを、立てた親指で指差した。
「いや、あの……せめて、刃を逆にしてくれない?」
麗子は、見るからに鋭利な刃を指差した。
「心配はいりませんよ、切れたりしません」
「だとしても、なんかやだ」
麗子は、断固として拒否する構えでいる。
「えー、もうー、大丈夫なのにー」
命は、めんどくさそうな顔をして唇を尖らせると、一度鎌から降りて逆に持ち替えて、また跨り、浮き上がった。渋っていた麗子もようやく応じ、背後に移動して跨った。
「しっかり掴まっていてくださいね」
麗子は、自分よりも小さくて、見るからに頼りなさそうな命の肩にしっかり掴まった。
まもなく、二人を乗せた鎌が浮上し、床と天井のちょうど中間の位置まで来ると、ゆっくり前進を始めた。徒歩から走る程度の速度になり、地下駐車場の奥を目指す。
外に通じる長い上り坂を抜けて病院の敷地内から出ると、そのまま夜空を目指して飛び上がった。ぐんぐんと上昇する。
「わっ、わわっ」
麗子は、さすがの高さに怖気づき、よりいっそう命にしがみついた。
「ゆっくり飛ぶので大丈夫ですよ。怖くない、怖くない」
辺り一帯、すべての建物を見下ろせるほどの高さに達したところで、上昇は止まった。二人を乗せた鎌は、大きなカーブを描いてその向きを変える。
「どっ、どこに行くの?」
「秘密です。でも、ヒントをあげます。目指しているのは、日本一高い建造物ですよ」
「日本一高い建造物? え、それって……」
「ふふっ。距離があるので、もうちょっと速度を上げますね」
「え――うわあっ!?」
飛行速度が一気に上がったため、油断していた麗子は放り出された。命の、ぼろきれのようなローブのフードに辛うじて掴まっている。
「どっ、どこがちょっとだぁああああああ――――――っ!?」
二人を乗せた鎌は、あっという間に漆黒の空の彼方へ飛び去った。……もとい、乗っているのは一人である。
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