真夏のメモリー:6
リビングと二階とで迷った結果、二階から先に調べることになった。
そこに待ち受けているのはおそらく子供部屋。半螺旋状の階段に足をかけると、板が軋んで嫌な音を立てる。不安感が2割増になった。
「足元、気をつけて。朽ちてるかもしれない」
「はい………先輩の方こそ」
先を行く七瀬が、振り向いて頷く。
足板が突き抜けて落下、そして大怪我、なんていう事態は避けたい。一歩一歩慎重に確かめながら、二人は二階への階段を上った。唐茶色の扉を開ければ、風圧で埃が舞い上がる。その先には予想通りの子供部屋。床にはいかにも高級そうな絨毯が敷かれていた。
「ここの家族、結構金持ちだったみたいね」
入って行きながら、部屋全体を見渡してみる。
窓を覆うように張られたカーテンは、かつては立派だったのだろうが、今はボロボロの破れかぶれだ。部屋の奥の勉強机には、中学校の教科書が開かれたまま埃に埋もれていた。『図形の合同』。証明問題に苦労したよなあと、懐かしさに唇が緩んでしまう。
部屋の角にあるのは、これまた立派なベッドだ。掛け布団がグチャグチャになっている。ふと、ベッドの下に鎌を持った男が隠れている話を思い出した。
パッと見、誰もいなさそうだが。
「先輩、分かりますか」
「………何かいるね」
二人の第六感は、この部屋のどこかに潜むナニモノかの濃密な気配を、たしかに捉えていた。
「たた場所までは分からない。机の陰、クローゼットの中、あるいはどこぞの怪談みたいに、このベッドの下の暗闇の中。いるとしたらこの辺りかな?」
「覗き込んだ途端にやられそうですね。生憎、私は鎌で切られるのはお断りです」
「死因が鎌って、随分と世紀末な世の中………。とりあえず、簡単に部屋を調べてみよう。何かしら見つかるかもしれない」
示し合わせた訳ではないが、何となく二人で寄り添って調べた。
その途中、不意に渚が床の一角を指差す。彼女の口から絞り出すような声が漏れた。
「先輩、あれ………!」
コイン大の赤黒いシミが、絨毯にポツポツと浮かんでいる。幾つも幾つも。微小なものまで含めれば、それはまさに数え切れない程。
飛び散ってついたからなのか、シミの形はひしゃげた円形だった。一部は壁にまで飛散している。ふと嫌な想像が頭に浮かんで、七瀬は眉をしかめた。
「血………なのかな?」
「違っていて欲しいんですけどね。ただの絵の具ということも」
「にしては周りに筆とかは見当たらないよね。それに絵の具だとしても、壁にまで散るってことはそうそうないだろうと思うよ。よっぽど天真爛漫な創作でもない限りは」
「じゃあ、やっぱり?」
七瀬が小さく頷いて、肯定を示した直後。それに呼応するかのように、部屋に据え付けのクローゼットの扉の向こうで、何かが動いて物音をたてた。即座にそちらを振り向く。
ゴトリ、という、何か重いものが動くような音だった。
「家鳴りじゃないね。何かいるみたい」
「開けますか?」
「本音を言うと開けたくは………ないなあ。中にいるのが探し人の可能性ってどれくらいだろう」
こんな所にいるわけがない、と普通ならなるだろう。だがここは幽霊屋敷。オカルト絡みの話なら、何が起きてもおかしくない。
しばらく躊躇していると、再びガタリという物音がした。これは「開けるな」ということなのか、それとも「開けろ」なのか。残念だが分からない。分かるのは、中に何かがいるということだけだ。
「開けてみようか。渚ちゃんは下がってて」
「大丈夫です………。私も一緒に」
渚が七瀬の左横に並んだ。正面のクローゼットを、凛とした風で見据えている。すごい、と七瀬は思った。自分なんか落ち着いているようでいて、内心ドキドキしっぱなしなのだから――――――ん?
「渚………ちゃん?」
いつのまにやら。彼女の右手が遠慮がちに、服の裾を掴んできていた。七瀬がそれを見ていると、気づいた渚はパッと手を離す。そして顔を赤らめて俯く。
「……あ、あの、すいません。怖かったので、つい………」
なんだ。
七瀬は笑った。冷静を装っていたのは、どうやら二人ともらしい。
「いいよ。実を言うと僕だって、内心怖かったからお互い様。だから服の裾くらいならいくらでも使って」
そう言うと、渚は七瀬の瞳をじっと見つめてきた。
「先輩………いえ、何でもありません」
「………?」
「あのほんと、何でもないんです。忘れてください」
そのままクローゼットの方に向き直ったので、七瀬も特に追及はしないでおく。
二人が同じタイミングで生唾を飲み込んだ。一度深く深呼吸をして、激しく脈打っていた心臓を落ち着かせる。
「どうしてかな。今不意に、食虫植物を思い浮かべちゃった」
「………さしずめ私たちは、誘われて来たハエか何かですかね」
二人で取っ手に手をかけて、そしてひと思いに引き開けた。
「!」
案の定、と言えばいいのか。
そこには半透明の男の子が、体育座りでうずくまっていた。見た感じ中学生くらい。うつろな視線は戸惑うように、あるいは何かに怯えているように、あてもなく虚空を彷徨っている。
―――――安全?
二人が互いに頷きあって、そっと扉を閉め始めたその時。幽霊は、途端に何かに取り憑かれたかの如く立ち上がると、そのまま宙を滑るような動作で二人に向けて跳びかかってきた。
「っ!危ない!」
それは咄嗟。まさしく本能的に。七瀬は渚の華奢な体を背中に庇う。
幽霊はそのまま彼と衝突した。そのまま体を突き抜けて消えていく。体のなかを台風が駆け抜けていく感覚がした。
腰砕けになって、七瀬はその場に倒れこんだ。
「先輩!」
放心状態にある彼を渚が抱き起こす。
「大丈夫ですか、私のことわかりますか。柊の花言葉は何ですか」
「……………“知見”、だね。大丈夫。ちょっとくらっとしただけ」
「――――良かった」
彼女が安堵の溜息を漏らす一方で、七瀬は目を細めて何かを考え込んでいた。
「渚ちゃんは聞こえた?」
「え?何がですか」
「あの男の子の、声」
それは先程、幽霊が彼の体を突き抜けていく時のこと。
その声はあまりにもか細くて、今にも消え入りそうなほど幽かだった。けれど確かに、あの子は七瀬に対して囁いたのだ。
小さく、短く。
“下に行って”と。
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