スミレと幽霊と、僕と。
どくだみ
プロローグ
自分の住んでいる部屋が、今にも崩れそうな砂の塔みたいに見えた。
カーペットの上に座り込んで理由もなく天井を見上げる。カーテンを閉めているせいで部屋の中は薄暗く、そこにいる二人の息遣い以外に音は無い。丁度今の状況を受けて部屋までもが息を潜めているようだ。
“あれ”はここまで追いかけてくるだろうか。
――――――の姿を脳内で思い返しながら、
吐き出した息が目の前で白く漂う。そうして繋がっている手だけが不思議なくらいに温かい。
互いに向き合って相手を見つめれば、こんな時だというのに胸が高鳴りかけてしまう。
「先輩」
「……大丈夫、大丈夫だから」
彼女への返事なのか、それとも自分を落ち着かせるための言葉なのか、言った自分でも分からなかった。眉間に手を当てて一度、長い息を吐く。
“あれ”が追いかけてくるかどうかなんて、考えてみれば自明の事だ。咄嗟の思いつきで作ったあの足止めも、ずっと
しかしこれは――――あまりにも無謀な作戦だ。
「どうして」
渚の口から弱々しい言葉が漏れてくる。
「どうして先輩は、私のためにここまでしてくれるんですか」
「“どうして”、か………」
正面からそう訊かれて、すぐには綺麗な答えが浮かんでこなかった。有り体に言えば自分がそうしたかったから、だろうか。その下地にある想いにはずっと前から気づいている。
どう言うべきか悩みに悩んだ末に七瀬は口を開いた。
「花が水を欲しそうにしていたら、誰だって水を分けるでしょ。それと同じ事」
「……ここが砂漠で、それが残っている最後の水でも、ですか」
「うん。僕ならそうする」
そう言って笑ってみせると、渚の顔にもまた笑顔が浮かんだ。
「……あの時も、そう言って私の傍に居てくれましたよね」
「覚えててくれたんだ?」
「忘れたくても、忘れられませんよ」
あの炎天下の下で二人が出会ったのは、数えてみればもう一年以上前になるのだろうか。その日から今日まで、実に色々な怪奇に関わってきたものだ。
時計の秒針が、二人を急かすように時を刻む。
――――――行こう。
覚悟を決めた七瀬が立ち上がろうとした。
「先輩」
離しかけた左手を、渚の右手が掴まえている。その顔を見てみれば、彼女もまた何かを決意した表情をしていて―――――ふと一瞬、視線が交わった。
「先輩………最後にもう一つだけ、訊かせてください」
「いいよ。………何?」
「――――先輩にとって、私とは何ですか?」
「………っ」
ずしりと来た。
あまりにも純粋で、あまりにも真っ直ぐな彼女の言葉が胸の奥まではっきりと響いてきて、何を言おうか七瀬は混乱してしまう。
彼女は―――――自分にとって何だろう。
大切な人、であるのは間違いないけれど、具体的に何と訊かれれば答えにくい。一瞬の戸惑いがあってその直後、彼女と過ごした全ての記憶が走馬灯のように七瀬の脳内をよぎった。思い出の中にいる彼女――――そこにはいつも、花のような笑顔が咲いている。
そしてようやく、七瀬は自分の想いに確信が持てた。
「渚ちゃんは――――」
思う事は、それこそ数えきれないくらいに色々あるけれど。自分の心を見てみれば、答えはもう決まっていて。
「――――――スミレの花、かな」
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