第39話 黄泉への旅立ち、船頭は魔王なりや

 ――――魔方陣を抜けた先には、遺跡の真上の丘のような場所に出た。


 空は暗く――――ただの夜の闇だけではなく、魔王による禍々しい気を伴った闇の帳が降りていた。



 魔王は、崖を背に……例の如く凶悪な殺意を露わにした面を向け、地獄の底のような紅い眼光をこちらに容赦なく突き刺してくる。




「殺されに来たか、『勇者』ラルフの仲間共よ……」





 ロレンスたちは、皆一様に……冷たい汗が絶えず流れ落ち、とても生きている心地がしない。出来ることならば悪い夢だったと思いたくなるほどに…………。



「…………私たちの覚悟は決まった。ですが……やはりこうして奴を目の前にすると……足が竦み、汗が噴き出す…………伝説上の存在である『魔王』のドス黒い邪悪な大気を間近に感じると――――!」



 ブラックもまた、己に言い聞かせるようにロレンスに続く。




「だが、我々は抗う。自害も不戦敗も無い。例え絶対的絶望が目の前に佇んでいても――生命の限り、道を切り拓き続ける。それが生きている『人間』の務めだッ!!」



 魔王は、心もち顎を引き、暴帝のような高慢さがサッと消えた。油断なく殺すという覚悟のようなものか。




「……ふん。愚かなる人間にしては見上げた覚悟だ。私が生きていた時代に蔓延っていたゴミ屑以下の人間共よりは、少しは骨がありそうだな」



 そこで一度かぶりをふって咆哮する。




「――――だが! 私は人間を心底、森羅万象の裡、どんな存在よりも憎むッ! その身を微塵に引き裂き……穢れた血肉を炎で完全浄化しようとも一分も足りぬほどにな…………!!」




 目の前の『力』に対し、震えを抑えながらヴェラも吼える。



「魔王! てめえ……何故そこまで人間を憎みやがる!?」



「知れたことよ! 先ほども言った通りだ……人間共は果てしなく欲望を抱く! 形なき幻想に縋り……互いを救うと言った口で互いを罵り合い! 互いに殺し合い! 弱者を喰らい、踏み潰し! その為だけに母なる大地を、空を穢し尽くす……! そのような唾棄すべき存在など救うに値せぬ!! 私はそのような汚物は断じて認めぬ…………故に滅ぼす!! 人間など…………総て灰燼に帰すべきなのだッ!!」



 セアドは、この窮した状況の中、ひとつの疑念を口にした。



「……『救う』に値しない、だとォ……? まるで、その口ぶりはァア…………」




「…………」



 セアドの何気ない疑念に……獰猛に咆哮していた魔王は、何か核心めいたモノを突かれたような創面をしたのち、一旦、瞼を閉じた。



「……これ以上、人間共に話すことなど何も無い……もはや一刻すら遅らせるのが惜しいのだ――――愚鈍なる人間共を滅ぼす為の時間がなあッ!!」




 魔王は再び、烈しい怒りと共に闘気を放ち、大気が鳴動させた。




「ちいっ……聞く耳持たずかよっ!! オレの歌よりも…………ものすげえでっけえサウンドだぜ…………!!」




 ベネットは、冷たく震える手を、ルルカに向け伸ばした。



「――ルルカお姉様…………その、遅いか早いかだけかもしれにゃいけど……アチキ、やっぱり恐いニャ…………」



 ルルカもまた、氷のように冷たくなった手を懸命にベネットと絡め、弱々しく笑って応えた。



「……ベネット…………わたくしもよ…………」




 恐怖に捕らわれながらも、2人は真っ直ぐに魔王を視た。




「――でも、大丈夫ですにゃ。……貴女と、一緒なら…………どんな終わり方でも。」



「……ええ……そうね…………」




 魔王の殺気がみるみる増大していくのを見て、ロレンスたちは構えた。



「……行くぞ、魔王ッ! 人間の足掻きを見せてやるッ!! ――うわあああああああああーーーーッッッ!!」



 ロレンスの叫びと共に、皆が魔王に敢然と立ち向かう――――




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 ――今にも崩落しそうな、遺跡の最下層。




 死の淵に立つ『勇者』ラルフは、意識の水底で仲間たちを想うことしか出来なかった。




(――うう……みん、な…………すま……ない…………助けに行くことが……出来ない……)




 実は、先ほどロレンスたちに剣を向けていた間にも、ラルフは意識があった。



 意識はあり、烈実なる想いで魔王の支配に抗おうとしたが、叶わなかったのだ。



 魔王からの悪意だ。




 『その手で、守るべき人間を殺して見せろ』と言う、『勇者』への拷問であった。



 ラルフは、烈しい自責と罪悪の念に駆られた。



(……恐らく…………皆に剣を向けた俺に…………助けに行く資格も…………魔王の言う通り…………勇者、とは…………愚かなのか…………)




 ――――? 




 突然、闇に落ちようとしているラルフの意識に……温かな光が射しこみ始めた。




(――何だ、これは…………?)




 ラルフの傍で、きらきらとした美しい光が輝く。




 それは……先ほど魔王が再誕した、云わば魔王の卵の殻のようなモノ――――宝玉『憎悪の泪』の割れ砕けた欠片だった。




 ラルフは必死に念じ、その輝きを心に手繰り寄せる…………。



(これは――――『勇者』の力…………?)



 俄かに、宝玉の欠片から、緑色の清々しい力が……涼しげな風を伴ってラルフの中に入り込んでくる……。



(――ああ……これは……確かに『勇者』の力だ。それも…………『原初』の勇者の……俺の先祖の、聖なる力だ…………)



 ラルフに同調するや、その『勇者の力』は忽ち増幅し……ラルフに力を与えた。



 傷が塞がり、意識もはっきりと覚醒してくる。



 ラルフは瞼を開けて、静かに立ち上がった。




 そして、その力を余さず受け容れ、余さず増幅させた…………ラルフの中にかつてない強く、清い力が湧き上がってくる! 



「これは……この力があれば…………!」



 まだ。




 自分はまだ、戦える。




 『人間』たちの為に――――




 烈実なる想いが、まだ叶うかもしれない。




 その微かな救いに――――ラルフは一筋、涙が流れ落ちた。



「――――待っていろ、魔王。待っていてくれ…………みんな!!」



 光の英気オーラを煌々と漲らせ……ラルフは魔王の用意した魔方陣ではなく……その場から遺跡の最上部へと飛び立った――――




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 ――――ロレンスたちが魔王に挑んでから、3分。




 ものの3分で、既にロレンスたちは一人残らず地に倒れ伏していた。




「――くははははは! ……その程度か、人間共よ!! はっはっはっは…………!」



 さすがに、如何に勇気を漲らせようとも、勇気だけでは……ひと息で盗賊の首魁を消し飛ばし、圧し殺したほどの桁違いの力の前に、成す術も無かった。



 倒れ伏す憎き人間たちを前に、魔王は勝ち誇ることもほどほどに――――手から鮮血と魔力を綯い交ぜにした魔刃を生成し、ロレンスたちに迫る。




「――ゴミ共め。すぐに楽にしてくれる。まずは、向こうに見える国、そして大陸だ。人間と認識しうる者は涅槃寂静ねはんじゃくじょうの砂粒一つも生かしてはおけぬ! 貴様らの骸を以て見せしめとしてくれるわ!! ――皆殺しよ。」




「――ぐっ……駄目だ……やはり、強すぎる――――」



「我々では…………人間では奴を止められないのか…………っ!」



 深手を負い、地に倒れ伏すロレンスもブラックも、そう呻くことしか出来なかった。




 否――――




 鮮血の魔刃を手に、その首を落とさんと一歩、また一歩と近付いてくる魔王。




 それ即ち、死への秒読み。もはや、王手詰チェックメイトみだ。人類終焉への。




 魔王は、その憎悪に満ちた恐ろしい形相とは対照的に――――冷たく、緩やかに、ロレンスの首に魔刃が振り下ろされる――――



「まずは貴様だ。勇者一行の副長。さらばだ。冥府へと落ちるがいい――――」

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