43 新たな魔法


 いつの間にか赤く燃えるような太陽が沈み、黒一色となった夜空にファンタジー化の前ではお目に掛れなかった星々が輝いている。

 多分、都市の明かりが完全に消滅したことで、以前よりも星が見えるようになったのだと思う。

 東京で生まれ、東京で育ったこともあって、それは満天と言えずとも、とても美しい星空だと感じられた。

 ただ残念なことに、現状においては、その美しい夜空を楽しむ余裕が砂粒ほどもない。


 ベヒモスがコンクリートや鉄の破片を勢いよく撒き散らす。

 普通に考えれば、そんな硬いものを咀嚼そしゃくしていること自体が信じられない。よほど丈夫な歯と歯茎を持っているのだろう。きっと、歯槽膿漏に悩まされることなんてないはずだ。

 まあ、奴の歯茎の健康は置いておくとして、その攻撃は洗練と対極であり、思いっきり原始的な攻撃だ。

 それでも、決してバカにはできない。原始的ではあっても、その攻撃は人間なんて簡単に即死させるほどの威力を持っているのだ。


 宙を駆け、撒き散らされる攻撃を避けながら、奴の顔にめがけて爆裂魔法をぶちこむ。


「くらえっ! 大災害! ちっ……」


 魔法をお見舞いした途端、奴は瞬時に頭を引っ込めると、ご丁寧に蓋までしてしまう。

 何度目とも分からない攻撃を防がれて、思わず舌打ちしてしまう。


「まだよ! 氷撃!」


 まさに甲羅だけの状態となった奴に、氷華が容赦なくビルサイズの氷塊を叩き込む。

 轟音と共に巨大な氷塊が降り注ぐ光景は圧巻だ。だけど……それは硬い甲羅を持つベヒモスに大きなダメージを与えることなく弾かれる。

 それでも、夜空を駆け巡っている一凛が、諦めることなくパクリ技であるエネルギー波をぶち込む。

 高所恐怖症はどうなったのかと問いたいところだけど、空気を読んで口にしない。

 今は、彼女の攻撃が効果を発揮することを願うだけだ。

 しかし、悲しいかな、一凛の攻撃は奴の甲羅に傷を付けることはできても、破壊するまでには至らない。


「はぁ、はぁ、はぁ、くそっ! 何て奴だ。ちくしょう~~」


 殆どダメージを与えられなかったことで、一凛が息を切らせながら愚痴を零す。

 ベヒモスの甲羅が硬いのは分かり切っていたことだ。

 ただ、ヒビの一つさえ見せない甲羅の硬さにウンザリしているのだ。

 なにしろ、彼女達は妖精と融合したことで、尋常ならざる力を得ている。ところが、幾度となく攻撃を重ねたにも拘わらず、全くダメージを与えられていないのだ。彼女達でなくとも、愚痴の一つや二つは零したくなるだろう。


 因みに、僕は例の眼のお陰で夜目が利くのだけど、氷華と一凛に至っては妖精と融合したことで、夜でも昼のように見えるようになったと言っていた。

 空を飛べるようになっただけではなく、夜目も利くとは、もはや人間の範疇に入れてい良いか疑問だ。だけど、それを口にすると、全てが我が身に返ってくるので、敢えて口にしない。


「もう一歩みたいな気がするのだけど、何が足らないのかしら……」


 一凛と同様に、見えないお立ち台に佇むが如く、宙に立った氷華が真剣な表情で考え込む。

 そんな一凛と氷華の背中には、キラキラと輝く妖精のような羽が生えている。だけど、ピクリとも動いていない。


 あの羽って、何のためにあるのかな? 宙に居られるのは羽のお陰だと思うんだけど、原理が全く以て不明だよね……まあ、ファンタジーの世界だし……ご都合主義の産物だし……仕方ないか……


 いい加減に戦い疲れた所為か、どうでも良い事に思考を費やしてしまう。

 なにしろ、反撃を初めて、既に十時間を超えているのだ。精神的に病んできても仕方ないだろう。これが会社の業務なら完全にブラックだ。


 妖精と融合した彼女達と一緒に戦いはじめ、いつの間にか夕暮れが訪れ、気が付けば真夜中となっている。

 そのあいだ、僕等は時が経つのも忘れて休むことなく戦い続けた。

 援軍はない。いや、僕が来るなと連絡した。

 このとんでもない敵を相手に、生徒会のメンバーが集まっても、被害が大きくなるだけだと判断したからだ。


 時に力で押し込み、時に連係プレーで油断を突き、時に作戦を立てて奴をおとしいれようともした。

 だけど、どれも結果は同じだった。致命的なダメージを与えることは出来ていない。

 それでも、全く効果がなかった訳ではない。というのも、現在の僕等は荒川を完全に越えて――北千住と反対方向――足立区役所の近所にまで押し返しているのだ。

 東京ドームよりも巨大なベヒモスをここまで後退させたのだから、これは尋常ならざる成果だと思う。ただ、残念なことに、やはり決定打に欠けるのだ。


「あの甲羅の硬さは尋常じゃないよ。どんな魔法も通じないと思うよ」


「じゃあ、ひっくり返す作戦に戻す?」


 あまり口にしたくはないのだけど、仕方なく結論を述べると、氷華が片方の眉を釣り上げながら、既に失敗した案を蒸し返す。ところが、一凛がお手上げと言わんばに首を横に振る。


「いやいや、無理無理、あんなのどうやってひっくり返すんだ?」


 残念ながら、一凛の言う通りだ。

 一度はひっくり返そうと、色々と試みたのだけど、物の見事に失敗してしまった。

 というのも、やはり奴が大き過ぎてひっくり返すなんて、どだい無理なのだ。それこそ無理ゲーだ。


「いっそ、一凛が巨大化してひっくり返してくれたらいいんだけど……」


 手詰まりとなって、考えることにも嫌気がさしてきたこともあって、思わず素っ頓狂すっとんきょうなことを口にする。

 氷華は途端に呆れ顔を見せるのだけど、さすがは一凛だ。さっそくブラックジョークに乗ってきた。


「うちはウル〇ラマンか!? そんな技ね~し、あったらとっくに使ってるっつ~の。てかさ、残念ながら、巨大化したってパンツは見えんぞ?」


「むぐっ……別に、そんなこと期待してないし……」


 ニヤリとする一凛と眉を吊り上げた氷華から視線を向けられて、思わずしどろもどろとなってしまう。


 そう、そうなのだ。とても信じられない話しなのだけど、恐ろしく短いスカートなのに、そのはずなのに、スカートの中が見えないのだ。

 もちろん、パンツなんて見えようはずもない。

 これは、間違いなく僕に対する嫌がらせだろう。きっと、神様は、ささやかな楽しみも、少しばかりの邪な欲望も、ちょっとしたドキドキも、何一つ与えてくれないつもりのようだ。なんてケチな神様なんだ。


「まあ、とても恥ずかしい格好だけど、それだけが救いだわ」


「だよな。そうじゃなきゃ、黒鵜が膨張して、暴走して、狂喜して、うちらの貞操がピンチだよな」


「……そ、そんなこと……」


 嘆息する氷華をチラリと見ながら、一凛の言葉を否定しようとしたのだけど、飛竜事件を思い出して声が出なくなってしまう。

 なにしろ、あの時、辛抱堪らず二人に飛び掛かってしまったからだ。


「噛んだわよ。ほんと、ケダモノなんだから」


「かなり間があったな。てか、否定できてないし。こりゃ、乙女の危機だな」


 口籠ったのが拙かった。物の見事に二人から冷たい視線を浴びる。いや、一凛に至っては、何故かニヤニヤとしていた。


「ち、違うんだ。別に変な事なんて考えてないからね」


「ん~、黒鵜のむっつりスケベ! ナニは口ほどに物を言ってんぞ」


 必死に弁解してみたのだけど、全く効果がない。それどころか、一凛から追い打ちをかけられてしまった。

 途端に、氷華が僕の下半身に冷たい視線を向けてきた。


「本当に膨張させて……膨張……」


 苦言を口にした彼女は、途中で押し黙った。

 そして、そのまま腕を組んで考え込む。


「氷華? どうしたの?」


 いきなり黙り込んだことを不審に思って声をかけた途端だった。

 彼女は「これしかなーい!」と言わんばかりに声をあげた。


「そうよ! そうだわ。膨張よ!」


「ん? 僕の膨張がなにか?」


「違うわよバカっ!」


「いてっ!」


 何を思いついたのだろうか、彼女は膨張だと叫ぶ。

 だけど、どうやらナニの話ではないみたいだ。見事に頭を叩かれてしまった。

 ただ、彼女は気にした様子もなく説明を始める。


「熱膨張させたもの急激に冷やせば、なんだって脆くなるんじゃない? そこに一凛の怪力が加われば――」


「怪力いうな!」


 不満を持った一凛がすかさずクレームを入れる。

 ぶっちゃけ一凛に対する暴言なんてどうでも良い。だって事実だし……それよりも、今は氷華の考えの方が重要だ。


「そうだ。そうだよ。どんな硬い物でも、温度差が激しいと割れやすくなるらしいよね」


 どこかで読みかじった冷熱衝撃ヒートショックを思い出したのだ。

 ああ、ここで言うヒートショックは、人体に影響を及ぼす現象の方ではない。急激な温度変化による膨張収縮現象による歪み応力だ。


「あれ? でも……」


 喜び勇んで頷いてみたのだけど、直ぐにその作戦の重大な欠点に気付く。


「ねえ、確かにそうだけど、どうやって奴に急激な過熱と冷却を与えるの?」


「そ、それは……」


「くくくっ……くくくっ……まさにヒートショックだな。あはははははは」


 自分でも思慮が足らなかったと気付いたのか、鼻高々となっていた氷華がガクリと項垂れた。

 その天と地の反応が琴線に触れたのだろう。一凛は途端に両腕で腹を抱えて笑いだした。









 いまだ決定打が見いだせない状態だった。

 それでも、一つの結論に至った。

 思いっきり笑われた氷華が顰め面で口にした結論は、全く予想だにしていないものだった。


「くそっーーーー! こんちくしょうーーーー! なんでうちだけが……仲間なんじゃないのかーーーー! つ~か、腹へったぞーーーー!」


 悔しそうな叫び声が夜空を駆け巡る。

 もちろん、腹が減ったと言えば一凛しかいない。

 現在の彼女は、単独でベヒモスと戦っている。

 ただ、悔しさよりも空腹に対する不満の方が大きいようだ。


「ああ、あれは相手にしなくてもいいわ。それよりも集中してね。時間がないのだから」


 両手で耳を塞いだ氷華は、恐ろしく冷たい表情だった。

 間違いなく、大笑いされたことを根に持っているはずだ。


「う、うん。でも、少し可哀想だね……」


「いいのよ。私達はさっさと新しい魔法を編みださないと」


 はぁ~、簡単に言ってくれるよ……


 そう、氷華の答えは、無いなら作ればいいという、恐ろしく安易な発想だった。

 一応は無理だと反論してみたのだけど、彼女から「ご都合主義の黒鵜君が言っても信憑性に欠けるわ」と、易々と退けられた。


 そんな訳で、現在は、独りぼっちで戦う一凛を放置し、新たな魔法の開発に取り組んでいる。

 戦うべき敵を前にして、新しい魔法の開発なんてとても滑稽に感じるのだけど、どうも氷華は真剣に言っているようだし、確かに他の手がある訳でもないので、真面目に取り組むほかない。


 ふ~む。超高温ね~。思いつかないや……


 僕にとって熱と言えば炎であり、炎と言えば、マッチの炎、ライターの炎、キャンプファイアの炎、火事の炎、武器の炎、火山の炎、どれを取っても確かに高温ではあるのだけど、超超超高温という訳ではない。

 だいたい、あの巨大なベヒモスを熱するのには、その超超超高温でも足らないかも知れない。


「ん~、凄い熱って思いつかないんだけど、氷華は何か思い当たる?」


 どれだけ考えても全く思いつかず、渋々と真剣に考え込んでいる氷華に尋ねてみた。

 彼女は自分の思考を邪魔された所為か、少しばかり顰め面を見せる。

 それでも、仕方なしと言わんばかりに大きな溜息を吐くと、自分の考えを披露してくれる。


「はぁ~、熱でしょ? 鉄を溶かす溶鉱炉とか……でも、爆発の温度の方が高そうね。ん~、それなら核爆発とか、太陽とか?」


 実のところ、後で調べて分かった話なのだけど、ロウソクの炎の最高温度は千四百度くらいであり、鉄の融点は千五百度くらいのようだ。そして、通常爆弾の温度が五千度くらいとのことだ。

 もちろん、現時点において、そんな高度な知識はない。


 氷華の言葉を聞いて、一番初めに想像したのは太陽だった。

 というのも、理科の授業でその熱さを学んだことがあるからだ。

 太陽の表面温度が六千度であり、紅炎プロミネンスの温度が一万度、太陽風コロナに関しては百万度、太陽風が数千度にまで至って爆発する太陽フレア。ただ、さすがにコロナにまで至るとイメージすらできない。


「ふむ……紅炎プロミネンスか……確か、下層大気がコロナに突入する現象だったはずだけど……イメージできるかな……」


 授業で習ったことを思い出しつつ、少しずつイメージを作り上げていく。


「紅炎、紅炎、紅炎、紅炎、援交、援交、援交……あれ? なんか違うくない?」


 何度も繰り返すうちに、全く違うものになってしまった。


 というか、援交なんて魔法を放ったら、何が起きるのだろうか? もしかして、JKが出てくるの? てか、僕自身が中学生だから、JCが出てくる? いやいや、集中しないと……今は援交の先にあるものが、何かなんて考えている場合じゃないよね。


 己が精神を正常な道へと戻すために、両手で自分の頬を叩く。


「いって~~~~、加減を間違えた……」


「何やってるの? 馬鹿じゃないの? 間違って自分に魔法をぶちこまないようにね」


「あっ、う、う、うん……」


 氷華にたしなめられてしまう。

 思わず言い訳を口にしようとしたのだけど、さすがに援交のことを考えていてなんて言えず、渋々と頷く。

 ただ、そこで彼女の方が、どんな状況なのかが気になり始める。


「氷華はもう何か思いついたの?」


「ええ、私は思い付いたわよ。ただ、イメージが難しくて……というか、魔力が足るのかしら……」


 さすがとしか言いようがない。この短時間で、単独で、新しい魔法を思いつくなんて……実は、元から考えていたんじゃないのかと疑いたくなってしまう。

 いや、今は自分の魔法に集中しよう。というか、一凛って大丈夫なのかな?


 疑いの視線を氷華から外し、チラリと一凛へと向ける。

 彼女は、時に蝶のように舞い、時に蜂のように鋭い攻撃を叩き込んでいた。

 ただ、ベヒモスはあまり気にしていないようで、どこ吹く風という感じだ。


 こりゃ、一凛にも新しい力を見つけてもらわないと、奴がもろくなっても効果がなさそうだぞ……


 あまりの力の差を目にして、新たな問題を抱く。そこに氷華からの叱責が飛んできた。


「黒鵜君、今は自分の魔法に集中して。一凛については何とかなるはずよ」


「えっ!? どうしてそう思うの?」


 氷華の考えが全く分からない。

 おまけに、彼女はニヤリとするだけで答えてくれなかった。


 まあいいか……氷華がそういうなら、なんとかなるんだろうし……援交……ちがった……紅炎、紅炎、紅炎……


 何度も何度も一万度の超超超高熱をイメージしていく。一万度といえば、何もかもを溶かす熱だと思う。それをイメージするのは至難の業だ。

 それでも、必死にイメージを固めていく。いや、イメージは何もかもを溶かす炎だ。


 あれ? なんか矛盾を感じる……何もかもを溶かすなら、氷華が考えている急激に冷やす魔法って必要ないんじゃ……まあいいか……


 ふと疑問を抱きつつも、全てを溶かす熱をイメージしていく。そして、それが頭の中で形になり始めた。


「よし、試しに……援交! うわっ……ご、ごめん、間違えた」


 僕の誤爆を耳にした途端、必死にイメージを作る作業に没頭していた氷華がギロリと睨んできた。


 しくじった……こんどこそ! 紅炎!


 氷華の冷たい眼差しを見ないようにしながら、地面に手を向ける。

 途端に、地面が紅く染まり、二メートル四方が溶け始めたのだけど――


「うわっ、あつっ! あつっ、なにこれ! うぎゃ!」


「きゃっ! 何やってるのよ! 私を焼き殺す気なの? 焼身自殺なら一人でやってちょうだい!」


 僕と氷華は慌ててその場から一目散に逃げ出した。

 当然ながら、氷華から鋭い罵声を浴びせ掛けられた。

 まあ、この場合は自分に非があるので、甘んじて受け入れる。だって、マジで焼け死ぬかと思うほどの熱だったからだ。


 地面が溶け出した場所から二十メートルくらい離れたのに、未だに熱を感じるような気がする。

 しかし、次の瞬間、ブチブチと文句を言っていた氷華が、いまや直径五メートルくらいになった赤い火溜まりに右手を突き出した。


「まあいいわ。丁度いい練習台ね。行くわよ! 絶対零度!」


 はぁ? ちょっ、絶対零度って……そんなの熱膨張してなくても、奴を倒せるんじゃないの?


 唖然とする僕の視線の先では、ぐつぐつと赤く煮えている一帯が一瞬にして白くなり、それまで感じていた熱も一気に消失した。

 しかし、次の瞬間、白く凍っている範囲が、キンキンと甲高い音を立てながらじわじわと広がっていく。


「あっ、あちゃ……失敗しちゃった……ヤバイわ……」


「ちょ、ちょーーーー! 何やってるのさ! 氷の彫刻になりたいのなら、自分一人だけにしてよね! 僕を巻き込まないでよ!」


 顔を引き攣らせてその場から逃げだす。

 もちろん、罵声のお返しは忘れない。


 背後から身も凍るような冷たさを感じながら、僕等は更に五十メートルほど距離を取って脚を止めた。


「ふ~っ、酷い目に遭った……いったい何を考えてんのさ」


「うぐっ……」


 叱責された氷華が、恰も塩をかけたナメクジのように縮こまる。

 なにしろ、彼女が魔法を発動させた範囲――彼女の予定よりも遥かに広い範囲――そこにある物が、カチンコチンに固まってボロボロと崩れ始めているのだ。

 その光景は、まさに液体窒素でもぶちまけたかの如く、何もかもが白く凍り付いている。


「なんだよ。お前等、きゃあきゃあ言って楽しそうじゃんか! 魔法ができたんなら、いい加減、うち一人に戦わせるなよな」


 別に楽しんでいた訳ではないのだけど、一人でベヒモスと戦っていた一凛からすると、文句の一つも言いたくなるのだろう。彼女は不貞腐れた様子でクレームを入れてきた。

 すると、氷華はそれに便乗するかのように、それまでの恐縮していた態度を一変させる。


「そうね。失敗しても、何度でもチャレンジすればいいのだし、そろそろ本番にしましょうか」


「ちょっ! そろそろ本番って、まだ一回しか試してないよね……」


 氷華の豹変ぶりに思わずツッコミを入れたのだけど、僕の耳はそこで予想すらしていなかった音を拾った。


「今……人の声がしなかった? 空耳だよね?」


「いや、ウチにも聞こえたぞ」


「何処からかしら?」


 空耳かと思った。いや、空耳だと思いたかった。

 しかし、どうやらその声は一凛や氷華の耳にも届いていたようだ。


 僕等は慌てて空高く飛びあがると、周囲に視線を向ける。

 夜だけあって周囲は暗く、普通の者なら視界の利かない状態だ。

 それでも、暗闇は今の僕等にとって何の障害にもならない。


「あっ、あそこだ!」


 一番初めに見つけたのは、やはり五感の鋭い一凛だった。彼女はズバッと西側に指先を向けた。


「えっ、マジで……」


 彼女の指が示す方向に視線を向け、その光景を目にしたと途端、唖然としてしまった。


 そこには学校があった。それだけなら何の問題もない。学校ならこの地区だけでも掃いて捨てるほどある。ところが、その学校の屋上では、沢山の人がこちらの様子をうかがっていたのだ。

 そして、何よりも問題なのが、その学校とベヒモスの距離だ。

 おそらく、二キロも離れていないだろう。

 普通に考えれば、二キロといえば結構な距離なのだけど、ベヒモスの大きさから考えると大した距離ではない。


「大失敗だ。完全に見落としてたよ……」


 思わず自分の未熟さを呪う。

 本来ならもっと早く気付いても良さそうなものなのだけど、どうやら戦いに集中するあまり、そこに居る者達の存在を見過ごしてしまったみたいだ。


「困ったわ……あんなに沢山の避難者が居るなんて……」


 氷華が言う通り、非常に困った問題だ。

 なにしろ、新しい魔法は完成度が低い。それでも僕等は空を飛ぶことができる。だから、想定外の問題が起こっても対処可能だと考えていたのだ。

 ところが、この状況で下手に破壊力のある魔法を放つと、学校に避難している者達まで消滅しかねない。

 やっと決定打となりうる魔法の段取りをつけたというのに、いざ戦う段階になって、僕等は物の見事にマーフィさんからしてやられてしまった。

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