41 激闘の始まり


 その光景があまりにも非現実的で無意識に息を呑む。


 巨大な身体はまさに山のようであり、獲物を見詰める瞳は鋭く、長く伸びた牙や鋭敏に尖った奥歯は、コンクリートや鉄を易々と噛み砕いている。

 圧巻だった。いや、抱いた感情は、畏怖であり、恐怖そのものだ。


 高揚感に包まれ、意気揚々とやって来たはずが、巨大な魔物を前にして、今にも尻餅を突きそうなほどに衝撃を受けていた。

 一週間前にも、その存在を見たはずなのに、こうやって面と向かってみると、遠くから見るのとは大違いだ。


 魔法攻撃を仕掛けるために、今日はかなり接近している。

 間近で見るこの巨大な魔物は、これまで培った自信や勇気を根こそぎ消しとばす。

 魔物……いや、もはや魔物ですらないように思える。そう、これは神獣と呼ぶに相応しい生き物だと感じている。


 愛菜からベヒモスが動き出したと聞いて、慌てて千住新橋へとやってきた。

 既に道を切り開いていたこともあって、移動時間は僅かなものだった。


「ね、ね、寝続けたと思えば、お、お、起きた途端に食事かしら?」


「す、すごいな……首都高がみるみる無くなっていくぞ。い、いっそ、解体業者として雇ったらどうだ?」


 恰も砂糖菓子でも食べるかのように、ボリボリと首都高を齧るベヒモスを見やり、氷華が震えを必死に堪えながら愚痴を零すと、一凛がカミカミで奴の食べっぷりを皮肉った。


「ん……」


「……」


 殆ど無理やりについてきた葵香が呻き声を漏らす。

 ただ、彼女の胸に収まるココアは声すらでないみたいだ。

 抱かれている所為で見えないけど、多分、彼女の尻尾は股の間に挟まっていることだろう。


 ベヒモスを追い返すためにやって来た面子は五人だ。

 物資の収集に出かけている美静や生徒会のメンバーは一緒に来ていない。その代りというのもおかしな話なのだけど、意地でも付いてくると駄々をねた葵香が僕等と一緒にいる。

 葵香に抱かれるココアは、無条件で連れて来られている。きっと、彼女からすると、いい迷惑だろう。

 ただ、今となっては、葵香も付いてこなかった方が良かったと思っているはずだ。

 その証拠に、ベヒモスを目の前にして顔を引き攣らせ、身体を凍りるつかせたかのように硬直している。


 己が気持ちを奮い立たせるためか、将又、現実逃避に突入したのか、声を震わせながらも軽口が漏れ出る。


「今更だけど……説得して帰ってもらいましょうか」


「ままままま、まあ、話して分かる相手ならそうしたいところだけどね。ほ、ほんとに……」


「試してみる?」


「い、いや、やめとこう。鼻息だけでも飛ばされて死にそうだし……」


 キョドリつつも氷華の冗談に付き合ってやる。

 すると、彼女はニヤリと顔を歪め、意地の悪い表情で乗ってきた。

 だけど、動揺を隠すためにゆっくりと首を横に振る。もしかしたら、少しカクカクとなっているかもしれない。


 現在、千住新橋を渡ってた向こう側――北千住とは反対側の土手に居る。

 そう、寝起きで首都高速道路をかじるベヒモスと目と鼻の先だ。

 奴と正面切って戦うために、ここまできたのだけど、今は少しだけ後悔している。いや、とても後悔している。それどころか、このまま逃げ出したい気分だった。


「ここもヤバいんじゃね~か?」


「そうね。首都高が倒れてきたら、ここまで届くかしら?」


「それよりも、あのまま食べ進んでくれないかな。そうしたら葛飾区を回って江戸川区に行くんだけど……」


 少しだけ気持ちを落ち着かせたのか、一凛と氷華が齧られている首都高がこちらに倒れてこないかと心配し始めた。

 その心配も当然だけど、それを聞き流し、今更ながらの非戦闘論を唱えると、氷華は眉をピクリとさせた。

 どうやら、ここにきて怖気づいていることを苦々しく思っているのだろう。それでも、苦言を口にする気はないようだ。彼女は冷たい視線を向けてくるに留めた。

 ただ、一凛は半眼を向けてくると、チクリと刺してきた。


「はぁ~、氷華的に言えば、それじゃ意味がないんだろ?」


「だよね……」


 グラグラと揺れる首都高を眺めながら、それに負けないほどに脚を震わせている僕等が、愚にもつかない話をしていると、突如として葵香とココアが叫んだ。


「んーーーーーー!」


「フシャーーーー!」


 一人と一匹の声で視線を戻すと、ベヒモスが首都高を齧るのを止め、のそりのそりと動き始めた。


「くそっ! 何でこっちに来るんだよ」


「あちゃ~」


「やっぱり、こうなるのね」


 ベヒモスが歩き始めた方向を見て、思わず愚痴をこぼしてしまう。すると、一凛が左手で顔半分を隠し、氷華は肩を落として落胆を見せた。

 奴は南下すべく――荒川を渡るべく――脚を踏み出したのだ。


「くっ、やるしかないのか……仕方ない、予定通りおっぱじめるよ。一凛、葵香の護衛よろしく」


「そうね。上手くいけばいいのだけど……」


「ああ、任せろ!」


「んーーーー!」


「ウニャ~~ン!」


 この一週間で話し合った作戦を実行すべく、震えを堪えながら仲間に声を掛けると、氷華が不安を隠せない表情で頷き、一凛は己が胸を叩いた。葵香とココアは、どうやら僕を応援してくれているようだ。

 そんな仲間を見て一つ頷き、おもむろに右手をベヒモスに向けて伸ばす。

 奴は木々を踏みつけながら土手を登ろうとしているところだ。


「上手くいってくれよ! いや、お願いします……大災害!」


 最後は神頼みだと言わんばかりに願望の声を漏らしつつ、僕は自分が持つ最大の魔法をぶちかました。









 荒川沿いの土手は大変なことになっていた。

 元々、荒川は氾濫を防止するために、水の流れる部分の両側に川以上に広い河川敷が作られ、高い土手が整えられている。

 足元を揺らす爆発は、その荒川の土手を広範囲に渡って抉り、そこに生えていた見知らぬ木々を飛び散らせ、向こうが見えないほどの土砂を舞い上げていた。

 それは、特撮物の爆発シーンなんて目じゃないほどの爆発だった。


 全力の爆破なんて久しぶりだったけど、こりゃ、禁呪指定されても文句言えないか……


 未だ爆発で巻き上げられた粉塵や土埃が舞い上がり、視界の利かない状況だ。

 それを目にして、自分でもこの爆発の威力は異様だと感じていた。

 僕自身がそう思うのだから、居合わせた者が眼を丸くしてしまうのも道理だろう。


「ちょ、ちょっと、土塗れになったわよ! やっぱり、禁呪だわ。いえ、それよりも、やったかしら?」


 氷華は頭から被った土を掃いながら愚痴を零すのだけど、少しばかり期待に瞳を輝かせている。


「ん~~~! ん~~~! ん~~~!」


「ウニャ、ウニャ、ウニャ……」


 葵香はいつものように、喜び燥いで飛び回り、彼女に抱かれているココアは迷惑そうに呻き声を上げていた。

 そんな葵香の前では、一凛が腕を組んだ状態で感嘆の声を漏らす。


「すんげ~~~、やっぱ、黒鵜は半端ないよな。さすがに、これを食らってノーダメージはないんじゃね~か?」


 彼女は驚きを言葉にするに留まらず、己が願望を言葉に変えた。いや、思いっきりフラグを立てた。立てやがった。


 一凛のバカ! フラグなんて立てないでよ!


 そもそも、これで倒せるとは思っていない。それでも、少しくらいはダメージを与えられても良いように思うのだけど、一凛のフラグで僕の心に暗雲が立ち込める。

 そんなタイミングだった――


「ぐあーーーーー! 氷華ーー! 一凛ーー! 葵香ーー! ココアーーーーーーーー!」


「きゃーーーー!」


「ぬあーーーー!」


「んーーーーー!」


「ウナーーーー!」


 突如として突風――風の砲弾が僕等を襲う。

 その勢いは、間違いなく台風を超えていると思う。

 なにしろ、その風圧は易々と僕の身体を空高く舞い上げたのだ。


「うぐっ……意識が飛びそうだ……」


 恐らく数十メートルは舞い上げられているだろう。

 目眩を覚えつつも、天と地が引っ繰り返った状態ながら、必死に視線を巡らせると、小さな荒川が見えた。


 どうやら、数十メートルどころではないみたいだ……てか、ヤバイヤバイヤバイ! 浮遊を使えるのって僕だけなんだぞ! くそっ!


 恐ろしく焦りつつも、必死に首を動かして仲間の位置を確認する。


「あれが氷華……浮遊!」


「うっ……きゃ! く、黒鵜君? 黒鵜君の魔法なの?」


 急降下し始めた途端に浮遊をかけた所為で、何も無いところでズッコケるような格好となった氷華が呻き声を上げた。

 かなり動揺しているものの、彼女の反応からすると怪我はなさそうだ。ただ、かなり不満そうな表情を向けてきた。

 彼女が何を不満に思っているのかは知らない。でも、川に落ちるよりはマシだろう。だから、クレームは受け付けない。


 次に見つけたのは一凛だった。

 彼女は何やら両手を合わせて念仏を唱えているようだ。

 そう、彼女は運動神経がいい癖して、高いところが苦手だったりする。


「一凛! 浮遊!」


「うおっ! く、くろう~~愛してるぞ~~」


 どうやら、心から感謝してくれているようだ。

 それはそうと、葵香とココアが見当たらない。


 どこだ! どこだ! どこだ!


 必死に周囲を見渡すが、どこにもその姿ない。

 胸の鼓動が早まり、焦りが心を蝕んでいく。


 マズイ、マズイ、マズイ……


 自分に浮遊を掛けて身体を安定させ、焦る気持ちを抑え込んで再び探すのだけど、やはり何処にも居ない。


「葵香! 葵香ーーーー!」


 背中に冷たいものを感じて、思わず叫んでしまう。

 その途端だった。


「んーーーー! んーーーー!」


 葵香の声が聞こえてきた。

 慌てて声を辿って視線を向ける。

 彼女は、僕よりも高い位置にいた。

 どうやら、彼女は体重が軽い所為か、僕等よりも遥か高く舞い上げられてしまったようだ。

 そんな彼女を見上げると、見事に白い物が目に映る。


 パンツ……今度からはズボンを穿かせよう。いやいや、今はそれどころじゃない。浮遊!


 美少女の下着に動揺しつつも、彼女に浮遊をかける。

 ただ、彼女の胸にココアが居ない。


 あれ? ココアは? ああ……


 なんとも冷たいことに、ココアは自分だけが葵香の周りをパタパタと飛んでいた。


 ココア……


 ココアの不義理に少しばかり残念な想い抱く。だけど、直ぐに気持ちを入れ替えて、ベヒモスに視線を向ける。

 なぜなら、こんなことができるのは奴しか居ないのだ。そして、奴が健在である証なのだ。


「はぁ……ビクともしてないわね……まあ、これも予想の範疇はんちゅうだけど……いえ、一凛のフラグのせいね」


「そうだ――うわっ!」


 浮遊で僕の近くに呼び寄せているお陰で、氷華の愚痴が聞こえてきた。

 それに答えようとしたところで、一凛が抱きついてきた。


「助かったぜ……黒鵜! お前って、やっぱ最高だ。チュ~してやるよ」


「い、一凛、どうしたの? てか、マジ? マジで? いいの?」


「いい訳ないでしょ! 空気を読みなさい!」


 抱き着く一凛に、彼女の言葉に驚く。

 もちろん、真に受けて氷華に怒られました。


「そ、それはそうと、怪我はない?」


「大丈夫よ」


「ああ、問題ないぜ」


「んーーーー!」


「ウナ~」


 気を取り直して、彼女達の身を案じる。

 なにしろ、奴が放った風圧は、意識が飛びそうなほどの衝撃だったからだ。

 だけど、どうやらみんな大丈夫みたいだ。

 氷華、一凛、葵香、ココア、三人と一匹が問題ないと頷いた。


「それにしても、かなり高く舞い上げられたね。ほんと、とんでもない奴だ」


「そうね。一瞬、意識が飛んだわ」


「そんなことはどうでもいいから、さっさと降りようぜ」


 改めて地上を確認して、奴の攻撃の凄さに歯噛みする。

 氷華がコクリと頷く。ただ、一凛は奴の攻撃のことよりも、早く地上に戻りたいみたいだ。

 彼女が高所恐怖症であることを考えたら、それも仕方ないのかもしれない。普段は強がっているのに、今は必死に縋り付いてくる。


 こういう一凛も可愛いかも……


「ねえ、例の空中歩行って、他人には掛けられないの?」


 僕の首に両手を回す一凛を快く思っていると、氷華が冷たい視線を向けてきた。


 奴が放った風圧は、半端ない威力で僕等を千住新橋から遥か常磐線鉄橋近くまで吹き飛ばした。おまけに、このまま真っ直ぐ降りると、荒川で季節外れの淡水浴となってしまう。

 氷華の言葉はそれを懸念してのものだと思う。いや、もしかしたら、僕にべったりと抱き着く一凛の態度が気に入らないのかもしれない。

 まあ、どちらにしても答えは同じだ。


「ごめん。あれは他人にはかけられないんだ」


「う~ん、残念。あれをかけてもらえれば、空飛ぶ敵やデカい敵とでも戦えるのに……ねえ、それよりも、いい加減に離れたら? いえ、離れなさいよ!」


「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ!」


 空中歩行が本人ようだと告げると、氷華が渋い表情で苦言を漏らした。

 もちろん、苦言の相手は、まるで永久磁石の如く離れない一凛だ。

 ところが、彼女はとんでもないとばかりに、ブンブンと首を横に振りながら拒否した。


「まあいいわ。取り敢えず、川に降りましょ。綺麗過ぎて少し気が引けるけど……凍りなさい。氷結!」


 氷華は嘆息すると、一凛に向けていた冷やかな視線を川に向け、己が二つ名に恥じない魔法を披露する。

 彼女が魔法を唱えた途端に、エメラルドグリーンの荒川がメキメキと音を立てながら凍りつく。

 ただ、魚のことを気にしたのか、全てを凍らせることはしなかった。


「無暗に殺生するのは良くないわよね」


 そう言って、氷華はすいすいと泳ぎながら逃げ去る魚をにこやかに眺めた。









 無事に氷上へと降りると、そそくさと川上へと向かう。

 さすがにデカいだけあって、直ぐにベヒモスを拝むことができた。


「動き、おそっ! ぜんぜん進んでないじゃんか。さすがはのろまな亀だな」


「まあ、あの足の遅さには、感謝するところね」


「でも、無傷みたいだね……」


 未だに土手に手を掛けた状態のベヒモスを見やり、一凛と氷華が感想を述べる。

 僕としては、足が遅いことよりも、奴がピンピンとしていることにガックリと項垂れてしまう。

 そこで氷華から叱咤しったの声が放たれた。


「それも織り込み済みでしょ? 予定通りにやりましょ」


「そうだったね。ごめん。ちょっと弱気になっちゃって」


 思わず委縮していたこと謝ると、何を思ったのか、彼女は笑顔を向けてきた。


「大丈夫。怖いのは黒鵜君だけじゃないわ。みんな同じよ。頑張りましょ」


「そうだぜ。ヤバくなりゃ逃げりゃいいのさ。気楽にやろうぜ」


 一凛は僕の背中を軽く叩き、サムズアップしてくる。


 そうだね。僕には頼もしい仲間がいるもんね。


 二人に元気づけられて、即座に作戦を再開する。


「そうさ、奴に効かなくても問題ないんだ! 大災害! 大災害! 大災害!」


 僕は右手を突き出し、さっきよりも少しばかり強気になって魔法を放つ。放つ。放つ。


 土手や河川敷に生えていた木々が吹き飛び、土砂が舞い上がる。土手の向こう側では、建物が吹き飛びビルが倒れ、炎が舞い上がった。

 追い打ちをかけるかのように、連鎖的な大爆発が起こる。

 もしかしたら、都市ガスやガソリンなどが残っていたのかもしれない。

 爆発が爆発を生み、それが終わると炎が瓦礫と化した街を赤く染める。


 これがファンタジー化の前ならとんでもない事態なのだけど、今や駆け付ける消防士も居なければ、交通整理をする警察官どころか、逃げ惑う人々すらいない。

 それを良いことに、ひたすら爆裂の上級魔法を放ち続ける。

 すると、氷った川の上で爆発の様子を眺めている仲間が声を漏らす。


「いい感じだわ」


「凄い破壊力だな。これならゴジラとでも戦えるぞ」


「ん~~~! ん~~~! ん~~~!」


「ウニャ、ウニャ、ウニャ……」


 氷華が満足げに頷き、一凛は破壊力に目をみはる。葵香とココアはいつもの如く燥いでいる。


「でも……」


 街が派手にぶっ壊れているのだけど、奴には効いていないみたいだ。甲羅の中に頭を引っ込めたまま微動だにしない。

 その甲羅は見るからに硬そうで、頭や手を引っ込めたところには蓋までしてある。

 その様子からして、やはり僕の魔法でどうこうなる相手ではないみたいだ。


 ちっ、こりゃ、倒すのは本当に無理そうだ……でも、大災害! もういっちょ! 倍率ドン! さらに倍!


 ベヒモスの硬さに歯噛みしながらも、くじけずに魔法を放ち続ける。

 そもそも今回の戦いで奴を倒すことは諦めている。なにしろ、どう考えても倒せるような代物ではないのだ。

 だから、奴には来た道を戻ってもらうことにした。

 そう、ひたすら嫌がらせをして、南下を諦めて貰うことにしたのだ。

 まあ、そう簡単に上手くいくとは思っていないのだけど……


「この辺で攻撃を止めて様子をみようか?」


「そうね。このままだと逃げ出そうにも、身動きが取れないでしょうし……」


 状況を見定めるために攻撃を一時中断することを提案すると、氷華は未だ燃え盛る街を眺めつつ頷いた。

 そんなタイミングだった。それまで甲羅の中に引っ込めていた頭が、突如として飛び出してきたかと思うと、物凄い勢いで僕等に向けて何かを吐き出した。


「うわっ!」


 突然の攻撃を受けて、思わず反応が遅れる。

 だけど、氷華と一凛は違ったようだ。


「葵香、ココア様!」


「んっ!」


「ウナッ!」


「氷壁!」


 一凛が葵香とココアを抱き上げて庇い、氷華が慌てて氷の壁を展開する。

 氷華が作り出した氷壁は、もの凄い速度で前方五十メートルの辺りに展開した。

 その速度、それこそが現在における彼女の実力なのだ。


 さすがだよ、氷華――なにっ!


 瞬時に対応してみせた氷華に称賛を送る。

 ところが、その隙が仇となってしまった。


 見るからに強固に見える氷壁にヒビが入ったかと思うと、一瞬にして粉々に砕け散った。

 ただ砕け散るのなら問題ない。いや、それはそれで問題があるのだけど、今回に限っては最悪な展開が僕等に襲い掛かった。

 そう、砕けた氷の破片は、奴の放った風圧で弾丸の如き勢いで襲い掛かってきたのだ。


「伏せろ!」


 前に抱いた葵香を守るために、氷塊の弾に背を向けた一凛の声が、すぐさま声を張り上げた。

 いや、それではダメだ。それでは遅い。


「爆裂!」


 物凄い勢いで襲い掛かってくる氷の破片に魔法をぶち込む。

 近距離で起こった爆発は、氷の破片を砕き、冷たい粒を降らせる。


 よし、間に合った……


 ホッと安堵の息をついたのも束の間、氷粒のベールを払いのけるように、無数のコンクリート片が飛んできた。


「うわっ! 爆裂!」


 すぐさま爆裂魔法で応戦したのだけど、今度は爆裂で砕かれた破片が襲い掛かってきた。

 対応するのが遅すぎたのだ。


「きゃっ!」


「ぐふっ!」


「氷華! 一凛!」


 僕の耳に氷華の悲鳴と一凛の呻き声が届く。

 焦りを抱きつつも、すぐさま彼女達を守るべく前に出でる。

 爆裂の魔法で砕かれたコンクリート片が、目にも留まらぬ速さで頬を切り裂き、脚に突き立ち、腹を抉った。

 自分が受けたダメージは甚大だ。

 それこそ、痛みで意識を手放してしまいそうだ。

 そこへ追い打ちがかかる。


「うっ……マジなの……」


 奴が再びコンクリート片を吐きつけてきたのだ。

 そう、奴は自分が食った物を武器に変えているのだ。


 目眩がしそうなほどの苦痛に呻きながらも、歯を食いしばって右手を突き出す。


「ぐほっ、うぐっ……ば、爆裂!」


 迫りくる無数のコンクリート片を爆裂の魔法で粉々に砕くことには成功した。

 ただ、近距離で爆発させた所為で、僕は吹き飛ばされてしまった。

 間違いなく、氷華、一凛、葵香、ココアも同様に吹き飛ばされてしまったはずだ。

 しかし、非難も、悲鳴も、呻き声も、吐息すらも聞こえてこない。

 ただただ耳に届くのは、コンクリート片が氷の上に転がる音だけだった。


 心臓が押し潰されそうな恐怖――仲間を失う恐ろしさが僕を苛ます。


 氷華、一凛、葵香、ココア、無事であってくれ……


 神に祈るが如く彼女達の無事を願いながら、激痛が走る身体を起こして周囲を確認する。そして、息を止めてしまった。


 氷華と一凛は身体の殆どを己が鮮血で真っ赤に染め、無残な姿を凍った川の上に横たわらせている。

 どうみても無事だと思えない。いや、その姿を見て生きているとはとても思えなかった。

 葵香は血濡れてこそいないものの、かなり遠くに転がってピクリともしていない。

 ココアについては、どこに居るのかすら分からない。


「またなの? またなのか……またなんだ……くそっ、またかよ……また、守れなかった……くそっ、くそっ、くそっ! くそーーーーーーー!」


 赤い衣を纏ったかのような氷華と一凛を目にして、己が弱さに、彼女達にこんな仕打ちをしたベヒモスに、このクソったれな世界に、底知れぬ怒りを覚える。

 気が付けば、込み上がってくる怒りを抑えきれず、天に届くかのような怒号をあげていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る