京都 橋ものがたり

林 のぶお

第1話松尾橋(照明)BEATLES「LET IT BE」

 主題歌 ビートルズ「LET IT BE」


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「今日は仕事はもういいですから帰って下さい」

 川口繁が息を切らしながら、京都東山の大和大路通り付近から、四条通りに面した日本最古の劇場、南座照明控室に顔を出したのは、五月の半ば、午後二時過ぎだった。

 川口の仕事は、南座の照明係である。

 昼の部は、午前11時から始まっている。完全な遅刻である。

「もうほんまあかんでえ」

 照明課長の笠置がそう言葉を付け足した。

「すみません。あとやりますから」

「ええから今日は帰って」

「そう云わずに」

「しつこいなあ。もう繁!酒臭いから早よ帰れや」

 笠置はそこで言葉を区切りパソコンに向かった。

 しばらく間をおいて、

「繁さん、今年幾つや」

 川口の顔を見ずに、パソコンの画面に向かいながら笠置が言葉を投げかけた。

「七三です」

「七十過ぎてまだ酒に呑まれるかあ。ほんまあかんでえ」

「すみません」

「今朝から皆、メール、電話したけど全然出ないからほんまに死んだと思うたんや。後で奥さんに電話しときや。皆、心配してたから」

「どうもすみません」

 川口は、照明控室を出て楽屋口に向かった。

 本当は、地下事務所の扉から出て、そのまま地下階段を下りた方が京阪電車の祇園四条駅に近い。

 しかし昼間から帰る姿を事務所の人間に見られたくなかったのだ。

 川口の家は大阪市内にある。

 大阪へ帰るには、二つのアクセスがあった。京阪電車と阪急電車である。

 京阪電車は空いているし、南座からは地下階段を下りれば、すぐ「祇園四条」駅である。三十秒で行ける。

 片や阪急電車「河原町」駅は、四条大橋を渡り、木屋町入り口から階段を下りて地下道を歩かないといけない。ゆっくり歩けば五分はかかる。

 京阪電車の特急に乗る前に自宅と娘、孫へラインした。

(今から帰ります)

 すぐに三人から返信が来た。

「生きてたんか」

「パパ、生きててよかった」

「じいじ、死んだらあかん」

 車内でスマホのメール、電話履歴見ると、五十件近くあった。留守電もそれに近かった。

 大阪から一時間半かけて、毎日京都南座に通っている。

 川口の職種は、南座の舞台照明である。

 南座の場合、照明は四つのセクションに分かれる。

 調光室、センタースポット、サイドフォロースポット、ステージ係

 川口は、サイドフォローを担当していた。

 サイドフォローとは、その名の通り、上手側(舞台に向かって右側)のフロント室に座り、花道から出て来る、又は花道の揚げ幕の中に入る役者にスポットライトを投射する仕事である。

 高校を出て今日まで五四年に渡り、照明の仕事をしていた。

 南座の社員なら定年制があるが、川口はフリーの照明マンだった。

 京阪電車の中で、何故遅刻、それも午後二時近くまで起きなかったのか、何故それほどまでの深酒をしたのか思い返していた。

 昨日の夜、調光室担当の岩倉椿(つばき)が、自分の出身地、岩手県の地酒「鬼のなみだ」を持って照明控室に現れた。鬼も涙を流して喜んだといわれのある名酒である。

 四日間の休暇を貰い、実家の岩手に帰省していた。

 公演後皆で照明控室で酒を飲み出したのが、午後七時過ぎだった。

 そこで一時間飲んだ後、祇園の居酒屋、スナック、クラブを一人ではしご。最後に南座からほど近い大和大路から一本路地に入ったクラブ「鞍馬」に入った。飛び込みである。

 そこは、老マスターが一人で店をやっていた。

「お仕事帰りですか」

「ええ」

 店内には、ビートルズの音楽が流れていた。カウンター前の酒の瓶が置かれている棚の隣りは、レコードをかける蓄音機が置かれていた。

「この曲、ビートルズのDay Tripper ですね」

「お客さん、よくご存じですね」

 マスターの目が輝き出した。

「これ日本武道館公演の時、確か四曲めに披露しましたよね」

「お客さんビートルズファンですか?ここは私を含めて皆、ビートルズファンが集う店、聖地なんです」

「特別好きじゃないけど、あの昭和四一年(1966年)の日本武道館公演は5ステージとも見ましたよ」

 少しはにかみながら川口は答えた。

「ほ、本当ですか!こちらのお客様ビートルズ日本武道館公演見たんだって。しかも5ステージ全部ですって!」

  マスターは、カウンター、テーブルに座っている他の客に云った。

 店内に歓声が上がり、続々と川口の周りに人が集まった。

「ぜひその時のお話を聞かせて下さい」

 店内で一番若い青年が目を輝かせて聞いてきた。

「いやあ僕は、皆さんのように根っからのビートルズファンじゃないんです」

「じゃあどうして五回も見たんですか」

 マスターが素朴な疑問を投げかけた。

「仕事です」

「仕事?警察官ですか」

 現在コンサート会場の警備は、民間のイベント警備会社が行っているが、当時は今では考えられないが、本物の警察官、消防士などが警備に当たっていたのだ。

 それを知っていたマスターの質問だった。

「いえ、照明です」

「照明って、あのチカチカ色が変わるものですか」

「いえ、センタースポットです」

 一階のアリーナ席には、ステージに向かってスポットライトが左右から四台ずつ合計八台設置された。

 ビートルズ日本武道館公演では、ステージと同じ一階のアリーナ席には、客を入れなかった。

 アリーナ席とは、ステージと同じエリアで周囲に作られた既存の客席ではない。

 これも今では考えられない事であった。

 アリーナ席にあるのは、左右に扇型に伸びるカメラレールと中央のカメラブース、その両端にあるスポットエリアと音響ブース席だけだった。

 センタースポット室は、仮設で後方に作られた。

「誰をフォローしたんですか」

「僕が担当したのは、ジョンレノンです」

 川口が(ジョンレノン)と呟いただけで、店内から小さな悲鳴が上がった。

 マスターが、レコードを来日公演でも歌われた「Yesterday」に替えた。

「確かレットイットビーは来日公演では、歌わなかったですよね」

「ええ歌ってません。あの曲はその後に作られたんですよね」

「確か1970年ぐらいでした」

「じゃあ日本武道館公演コンサートから、四年後ですね」

 今では日本武道館コンサートと云うと、大体二時間から三時間かかるコンサートがほとんどである。

 しかしビートルズは、11曲、三十分ばかしの公演で、これも今では考えられないくらい短い。

 昭和四十一年(1966年)六月二九日ビートルズ来日。

 翌三十日から七月二日までの三日間(三十日は夜一回、一、二日は昼夜二回)合計五ステージ公演を行った。場所は、東京日本武道館。

 これが日本武道館が、初めてコンサート用に貸し出された歴史的瞬間だった。

「どうして日本武道館だったんですか」

 若者が質問した。

「当時は、今の様に一万人収容出来るドームとかホールが他になかったんですよ」

「まだ東京ドームも横浜アリーナとかもちろんない時代でしたね。巨人戦の野球は、後楽園球場でしたよ」

 マスターが補足説明してくれた。

 ビートルズ来日前から、日本武道館周辺は、不穏な空気に包まれていた。

 と云うのも熱狂的な武道愛好家たちから、

「敬愛すべき、神聖な日本武道館をわけのわからない外人公演に貸し出すとは何事か」

「日本人として恥を知れ!」

「正力オーナーは責任を取って腹を切れ」

 等と書かれたプラカードや横断幕を掲げて気勢を上げていた。

 正力とは、主催した読売新聞のオーナーである。

「当時僕はまだ二十一歳の若造で、本当はそんな重要な任務出来る立場じゃなかったんです」

 センタースポットの担当者が、交通事故で入院してしまい、急きょ代役させられた。

「でも五回も日本武道館公演聞けたなんて、私らからしたらお客様が神様ですよ」

「本当のレジェンドですね」

 隣に座った若者は、少し興奮気味で勢いよく喋った。

 久し振りに聞く言葉だった。

(ビートルズ日本武道館公演に立ち会った事)

(ジョンレノンのセンタースポットを担当した事)

 この二つの勲章は、終生川口の照明生活についてまわった。

 照明をする現場へ行くと、

「こちらが、あのビートルズ来日公演の時のセンタースポットを担当した川口繁さんです」

 と必ず紹介された。

 長らく照明業界で喧伝されたのである。

 日本照明家協会が発行する、冊子にも何度か紹介記事が掲載された。

 そしてその後、必ず羨望の眼差しが注がれた。

 それが一時期、うっとおしくなる時もあった。

「レジェンド」のあだ名もうっとおしかった。

 ビートルズと云う巨大な殻を早く破りたかった。でも出来なかった。

 焦れば焦るほど、周囲は「ビートルズ」「レジェンド」の称号を着せたかったのだ。

 転機は知らず知らずのうちに、次の時代の向こうから訪れた。

 時の移ろい、歳月の経過とともに、徐々に誰もビートルズの話をしなくなった。

 時代と共に、世間の関心事も、音楽も変わる。

 それから日本は、ロカビリー、グループサウンズ、フォークソング、アイドル等様々な音楽ジャンルが席巻した。そりゃあそうだ。

 あれから五十年以上と云う途方もない時間が過ぎたのだ。

 今の若者たちは知らない。日本全体、いや世界全体がビートルズ菌に侵されて、熱病を患っていた事を。

 その渦中にいた川口は、その熱病が永遠に続く錯覚に陥っていた。

 しかし現実は、そうではなかった。

 川口自身も、日本もいつしかその熱病から解放された。

 日本の社会、世間は次の熱病を求めて走り出していた。

 時代は東京オリンピックを二年前に経験して、今度は四年後の大阪万博に向けて走り出していた。高度経済成長時代真っ只中、ばく進、爆走していた。

 今の中国か、いやそれ以上のエネルギーで日本社会全体、日本人全てが突っ走っていた。

 立ち止まる事は決して許されない、そんな雰囲気が社会に蔓延した。

 社会全体が次の高熱にうなされ始めようとしていた。

 あの当時を経験した川口にとって、今の日本は寝たきり老人ならぬ、「寝たきり社会」に映っていた。

 あの当時、今の老人のように、「老後不安」なんか一言も云っていない。

 日本社会全体が若かったのだ。

 昭和二十年の敗戦。日本全土が焼土と化した。三百五十万人もの日本人が戦争で、空襲で命を落とした。

 その想像を絶する、大きな犠牲の上に今の平和がある。

 紀元二千六百年の日本の歴史において、いや世界史で見ても、一国の国が僅か四年の歳月で大量殺戮を経験したのは、日本国だけなのだ。

 日本人は普段は、従順でおとなしいが、ブチ切れると怖い。とことんやる国だと、外国の人達からは、畏怖の念で見られているのは、そのためである。

 そして月日が流れて、二十一歳の若者は、七十三歳の老人になった。

 ビートルズ四人のメンバーも川口が担当したジョンレノンも凶弾に倒れ、ジョージハリソンも亡くなっている。

 生き残ったのは、ポールマッカートニーとリンゴスターの二人だけである。

 永遠にビートルズの再結成はない。

「お客様、これ私からのサービスです」

 マスターはそう云って水割りをプレゼントした。

 それが切っ掛けで、店内にいた客から次から次へとお酒が振舞われた。

 酔いも手伝い川口はさらに饒舌になった。

「リハーサルも行われたんなら、都合六回聞いた事になりますね」

 マスターが確認するかのように聞いた。

「いやリハは一回もなかったです」

「えっじゃあぶっつけ本番ですか」

「そうです。私もそれから長い事コンサート照明に携わって来ましたが、リハのないぶっつけ本番は、後にも先にもこのビートルズ公演だけです」

「私、テレビ中継見ました」

 年配の女性が云った。

「前座は確か、内田裕也とクレージーキャッツでしたか」

「いえ、内田裕也、尾藤イサオ、ドリフターズでした」

 内田裕也は、女優樹木希林の夫で、長らく別居生活が続く。

 尾藤イサオと云えば、アニメ「あしたのジョー」の主題歌で有名だ。

 ドリフターズは、後年1970年代、テレビ番組「全員集合」でお茶の間の人気者となるが、この時は無名に等しい存在である。

 まだ志村けんが加入する前の話である。

 当時芸能界を一手に牛耳っていたのが、渡辺プロ。通称なべプロ。

 ザ・ピーナッツ、園まり、中尾ミエ、伊東ゆかり、布施明、後のグループサウンズの盟主、沢田研二とザ・タイガース等有名な歌手のほとんどが、なべプロ所属である。ナベプロは、当時の芸能界で絶大な力を持っていた。

 ザ・タイガースと云う名前は、この時まだない。

 「ファニーズ」と云う名前で、大阪ミナミのジャズ喫茶「なんば一番」で歌っていた。

 その場所は、戎橋商店街と道頓堀が交差する所、かに道楽の前にあった店で、今は蔦屋書店になっている所だ。

 売れる前の和田アキ子、上岡龍太郎、浜村淳などが出入りしていた。

 和田アキ子は、ここのステージで歌っているところを、ホリプロの社長にスカウトされた。

 そして当時人気絶頂だったのが、「ハナ肇(はじめ)とクレージーキャッツ」だった。

 毎年、クレージーキャッツのメンバーの一人、植木等(ひとし)を主人公にした映画が、東宝で「無責任シリーズ」として上映、映画の主題歌も大ヒットした。

「前座で出るのが嫌だと云い出して、結局当時無名のドリフターズになりました」

 川口は差し出されたウイスキーに口をつけた。

 川口の話に若者は、夢物語を効く面持ちで、まだ同時代を過ごした世代の客は、当時を懐かしむ風情だった。

「で、ドリフターズの音楽聞いてどんな感じだったんですか、観客は」

「そらああまり長い事やったら観客は怒りますよ。でも音楽はしっかりとしてたと思います」

 川口の話に、人垣がさらに増えて来てカウンターの前には、飲みきれないほどの酒がどんどん並べられた。

 聞いている客も興奮していた。

 しかもリアルタイムであの伝説のビートルズ公演に参加した人の話を直接聞けるのだ。

 一回だけでなく、五回も聞いた人の話だ。

 客はまるで川口を憧れのビートルズとして見ていた。

「本当にレジェンドですね」

 それからの事は、記憶が飛んでいて、全く覚えていない。

 たぶん、酒を飲み過ぎてそのまま寝てしまったのだろう。

 気が付けば、ソファで寝ていた。

 テーブルに手紙が置いてあった。

「起きたら、この鍵でドアを閉めて連絡下さい。レジェンド様 鞍馬誠司より」

 そしてマスター、鞍馬誠司の携帯電話が書かれている名刺も添えられていた。

 すぐに電話した。

「すみません、寝てしましました」

「レジェンド様、昨晩は楽しかったです」

「鍵はどうしましょうか」

「テーブルの上のナプキンに巻いて、一階の郵便受けの中に入れておいて下さい」

「酒代はどうしましょうか」

「そんなもの要りませんよ。ですけどまた店に来て下さい」

「わかりました」

「きっとですよ」

 電話を切ると、南座に向かって走り出した。


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 川口の家は、大阪の弁天町にある。

 京阪電車だと、淀屋橋終点で降りて地下鉄御堂筋線で梅田へ出る。JR大阪環状線内回りに乗り換えて弁天町下車。徒歩五分。

 帰宅すると、妻の麻子と普段いない娘の晴代と孫の綾香までいたのでぎょっとした。

 麻子は川口と同じ七三歳、近くで料理教室を開いている。

 娘の晴代は四四歳。結婚して近くに住んでいる。

 孫の綾香は、芸術系の専門学校を卒業して、川口と同じ照明の仕事をしている。

 と云っても、ムービングライト調光が主で、コンサート中心で、京都南座のような商業演劇ではなくて、音楽中心だった。

「まだ酒臭い」

 まず麻子が鼻をつまんで云って大げさに鼻をつまんだ。すぐに風呂に入らせられた。

 風呂から上がると、リビングで三人が待ち受ける。

「南座の笠置さんから何度も電話ありました」

「本当に皆心配してたんよ」

「あと連絡が一時間遅かったら警察へ行ってた」

 と孫の綾香まで不機嫌そうに話す。

「警察?そらあ大げさやろう」

「大げさじゃなくて、笠置さんの提案です」

 確かに今まで遅刻は何度かある。しかしそれは、大体三十分か一時間であり、すぐに連絡もしていた。

 今回のように、昼を過ぎても連絡が取れないのは、初めてだった。

「連絡取れないのは、きっと事故か事件に巻き込まれたに違いないと笠置さん、そう云い張るもんだから、私も段々心配となって来て」

 麻子がそこまで云って涙ぐんだ。

 川口は麻子の涙を見て少し反省の芽が生まれ始めた。背中がひやっと冷たく感じた。

「生きてた、よかったなあと」

「もういい加減、酒に呑まれるのはやめて下さい」

「そうだよ、やめなよ」

 綾香は、仕事の関係でよく東京の照明プランナーと会話するため、日常でも大阪弁ではなくて、標準語を話す。

 川口にとっては、それも嫌なうちの一つだった。

「明日から無期限禁酒」

 麻子が無表情で宣言する。

「もし酒飲んだら、絶交」

「私は離婚します」

「私も絶交」

 三人が矢継ぎ早に宣言した。

「ちょっと待ってくれや」

 辛うじて川口は、つぶやいた。

「いいえ、今回ばかりは待てません」

「パパ、南座の照明部の人にどれだけ迷惑かけたかわかってないでしょう」

 確かにそうだ。

 麻子の話によると、当日川口の抜けたサイドフォロースポットにステージ係の人間が行った。

 ステージ係は一人減で進行した。

 当然舞台進行に支障をきたす。そこは大道具の人が手伝ってくれたそうだ。

 本来自分のセクションですべき仕事を他の係りの人間が行うのは、プロとして恥ずべき行為であった。

 川口が今日、照明控室に行って謝った時、笠置は一言も愚痴を云わなかった。

 改めて笠置にすまないと思った。

 一旦席を外した娘の晴代が、手にペンと紙を持って戻って来た。

「口約束は、証拠に残らないから、念書取ります」

(そんな大げさな)と口から言葉が出かかった。それをぐっと呑み込んだ。

 川口は、云われるままペンを走らす。その文言は、

「私は今後一切、酒を如何なる場合でも飲みません。もし飲んだら妻麻子と別れます」

 そして今日の日付を書いて、判子を押した。

「これでええか」

「ええも悪いもあなた次第ですよ」

「お母さん本気やからね。うちも本気」

「私も本気です」

 三人の女から睨まれ、川口の身体は小さくなった。


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 翌日、南座で仕事中、麻子からラインが届いた。

「今日は一回公演ですよね。終わったら嵐山の松尾大社へ行きなさい。そこで禁酒の願掛けしなさい」

 ラインと共に、松尾大社への行き方と写真が添付されていた。

 検索するとすぐに出て来た。

 松尾大社は歴史ある神社で、酒の神様を祭っている。

 行き方は、四条河原町、高島屋前からバスが出ている。

 「松尾橋」下車。徒歩五分。

 四条通りの東の突き当りが、八坂神社。ここも古い。

 その通りの反対の西の突き当りが松尾大社だった。

 一つの大きな通りの両端に二つの歴史の古い神社が鎮座している。

 さすがは京都だと思った。

 川口は、バスに乗った。車内でさらに、検索してみた。

 電車なら、阪急京都線で桂駅まで出る。そこから嵐山線に乗り換えである。二つ目の「松尾大社」下車。

(電車で行ってもよかったかな)と思った。

 川口は、あまりバスが好きでない。電車の方が好きだ。

 妻の指示だから、バスにした。

 松尾橋には、三十分ばかしで着いた。堀川通に出るまでは、停滞でゆっくりと進んだが、それを過ぎると徐々に車が少なくなり速度を増した。

 時刻は二時半過ぎだった。夕刻のラッシュまではまだ時間がある。

 西大路を過ぎるとさらにスピードアップした。

 松尾橋は、歩道の幅が一メートルばかしで狭い。しかもその狭い歩道を自転車が走り抜ける。

「危ない!」

 思わず声を上げた。

「自転車は、乗らずに押して渡る事」

 と松尾橋の両端に立て看板が出ていた。しかし、そんな事は、全く無視して、悪びれた様子もなく自転車が通り過ぎる。

 前からなら、見えるのでまだ身構えが出来る。

 しかし、後ろからさーと音もなく走って来られるとひやっとする。

 松尾橋の真ん中で立ち止まり、下を流れる桂川を見る。

 川辺で若者たちが、バーベキューを開いていた。

 昔はこんなに簡単に野外で食べ物を焼いて食べる行為は誰もしなかった。そんな道具もなかった。

 京都には、バーベキューセット、肉、野菜から、日よけパラソル、テーブル、チェアーに至るまで全て現場まで運んでくれるサービスもある。

 参加者は手ぶらでいけるのだ。便利な世の中になったもんだ。

 五月の爽やかな風が、川口の頬を通り過ぎて行く。

 今が一年中で一番過ごしやすい時期である。

 暑からず寒からずだ。あと一か月のしないうちに、じめじめとした梅雨を迎える。

 阪急嵐山線の踏切を通り過ぎると、朱色の大鳥居が見えて来た。

 ここが四条通りの西の端、行き止まりである。

 真っ直ぐ参道を突き進むと、二つ目の鳥居が見えて来た。

 二つ目の鳥居は、他の神社で見かける鳥居と少し様子が違っていた。

 鳥居の上の横の棒に、何やらぶら下がってある。鳥居の横に説明書きの高札があった。

 脇勧請(わきかんじょう)

 赤鳥居の上部に榊の小枝を束ねたものが、数多く垂れ下がっています。

 これを(脇勧請)と称します。

 この形は、鳥居の原始形式を示すもので、榊の束は十二(閏年は十三)あり、  月々の農作物の出来具合を占った太古の風俗を、そのままに伝えていると云われ ております。


 その鳥居の前に、京都嵯峨芸術大学のスクールバス乗り場があった。

 階段を上がり、大社の中に足を踏み入れた。

 拝殿の左奥には、大手酒造メーカーの酒樽が五段に積み重なっていた。

 物珍しそうに外国人観光客が写真に収めていた。

 境内には、亀と鯉のコンクリートで作られた置物があった。

 「撫で亀さん」

 古来から亀と鯉は、神の使いと云われて来た。撫でると、健康長寿などご利益があると云われている。

 川口は念じながら撫でた。文言はもちろん「酒断ち」である。

 次にとにかく、参拝する事にした。そして証拠写真を撮り、ラインで送った。

 実に便利な世の中になったものだと川口は思った。

 つい十数年前まで、写真はフィルムで撮り、写真店へ行ってネガで焼いてもらう。早くて三日ぐらいかかる。

 それをまた店へ取りに行く。その写真を同封して手紙を書き、それを持ってポストへ行く。この一連の作業が、今では、

「ピッ」

 とボタン押すだけで相手に届く。若い人に笑われるかもしれないが、これはまさしくSFの世界だ。

 お賽銭は、五百円にした。いつもなら五円か十円の川口にしたら、大奮発である。

(えーと、お酒断ち出来ますように)

 拝んだ後、ふと思った。

 酒の神様を祭る社で、

(酒をやめる願掛けは、少しおかしいぞ)と思った。

 でもこれであの女三人が納得するのであれば、それはそれでいいだろうとも思った。

(でも何かおかしい)

 一抹の納得がいかないのを抱えながら境内を見て回る。

 ここの庭園は、重森美玲と云って、昭和の名庭園家が作り上げたものだ。

 京都の街は、名庭園家を生ませる土壌が昔からあった。

 江戸時代、二条城や高台寺などの庭を作庭した小堀遠州、明治の七代目小川治兵衛は、平安神宮、円山公園、岡崎の無隣庵等の岡崎一帯の邸宅の庭のほとんどを作庭した。

 そして、昭和の重森美玲である。一番有名なのは、東福寺の苔と石で作られた市松模様の庭である。松尾大社の庭は、重森美玲の晩年の作品であった。

 せっかく来たので入る事にした。

 そそり立つ石。今見ても古さは微塵も感じられない。むしろ前衛の庭の感じがした。

 ぐるりと一周してさて帰ろうと再び今来た道を引き返そうとした時だった。

「おいレジェンドか」

 向こうから一人の老人が声を掛けて来た。

「お宅様は、どちら様ですか」

 自分の昔のあだ名を知っているから、全くの他人ではなさそうだ。

 しかし、目の前の髪が真っ白の顔の皺が異様に多い老人を直視しても川口の頭の中は作動しなかった。

「おいおい俺の顔を見忘れたか。まあ五十年も前の話で申し訳ない。ロックアンドミュージックでも口ずさもうか」

 そこでピンと来た。何故ならその曲は、ビートルズ日本武道館公演の時のオープニング曲だったからだ。

「ええっノダトクか?」

「そうとも」

「生きてたのか」

 五十一年ぶりの再会だった。

 ノダトクこと野田徳太郎は、日本武道館公演の時、ポールマッカートニーのセンタースポットを担当していた。川口より二つ年上の七十五歳だ。

「どうして松尾大社にいるんだ」

「それは俺の方が聞きたいよ。お前さん真剣な顔して拝んでたなあ」

「そこから張り込んでいたのか」

「五十年前の面影しかないからな。人違いかもしれないと思ってさ」

「で、声を掛ける決め手は何だった」

「ここではなんだから、ちょっと店に入ろうか」

 境内の茶店に入った。

 蕎麦を頼んだ。

「あとビール二本」

 野田が云った。

「いや俺、今、酒駄目なんや」

「どうした、身体でも悪いのか。とにかく持って来て」

「はーい」

 注文を取りに来た店員は奥に引っ込んだ。

「徳川さんと岡さんは」

「将軍とオカッパか、知らねえ。二人とも死んだかもしれんなあ」

 将軍こと徳川誠司はジョージハリソン、オカッパこと岡晴彦はリンゴスターのスポットライトを担当していた。

「そうだよなあ、ビートルズも半分死んだからな」

「えらいしんみりだよね、川口。どうしたの、身体でも悪いの、だからビール飲まないのか」

「いやそうじゃなくて、実は酒で失敗してね」

 事のいきさつを川口は手短に話した。

「何だそれぐらい。俺達の世界ではよくある話だよ、気にするな。それよりも七三歳で照明の現役の方が驚きだよ」

 先にビールが運ばれた。

 川口が、野田のコップにビールを注いだ。

「有難う。とにかく二人の半世紀ぶりの再会に乾杯」

「乾杯」

 川口は、水の入ったコップで乾杯した。

 野田はコップのビールを一気に飲み干した。後は手酌だった。

「野田さん、今は照明は」

「とっくの昔にやめたよ。今は貧乏年金暮らし。下流老人の仲間入りだよ」

「幾つでやめたんですか」

「幾つだったかなあ。あれだよ、ムービングライトが台頭して来た時に思ったんだ」

 ムービングライトとは、コンピューター制御で上下左右前後に自由自在に瞬時に灯体が動き、色も一瞬のうちに、変わり、強烈な光をステージのみならず、客席まで投射するのだ。

「何を思ったんですか」

「これは違うなあと。うまく云えないけど、あの頃の照明って割と手作り感満載だったろう、ピンスポットにしたって」

 野田の言葉で、川口は半世紀前のセンタースポット(ピンスポット)の事を思い出していた。

 あの頃、センタースポットは、電源直流の「アークピン」と、交流の「ソフトアーク」の二種類があった。

 丸い円のエッジがぼやけて、柔らかい光を出す「ソフトアーク」は主に芝居で使用され、逆に丸いエッジがシャープな「アークピン」は、主にコンサート、レビューなどで使われていた。

 その構造は、鉛筆よりも少し長めの炭素棒二本を左右のプラス極とマイナス極に固定して最初、先端を接触させてスパークさせて、内部のミラーで反射させて光を出していた。

 最初光が安定するまでは、スポットライトの円、丸いエッジが微妙に震える。

 それをいかに早く安定させるか、職人技が要求された。

 灯体の横の丸い小さな覗き窓から、炭素棒の離れ具合を見ながら、始終灯体の後ろのレバーを回し続けないといけなかった。

 時間と共に、炭素棒は燃えるので、少しずつ短くなり、両者の間隔は段々長くなる。そのまま放っておくと、光は消えてしまう。かと云って引っつけ過ぎると、スパークしてこれも消えてしまう。

 微妙な匙加減が要求される。まさしく職人技である。

 照明用語の一つに、センタースポットフォローの事を「ピンを焚(た)く」と云う。その語源はここから来ている。

 と云う事を、今の若い照明に携わる人間は誰も知らない。

 誰一人、本当の意味で、ピンを焚いた事など皆無だ。

 今は、クセノンピンと云って誰でもスイッチポンで明りが投射される。

「ソフト」も「シャープ」もすぐに切り替えが出来る。

 それは、一昔前の映画館の映写機も同様だった。

 やはり炭素棒を燃やして、焚いていた。上映中フィルムが切れる事もあった。

 炭素棒の燃え具合で、画面がぼけたり、微妙に揺れる事もあった。それも直さないといけない。まさに職人技が要求された。

 現代のシネコンの映画館は、そんな職人技を全く必要としなくなった。

 アルバイトの人間が、スイッチポンで自動的に客電が暗くなり、映画が始まる。

 デジタルコンピューター制御なので、切れる心配もない。

 そばが運ばれた。

「段々時代と共に、どんどん照明もコンピューター制御されて便利になった。でもその便利さと引き換えにさあ、手作り感、達成感が失われたと、そう思わねえか」

 そばを食べながら野田が云った。

「確かにそうやなあ」

「一杯ぐらいいいじゃないか、飲めよ」

「いやあ・・・」

 一瞬我が家の女三人の顔と念書が頭に思い浮かんだ。

「やっぱりやめとく」

「固いねえ」

「そばがか?」

「じゃなくて、お前さんの酒を断る気持ち」

 しばらく二人はそばを食べ始める。

「川口さん、あんた昔、照明協会の冊子に(今の照明を斬る)と題したエッセーを投稿してただろう。あのエッセーよかったなあ、あれは同感だよ。俺、照明やめても、年会費払って冊子読んでるんだ」

 エッセーの中身はこうだ。

 (ムービングライトの出現で、照明の概念も大きく変わった。

 今までチカチカと点滅するしかなかったライトが、まるで命を宿った個体の如く縦横無尽に光を投射出来るようになった。

 その光の筋、タッチを見せるために、ロスコ、スモッグマシン等で煙を出す。

 ややもすると照明が主人公になり始めた。

 ステージの役者、歌手の存在など全く無視してムービングライトがしゃしゃり出て来たのだ。

 今では演歌歌手までムービングライトを使う。

 本当に困ったご時世になったものだ。それともこんな考え方は、やはり古いのだろうか。もはや目の前で繰り広げられる一瞬の光の洪水のように、同じく消えてしまうのかもしれない。)

「昔は舞台奥のホリゾント幕に色がぼんやり浮かんで、間奏で遠慮気味にじんわりと色が変わって行く。どこか牧歌的でよかったなあ」

 野田はそばを食い終わると、再びビールを飲み始める。

 確かに野田の云う通りだと川口は思った。

 昔の照明は、どこか職人芸と云えば大げさかもしれないが、センタースポットも調光もステージ係も今より、数倍人間臭いところだった。

「俺はムービングライト嫌いなんだ。だから照明から足を洗ったんだ。最近のテレビの歌番組見た事あるか」

「うん、たまに見る」

「あれ酷いねえ、ムービングライト百台くらい吊って、ステージにも五十台ぐらい置いてあるんだ。それらを全部動かしてシャッフルして光の洪水。ロスコばんばん焚いて強烈な光と煙で歌手の顔も身体も、乱反射して見えないんだ。あれよく、歌手が黙ってるねえ。美空ひばりだったら絶対許さないよ」

 少し興奮気味に一気呵成に野田は喋った。

「うちの孫が、私と同じ照明の道を歩み始めたんだけど、そのムービングライトのオペレーターやってるんだ」

「幾つなの」

「二十歳」

「若いのに偉いねえ、あれ結構難しいんだろう、データーの打ち込みが」

 舞台稽古で、操作卓にひたすらデータを打ち込む。その作業は、照明の仕事と云うよりプログラマーの作業と酷似している。

「生まれた時から、パソコンも携帯もある環境だから、我々アナログ人間とは根本的に違うんですよ」

「確かにな。川口は携帯はガラケイなの」

「いえスマホで、ツイッターもラインもフェイスブックもインスタグラムもやってます」

「七十三歳の爺さんが頑張るねえ。やはり現役は違うよねえ」

「今日はどうして松尾大社なんか来たの。京都観光するなら、もっと有名なとこあるでしょう」

 川口は、最前から聞きたかった事を口にした。

「お前、大阪に住んでるのに何も知らないなあ、この嵐山は祇園東山と並んで京都二大観光地なんだぞ」

「一人で来たのか。奥さんは」

「もうずいぶん前に死んだ。哀れな一人暮らし」

「子供はいないの」

「一人娘いるけど、寄り付きもしないよ。まあビール飲めよ」

「どうしようかなあ」

 さっきから、目の前で野田が美味しそうに飲む姿に何度も唾を呑み込んでいた。

「迷う事なら飲んだら。お姉さんビールお代わり」

「はーい只今」

 野田は川口の返事を待たずに注文していた。

「あれから五十年かあ」

 野田は川口のコップにビールを注いだ。

「じゃあ口をつけるだけ」

 川口は云ったが、ごくりと飲んだ。

「あーあついに飲みやがった。奥さんに云ってやろう」

「ええええっ!」

「冗談だよ。でもあれだなあ、あのビートルズ公演、ワンステージ僅か三十数分の短いコンサートだったな。でも短くて助かったよ。何しろアークピンスポットだったから」

 炭素棒の寿命は、一本、約四十分と云われていた。

 まさに、ビートルズ公演は、その時間内で収まった。

「ビートルズは、アークピンスポットに合わせてくれた」

 この照明都市伝説は、しばらく照明業界でひとり歩きした。

 野田はポケットからガラ携帯を取り出して素早く何やら打ち込むと再びポケットにしまった。

「確かに」

 アーク棒は長さに限りがあるからいつまでも炎が出るわけではない。

 大体芝居の場合それぐらいで一幕が終わる。

 じゃあ消えそうになるとどうするか。

 予備のスポットを点灯する。その間にアーク棒を取り換えるのだ。

 とても熱い。軍手をしても熱いくらいだ。軍手でペンチを握りアーク棒を取り換える。街の鍛冶屋の仕事だ。夏は地獄だった。

 ビートルズ公演は六月三十日初日。前日は台風でかなりの雨が降った。

 そんなに暑いと思わなかった。

 日本武道館の観客の方が熱かった。

「川口覚えてる?二日目の昼公演の後、楽屋でメンバーと話した事」

「そう云えば、そんな事あったなあ」

 話しながら二人のこころは同時に五十年前にタイムスリップしていた。

「あれ何で楽屋に行ったんやろう」

「行ったんじゃなくて、呼び出されたんだと、テレビ屋に」

 日本テレビが中継するのは知っていた。

 プロデューサーも現場もディレクターも皆初めての日本武道館中継で舞い上がっていた。

 何しろ過去に前例がない事だから一つ一つが暗中模索の作業だった。

 照明、音響、テレビカメラの電源ケーブル、ラインケーブル、インカムコードを這わす事から、それぞれの設置場所をどこにするか、角度、タイミング全て初体験の積み重ねだった。

 このノウハウが、以降の日本武道館公演のおりの大切な道しるべとなったのは云うまでもない。

 プロデューサーとセンタースポット係りの川口、野田、徳川、岡の四人が呼び出された。

 丁度ジョンレノンはビールを飲んでいた。

 川口らが姿を見せると、

「ハロー」

 と気さくににこやかに笑って声をかけてくれた。

 通訳を介して話が始まった。

「ジョンレノンを始め、メンバーは暑い!何とか照明の光を押さえてくれと云ってます」

「そうは云っても」

 川口を始め、センタースポットのメンバーは戸惑いの表情を浮かべた。

 事前のテレビ局との打ち合わせでは、

「最大の照明、最大のセンタースポットライトをお願いします」

 と云われていたからだ。

 今と違って、当時のテレビカメラは感度の性能が悪くて鈍い。少しでも明りが暗いと映らないのだ。

 プロデューサーは笑みを浮かべて、

「わかりました。少し照明の明り下げます」

 と打ち合わせとは正反対の事を云った。

 通訳がすぐに英語で話すとジョンは笑った。

「あの時、川口、扇子をジョンに渡しただろう」

「そうか、思い出した!」

 川口は、根っからの汗かき、暑がりでポケットに扇子を入れていた。

 今はクセノンスポットなので、煙は出ないし、アークピンに比べ熱もそんなに出ない。

「イッツプレゼント」

 拙い英語で川口は、ジョンレノンに扇子を渡した。

 それを見たメンバーが、わあっと押し寄せた。

「俺にもくれっ!」

 リンゴスターが叫ぶ。

「一つしかないのか」

 ポールマッカートニーが愚痴る。

「僕は我儘は云わない。けど一つだけ我儘云うよ。こんな扇子くれよ」

 ジョージハリソンが、物静かに抗議した。

 通訳は忠実に彼らの英語の叫びを訳す。

「わかった、こちらで用意する!」

 プロデューサーも同じ様に叫ぶ。

 ジョンレノンは、笑いながら、

「ビール飲めよ。俺からのお返しだ」

 と云いながら川口にビールを勧めた。

「あの時、お前最初断っただろう」

「そうやったかなあ」

 五十年前の出来事は、他人によって覚えているシーンが異なる。

「それでどうなったん」

「おいおい、しっかりしてよ川口君」

 プロデューサーが川口に一歩近づいて詰め寄った。

「きみ、ビール飲めなくても日英親善のために、口をつけるだけでいいから」

 そう云われた川口は、ビール、それも英国産だ。一口、口をつけた。

 初めての英国製のビール、初めての飲酒。

 川口のビール好きの世界への扉が開いた瞬間だった。

「思い出した、あれから僕は酒の中で、特にビールが好きになったんや」

「川口君、記憶が蘇ったかね、あれから俺は巷(ちまた)で一口と云う言葉を耳にすると、日本武道館の楽屋での出来事を思い出すんだよ」

 野田は、空っぽになった川口のグラスにビールを注ぐ。

 それから川口は、一気呵成の勢いでビールを飲み出す。

「おいおい、ちょっとピッチが早いんじゃないの」

 野田が心配するのを無視して飲み続ける。

「お姉さん、ビールじゃんじゃん持って来て」

 ビールの追加注文したのは、今度は野田ではなくて、川口だった。

「何本持って来ましょうか」

「取り敢えず、五本!」

「おいおい、五本はちょっと多いんじゃないの」

 野田が心配するのをよそに、

「いいから早よ持って来て」

「はーい」

 川口のビール飲み全開である。

 せき止められていたダムの水が一斉に放水されるのと同じくらいの勢いだった。

 あの楽屋の出来事には、野田も知らない続きがあった。

 翌日川口は一人で再び楽屋を訪れて、今度は折り紙で作った鶴を四つ渡した。

「これは何だ」

 それぐらいの英語はわかる。でもすぐに返答出来ない。「鶴」の単語(crane)が口から咄嗟に出て来ない。

 説明に窮した川口は、突如頭の中にビートルズのメンバーがLAL、日本航空で来た事を思い出した。そのロゴは、お馴染みの「鶴」である。

「JAL!トレードマーク!」

 そう叫びながら、両手を腰の辺りで、バタバタさせて鶴の形態模写をした。そして、作った折り鶴を指先で示した。

 これで充分に通じた。

「crane(クレイン)!」

 メンバーは歓喜した。

 今でこそ、折り紙は諸外国に広まり、英語表記も「ORIGAMI」だが、五十年前は、そんなに知られていなかった。メンバーは喜んで受け取ってくれた。

「君は素晴らしいライティングマンだ」

 ジョンレノンが太鼓判を押してくれた。

「また日本に来て下さい!See you again JPAN!」

「I will back!」

「Me too! 」

 メンバーは答えた。

「絶対待ってますから」

 川口は、メンバーと固い握手をした。

 ビートルズのメンバーも川口も思った。

(二回目の来日公演は必ずある)と。自信を持って確信した。

 何故あの時、あんな自信と確信が生まれてのだろうか。

 今となっては、単なる若さの暴走、妄想だったのか。

 現実には、二回目はなかった。

「へえそれは初耳だな」

 じっと川口の話を聞いて野田は答えた。

「鶴の折り紙で、もしビートルズが二回目の来日公演が実現してたら、それこそ(鶴の恩返し)だったのにねえ」

「野田ちん、上手い事云うねえ」

 川口は、顔を真っ赤にして大きく手を叩いてはしゃいだ。

「じゃあ、俺も話すよ、今まで誰にも云ってなかった事」

「何、何」

「あの時、司会はEHエリックだったろう」

「そう日本語ぺらぺらの外人」

「テレビでよくやってた芸があったよね」

「あの耳をぴくぴく動かすやつか」

 その頃、EHエリックがテレビで正面向いて両側の耳を前後にぴくぴく動かす芸が流行った。でも噂では、

「あれは、後ろに人が隠れて、細い棒で動かしている」

 と一部で云われていた。

「その真偽を確かめたくて、楽屋まで行って頼んだの」

「で、やってくれたの?」

「そしたら、君は何をやっている人なのか聞かれたから、EHエリックさんのセンタースポットを焚いている者ですと云ったんだ。そしたら、気楽にやってくれたよ」

「野田さん、度胸あるねえ」

「あんたこそ度胸あるよ。ビートルズのメンバーに折り紙で作った鶴を手渡したんだから」

「羽田に飛行機が止まってタラップから、JALの法被着て降りて来たのを見てこれならやれると思ったんだ」

「あれ、スチュワーデスが頼んだらしいよ」

「あと、エメロン事件知っているか」

 と野田がさらに切り出した。

「エメロンって、エメロンシャンプーの事か」

「ピンポン。ビートルズ公演のスポンサーがライオン歯磨き。そこから出していたのが、エメロンシャンプー!」

 エメロンシャンプーは、ビートルズ来日公演の前年の昭和40年(1965年)八月に発売された。頭髪専用のシャンプーだった。

 今でこそ、頭を洗うのに、シャンプーを使うのは当たり前だが、当時は男も女もまだ石鹸を使用していた。

 中々、長年しみ込んだ習慣を切り崩すのは大変で、発売当初は、思うように売れず、苦戦した。

 そこで、ライオン歯磨きは、新聞広告にビートルズ公演に五千名無料招待の記事を出した。エメロンシャンプーなどの製品の容器に応募券がついていた。

 翌日から、全国でエメロンシャンプーが爆発的に売れた。

 都市部では品切れの店が続出した。

 エメロンシャンプーはそれから、1970年代にかけて、爆発的ヒットとなり、ライオン歯磨きの経営の屋台骨を支えたのである。

 このエメロン事件を切っ掛けに、シャンプーの髪洗いが普及し、駈足で広まった。話は尽きない。

 五十年前の出来事なのに、二人はまるで昨日の事のように話した。

 二人は店を出た。

 境内の方で何やら叫び声がする。

「何だろう行って見よう」

 野田に誘われて川口もついて行った。

 拝殿の前で女が酔って叫んでいる。

「女の酔っ払いかあ。時代は変わったなあ」

 野田は呟いた。

 川口は女に近づいた。

「これこれ、こんなとこで叫んではいけませんよ」

「うるさい、じじいは黙ってろ」

「口悪い女やなあ」

「ほっとけほっとけ」

「何か事情がありそうやなあ」

 川口は、女の隣りに座った。

 女は四十歳前後だろうか。自分の娘と同じくらいだ。

「何かあったんか」

「酒、酒飲んでしもうたんや」

「女でもこの頃は酒でも飲むがな」

 ポツリポツリと女は話し出す。

 過度の飲酒でアル中になる一歩手前までいったそうだ。

 結婚していて、亭主は全く酒を飲まない下戸だそうだ。

 怒った亭主は、今後一滴でも酒を飲んだら、家を追い出すと云われ、さらに念書まで書かされたらしい。

「念書!」

 思わず川口は、自分が書かされた念書を思い出した。

「世の中には、似たような話があるなあ」

 野田がにやりとした。

 そこへ男がふらっと現れた。

「その女はほっといて下さい」

「お宅は」

「こいつの亭主ですよ」

「そうでしたか。可哀想やから、今回だけは許してやって下さいよ」

「いいえ駄目です」

 男は言下にきっぱりと云った。

「何で。一回ぐらい誰かて失敗あるよ、お兄さん」

 川口は食い下がった。

「こいつは、何回も今まであったんです。この前も酒飲んで遅刻して、パート先の店の人に迷惑かけたんです」

 その話を聞いて川口は、ぴんと背筋を伸ばした。

「ますます似て来るねえ」

 野田は低く笑った。

「念書まで取り交わしたんです。夫婦は信頼関係で成り立つと思うんです。その信頼を破った。わかりやすく云えば、つまり私より、酒を彼女は取ったわけです。もしこの約束を破ればどうなるか、念書を取り交わした時に、あらかじめ云ってありますから」

 男の一言一言が川口のこころに響く。まるで自分に云われているようだ。

 急激に酔いが醒めて来た。と同時にこころの中を寂しい風が吹き抜ける。

 自分もまさしく、目の前の女と同じだった。

「許してやって下さい。飲んだのは悪い、けど許して、許して」

 川口は大泣きした。

「悪い、悪い、約束破った悪い!けど許したってえなあ、なあて」

 女の叫びが乗り移ったかのように、川口は大泣きで膝まづき、男の足元に抱きついた。

 傍から見ると、男が川口をいじめているように見える。

 男の困惑の表情が見えて、隣りの野田に助けを求めた。

「川口、わかったわかった。もういいから」

 川口がふと顔を上げると、そこに妻の麻子、娘の晴代、孫の綾香が立っていた。

 一体何故ここに三人がいるのか、理解出来なかった。

「パパ、約束破ったでしょう」

 晴代がまず口火を切った。

「本当にもう」

 麻子は憤慨しながら、懐からあの念書を取り出して、川口の目の前に突き付けた。

「男の約束ってあてにならない」

 綾香は、あきれ返って云った。

「お母さん、パパ約束破ったから離婚よね」

「はいそうします」

 麻子の醒めた声が川口の耳に突き刺さる。

「奥さん、ちょっと待ってやってくれ」

「野田さん何ですか」

「まあ俺の話も聞いてくれ」

 野田が間に入った。

「確かに川口は酒を飲んだ。けど、自ら進んで飲まなかったんだ。俺が再三再四勧めたから、川口は俺の事、気を遣って飲んだ。自ら注文したんじゃないんだ」

「でも結果的には飲んだ事に間違いないわあ」

 じっと麻子は川口を凝視した。

 川口はうなだれてじっと聞いていた。

「川口は、酒が飲みたくて飲んだんじゃない。俺との五十年ぶりの再会に祝杯したんだ。奥さん、娘さん、お孫さん、あんたら若いからこの時間の感覚がわからないと思うけど、五十年ぶりだよ。そりゃあ、誰だって一杯飲みたくなるよ」

「でも一杯で終わってないじゃん」

 綾香が鋭く突っ込む。

「まあまあ、お孫さん、人生はそんな計算通りに行かないの。今回は酒を飲んで不祥事を起こしたわけじゃないでしょう」

「あんた、黙ってないで何か云いなさいよ」

 ずっと念書を突き付けていた麻子だったが、さすがに疲れたのか、その手を降ろした。代わりに綾香が念書を持った。

「誠に申し訳ございません」

「で、どうするのパパ」

「離婚届に判を押すのよね」

「いやそれはちょっと」

「何がちょっとなのよ、これこれ、もう一度読んでみたら」

 今度は綾香が念書を突き付ける。

「まあまあ川口家の皆さん、落ち着いて。さっきも云ったけど川口さんは、飲酒運転したとか、酔って女性に乱暴したとか事件を起こしたわけじゃない。それにこの女性を助けようとした」

「さっきから聞いていると野田さんは、川口さんの弁護士のようですね」

 男は笑って云った。

「あれっ、あなた、何で野田さんを知ってるの」

 川口は素朴な疑問を口にした。

「この人ら、うちの知り合い」

 晴代が云った。

「一体どうなってるの」

 ここで晴代が今回の事を話した。

 川口が酒で、南座の仕事に大遅刻した事を聞いて三人で相談したそうだ。

 川口が禁酒を守れるかどうか試す事にした。

 まず川口を松尾大社へ行かせて、仕込みを作った。

 その第一弾が野田であり、第二弾が女の絶叫だった。

 三人が作ったシナリオは、女がこの後、酒をねだり川口にも勧める予定だった。

 しかし、川口の泣き絶叫で想定外になったそうだ。

「えええっじゃあ野田さんもぐるだったの」

「ごめん」

 野田は、川口の目の前で両手を合わせて頭を下げた。

「あの日、偶然野田さんから電話があったのよ。久し振りに大阪に行くと。それで急遽芝居に参加してもらったの。野田さんが入れば真実味が増すでしょう」

「よく自宅の電話番号がわかりましたね」

「照明家協会の事務局に知り合いがいてね。教えて貰ったの」

「じゃあこちらの男女は」

「私のママ友。とそのご主人。平日で動ける夫婦って少ないんで、探すの苦労したあ」

 晴代が云った。

「じゃあ野田さんに誘われても酒飲まなかったらどうしてたの」

「シナリオは2パターン考えていたの。どうしても飲まないなら野田さんには途中で消えて貰って第二弾の刺客としてこのママ友が店に入って逆ナンパして酒を飲ます」

「酒を飲んだとどうしてわかったんや」

「俺が空メール送ったんだ。それが合図」

 野田が、ガラ携帯を片手で持って見せた。

「お前らミッションインポッシブルか」

 川口は一同を眺め渡して大きくため息ついて、あきれ返った。

「無事作戦終了か」

 野田が晴代に視線を投げかけた。

「作戦はまだ終わってない。芝居の続き、これから大詰の始まりよ。パパ離婚届の判子押すよね」

「ちょっと待った」

「何、野田さん」

「奥さん、川口は、五十年前のビートルズ公演で、ジョンレノンや他のメンバーに折り鶴を作って贈った気の優しい奴なんだ。人間が優しいんだ。今回は特別に許してやってよ、この野田の顔に免じて」

 そう云って野田は頭を深々と下げた。それを見て川口も頭を下げた。

「前回も特別に許して、今回もまた同じ様に許す。これ許してたら、こんなん繰り返しでずるずる行ってしまうし」

「本当にそうだよ。飲んでもまた特別に許してくれるわあと思うでしょう」

「どこかでバシッと線引きしないと」

 晴代と綾香が交代で川口を責めた。

「お母さんどうするの」

 晴代と綾香が麻子を見つめた。

 間。

 緊張の糸で縦横に張り巡らされた「時」でもあった。

 麻子は返事をする代わりに、綾香が持っていた念書を取り上げると、びりっと破り捨てた。

 一同は、あああっと声を上げた。

「お母さん、何で破るの」

「大切な証拠やのに」

「離婚裁判で、重要な証拠になるのに」

 晴代と綾香は、念書の紙切れを拾い集めた。

「結論から申し上げます。離婚は・・・」

 川口はここでぐっと顔を上げて麻子を直視した。

 晴代と綾香の拾い集める手が止まる。

「しません。離婚はしません」

「お母さん何で」

「晴代は黙ってて」

「はい」

「あんた、離婚しないけど一つ条件があります」

「はい何でしょうか」

「ジョンレノンさんら、ビートルズメンバーに作った折り鶴と同じ物を私ら三人にも作って下さい」

「はい」

 帰宅して川口は、早速折り鶴を三つ作った。押し入れの中を探し回り、あの五十年前と同じ折り紙を見つけ出した。

 作り上げた折り鶴をリビングのテーブルの上に置いてベランダに出た。

 ふとビートルズの「レットイットビー」の歌が聞こえて来た感じがした。

 LET IT BE

 和訳すると「どんなどん底の時でも、身を任せる 自然体でいいんだ」

 口ずさんでいると、それにハーモニーするかのように、野田の歌声がかぶさって来た。あれから野田は、川口の家に泊まるために、大阪弁天町にやって来た。

 ひとしきり歌って野田は云った。

「俺は根っからのビートルズファンじゃないけど、あの来日公演のビートルズのサウンドと音楽は今もこころの片隅に、五十年経っても住み続けているよ」

「そうやねえ」

 この時、川口のスマホに一通のメールが、届いた。


「今晩は。(鞍馬)の鞍馬誠司です。実は、川口さんに見せたいものがあります。いや、渡したいものがあると云うのが正確な表現です。

 お酒が入っていない、夜ではなくて、朝か、昼間会える時間を作って下さい。

 ぜひ、ご連絡お待ちしてます。

      (鞍馬) 鞍馬誠司より」

(渡したいもの?一体何だろう)と川口は思った。

「どうしたの」

「ビートルズファンが集まる(鞍馬)のマスターからメール」

 川口は、自分と「鞍馬」とのいきさつを話した。

 野田も興味を持った。

「いいねえ、俺も行ってみたいねえ。善は急げ。明日行こう」

「明日は、出勤であかん」

「そんなの遅らせろよ」

 野田にせっつかれて、笠置に十一時まで入ると連絡した。

「繁!また飲んでるんか!」

「いえ違います」

「ほんまに、絶対に十一時までに来いよ」

 一方的に笠置は云って電話は切れた。

 翌朝、川口と野田は、祇園「鞍馬」に行った。

 朝のクラブに行くのは、初めてだった。

 分厚いドアを開けると、すでに鞍馬はいた。

「お早うございます」

 鞍馬は、川口と野田を見た。

「こちらは、野田さん。例のビートルズ公演の時に一緒に仕事した野田さんです」

「野田です」

「鞍馬です」

 鞍馬と野田はしばらく、見つめあった。

「あれっ・・・」

 野田が何か云おうとしたが、それを遮るかのように、

「じゃあ、曲流して!」

 鞍馬は、カウンターの中にいる若者に声をかけた。

 店内に、ビートルズの「Rock&Roll Music」が、カットインで流れた。

「オープニング曲だな」

 野田がつぶやいた。

「そうです。日本武道館公演のオープニング曲です」

 川口も野田もこの曲が耳に入った途端、少し眠い身体が、一気に覚醒した。

 再び昭和41年のビートルズ日本武道館公演が、ストンと二人の脳裏に降臨した。

「こちらにどうぞ」

 鞍馬は、二人をソファに誘導した。

「すみません、朝早くから」

 鞍馬が云った。

「十一時からお仕事だそうで。すぐに要件に入りましょう」

 鞍馬がカウンターにいる、若者に目配せした。

 若者が、小さな箱を持って来て、それをテーブルの上に置いて、鞍馬の横に座った。

「実は、川口さんがこの店に来られた時、お渡ししようかと思いました。でもあの日、かなり酔っていらっしゃいましたよね」

「そうみたいです」

「それで、やはりこんな重要な事は、お互いしらふの方がいいと思って、今朝お越し願いました」

「こんな事があるとはなあ。こりゃあ奇跡、奇遇だよな」

 野田がずっと鞍馬の顔を見つめながら、云った。

「えっ、野田ちん、ここは今日が初めてなのに、何かわかったのか」

「川口、お前まだわからないのか。鈍いなあ」

「その件は後ほど。まずこの箱をどうぞ、開けて下さい」

 鞍馬に促されて、川口は、目の前の箱を開けた。

 箱は、かなり年季が入り、くすんでいた。

 元は、鮮やかなクリーム色だったろう。しかし、今は黄土色に変色していた。

 中から、透明の袋に覆われた、折り紙の鶴が出て来た。

「折り鶴!」

 思わず、川口は叫んだ。

「半世紀ぶりのご帰還か」

「いや、違う。色が違う。僕が折った鶴は確か、緑色やったはずや」

 目の前の鶴の色は黄色で、翼のところに、細いマジックで、英文字が書かれていた。

 Beatles John Lennon

「これは、あなたが、ジョンレノンに渡した鶴ではなくて、ジョンレノンが作った鶴です」

「これ、サインですか」

 川口と野田がもう一度読む。

「ジョンレノン・・・えっ!」

「どうなってんの、これ、本物?」

 野田も驚いた。

 店内のビートルズの曲は、メローサウンドの「I Feel Fine」が流れた。

「曲順は違いますが、日本武道館公演の時の曲を中心に特別に流してます」

「マスターが、今日のために編集しました」

 若者が説明した。

 鞍馬が語り始めた。

 自分の知人がアメリカに住んでいて、ジョンレノンと知り合いだった事。

 ジョンレノンが、折り鶴を貰った、その返礼に、自分が今度は鶴を折り、サインした。

 いつか、日本でもし、その時の相手が見つかったら、渡して欲しいと云われた。

「私が、この店を始めたのも、いつか必ずその相手が来るのを待つため。て云うか、もう昔からこの件は知ってました」

「知ってた?」

 ますます困惑の世界にのめりこむ川口だった。

「おいおい、川口さん、あんた本当に目が開いてるの」

 野田が、にやけながら云った。

「何、何、教えて」

 鞍馬は、笑った。そしてテーブルに自分の名刺を置いた。

「鞍馬誠司・・・・。ん?誠司?」

 川口は視線を交互に、名刺と鞍馬を見比べた。

「川口さんには、前に差し上げたので、この名刺は野田さんに差し上げます。鞍馬は嫁の姓です。つまり、私は養子になりました。旧姓は・・・」

「あああっ!将軍や!、徳川誠司!」

「やっとわかりやがったか!俺なんか、一目、鞍馬見た時に、ピンと来たよ」

 野田は笑った。

「将軍!何で最初に会った時に云うてくれへんかってん」

 川口はぐいっと右手を突き出して、固い握手を交わした。

「これで俺たち三人揃った。あとは、オカッパだけか」

「オカッパ、こと岡晴彦さんは、残念ながら、三年前亡くなりました」

 鞍馬が、一段声を落とした。

「オカッパ死んでたんか」

「ビートルズ再結成も見果てぬ夢。俺たちビートルズ・センタースポット組四人の再会も見果てぬ夢に終わったか」

 野田がしんみりとつぶやいた。

「そらあ五十年以上経つんやからなあ。三人揃っただけでも、奇跡やで」

 気を取り直して川口は云った。

「川口さん、野田さん、奇跡はまだ続きますよ」

「まだ続くて」

「死んだオカッパが、蘇るのか」

「さすがに、そこまで出来ませんが」

 ここで鞍馬は、横に座ってる若者を促した。

「亡くなった祖父も今はこの店のどこかで、温かく見守っていてくれていると思います」

 そう云って若者は、名刺をそれぞれ川口と野田の前に置いた。

「祖父?」

「と云う事は」

 二人は、名刺を手に取って目を走らせた。

「岡 晴之!じゃあ」

「はい、岡晴彦の孫です」

「岡君は、ネットで検索してこの店を訪ねて来てくれました」

「川口さんが、この店にやって来た時、カウンターの隣りに座った若者が僕です。覚えていますか」

「覚えてるような、覚えてないような」

「おいおい、しっかししてよ川口さん」

「やっぱり、今日こうしてお酒抜きでお会いして正解でした」

 鞍馬は苦笑した。

 川口は、もう一度、テーブルの上のジョンレノンが作った折鶴へ目をやった。

「祖父は、生前私に、川口さんの折鶴の件を話してましたよ」

「オカッパにはばれてたんだ」

「私も、晴之くんから聞くまで知りませんでした」

「おい、川口、云っておくが、これ、ヤフーオークション、メルカリなんかに出すなよ」

 野田が釘を刺した。

「しませんよ」

「この鶴を前に皆で記念写真を撮りましょう」

 岡の提案で写真を撮った。

「これ、祖父の仏壇に飾ります」

「かあ、泣かせるなあ、いいお孫さん持ちやがって、オカッパは」

 野田の目が、みるみるうちに赤く腫れあがった。

「川口さん、本当に会えてよかったです」

「川口、本当にこれが(鶴の恩返し)だよ」

「野田ちん、上手い!」

 店内に「Yeserday」が流れた。日本武道館公演コンサート7番目の曲だった。

 四人はそれぞれの思いを抱いて口ずさんだ。

 あれから五十年余り・・・

 七三歳の川口。

 あとの余生は平穏に暮らしたいと思った。


       ( 終わり )

 











 



 





 


 






 


 



 



 

 

 



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