第25話 パンとチーズ

 商家に弟子として住み込みで勉強中である人間の見習い少年、ソーリスはあるうわさ話を聞いていた。


 旧市街地区に貴族向けの店でも出せないような絶品料理を出す「光食堂」なる店がある、という物だ。


 噂では貴族もお忍びで来るという話も聞いており、行けるものなら是非ともいてみたいと少年は日ごろから口にしていた。


 そんなある日の夕方、そろそろ夕食だという時にソーリスは世話になっている商人の男から呼び出された。




「おお、ソーリスか」


「ご用件は何でしょうか、旦那」


「そういえばお前「光食堂」に行きたがってるそうだな。カネやるから行ってこい」


 そう言って旦那は銅貨10枚をソーリスに渡した。


「あ、ありがとうございます!」


 今の俺はカネを持っている。と思いながら鼻歌交じりに意気揚々と街中を歩き、ちょっと迷ったが光食堂へとたどり着いた。


 入り口を開けるとチリンチリンと鈴の音が鳴った。




「いらっしゃいませ」


 ドアを開けると自分と同じ人間の女の声がした。


 おそらく彼女が1人で切り盛りしているのだろうか給仕が出てくる様子はない事や、店構えや内装から見るに……明らかに庶民向けの店だ。


「すいません。本日のメニューは何ですか?」


「メニューですか? 今お持ちしますのでお待ちいただけますか?」




 ……メニューをお持ちします? 妙なセリフだ。庶民向けの店なら出せるメニューはその日安く仕入れることが出来た食材で作る料理1品。


 というのが定番だからだ。ソーリスの疑問の答えはそれほど待たなくても解けた。


「お待たせしました。メニューになります。これに書いてある料理は何でも出せますよ」


 そう言って店主らしき女は厚手の紙を渡す。どうやらこれがメニューらしい。


 それを見るが……妙に豊富で、なおかつ高い。


 飲食店にはたまに庶民向けの店を旦那と一緒に商談に行く程度には経験があるが、


 そこからはじき出した相場からでは庶民向けの店にしては明らかに高い。


 ソーリスの手持ちのカネでは注文できるのは1つしかなかった。


「すいません、パンとチーズをお願いできますか?」


「はいかしこまりました。少々お待ちを」




「パンとチーズ」


 銅貨8枚という店の中で一番安い料理、いや料理とは言えない付け合わせに毛が生えたようなもの。


 ここまで来て散々食い飽きたパンとチーズか……嫌な顔をしながら待っているとすぐに出てきた。


「お待たせしました。パンとチーズになります」


 大して待たずに大人の握りこぶし大の丸いパンが2個と、三角形の形をしたチーズ3切れが添えられて出てきた。


 まぁ注文した以上は食わないと失礼になるだろう。本当に普通のパンとチーズだな、そう思ってパンに手を伸ばすと……。




「え?」


 ソーリスがつかんだパンは、少年である彼の握力あくりょくで軽く握っただけで沈み込むように簡単につぶせるほど柔らかかった。


(うわ。なんだこのパン、すごく柔らかいぞ!)


 出されたパンは手で簡単にちぎれる程柔らかく、いつも食べてるパンと同じものとはとても思えなかった。一口大にちぎって口の中に放り込んでみると……。


「!! うめぇ!」




 ソーリスが普段食べているパンは、日持ちするようにわざと水分を抜いてカッチカチのパッサパサに仕上げており、


 スープに浸けてふやかさないとまともに食べられる代物では無い。


 だがこの店の物は水分をたっぷりと含んでふっくらと仕上げ、パンとは思えない程柔らかい。


 さらには砂糖やバターが使われているのかほのかな甘味すらある普段では決して口にできない上物だ。


 パンはここまで美味くなるのか! ある種の感動すら呼び起こされるほどの美味だ。




「? なんだ? このチーズ! これも柔らかいぞ!」


 続いてかかったチーズもまた手で簡単に裂けるほど柔らかかった。


 普段食べているチーズは保存がきくように水分はとても少なくカチカチで、火であぶって溶かさないとまともに食べられる代物ではない。


 というソーリスの常識を覆すものだった。


 歯で噛める程柔らかいチーズを口にするとチーズ特有の臭みや癖の強さが無い、


 それでいてうま味とコクだけを残したかのような普段のチーズとはかけ離れた味が広がった。




(……これ、一緒に食べたらどうなるんだろう?)


 パンとチーズ、それぞれでも十分美味いこの2つを同時に食べたらどうなるんだろう……おっかなびっくりしながらパンとチーズを同時に食べてみた。


「!!」


 チーズのうま味とコク、それが淡白だが十分一線を張れるパンと絡み合い、貧しい家出身である少年が今まで食べた事もないような美味となった。




(パンとチーズでさえこれなんだから、他のもっとちゃんとした料理はもっと美味いはずだぞ)


 ソーリスは光食堂を出ながら考える。おそらく旦那が駄賃を出してまでこの店の料理を食わせたのは本当に美味い飯はどういうものかを教えるためなのだろう。


(早く一人前にならないとな)


 明日からはもっと真剣に勉強に励もう。そして大きくなったらこの店の料理を毎日食えるくらいにまで出世しよう。そう思いソーリスは帰ることにした。




【次回予告】

この店の中でもかなりの古株になる彼は、今回はいつもの注文はお休みすることにした。


第26話「クリームパスタ」

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