1-8/その笑顔の為に - 3


 私の呟きに呼応するようにして、アネットが溜息交じりに返した。

 これまで沈黙していたのは、サイモンが側にいたからだろう。

 流石に会話を邪魔する気は無かったらしい。


「アネット。俺は魔女狩りの魔人を、マシューを、この手で殺した。悪魔の力を使って彼の腕を千切り、肉を溶かし、骨を砕いた。あの感覚、全部覚えている。だが……あれは本当に俺の意思だったのか?」

 

 正気を失っただの、二重人格だの、精神的な疾病を患わってでもいなければ自分の行動を覚えていない人間などいない。

 現にアネットの働きによって仮初の死から魔人として目を覚ました私の意識は、確かに私のままだった。

 姿形、口調、態度、性格、その全てが変わってもそれが私であったことは確かだ。

 だからこそ、あの時の私が戸惑い無く魔女狩りの魔人を隷属させて赤い本に縛り、そして殺すことが出来たのは、アネットが私に何かを働きかけたからなのではないか――諦め悪くもそう考えてしまうのだ。

 もはや責任転嫁と捉えられても仕方ない。

 その理由はジニーから受けた「隣人は自分の為に動く」という忠告が、どうにも頭の奥で引っ掛かっていたからだ。

 私の本質を変えるものなのか否か、それを確かめたかった。

 そんな私の意図を理解しているのか、アネットは微笑を浮かべた。


『吾は背の君の意思を汲み、背の君が願いを叶える為に力を解き放つ手助けをするだけだ。だが、それは背の君の意思があってこそだ』

「つまり全部俺の意思ってことか? だが、俺の意思はマシューを殺す事じゃなかった筈だ」

『そう、背の君は彼奴を殺すことなぞ望んではいなかった。背の君が望んだのは「ミシェル・レヴィンズを助けたい」ということだ。そこに彼奴の生き死になぞ関わりなかろう? 必要だから殺した――いや、。それだけの話よ』

「そうか……俺が未熟な所為か」


 マルコムの言った通り、私は確かに『正しい選択』をした。

 だがそれは、に過ぎなかったのだ。

 可能性の話だが、もし私が彼を救う術を予め知っていたのだとすれば、例え魔人の私が知らなかったとしても、ミシェルだけでなくマシューも救うことが出来たかもしれないのだ。

 出来なかったのは、ただ私が知らなかったからだ。

 己の未熟さに酷く苛立ちを覚える。

「無知は罪」という言葉がこれ程重くのしかかったことはない。

 これは私が償うべき罪だ。


「教えてくれ、アネット。魔術、悪魔の力、深淵なる知識――なんでもいい。この先、俺がこの街の人々を守る為の方法を、術を、知識を。これ以上、俺の目の前で人を死なせない為に」

『ふむ……それは吾の役目ではないな。その手の術や知識ならマルコム・バレンタインや他のエクスシアの面々に訊ねる方が良かろう。吾は背の君に寄り添い、共に歩むだけだ。背の君自身の力の使い方ぐらいはいつでも教えてやるがな』

「そうか……」


 先程まで漠然としていた、マシューに償うべき罪を理解した。

 それは『学ぶこと』だ。

 かつてマシューだった魔人の魂は赤い本に縛られているが、仮にその魂を解放したとしても彼の肉体は既に滅んでいる。

 もはや彼の救いは天に召されることだけだろう。

 であれば私がこれからすべきことは、やはり彼の様な犠牲をこれ以上出さない為に、それが出来る方法の全てを学ぶことだ。

 専門家であるエクスシアのエージェント達、そしてその長であるマルコムに教えを乞い、私自身も専門家になる必要があるのだ。悪魔の力を使って人々を守る専門家に。

 例えその道が辛く、険しく、そして道の果てがさらに人から遠ざかった場所だとしても。

 

『なぁ背の君よ。己の行いを省みることはさといことだと思うが、少しは己が成し遂げた事を誇っても良いのではないか?』

「成し遂げた事?」

『背の君は当たり前と思っているかもしれんが、背の君が成し遂げたのは人の世では偉業のはずだ。なにせ、この街に住む多くの人間を守ったのだからな。英雄と称されてもおかしくはない。王にして英雄とは、まるで古き物語の主人公の様だな』

「はは、そうかもしれないな……けどそれを知るのは俺達超常課とエクスシアのエージェント達だけだし、そもそもそれが俺の仕事だ。当然の事なんだよ」


 そう、これは当たり前の事だ。

 英雄に称えられようなんて考えたことはないし、偉業を成そうと考えていたわけでもない。

 ただ私が人々を守りたかっただけ。

 その願いを叶えたかっただけなのだ。

 そしてその行いは誰か一人に知ってもらえればそれでいい。

 自らの欲望を叶えただけなのにそれを誇り、そして称えてもらおうなんて、おこがましい事じゃないだろうか。


 なにも誇る事はない。

 そう言葉を返すとアネットは肩をすくめた。


『まったく、そんな強がりを宣っておきながら何とも心憂い顔をしおってからに……背の君は強情なのか柔順なのか分からんな』

「……俺、そんな顔してるのか?」

『おまけに無自覚と来たか。しかしまぁ、の姿でも見ればその小寂しい表情も少しは晴れるだろう。吾では果たせないというのがなんとも癪ではあるが、こればかりは致し方あるまい』

「なんだ? 誰の事だ?」

『右を見れば分かる』

「右?」


 アネットが指差す方向、つまり私の右側は超常課のワークエリアの出入り口がある場所だ。

 そこに目を向ければ、入ってすぐの所に立っている何者かの姿が見えた。

 身長はおよそ一五〇センチと少し、華奢で幼い顔つきの女性。

 少し申し訳なさそうな顔でこちらを窺っており、しかし私と目が合うと向日葵の花の様に晴れやかな表情を見せた。

 私はその姿をどこかで、具体的には三日前の魔女狩り事件の現場で見た覚えがあり、そしてそれが誰だか理解した私は、思わず目を丸くした。

 

 女性は私のデスクの前まで歩を進め、そして初めて会った時と同じように敬礼した。


「ミシェル・レヴィンズ、本日から復帰いたします! すみません、配属初日早々に検査入院となってしまったお詫びに皆さんにお菓子でもと思っていたんですが、LAの流行って分からなくて、ちょっと時間がかかってしまいました……結局カップケーキにしたんですが、皆さんのお口に合うかどうか――ってあれ、ジョンさんだけですか?」

「……やぁ、ミシェル。元気そうだな、もういいのか?」

「はい、お陰様で! あの……犯人に拉致された私を、ジョンさんが助けてくれたって伺いました。本当にありがとうございました! 恩返しの為にもこれからは相棒バディとしてジョンさんを支えて行きたいと思いますので、まだまだ頼りないかもしれませんが、今後ともどうかよろしくお願いします!」


 そう言ってミシェルは爽やかな笑みを浮かべ、そして右手を差し出した。


 三日前、彼女は魔人に拉致され、命の危機に晒されていた。

 しかしそんな事はまるで無かったかの様に、彼女は底抜けに明るい笑顔を私に見せている。

 それでも、あの凶悪な事件は確かにあった。そしてその事件は私の手で幕を閉じた。

 もし私が誤った選択をしていたならば、今の彼女の笑顔を見ることは出来なかったかもしれない。


 差し出された右手をしっかりと握り、私は可能な限りの笑みを彼女に返した。


「――ああ、これからよろしく、ミシェル。そして……LAへようこそ」

「はい!」


 少しだけなら、私は私が為した事を誇っても良いのかもしれない。


 私に向けられたのは、そう思える笑顔だった。






 Case.1『Witch Hunt/魔女狩り』 解決

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