1-6/突き刺し、貫く針 - 3
魔人は挑発するかの如く卑しく嗤う。
そう、魔人の背後には十字架に磔にされたミシェルが居るのだ。
当たる可能性は限りなく低いかもしれないが、もしも当たってしまったら取り返しがつかない。
そして『もしも』が起こるのがこの世界だ。
熾烈弾は魔力を持つ悪魔や魔人にこそ有効だが、物理的な威力は普通の弾丸と変わらないのだ。
当然人体に当たれば大怪我、当たり所が悪ければ死に至る。
――撃てない。
射撃の腕にはそこそこの自信があるが、それを誇れるのは万全の状態の時のみだ。
たとえ五メートルという至近距離だったとしても、誤射でミシェルを傷つけしまうかもしれない、殺してしまうかもしれない――そんな不安が止めどなく溢れ、引鉄に掛けた指はそれ以上力を籠めることが出来なくなっていた。
『背の君よ、何を戸惑っている。
「分かっている!……けど、このままじゃミシェルに……!」
『いや違うな背の君よ。真なる心の惑いはあの小娘に当たるかどうかではないだろう?』
「何を、言って――」
『「あの男を助けたい」――この期に及んでまだそう思っているのだろう?』
意識の奥底に潜む核心をアネットに突かれ、私は私自身に驚愕した。
極太の釘で肩を貫かれ、大量の血を失い、死ぬほど痛い思いをしても尚、私はまだ目の前の魔人を、マシューを助けたいと思っているのだという。
私はなんというお人好しで、そして愚かなのだろうか。
以前の私ならこう指摘されても即座に否定できた筈だ。
しかしそれが出来なかった。それは私自身が決定的に変わってしまったことに他ならない。
『この街の人々を守る』という願い、それを叶える為に私は変質したのだ。
身も、心も。
私は既に選択したはずだ。
正しい選択をしたはずだ。
私が救うべきはこの街の人々とミシェルであり、決して人々に害を成す魔人ではない。
だが、しかし、それでも、私は諦めきれないのだ。
私は死んでも嫌なのだ。
私はこの矛盾が許せなかった。
それは子供の様な我儘だと分かっているし、受け入れなければいけない
もし人の手で覆せる事だとしたら、神に世界の救済を祈る者など居なくなるだろう。
今自分が何をすべきなのか、頭では理解している。
しかしそれを実行するための冷静さも、決意も、覚悟も、今の私は欠いている。
理想の私なら正しい選択と我欲との葛藤など意に介さず、即行動していたはずだった。
私には――今の私にはそれが出来ない。
気付くと私は、銃口をゆっくりと下げていた。
「撃たないのですね? 撃たないのですね? それでは私から……まずは右肩!」
魔人の意気揚々とした声が聞こえた直後、先程と同じ衝撃と、それに伴う激痛が右肩に走った。
二度目の耐え難き痛みと熱に私の喉は再び絶叫を上げ、力を失った右手から拳銃が地面に落ちる音が響いた。
右肩には左肩に刺さる釘と全く同じものが突き刺さり、血が噴き出している。
先程の痛みと熱も冷めやらぬ中で続く激痛に今度こそ意識が飛びそうだったが、私はなんとか意識を手放さずにいた。
痛みに慣れたとは言わない。滲む涙で視界はかすむし、痛みへの恐怖で脚は震えているからだ。
だが先程と違い、頭ははっきりとしている。
「まだ痛いですかぁ? そうですか痛いですかー。次は右脚ィ! 続けて左脚ィ!」
「がぁッ――!?」
私の叫びを聞いて更に高揚する魔人は、間髪入れず私の両脚――左右の太腿の前に釘を出現させ、それを容赦なく突き刺し貫通した。
今度は視覚で捉えていた分身構えることが出来たが、前方から二本同時に刺さったのだ、当然激痛は先程よりも増している。
痛覚の乱流に脳が沸騰しそうだ。
そして足の感覚が失われ、立つことが出来なくなった私は後方に倒れた。
直ぐに立ち上がろうするが、四肢を潰されては上体を起こすのがやっとだ。
血が噴き出している。辺りが赤に染まる。このままでは失血死する量だ。
いや、痛みによるショック死も視野に入れるべきか――などというもはや自らの死すら想像する程に追い詰められている。
荒くなる呼吸を抑えるのに必死で暴言を紡ぐ暇がない。
思考ははっきりしているが、痛みがひたすら脳を冒そうとする。
体が徐々に冷たくなっていくのを感じる。
実際、死はすぐそこまで近付いていた。
「まだ魔女の証は見つかりませんか……でもこれで四肢は潰しました。さぁ……次は心の臓を確認しましょうかねぇ……!」
口を醜く歪め、獣の如き歯を見せつけるその笑みはまるで、愉快な遊びを目前にしてはしゃぐ子供の様だ。そしてその遊びは魔人が生成する一本の針によって終わる。
何も無かった筈の
四肢は潰され、身体を廻っていた血は外に流れ、痛みが支配した体は全く動かない。ここまで来れば自ずと次の光景は分かるだろう。
咄嗟に私は背後に立つ
彼女は特に表情を変えず、こちらを見ている。特に何を言うでもなく、じっと私を見つめている。
しかしそれは何かを待っているかの様で、私に何かを期待しているかの様で、そしてその期待に漸く気付いた私は、彼女に向けて一言だけ呟いた。
「――頼む」
次の瞬間、私の胸を一本の針が刺し貫いた。
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