Ⅲ 助っ人

 1


 晴樹が古籐とニューヨークへ行くと聞いた時から、愛矢は何となく悪い予感を覚えていた。けれど、そんなことを口にしたら八重子や愛弓が心配すると思い、黙っていた。

 晴樹からの連絡が途絶えた時、予感が的中したと思った。それでもまだ、帰国の日になったら「ごめんごめん」なんて言って、笑顔で姿を見せるかもしれないと、希望にすがっていた。――しかし、晴樹は帰って来なかった。

「急に予定が変わったのよ」

 八重子をなぐさめる愛弓の声を背中に聞きながら、愛矢はそっと自分の部屋に入った。

(先輩。……古藤先輩)

 目を閉じ、一心に呼び掛ける。

(先輩、聞こえる?)

 こちらから呼んで、古藤が答えてくれたことはない。彼は極力超能力を使わないようにしている――緊急時でないかぎり。

 今が緊急時なら、きっと答えてくれるはず。

(お願い、答えて、先輩)

 依然として反応はなかったが、愛矢は呼び続けた。呼んで、呼んで、呼び続けた。そしてとうとう、古藤の声を頭の中に聞いた。

(しつこいな、愛矢は。そんなに呼ばれちゃ、答えないわけにいかないじゃないか)

 不機嫌そうな声だったが、愛矢は嬉しくて飛び上がりたくなった。

(先輩! 無事なんだね。どこにいるの?)

(ニューヨーク)

 当然じゃないかというように、古藤が答える。

(父さんもいるの? 大丈夫なの?)

(先生は、今ここにはいない。でも、無事だと思うよ)

(一緒じゃないの?)

 愛矢のこの問いに、返って来たのは苦笑だった。

(情けないことに、おれは厳重な警備の中に閉じ込められていてね。先生がどこにいるのかわからないんだ)

(何があったの、先輩)

(何てことはない、厄介ごとに巻き込まれただけさ。ちょっと遅れるが、ちゃんと先生と一緒に帰るよ)

(わたし、そっちに行く)

 古藤はしばし沈黙した。

(今、何て言った?)

(わたし、そっちに行く。そこに行って、父さんと先輩を助ける)

(行くったって、どうやって?)

(先輩、わたしを呼べるでしょ?)

 再び沈黙。

(出来ないの? 先輩でも、わたしみたいに壊れたりする?)

(それはないよ。おれの力は無限大だ)

(だったら、わたしをそこまで飛ばして)

(あのな、愛矢。いくらおれの力が無限大でも、限度ってものがあるんだ)

 先輩の言ってることはおかしい、と愛矢は思った。

(いいか? 数百メートルの距離でも、一メートルずれるんだぞ。愛矢、東京とニューヨークがどれだけ離れているか、知ってるのか?)

(近くまで行ければいい。そこからは、自分で何とかする)

(きみが来ても役には立たないよ)

(そんなことない。一人より二人の方が強くなれるし、二人より、みんな一緒なら、もっと大きな力になるよ)

(それはきみが言っても説得力がないなあ)

(愛弓が言ってたんだ)

(だと思った)

(先輩、お願いだから)

 また沈黙。しかしそれは、愛矢の熱意に負けたというニュアンスの沈黙だった。


 2


 気が付くと、愛矢は見知らぬ場所にいた。

 前の時のように、いきなり飛ばされたわけではない。けれど、飛ぶまでの時間が今までより長かったため、愛矢は少しの間、ぼんやりしてしまった。

(先輩?)

 古藤は愛矢の呼び掛けに答えなかった。あんなことを言っていたが、実は相当負担が掛かってしまったのではないかと心配になる。

 ここはどこなんだろう。愛矢は不安な気持ちで見回した。

 愛弓にも、八重子にも言わずに、衝動的にここまで来てしまったが、やっぱり相談くらいするべきだったかもしれない。誰かに頼ることをうっかり忘れるのは、父さんと二人で暮らしていたころの名残だ、と愛矢は思った。

 とにかく、ここがどこなのか調べなければ。愛矢が立ち上がろうとした時、遅蒔きながら、古藤の声が頭に流れ込んで来た。

(愛矢、そこを動くなよ)

(先輩! 良かった、元気なんだね)

 愛矢の反応に、古藤は面食らったようだった。

(それは、さっき言った気がするが)

(力の使い過ぎでどうかなっちゃったかと思った)

(そんなことはないとも、さっき言ったぞ)

(ごめんなさい、返事が来なくなったから)

(ああ。ちょっと他に連絡してた)

(他?)

(今、そっちに迎えをやる。だからそこを動くな)

(迎え?)

(きみの声で位置はわかった。一応目印を言ってくれ)

 愛矢は一旦通信を中断し、辺りにぐるりと目をやった。

(石の塀と石畳の道以外、何もないよ。人っ子一人いない)

(うーん。とにかく、そこにいてくれ。彼女にきみの名前を教えておくから、呼ばれたら、返事して。無事会えたら、そのあとは彼女の指示に従って)

 彼女って? と、愛矢が聞く前に、通信は切れた。

 仕方なく愛矢はその場に座って待った。古藤の話が一方的なのはいつものことだ。

 十分ほどして、足音が聞こえ、壁の向こうから少女が現れた。愛矢はさっと立ち上がった。この子が古藤の言っていた迎えだろうか。

 少女は愛矢に目を止めると、口を開いた。

「アヤ?」

「はい!」と愛矢は答えた。


 3


 愛矢は少女に連れられて、暗い路地裏を通り、隠れ家のような廃屋まで行った。

 愛矢は英語が話せたので言葉の問題はなかったが、相手のことは何もわからず、まだ少し少女を警戒する気持ちがあった。

「わたしはアイリーン」と少女は言った。

 アイリーンは金髪で目が青く、愛矢よりいくつか年上に見えた。

「タクトに頼まれた。あなたを迎えに行って欲しいって。あなたはタクトの友達?」

「そうだよ。彼を助けるために来たんだ」 

 アイリーンはうなずき、廃屋の窓から外を指し示した。

「あのビルの向こうにあるわたしの家に、タクトは閉じ込められてる。わたしの父がタクトを閉じ込めた。あなたはすごいね。あなたがわたしとタクトをつないだから、彼はわたしに連絡出来たんだって言ってたよ。心と心で話すのは変な感じだった。超能力っていうのね?」

 ――なるほど。古藤は自分には何の力もなく、あくまで超能力を使っているのは愛矢だということにしたいのだろう。

 古藤の狙いどおり、アイリーンは愛矢のことを、強力な助っ人が来てくれたと思い込んで歓迎しているようだった。

 愛矢は肩の力を抜いた。とりあえず、ここまで来たのだ。

 愛矢が飛ばされたのは、ちゃんとニューヨークだった。しかも、驚くべきことに、古藤のいる場所からも二キロほどしか離れていなかったらしい。

「アイリーンはここで生活しているの?」

「一週間前からね。一人じゃないよ。ボディーガードのジョシュアもいる」

「ボディーガード?」

「うん。そろそろ帰って来るはずよ」

 愛矢はアイリーンに、一体何が起こっているのかと聞いた。

 アイリーンは困った顔をして、時折考え込みながら、話せるかぎりのことを話してくれた。

「ジョシュアがドクターに手紙を書いたの。でも、どんな内容の手紙なのか、ジョシュアもドクターも教えてくれなかった。ドクターは手紙を読んでタクトと一緒に日本から飛んで来てくれたけど、わたしの父に見つかって、監禁されてしまった。わたしはジョシュアに連れ出されて、それからずっとここにいる。ほとんど外にも出ていない。だから、今何が起きているのかは、わたしにもわからないの」

 ドクターというのは晴樹のことらしい。晴樹がアメリカに住んでいたころ、アイリーンの病気を診たことがあるのだそうだ。

 愛矢は頭の中で情報を整理した。

 ――そうか。あの手紙はジョシュアって人が書いたのか。消印がなかったんだから、彼はうちの前まで来たはず。なぜ直接会わずに手紙だけ置いて帰ってしまったんだろう。

「ドクターを助けて」とアイリーンは言った。

 愛矢はアイリーンを見つめたまま黙り込んでしまった。

 その時、ドアが音もなく開いて、背の高い青年が入って来た。

「ジョシュア!」

 アイリーンが叫んで駆け寄った。愛矢を不審そうに見つめる青年に向かって、早口で何か話している。とても嬉しそうだ。彼を心から信頼しているのが伝わって来る。それからアイリーンは振り返り、愛矢の方へ手を差し出した。

「アヤよ。タクトに呼ばれてわたしたちを助けに来てくれたの」

 青年が思い切り顔をしかめたのも無理はない。愛矢は誰の目にも、ただのちっぽけな子供にしか見えなかっただろう。

 アイリーンが急いで説明した。

「アヤはすごい力を持ってるの。タクトと話せるようにしてくれたし、日本からここまで、ひとっとびで飛んで来たのよ。少し誤差が出て直接この家には来られなかったから、わたしがさっき迎えに行って来たの。アヤがタクトを通して道案内してくれて……」

「外に出たのか、アイリーン」

 青年が低い声でとがめるように言った。

「ちょっとだけよ。大した距離じゃないし、人気ひとけもなかったから」

 アイリーンは愛矢の方を見た。

「アヤ、彼がジョシュアよ」

 愛矢は少しひるんだ。ジョシュアは全身黒づくめの服を着ている上、長身で体格もいいため、どこか恐ろしく感じられた。

「ジョシュア、アヤもここにいていいでしょ? きっとドクターたちを助け出す力になってくれるよ」

 用心深く愛矢を観察していたジョシュアは、やがてふいと顔を背けた。アイリーンのように歓迎はしてくれていないようだが、追い出す素振りもないので、どうやらここに置いてもらえるらしい、と愛矢は判断した。

「無断で外には出るな」

 最後にそれだけ言い残し、ジョシュアは奥の部屋に消えた。

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