Ⅵ 帰還

 1


 愛弓はゆっくりと目を開けた。

「笛吹? 大丈夫か」

 声のした方に顔を向けると、武居が心配そうに覗き込んでいた。

「あれ? わたし、撃たれたんだと思ったけど」

「撃たれる寸前に、部長が外に飛ばしてくれたんだよ」

 愛弓は改めて辺りを見回した。

 月の明るい夜だった。目の届く範囲には草が生えているだけで、建物は見当たらない。

「あの空き家は、どこ?」

「愛矢が消したんだ――超能力で。中にいた人たちはみんな、部長がどっかに飛ばして助けたけど」

「愛矢、は?」

 武居は下を向いた。

 愛弓は体を起こし、初めてすぐ脇に横たわっている愛矢に気が付いた。そして、ぞっとした。月明かりに照らされた愛矢の顔は白く、まるでもう二度と目を開けないように見えたのだ。

「愛矢はどうしたの? どうして……」

「終わったよ」

 唐突に背後から声が聞こえ、唐突に古藤がそこに立っていた。愛弓は首をひねって古藤を見た。なぜそんなに平然としているのか。何が終わったと言うのか。わけがわからなかったが、尋ねる余裕もなかった。愛弓は古藤にすがった。

「部長! 愛矢はどうしたんですか。大丈夫なんですか?」

「愛弓くんの家に行こう。お母さんが心配している」

「でも、部長……」

「とにかく、家へ帰るんだ」

 愛弓がしぶしぶ引き下がると、古藤は愛矢を抱え上げた。

「二人とも、手をつないで」

 愛弓と武居は言われたとおりにした。

「間違いなく連れて帰らないとな。愛矢との約束だから」

 古藤は軽く笑った。合図も手振りもなかった。何かに吸い込まれるように感じた次の瞬間、愛弓は自分の家の前に立っていた。愛矢を抱えた古藤が正面に立ち、武居とは手をつないだままだ。まるで周りの景色だけが変化したかのようだった。

 家に入ると、八重子が待ち構えていたように奥から出て来た。


 2


 愛矢をベッドに寝かせた愛弓は、もう一度古藤に尋ねた。

「部長、愛矢は一体どうしちゃったんですか?」

「力をコントロール出来ずに、使い過ぎて壊れてしまったんじゃないかな」

 古藤は気だるそうに答えた。

「壊れたって……」

「あくまでおれの推測だけど」

「平然と言わないでよ。どうすれば愛矢を助けられるの?」

「さあ」

「まさか、このままずっと、目が覚めないなんてこと」

「さあ」

 古藤では埒が明かないと思い、愛弓は他の二人に助けを求めた。

「どうしたらいいの? ねえ、ママ!」

 八重子は黙っている。

「武居!」

 武居は真剣に考えてくれた。眠ったままの愛矢を見やり、ぱっと愛弓に視線を戻す。

「そうだ、お父さんなら? 愛矢に超能力を与えたのはお父さんだろ。お父さんなら、助ける方法を知っているかも」

「パパ……!」

 愛弓のつぶやきに、八重子がぴくりと体をこわばらせた。

「ああ、でも、パパはどこにいるかわからないわ」

 希望に輝き掛けた顔を曇らせ、愛弓は首を横に振った。

「そうかな? そちらのご婦人が存じておられるようだけど」

 古藤がもったいぶった素振りで八重子を見やった。

「え?」

 愛弓は八重子と古藤を見比べた。

「ママ?」

 八重子は沈黙したままだ。

「どういうこと?」

 古藤は腕組みをした。

「さっき電話があったんだ。消息不明の夫から」

「ほんとなの、ママ」

 愛弓は母に駆け寄った。

「夫は妻に全てを話した。しかし、夫を許せない妻は、現実味のないその話を信じることが出来ず、がちゃんと電話を切った」

 何で知ってるんですか、と武居が目で尋ねる。古藤はそれに気付かないふりをした。

「ママ、パパの連絡先を聞いたのね」

 八重子は黙っている。

「お願い、ママ。パパに電話して。愛矢が死んじゃうわ。ママ、お願い!」

 愛弓の訴えに、八重子は揺れた。まるでそこにあるはずのない物を見るように、ゆっくりと電話に目を向ける。

「ママ……」

「そうね、愛弓」

 八重子は愛弓を見てうなずいた。

「愛矢のためですものね」

 それから、意を決して受話器を取り、番号を押した。

 その会話は、ごく短いものだった。八重子はひとこと、帰って来て欲しいと言い、わずかの間があってから、静かに受話器が置かれた。

「パパが帰って来るのね、ママ」

 愛弓はそっと声を掛けた。

「ええ。十三年ぶりに、この家に」

 八重子の横顔はまだ、複雑なものを残しているようだった。

 愛弓は父が到着するまでの間、少しずつ今までのことを話して聞かせた。

 三十分ほどして、玄関のチャイムが鳴った。愛弓と八重子は同時に立ち上がった。

 玄関に出てドアを開けると、その向こうに父――晴樹が立っていた。

 彼は八重子を見、愛弓を見て微笑んだ。

「大きくなったな、愛弓」

 愛弓はなぜか下を向いてしまった。ああ、パパだな、と根拠もなく思った。ママの言うとおりだ。愛矢によく似てる。

 愛弓は晴樹を見上げた。

「パパ、愛矢が大変なの」

「わかってる。さっき聞いた」

「え? 聞いたって、誰に?」

 晴樹は奥に向かって大声を出した。

「おい、拓斗、いるんだろう」

 愛弓と八重子は呆気に取られて、リビングから出て来た古藤を振り返った。武居も古藤の後ろで驚いた表情を浮かべている。

 晴樹は古藤にとがめるようなまなざしを投げた。

「おまえ、愛矢は大丈夫だってわかっていたんだろう。なぜ母さんと愛弓にそう言ってくれなかったんだ」

 古藤は自分に向けられている八個の目を順に見返し、しゃあしゃあと答えた。

「おれは成り行きを見守る主義でね」


 3


 ――翌日の朝、愛矢は目を覚まして、父がいることにびっくりした。そして、古藤が父の知り合いだったと聞いて、もっとびっくりした。

 古藤は晴樹の勤める大学で、たまに助手をしているらしい。晴樹の家庭のことを知ってからは、愛弓と八重子の様子を時々報告していたそうだ。

「部長って、ほんとにタヌキね」と愛弓は言った。

 愛矢は疲労が激しく、かなり弱ってしまっていたが、八重子と愛弓の介抱でみるみる回復した。

「もう笑顔を忘れちゃいけないよ」

 晴樹が愛矢に言って聞かせた。

「ちゃんと話しておかなかった父さんも悪かったが……。コントロールの利かない愛矢の超能力を、笑顔が制御していたんだ。怒りに我を忘れるととんでもないことになる。建物を一つ消してしまった、今回のようにね。二度とそんな状況にならないよう祈っているよ」

 愛矢は神妙にうなずいた。古藤がいなかったら、人をたくさん死なせていたかもしれないのだ。

 愛矢が眠っている時、父と母はその枕もとで話をしていた。愛弓はそっと覗いてみて、おじゃまだなとわかると気を利かせて歩み去るのだった。

「十三年分の思いを、ぶつけ合う必要があるに違いないって思ったのよ」

 あとになって、愛弓は愛矢にそう言った。茶化すような口ぶりだったが、瞳には涙が光っていた。父と母。姉と妹。別れ別れだった二人が、ようやくまた、一つになる時が来たのだ。

 そうして、長い長い夏休みが終わった。


 4


 ――九月八日。

 今日は、愛矢と愛弓の誕生日だ。

 八重子は朝から張り切ってごちそうを作り、晴樹がそれを手伝った。二人の間のぎこちなさは、徐々に消えつつあった。

 武居が花束を持ってやって来た。

「今日はどうも、お招きいただいて」

 かしこまってあいさつしてから、武居は愛弓に花束を渡した。

「お、いいなあ、愛弓。彼氏からプレゼントか」

 奥から顔を出した晴樹が、おどけた声で言った。

「パパったら」

 愛弓は恥ずかしそうに顔を赤くした。

 晴樹は愛矢の肩をぽんぽんとたたいた。

「待ってろ。愛矢にもきっと拓斗が、抱えきれないくらい大きな花束を持って来てくれるぞ」

「あ、部長なら」

 武居が口をはさんだ。

「途中まで一緒に来たんですけど、日差しが強かったんで、花壇の花が気になるって言って、学校に行っちゃったんです」

「何、相変わらずだな、拓斗は」

 晴樹が目を剥いた。

 愛弓は愛矢に顔を近付けた。

「パパがいるのっていいわね」

「みんな一緒っていいね」

 愛矢もうなずき、二人は笑い合った。

 その時八重子がダイニングから、さあ、食事にしましょう、と声を掛けた。

 みんなが食卓に着いた時、玄関のチャイムが鳴った。

「やあ、遅れてすまないな」

 古藤が元気良く言って家に入って来た。

「いらっしゃい。どうぞ」

 笑顔で迎えながら、意外に早かったな、と愛矢は思った。花壇は大丈夫だったのだろうか。

「あ、愛矢」

 ダイニングに案内しようとする愛矢を、古藤が呼び止めた。

「手を出して」

「え?」

「やっぱり何かプレゼントしなくちゃと思ってね」

 古藤が愛矢の手のひらに載せたのは、たくさんのひまわりの種だった。

「食ってもうまいし蒔けば花が咲く。どちらでもお好きなように」

 愛矢は素直に嬉しかった。古藤はもう、愛矢に対する怒りを解いてくれたようだ。

 二人がダイニングに行くと、待ち構えていた晴樹が言った。

「さあ、乾杯しよう」

 それぞれがグラスを手に持ち、高々と掲げた。

「愛矢、愛弓、十三歳おめでとう」

 晴樹が声を張り上げる。

「乾杯!」

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