第4話 眼差しの中に
世界線管理局の本部、その作戦司令室で、男は後輩の帰還を待っていた。そこへ、眼鏡の女が異形と化した両腕を引きずりながら入ってくる。
「……帰ったか」
「すみません、藤岡先輩。自分の能力を過信し、このような──」
「分かっているなら謝るな。とりあえず、お前は一旦休め」
「先輩、私はまだ──」
「頭を冷やせ。そんな泣き腫らした顔で、任務に出るつもりか?」
「……分かりました。失礼します」
女を退出させた後、藤岡と呼ばれた男は一人歯ぎしりした。
「奴の戦力を調査するために利用したこと、悪く思うな。千古 星児……貴様が妹にしたこと、忘れたとは言わせんぞ」
「それにしてもあの目つき……よく似ているな。正義感が強い所もそっくりだ」
控え室のソファーに腰掛け、白衣の青年は大声で呟いた。主語を言わずに話すのと同様に、普段から塩川に注意されている彼の悪癖である。勿論、突如独り言を言い出した千古の姿に、周囲の参加者は不思議そうな顔をしたが、それも目に入らない様子で、彼は誰もいない方へ話しかけていた。
「それにしても、あの女が最後に言った、『藤岡』という名前……まさか……」
そして彼が、眼鏡の女の言葉を思い出し、ある一つの過去に行き当たった時、彼は突然睡魔に襲われ、そのまま眠りに落ちた。
「──ハッ! ここは……」
気が付くと千古は、廃工場の中にいた。見覚えがある景色。初めて愛した女性を、初めての犠牲者に変えたあの場所。気分が悪くなるのは、錆と廃油の臭いだけのせいではないように思われた。そこへ、低い男性の声がこだました。
「貴様の夢の中……言うなれば、精神世界だ」
「君は……」
「久し振りだな、千古 星児」
「こちらこそご無沙汰しているね。
振り返ると、そこには見覚えのある顔。やはり千古の予想は当たっていた。目の前にいるスーツ姿の男、その眉間には深くしわが刻まれ、記憶よりもはるかに老け込んでいた。
「……貴様が妹を、
「手にかけたとは失礼なことを言うね。命までは奪っていない」
「怪人どころか廃人にしたがな」
「彼女は私の前に立ちふさがった。ならば、誰であろうと倒すまで。悪の科学者として当然の行動だったと──」
「黙れ! 貴様のせいで、美波の笑顔は永遠に奪われた! そんなの……家族からすれば、殺されたも同然だ!」
「だから復讐したくて、後輩を利用したという訳かい? 君も冷酷だね。あんな目ができる人間なんて、そう滅多にいないというのに。それこそあの日の美波ぐらい──グハッ!」
「貴様がその名を口にするな」
千古は突然の出来事に内心戸惑った。数メートル離れた位置にいたはずの藤岡が、いきなり目の前に現れ──むしろ千古自身が藤岡の眼前に移動して──千古を殴り飛ばしたのだ。
「おかしいね……君の能力は生命エネルギー操作。私を眠らせ、その意識に侵入するところまでは理解できるが、瞬間移動なんて出来たかい?」
「貴様の運命を操作し、強制的に俺の目の前に移動させたんだよ。命を運ぶと書いて『運命』……度重なるこじつけと拡大解釈の末に手に入れた、『運命操作』の能力だ。奇妙に思わなかったか? 異世界で行われる大会の噂が、貴様の耳に入るほど広まっていたことを」
「まさか、この大会そのものが、君の仕掛けた罠だとでも?」
「そんな大それたことは出来ない。だが、貴様を捕らえるために利用することなら出来る。違法に異世界へと渡航させ、俺が介入する口実を作るためにな」
「ハッハッハ! なるほど! 私は操られていたという訳か!」
藤岡の言葉を聞いた時、千古はやられた、と思い、あまりの可笑しさに笑い出した。そして同時に、自分の行動に他者の意思が介入したことに激しい怒りを覚えた。
「ハハハハ……いいね、心の底から気に入らない! コンディション、オールグリーン。改造怪人 アブドクター、起動!」
「決着を付けようか。すべての運命に」
千古はアブドクターに変身し、藤岡へと向かって行く。
一撃目は顔面を狙った右ストレート。藤岡はその場から一歩も動くことなく受け流す。勢いを殺しきれずによろめいたアブドクターの眼前に、再び藤岡が出現した。その右手は、増幅された彼自身の生命エネルギーによって眩い光を放っている。
「なっ──!」
「吹き飛べ」
アブドクターの腹部に輝く拳が突き刺さった。藤岡の能力によって大幅に威力を増した一撃は、アブドクターを十メートル近く離れた壁に叩きつけた。その衝撃は、飛び散った壁の破片が藤岡の足元にまで転がって行く程であった。
「まだだ」
そしてすぐさま目の前に呼び戻され、さらにもう一撃。着地すらままならず、アブドクターは情けない体勢で地面に落下した。
「ぐっ……」
「どうだ? 痛いか?」
「平気な顔に……見えるかい?」
「見えない……な!」
「があっ!」
藤岡がアブドクターを思い切り蹴飛ばす。アブドクターは痛みに顔を歪めるが、軋む体に鞭を打ち、立ち上がった。自分の意志に干渉されたことだけは許せない。
「分かっているなら……最初から聞くな!」
「何──!?」
そしてすぐさま足元の破片を拾い上げ、突撃する。狙うは早期決着。
「極悪奥義────」
アブドクターが大きく腕を振りかぶり、手中の瓦礫が巨大な火球に改造されかかったその時だった。彼は突然、その手を下ろした。
「……どうして、君がここにいる? 美波」
肩の辺りで切り揃えられた黒髪、目鼻立ちの整った顔、そして、その目に浮かべられた燃えるような怒り。彼の目の前にいたのは、他の誰でもない、三年前、アブドクターの手によって倒され、廃人になったはずの藤岡 美波だった。美波は、あの日と同じまなざしでアブドクターを睨みつけながら、ゆっくりと口を開いた。
「……貴様を、倒すためだ」
「……? まさか──!」
美波の言葉に、アブドクターは違和感を覚えた。美波は人のことを『貴様』などとは呼ばないはずだ、と。しかし、その違和感の正体に気付いた時には既に手遅れだった。麗しい女性の姿は何処へと消え去り、入れ替わりに拳を握りしめた藤岡が現れる。完全にがら空きになった腹部にボディーブローを叩き込み、そのまま運命操作を発動。アブドクターを眼前に固定する。
「忘れたのか? ここは貴様の精神世界! 肉体の制約が無いこの場所で、俺の能力は姿形をも改変できる! 今日、貴様の精神を完全に破壊するために! 美波と同じ目に遭わせてやるためにこの場所を選んだ! 逃がしはせんぞ、千古 星児! 楽に死ねると思うな! 改造怪人 アブドクター! 妹の苦しみ、俺たち家族の悲しみ、思い知れ!」
藤岡の叫びとともに、閃光と暴力の嵐が吹き荒れる。藤岡の能力で位置を固定されているために、アブドクターの体は吹き飛ぶことを許されず、逃げ場を失った衝撃がアブドクターの体内に蓄積していく。
「痛いか? 痛いだろう! 苦しいか? 苦しいだろう! それが……美波があの日味わった感覚だ!」
その言葉を合図に、藤岡は限界まで生命エネルギーを増幅し、その全てを左足に収束させた。そして空中で止まっているアブドクターに全力の飛び蹴りを浴びせ、同時に運命操作を解除した。糸が切れたようにアブドクターの体は呪縛から解き放たれ、弾丸の如き速度で壁に激突、それでも勢いは衰えず、そのまま工場の外へと弾き出された。
「……予想以上に、効くね……君の全力……」
砂利の上に倒れたまま、アブドクターは藤岡に語りかける。彼の言葉には返事をせずに、藤岡は立ち上がる気配を見せない怪人に歩み寄り、質問を投げかけた。
「……どうして、美波の姿を見て攻撃をやめた?」
「愚問だね。攻撃をやめると思ったから、彼女の姿に化けたんだろう?」
「違う。貴様に最後のチャンスを与えるためだ。もしも、貴様に正しい心が少しでも残っているならば、罪を償い、出直すためのチャンスを与えようと。言っただろう。楽に死ねると思うな、と」
「……そうさ。これ程『悪』に染まっても、大切な人を二度も傷つけることは出来なかった。だから攻撃しなかった。……許されないのは分かっている。それでも、まだ間に合うなら……償うことが出来るなら……」
「……出来るさ。美波が愛した男だ、忘れていただけで、きっと正義の心が──」
「なんちゃって」
「何?──ぐああ!」
アブドクターがニヤリと笑い、そして次の瞬間、彼が大事に握りしめていた瓦礫が火球へと変じて藤岡を飲み込んだ。炎に包まれる藤岡。高らかに笑いながら、アブドクターは立ち上がる。
「ハハハ……アッハッハッハ! 私の思った通りだ! 君は少しも変わっていない! 正義感が強くて、優しくて! 後輩まで利用したと思えば、結局冷徹になり切れずに、妹の仇にさえ手を差し伸べる! だが甘い! 残酷な程に君の『正義』を高めるか、いっそ『悪』に堕ちるかしなければ、私を倒すのは無理だ!」
「貴様! 俺を騙したのか!?」
「それがどうした? 騙し討ちは悪役の専売特許だ!」
「やはり貴様は生かして帰さん! 今ここで死ね──があっ!」
「もう少し落ち着いたらどうだい? そんな様子じゃ、運命操作も意味が無い」
「黙れ! 貴様の汚れた手で、俺に触るな!」
「そうかい。それじゃあご要望に応えて、手を触れずに決着と行こうか」
そう言うと、アブドクターは自身の頭髪を数本抜き取り、怒りに前後を忘れている藤岡に駆け寄った。
「何のつもりだ?」
「質量掛ける光速の二乗。優秀な君なら、この意味は分かるな?」
「──!」
「今気づいても遅い。反物質化……開始! 喰らえ、超極悪奥義”イヴィル・アポカリプス”!」
その叫びとともに、彼の頭髪は閃光を放って対消滅した。元の頭髪の質量でさえも、天文学的な数値のエネルギーへと変換され、大爆発を起こす。
「これで終わりだと思うな……」
凄まじい熱量に焼かれながらも、藤岡は恨めしげに撤退した。
「……あれ? 私はどうすれば……?」
一方、自力で脱出する術を持たないアブドクターは、彼一人だけ、夢の中で灰燼に帰したのだった。
「──はっ! よかった……なんとか生きて帰れた……」
千古は控え室のソファーの上で目を覚ました。夢の中で、自分自身の攻撃によって自爆したものの、精神崩壊だけは免れ、無事に現実へと帰還したのだ。
「……そういえば、他の参加者たちは?」
しかし、周囲には誰も見当たらない。まさかと思い、壁に掛かっている時計に目をやると、今まさに、大会開始時間を迎えようとしていた。眠っている間に、すでに大会開始のアナウンスがあったらしい。
「成る程。誰もいないと思ったら、そろそろ始まる時間か……まずいじゃないか!」
千古は慌ててソファーから立ち上がった。しかし、すぐに立ち止まり、深く息を吸った。
「いや、落ち着こう。悪の科学者は常に冷静でなければ」
そう言って白衣の襟を正し、扉の前に立った。後ろ髪を引かれたような気がしたが、彼は振り返らずに扉を開けた。
「……悪の科学者に、過去など必要ない。あるのは、目の前の一瞬だけだ」
記憶から過去を消し去り、歩き出した。待ち受ける強者たちを、悪の使いへと改造するために。そしてこの大会を制し、絶対的な『悪』として君臨するために。
この後、遅れて登場した彼に、会場全体から冷ややかな目線が向けられることになるのだが、それはまた別の話だ。
本戦へ続く
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