第36話 馬車は駆ける


 ——同刻。サン・カレッドやや東方のある通り。


「御者様、早くお願いします」

「……王女の命とあれば、全力で飛ばさせてもらいます。しっかりと、何かに掴まっておいてくださいよ」


 石畳の地面を蹄鉄ていてつと馬の息遣いの調べがかき鳴らして、駆け抜ける。木製の車体が縄で馬に結び付けられ、猛烈な力で強引に引っ張られる。御者の手と操縦技術がなければ、一瞬で崩れ去りそうなほど軋みを上げている王女を乗せた馬車は、凄まじいスピードと轟音で東に向かって、突き進む。


 王女がここまで急いでいるのは、メルクとアナや東に向かったという騎士の心配もあったが、サン・カレッド中心部で思わぬ時間を食ってしまったからである。


 中心部に押し寄せた人々の群れに主要な大通りを奪われ、遠回りをしなければならなかった。できるだけ近道をと、通れるか否かというような細い道を強引に進んだおかげで、車体はかなり汚れて、傷ついていた。


 荷台に乗り込むクレアはその衝撃に飛び上がり、頭を打ち、体をぶつけて、クレア自身も傷ついていた。けれど、それでも御者に指示するのは、王女としての自覚があるから。民を、同志を守るため。できないとわかっていても、せめても鼓舞をするためであった。


(……メルク様、信じております)


 揺れる車内で、クレアは思いをせる。


(お母様のあの慌てよう。おそらく、過去最大級の脅威と言って違わないでしょう。もしかしたら、王国の騎士達に死傷者が出るかもしれない。だから……だからこそ、わたくしは貴方様を信じております)


 凛とした、そして期待に満ちたその表情。王女であって、一人の年頃の女の子であるその表情が浮かぶ理由は師への憧憬どうけい。そして、王女としての憂慮によるものだ。


(……わたくしが、初めて可能性を感じた、本当の意味での師匠様。貴方様はきっと……)


「……御者様、もっと早くお願いしますっ!」


 彼の元へ、早く向かうために、クレアは御者に懇願する。


「……今でも、かなりスピードを出しているのですが、これ以上は危ないと……」


 手綱を手に、首を少しだけ後ろへ向けて御者は言う。


「構いません。わたくしがどうなろうと、早く行けるのであれば……」


 それは、優しくはあるがある種王女からの勅命に感じられた。


「……わかりました。最高速で、飛ばしましょう!」


 御者は鞭を打つ。しなった鞭が空気と馬の背を叩き、猛スピードで駆けだした。


(……もう少し、待っていてください。メルク様。そして、どうか皆をお守りください)


 蹄鉄ていてつの鳴らす重低音は、さらに強く、人気ひとけの減った通りに鳴り響いた。

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