第129話 黒鋼の剣士と裁きの雷(中)

 腹に響くエンジン音と金属の擦り合う独特な駆動音が、レンスター新市街東区の銀騎士通りに反響する。この音は、我が物顔で大通りを旧市街に向かって進む、ハーケンクロイツを掲げた二輌のⅣ号戦車が発する走行音だ。


 俺は、シェムハザと共に身を隠した瓦礫の山から、正面の兵舎の窓ガラスに映る縦列隊形の戦車を見つめた。ここから先頭のⅣ号戦車までの距離は、約百メートルといったところだろう。もう間もなく、先頭の戦車が鍛冶工房の前に差し掛かろうとしている。


 戦車が走行する振動で、瓦礫に堆積した小石がパラパラと地面に崩れ落ちてくる。俺は、敵の戦車が接近していることよりも、気になって仕方がないことが一つだけある。


 それは、姿が見えない彩葉の行方だ。


 新市街西区でシェムハザと合流した俺は、シェムハザの誘導を受けて、彩葉が参加したという、この銀騎士通りの防衛線へ急いだ。しかし、俺が銀騎士通りに辿り着いた時、銀騎士通りに彩葉の姿はなく、両軍の兵士たちの遺体だけが無残に横たわっている状況だった。


 そして、彩葉の代わりに現れたのが、この二輌のⅣ号戦車というわけで……。


 二輌の戦車は、俺が雷撃で先制攻撃を仕掛ければ、反撃される前に破壊できる気がする。早く戦車を撃破して、彩葉を探しに行かなければ……。


「なぁ、シェムハザ。さっさと雷撃で戦車を潰しちまっていいか?」


 俺は、兵舎の窓ガラスに映る、先頭のⅣ号戦車を見つめたままシェムハザに尋ねた。


「焦るでない、ハロルド。今ここで呪法を使えば、彩葉を巻き込んでしまうからのぅ。彩葉は、身を潜めてを破壊する機会をうかがっておる。汝が呪法を使うべき時は、彩葉が手前のを行動不能にした後だのぅ」


 近い未来を知るシェムハザは、特徴のある乾いた声で、はやる俺の心を宥めてくれた。シェムハザの言葉から彩葉の無事がわかると、俺の心を掻き乱していたいたモヤモヤが晴れてゆく。


「了解だ、シェムハザ」


 俺がシェムハザに返事をしたその時、兵舎のガラスに映る手前のⅣ号戦車に、鍛冶工房の下屋から黒い人影が飛び下りるのが見えた。俺は、その人影がすぐに彩葉だとわかった。


 彩葉は、砲塔部に着地するなり、竜の力を使って右手を鋭利な刃に変え、ハッチから身を乗り出した戦車長に機敏な動きで襲い掛かった。彩葉が左手に持っている物は、柄付きの手榴弾のように見える。彩葉は、クロンズカークの夜襲で実践した方法で、戦車を行動不能にするつもりだったのだろう。


 やがて、彩葉と揉み合っていた戦車長が砲塔内に崩れ落ちると、彩葉は、左手に持っていた手榴弾を車内に投げ込み、ハッチを閉めて砲塔部から飛び降りた。


 その直後、ドゴンという鈍い爆発音が銀騎士通りに響き渡る。


 彩葉の強襲を受けた先頭のⅣ号戦車が停車し、砲身と開口部から黒い煙が勢いよく噴き出し始めた。戦車兵たちが、車内から脱出する様子はない。戦車の内部は、彩葉が放り込んだ手榴弾の爆発で、悲惨な状況に陥っているのだろう。


「さすが、見事なものよのぅ」


 シェムハザは、瓦礫の山から頭だけを出し、彩葉の戦術に嘆声をもらした。俺は、自分が褒められている以上に誇らしかった。


 けれども、まだ安心できる状況ではない。戦車は、もう一輌いる。後続の戦車は、俺が破壊しなければ……。


 後続のⅣ号戦車は、僚機が撃破されたことで戦闘モードになっている。


 激しい駆動音を発しながら、黒煙を戦闘不能になった戦車を回り込み、彩葉を目掛けて砲塔部を回し始めた。


 彩葉の黒鋼の鱗は、高圧の電流や火炎の熱に弱い。主砲から榴弾を撃たれたら彩葉が危険だ。


「まだ喜べる状況じゃない! 俺は、彩葉を支援する! シェムハザは、旧市街まで戻ってくれ!」


 俺は、彩葉の支援に向かうことを宣言し、特別な戦闘能力を持たないシェムハザに避難を促した。


「本来であれば、そうするところなのだが……。これから汝が後続のを破壊すると、ワシが話をせねばならぬ相手が現れるからのぅ」


 シェムハザが話をしなければならない相手。


 それは、死天使アズラエルに違いない。


「それは、が、ここに来るってことか?」


「いかにも。死天使アズラエルは、エスタリアの王族とヴァイマル帝国の将校を引き連れて、先行させたに続いて、レンスター旧市街を制圧しようとしておるからのぅ」


「シェムハザ、アズラエルが連れてくる敵の数は多いのか?!」


 アズラエルは、瞬時に死をもたらす呪法を使う厄介な天使だ。エスタリアの王族だけならまだしも、ナチの将校の存在は厄介だ。シュヴァインブラーテン作戦の情報によれば、第九軍を指揮する将校は、自らもドラゴニュート化したという、ドラッヘリッターを率いるリヒトホーフェン少将だったはず。


 この名前は、忘れもしない。リヒトホーフェン少将の父親は、公式記録で黒鋼竜ヴリトラの調査中に行方不明になっているという、遊撃旅団の前総指揮官リヒトホーフェン上級大将だ。


 黒鋼竜ヴリトラをあざむき、シンクホールを使って俺たちの前に現れ、平穏だった俺たちの日常を奪った張本人だ。その息子が、アズラエルと共に、ここに現れようとしている。これも何かの縁なのだろう。いや、因縁というべきか。


「安心せよ、ハロルド。汝と彩葉の二人で、対処できる人数だのぅ」


 戦闘能力を持たない未来を知るシェムハザが、前線に向かおうとしているのだから、きっと大丈夫なのだろう。けれども、シェムハザは、自らの目的のためなら、リーゼルさんやサラさんたちを平然と切り捨てるような奴だ。


 所詮、人間ではない原初のアヌンナキ。


 今は信じるしかなくても、コイツを完全に信用してはいけない気がする。


「了解だ、シェムハザ。とりあえず、俺はあの戦車を破壊する!」


 俺は、その場で立ち上がり、右手にバスケットボール状の雷玉を作りだして、瓦礫越しに彩葉を追走するⅣ号戦車に狙いを定めた。


「伏せろ、彩葉!」


 俺は、彩葉に聞こえるように、大きな声で呼びかけた。


 俺の声に反応した彩葉は、俺を見て大きく頷き、崩落した石壁の裏側に飛び込んで身を屈めた。そこなら、仮に戦車の一部が吹き飛んだとしても、石壁が遮蔽して彩葉を護ってくれるはず。


 彩葉の安全を確認した俺は、迷わずに雷玉をⅣ号戦車に撃ち込んだ。


 俺が放った雷玉は、細長い槍状に形を変えて、一直線にⅣ号戦車の砲塔部を目掛けて飛んでゆく。


 槍状の雷玉は、Ⅳ号戦車に突き刺さると、車体を貫通して青白く閃光を発し、雷鳴に似た大きな音を轟かせた。高圧の電流の影響からか、車体の一部が熱で赤く変色し、熱せられた鉄板に水を蒔いた時のような蒸気を発した。


 彩葉は、俺が雷撃を撃ち込んだⅣ号戦車が沈黙したのを確認すると、俺とシェムハザの元に駆けつけてきた。


「ハル、シェムハザ!」


 俺とシェムハザの名を呼んだ彩葉は、まっすぐ俺の元へ駆け寄り、俺の胸元に飛び込んで顔を埋めてきた。ドラゴニュートの体は、質量が少ないためとても軽い。


「彩葉、本当に無事で良かった!」


 俺は、精一杯戦った彩葉を力強く抱きしめて労った。嬉しさよりも安堵で、目の奥が熱くなり涙が溢れそうになる。素直で優しい彩葉は、心で泣きながら、大勢の敵を殺めたのだろう。


 彩葉の体は、敵兵の返り血や汚泥が付着していた。いつものククルスの花の香りに、何ともいえない鉄分を含んだ血の臭いが混ざっている。俺は、彩葉を左腕で抱き寄せたまま、上着の右ポケットからガーゼを取り出して、彩葉の頬や髪に付着した敵兵の血を拭き取った。


「あ……。私、臭いが酷いでしょ……? ハルの服に、沁み着いていたらごめん……」


 彩葉は俺を見上げ、バツが悪そうに作り笑いを浮かべた。


「そんなの気にするなよ。俺は、彩葉の姿が見えなかったら不安で……」


「さっきは、助けてくれてありがとう。絶対に来てくれるって信じてた」


「彩葉を助けるのは、当たり前だろ? それより、彩葉。シェムハザの話によれば、ここに死天使アズラエルが、ドラッヘリッターの指揮官を連れて現れるらしいんだ」


「そ、そうなの?!」


 彩葉は、俺とシェムハザを交互に見つめて問い質した。


「いかにも。ハロルドが言った通り、もう間もなくアズラエルがここに現れるのぅ。茶番を済ませたなら、汝らは、この瓦礫に身を潜めて待機せよ。ワシが事前に周知した通り、奴の呪法は、定命じょうみょうの者のアニマを、瞬時に幽世かくりよいざなう、毒素を対象の周りに発生させるものでの。ただし、その範囲は、奴の視界内の対象か、直接触れた対象に限られておる」


「なるほど。それなら、シェムハザがアズラエルと対話をしている間に、対アヌンナキに有効な俺の雷撃で、アズラエルを討てばいいわけか」


「それでは、アズラエルを倒せなくてのぅ。奴が得意とする闇属性の呪法には、『矢避け』ならぬ『呪法避け』というものがあっての。従って、汝が放つ雷玉は、アズラエルに命中せぬ。だからといって、奴に直接触れるわけにいかぬからのぅ」


 シェムハザの心積もりは、俺の予想と違っていたらしい。


「そ、それじゃ、どうすりゃいいんだよ?! 銃や剣でアズラエルを倒したとしても、アヌンナキは、の世界でも本体の聖霊が生き続けるんだろう? 転生や復活を遂げて、反撃してくる可能性があるなら、敵対したらヤバいんじゃないか?」


 死後の世界とされる幽世は、時間の概念を持たない別時限の世界だ。その幽世でも生き続けるアヌンナキは、所謂いわゆる『裁きの雷』と呼ばれる俺の呪法で聖霊の本質を分解しなければ、完全に存在を排除できない。


 しかし、遠距離からの雷撃は、『呪法避け』を使うアズラエルに当たらない。また、直接触れれば、こちらの命が尽きてしまう。これでは、八方塞がりだ。


「ハロルドよ、焦らずに最後まで話を聴くがよい。汝の雷玉を、マナを帯びた彩葉が所持する竜殺しの剣に付与することだの。ハロルドの呪法が付与された剣を彩葉が用いれば、アズラエルに直接触れることなく、『裁きの雷』を当てた時と同等の効果が得られるからのぅ」


「私のティルフィングに、ハルの呪法を?」


「左様。ハロルド、できるかの?」


 そんなことを訊かれても、マナを宿す武器に呪法を付与する方法など知らない。


「自信がないな……。そもそも、どうすればいいんだ?」


「ワシに訊かれても、わかるわけなかろう。しかし、ワシが見た未来では、彩葉が裁きの雷を付与された剣でアズラエルを討っていたからのぅ。さて、どうやら雑談はここまでのようだの。ハロルドよ。ワシがアズラエルを出迎えている間に、思案を巡らせるがよい」


 シェムハザは、ピクンと耳を立て、正面を見つめたまま俺に答えた。


 そして、シェムハザは、戦車の残骸の方へ向かって、ゆっくりと銀騎士通りを歩き始めた。すると、二輌のⅣ号戦車が現れた方角から、一台のブリッツが銀騎士通りに姿を現した。


 このブリッツにアズラエルたちが乗っているのだろう。


「ちょっと、シェムハザ! あなたが敵の前に出て大丈夫なの?!」


 彩葉がシェムハザに問い質す。


「ワシは、定命の者ではないからのぅ。アズラエルの呪法は、ワシに通用せぬ。それに奴は、ワシに訊きたいことが多々ある故、ワシが奴のしもべたちから危害を受けることはない」


 シェムハザは、立ち止まることなく質問した彩葉にそう答えた。


 死天使アズラエルが乗ったブリッツは、不自然にレンスターの市街地にたたずむ、コノートヤマネコの存在に気がついたらしい。ブリッツは、ゆっくりとシェムハザの前に移動し、そして完全に停車した。


「シェムハザ、大丈夫かな……?」


 彩葉が俺の胸元から離れ、不安そうな表情で俺に訊いてきた。


「シェムハザは、未来を知っているんだから大丈夫さ。俺たちは、ここで身を潜めて待機しよう」


「う、うん」


 俺は、瓦礫に身を屈め、兵舎のガラスに映るシェムハザたちの様子を窺った。


 幌付きのブリッツの荷台から、黒いローブを深々と被った長身の男が、鍵十字の腕章をつけたヴァイマル帝国の将校を連れて降りてきた。あの黒ローブの男が死天使アズラエルに違いない。


「ねぇ、ハル。ティルフィングに呪法を付与するっていう、さっきの話。できそう?」


 兵舎の窓ガラスを見つめる俺に、彩葉が呪法の付与について尋ねてきた。


「やるしかないんだろうけど、マジでよくわからないんだよ……。とりあえず、剣身に触れて、マナを放出する感じで試してみていいかな?」


「もちろん! 力になりたいけど……。魔法のこと、全然わからなくてごめんね」


 彩葉は、俺に詫びながらティルフィングを鞘から抜いた。


 キラリと光る剣身は、研ぎ終えたばかりのような輝きを見せている。さすが、鞘に納めるだけで、刃毀はこぼれを自動的に修復する魔法武器だ。


「彩葉が謝らないでくれよ。自分の呪法のスペックを研究しなかった、俺の怠慢が原因なんだから……。それじゃ、帯電させるから、感電しないように少し離れて」


「わかった」


 俺は、彩葉がティルフィングの柄を手放したのを確認してから、身を屈めたまま聖剣の剣身に触れて意識を集中させた。


 マナが聖剣に流れ込むと、剣身が青白く発光し、バチバチと音を立てて放電を始めた。そのまましばらくマナを注ぎ続けると、剣身が強い光を帯びて、マナの供給を止めても放電現象を維持するようになった。


「よくわからないけど、これで成功……、なのかな?」


 我ながら確信が持てないのが情けない。


「凄いよ、ハル! たぶん、これなら……」


 彩葉が俺を賞賛してくれたその時、俺たちの真上からが聞こえてきた。


(何か気配がすると思っていたら、こんなところに隠れていやがったか! 少将閣下、隠れている敗走兵ですが、そのうちの一人は、噂のドラゴニュートかもしれません!)


 これは、念話だ。


「どこだ?!」


 俺は、いつでも立ち上がれるように、片膝を地面について周囲を見回した。しかし、敵の姿はどこにも見えない。


「ハル、上よ!」


 敵の存在に気がついた彩葉が、俺に敵の居場所を知らせてくれた。


 頭上を見上げると、大柄な体型の有翼のドラゴニュートが、三メートル程の翼を羽ばたかせて上空で静止していた。こいつは、土天使タミエルが憑依した女士官と同じ、飛行形態のドラゴニュートで、武装親衛隊の精鋭部隊であるドラッヘリッターの一員だ。


 有翼のドラゴニュートは、手に持ったバズーカ砲を肩に担ぎ、上空から俺たちに砲身を向けて構えた。


 バズーカ砲の尖端の弾頭は、擲弾てきだんと同じ榴弾の部類だ。炎の熱が強いだけに、彩葉も無事では済まない。


(さぁ、レンスターの残党よ! これでおしまいだ!)


 上空の敵は、わざわざ俺たちに念話を送ってきた。そいつの顔は、まるで幼児が好みのおもちゃを見つけた時のような笑みを浮かべていた。


 今から雷玉を作り出して上空の敵に放っても、バズーカの引金が引かれるよりも早く倒せそうにない。


 くそっ! こんなところでっ!


(諦めてはなりません、ハロルド。私の指示に従いなさい)


 上空の敵を睨む俺の頭の中に、あの時と同じように落ち着きのある女性のが伝わってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る