第124話 俺たちの運命

 私とハルは、天使シェムハザに導かれ、レンスター軍がドラムダーグ線と名付けた塹壕の中を、北東方向に向かって進んでいた。その行き先は、未来の結末を知るシェムハザから伝えられていないのでわからない。


 私たちは、秘密主義を貫くシェムハザに、多少のもどかしさを感じているものの、それほど不安やストレスを感じていなかった。その理由は、シェムハザが私たちの行動や選択肢に対して助言し、数多あまたに分岐する未来が悪くならないようコントロールしてくれているから。


 ユッキーたちと別れてから、十五分くらい経った頃だろうか。私たちは、シェムハザを先頭に塹壕内を進む中で、地面に倒れた数名の騎士と衛兵たちを発見した。


 その中に、顔見知りのレンスター騎士、ジョゼフ卿も含まれていた。シェムハザは、彼らに目もくれず先を急ごうとしたけれど、酷い怪我で動けない負傷者たちを無視するなど、人としてできるはずがない。


「ぐっ……」


「ジョゼフ卿、お気をたしかに! お辛いと思いますが、活動性の出血はありません! 大丈夫です!」


 私は、手榴弾と応急処置セットが入れられたショルダーバッグのポケットから、止血帯を取り出し、肘から先を失ったジョゼフ卿の右腕に止血を施しながら声を掛けた。ジョゼフ卿は、地面に腰を落として塹壕内の壁に寄り掛かり、激しい痛みに耐えかねて顔をしかめている。


 ジョゼフ卿が負傷した原因は、運悪く塹壕内に着弾した迫撃砲の爆発に巻き込まれたものだった。以前の私なら、このような生々しい傷を間近で見ただけで、例の胸の高鳴りに襲われ、吐き気を催していたはず。慣れというのは、本当に凄いものだと我ながら感心している。


「すまない、黒鋼のカトリ……。情けないことに視覚までもやられ、あなたの姿すら満足に見られない……」


「いえ、詫びることなんてありません。ジョゼフ卿、もうすぐザガロ卿とドリアート卿が率いる歩兵部隊が、ドラムダーグ線に駆けつけます。増援が到着したら後方へ戻り、司祭様たちから本格的な治癒の呪法を受けてください」


「承知した、黒鋼のカトリ……。この恩は、決して忘れぬ……」


「彩葉……。他の衛兵たちは、残念だけど全員息がなかったよ……」


 他に生存者がいないか確認していたハルが、首を横に振って私に報告した。


「くそっ……。俺だけが生き恥を……。ちくしょう……」


 ジョゼフ卿は、悔しそうに目に涙を浮かべて天を仰いだ。私は、身も心も傷ついたジョゼフ卿に、それ以上掛ける言葉が見つからなかった。


「彩葉よ。その者の手当てが済んだのであれば、先を急ぐとしようかの。これ以上、汝が時間を費やすと、ワシらの行動が手遅れになってしまうからのぅ。その者は、じきに駆けつける仲間に救われる。安心するがよい」


 天使シェムハザは、私にそう告げると、尾まで伸びる長い二本の髭をうねらせながら私を急かし、向きを変えて塹壕の先へ走り始めた。


「彩葉、今はシェムハザを信じて急ごう」


「うん、わかってる……。ジョゼフ卿、私たちは先を急ぎますが、もう少しの辛抱です」


 私は、ハルに返事をしてから立ち上がり、苦痛に耐えるジョゼフ卿を励ました。


「すまない、黒鋼のカトリ。どうか、ご武運を……」


「ありがとうございます。ジョゼフ卿もどうかご無事で」


 私とハルは、ジョゼフ卿に一礼してから、先行して走り始めたシェムハザの後を追いかけた。


 地面に掘られた塹壕は、直線ではなく、十メートルくらいの間隔で直角の曲がり角になっている。塹壕がこのようなジグザグの構造をしている理由は、侵入してくる敵の視界を奪うことや、砲弾や手榴弾が塹壕内に着弾しても、爆散する破片などを曲がり角が遮り、歩兵や射手の被害を減らすためなのだとか。


 私たちは、しばらく塹壕内を道なりに走り続け、九十度の曲がり角を十回以上曲がったところで、ようやくシェムハザの後ろ姿を捉えることができた。


「随分と遅かったのぅ」


 シェムハザは、ゆっくりと振り返り、ため息をつきながら私たちに言った。


「ちょっと、シェムハザ……。ハァハァ……。走るの、早すぎだろ……。ハァハァ……」


 ハルは、両手を膝について、息を切らせながらシェムハザに文句を言った。シェムハザの体は、基本的にコノートヤマネコそのもの。身体能力が増大したドラゴニュートの私でも、競走して勝てる相手ではない。


「そうよ! 私はともかく、少しハルを労わってあげて!」


 ハルは、全力で走ったことで体力を消耗してしまっている。この状態では、必要な時に呪法が使えないかもしれない。


「仕方がないのぅ……。ワシの背に汝を乗せてやりたいところだが……」


 見た目がシャープなコノートヤマネコは、二メートル以上ある大きさの割に、成体の雄でも体重が四十キログラムに満たないらしい。一方ハルは、身長百八十センチメートルを超えている。スリムな体型とはいえ、それなりに体重もあるはず。


「さすがに、物理的に無理だと思うぜ……? 気持ちだけで十分だ、シェムハザ……。立ち止まって休むわけに、いかなそうだし……、前進しながら……、これから何をすればいいか教えてくれないか?」


 まだ息切れが続いているハルが、私たちがこれから取るべき行動をシェムハザに要求した。


「よかろう。ゆっくりと進みながら話すとしようかの。彩葉もそれで良いかの?」


「もちろん! 私たちが、何をどうすればいいのか。それを教えられる範囲でいいからお願いします!」


 私は、意見を求めてきたシェムハザに、深く頭を下げて同意である旨を伝えた。


「そうかしこまらんでよい。この先を四度曲がった場所に、この壕から外へ通じる階段があってのぅ。まずは、それを登るところから全てが始まる。それから先は、この戦の勝敗を決める一戦となるのだが……。ワシが伝える通りに行動すれば、確実に勝利できる故、案ずる必要はない」


 シェムハザは、早足で歩き始めながら、淡々と未来への道標を語り始めた。私とハルは、黙ったまま互いを見つめて頷き、オオヤマネコの天使の後に続いた。


「その階段を上ると、燃え盛る車両が汝らの視界に入るはずでのぅ。その燃え盛る車両に近づくと、そのかたわらで、いがみ合う三者がおっての。しかしながら、その者たちの中に、ワシらと有効的な者は誰も居合わせなくてのぅ。汝らは、その者たちの容姿に惑わされてはならぬ。いずれも、汝らの命を狙う仇なす者たちと心せよ。そして、汝らは、その者らと戦わねばならん。まず彩葉が取るべき行動は、槍を持つ者に先制攻撃を仕掛けることだの。その者を討たねば、ワシが下拵したごしらえした秘策が使えないからのぅ」


 シェムハザは、私に槍を持つ者を倒せと言ってきた。銃火器を駆使するヴァイマル帝国の槍使い。いったい、どんな敵なのだろう……。


「おい、シェムハザ……。もう目前のことだろう? いくらなんでも、もうそろそろ伏せずに教えてくれてもいいんじゃないか?」


 私も感じていたことを、ハルがシェムハザに言ってくれた。肩で息をしていたハルの呼吸は、もうだいぶ落ち着いているようだ。


「ワシもそうしたいのだがのぅ……。今それを汝らに伝えると、汝らは別の道を模索し始めるからのぅ。その結果、時間が足らなくなり、守れるものまで失ってしまうことになるのだが……。それでもいいかの?」


 そうに言われたら、“No”と、答えるしかない……。


「それじゃ、選択肢なんてないじゃない……」


「まったくだ……」


 私がシェムハザに不満を漏らすと、ハルも私に相槌を入れた。シェムハザは、何も言わず、耳だけをピクピクと動かし、振り返ることなく早足で進んで行く。


「槍使いを倒せと言うけど、私で勝てる相手なの? 何か弱点があれば教えて欲しいのだけど……」


 なるべく無傷で確実に勝てるなら、少しでも有効的な未来の情報が欲しい。


「汝の剣技があれば、難なく倒せる相手だがのぅ。肝心なことは、汝が躊躇ちゅうちょせずに、先制攻撃でその者を討てるかどうかに懸かっておる。彩葉よ、ワシが汝に一つだけ伝えることがあるとすれば、迷ったら左に避けることを肝に銘じておくがよい」


「わ、わかったわ……。もし、私が躊躇ためらったら……、どうなるの?」


「大切な者を失い、躊躇ったことを後悔し続けるのぅ……」


 大切なものを失って後悔し続ける……。それだけは、絶対に嫌だ。


「シェムハザ! 俺は、どうすればいい?」


「そうだのぅ。奴らは、ハロルドの呪法の破壊力を熟知しておる。それ故に、汝の呪法を見るだけで、圧力を受けて必ず怯む。従って汝は、雷玉を手元に作りだし、その場で奴らを威嚇せよ。ただし、心せねばならぬことは、決して短絡的に雷玉を放ってはならぬ。たとえ、如何なる惨劇を目の当たりにしても、汝の一番大切なものだけを思い浮かべ、激昂する精神を鎮めることだのぅ。それを決して忘れてはならぬ」


「何だかよくわからないけど……。俺が呪法で雷の塊を作りだして、敵を威嚇して彩葉の支援をすればいいんだな? それよりも、惨劇とか言ったけど、彩葉は大丈夫なんだろうな?!」


「安心せよ。彩葉は、我らのアヌンナキと同等の戦闘力を持ち合わせておるからのぅ」


 どうやら、私はこの戦いで生き残るらしい。


 強靭な体と身体能力。そして、不老の体。私などが、アヌンナキこと天使並みの力を得られるのだから、竜帝伝説のシグルドに憧れ、ドラゴニュートになりたがる人が後を絶たないという理由が改めて理解できた。


「シェムハザ。その槍使いを討ったら、私は次に何をすればいいの?」


 私は、シェムハザに話の続きを要求した。


「彩葉がその者を討ち取ると、すぐにワシの秘策が功を奏し、もう一名が討たれる手筈になっておってのぅ。彩葉は、ワシの秘策で討たれた者の元へ向かい介抱するがよい。ハロルドは、最後の仇なす者から、決して目を逸らしてはならぬ。そして、作り出した雷玉を極限まで増大させ、逃走しようとする敵が静止する瞬間を待ち、その者に雷玉を撃ち込み撃退せよ」


 槍使いは、躊躇わず討たなければならないのに、次に倒れた敵を助ける?


 具体的な指示を出される割りに、戦いや敵のイメージが沸いてこない。シェムハザを信じるしかないことはわかっている。けれども、胸を締め付けられるような不安が沸々と込み上げてくる。


「シェムハザからの指示は、俺たちが知らないを見ての指示。モヤモヤして気持ちのいいものじゃないけど、やってやるさ。彩葉、お互い頑張ろうな!」


「う、うん! 私は大丈夫らしいから、ハルは絶対に無理しないこと」


「あぁ、わかってるよ、彩葉」


 私たちは互いに顔を見つめ微笑み、そしていつものように景気付けのグータッチを交わした。


「さて、こうして話しているうちに、くだんの階段が見えてきたのぅ。ワシは、ここで汝らの行く末を見守ることしかできぬが、今しがた伝えたことを忘れず、無事に戻って参れ。全ての元凶は、大天使ラファエルが率いるパワーズのヤハウェに対する離反。本来なら、我らアヌンナキの問題であるところだが……。汝らの手を借りねばならぬことを、改めて詫びねばならぬのぅ」


「シェムハザ、今は謝る時じゃないぜ? どうして俺が属性八柱に選ばれたのか、はっきり言って納得できないけど、これも全て俺の運命だと思っているさ!」


「ほほぅ。頼もしい答えを言うようになったのぅ」


 ハルが言った通り、これは運命なのだと思う。


 でも、それは、ハルだけの運命じゃない。この広い宇宙の中の地球という星で、同じ時代に産まれ、しかも家が隣同士。そして、私の母さんが早くに亡くなったことで、ハルと家族同然に育てられ成長を遂げた。それらを含めて、私は、全てあらかじめ定められていた私の運命だと確信している。


 だから、ハルが困難に挑もうとしている今こそ、私は彼の支えになりたい。そして、いつかハルが地球へ帰るその時が来るまで、私は彼の隣に居続けたい。


 昨夜、二人きりで過ごした時間がまるで夢のよう。西風亭の部屋の窓から二人で夜空の太陽を眺め、それから一つのベッドに二人で横になり、昔の思い出を語りながら朝を迎えた。ハルは、途中で眠ってしまったけれど……。


 思い返すと顔が熱くなり、それと同時に、胸が締め付けられて息が詰まるような感覚に襲われる。私の隣で眠る、ハルの温もりが恋しくて。


「ん? どうしたんだ、彩葉?」


 ハルが怪訝そうな顔で私を見つめ、問い質してきた。


「え? あ、ううん。何でもないの。そ、それよりも、さっきの言葉だけど……、『俺の運命』じゃないよ? これは、ハルだけの運命じゃなくて、私の運命でもあるのだから」


 私は、咄嗟に誤魔化しながらハルに正直に思っていることを伝えた。すると、塹壕の外へ通じる階段に足を掛けたハルが、ジッと私を見つめてから目を逸らし、照れ臭そうに顔を赤らめた。ハルの恥ずかしがる仕草は、昔からわかりやすくて可愛らしい。


「ご、ごめん、そうだった。『の運命』だったな、彩葉」


「うん!」


 私がハルに返事をしたその時、真っ赤に燃え盛る波紋状の炎が、塹壕の外の地上を凄い速さで駆け抜けた。そして、駆け抜けた炎の熱い空気が、間を置いて地上から塹壕内に流れ込んできた。


「な、何が起こったの?!」


「わからない……。一瞬、凄い炎が走ったのが見えたけど……。火炎放射器みたいな兵器じゃなさそうだったから、呪法かもしれない……」


 炎の呪法? キアラは、戦車に乗って前線で戦っているはず。敵にも、炎の呪法の使い手がいるのかもしれない。


 私の黒鋼の鱗は、炎と雷に弱いとヴリトラが言っていた。事実、私がクロンズカークの夜襲で榴弾の炎を浴びてしまった時、ヴリトラの力を授かった黒鋼の鱗は、金属が溶融するように焼けただれ、同時に激しい痛みを伴った。


 炎の呪法の使い手がいるのなら、敵に弱点を悟られないよう、慎重に行動しなければダメだ。


「彩葉、ハロルド。先を急ぐがよい。地上へ出た汝らが仇なす者と接触した時、これまでワシが伝えたことを全て理解できるはずだからのぅ」


 要するに、行けば全てわかるということなのだと思う。ここで止まっていても先に進まない。妙な胸騒ぎを覚える中、私は、竜の力を使って全身を硬化させた。


「わかったわ、シェムハザ。私が先に進むから、ハルは私を盾に後ろからついてきて!」


「了解だ!」


 私は、一気に階段を駆け上がり、塹壕から地上へ出た。すると、シェムハザが言っていた通り、二百メートルくらい先で、一台の車が激しく黒煙を噴き上げながら燃えているのが見えた。炎上する車に近づくに連れて、徐々にそれが何なのかはっきりと見えてきた。


 その車両は、赤十字のマークが入った軍用車両。リーゼルさんが、サラさんたちを連れてくる際に使うと言っていた車両で間違いない。


 その車両が、ここで炎上しているということは……。つまり……。


「ハル、あれって……。!」


「あぁ……。たぶん、サラさんたちが乗って来た車両……、なのだと思う……。リーゼルさんたち、脱出できていればいいけど……。シェムハザは、あの車の向こうに三人の敵がいると言っていた。彩葉、気をつけてくれよ!」


「うん……」


 横目で後方を見ると、ハルは、走りながら左手に雷の塊を作りだしていた。私も、いつでもと刃を交えられるよう、聖剣ティルフィングを抜刀した。そして、聖剣の鞘とショルダーバッグを地面に置き、燃え盛る車の向こう側にいるはずの敵を目指し、再び走り始めた。


 もしも、リーゼルさんやサラさんたちが敵に襲われているなら、すぐに助けなければ!


 どうか、彼女たちが無事でありますように。

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