第114話 衛生兵の魔導少尉(下)

 アスリンが翻訳の精霊術を使ったことで、投降した衛生兵と直接会話ができるようになった。彼女がドラゴニュートである私の容姿や念話に驚かなかったのは、彼女がドラッヘリッターに所属する衛生兵の魔導少尉だったから。


 彼女の名前は、サラ・アーレント。ハルが言った通り、彼女は、水属性を司る『輪廻の雫』と呼ばれる属性八柱の一人だった。


 もうすぐ二十歳になるというサラさんは、奇麗なブロンドヘアが映えるポニーテール姿で、雰囲気がハルの姉アリーによく似ていた。


 アガモア作戦の第一目標は、エドワード公子殿下の救出であり、第二目標がドラムスナ橋を爆破すること。既に第一目標を達成した私たちは、すぐにでもアガモア砦を脱出し、第二目標に移行しなければならない。ところが、ここで属性八柱のうちの一人に出会えたことは、私たちにとってプラスな意味で想定外だった。


 そこで私たちは、エドワード公子殿下の承諾を得て時間をいただき、サラさんをレンスター側に引き入れるため、彼女を説得することになった。一人でも多くの属性八柱を救うことが、アナーヒターの望みであり、私たち特殊魔導隊全員の願いだった。


 公子殿下と蒼天のレックスは、アスリンの誘導で先にキューベルワーゲン三号に向かっていただいている。その理由は、風の精霊術で隠蔽された三号が一番安全であることと、公子殿下らにとって、未知の生物であるに、少しでも早く慣れていただく必要があったからだ。



 ◆



 私たちに敵意がないことがサラさんに伝わると、彼女と打ち解けるまでに、それほど時間は掛からなかった。サラさんは、私たちが地球から来た経緯を聞いた途端、涙を流し心から私たちに同情してくれた。その涙の理由は、彼女も私たちと同じように、二十一世紀の地球からアルザルへ拉致された被害者だったから。


 私たちに心を開いてくれたサラさんは、彼女がアルザルへ来た経緯について、私たちに包み隠さず話してくれた。


 サラさんの出身は、スイスの中央にあるルツェルン市。山と湖に囲まれた景観の良い美しい街なのだとか。彼女の故郷の話は、清らかな犀川の水と美しい北アルプス山々が連なる、私たちの故郷の安曇野の風景を連想させるものだった。


 このアガモア砦で互いに敵同士として出会った私たち。サラさんと接触してからまだ十五分程しか経過していないのに、もう何年も前から知っているような、不思議な錯覚にとらわれる。私たちがすぐに打ち解けられたのは、サラさんの人柄もあるけれど、育った環境がよく似ていた理由もあるかもしれない。


 サラさんがアルザルへ来た時期は、私たちが来る約半年前の西暦二〇〇七年の一月。彼女は、ルツェルン近郊のピラトゥス山のリゾート地で、住み込みでアルバイトをしていた時に、暗紫色の霧の中から突然現れたヴァイマル帝国の将校らによって、拉致されたのだという。


 ヴァイマル帝国がサラさんを狙った目的は、ハルと同じ属性八柱の一人だったからに他ならない。その事件の際に、サラさんの友人が二人巻き込まれ、彼女の目の前で銃殺されてしまったのだとか……。


 その卑劣な行為は、私がハルの目の前で撃たれたことと同じだと思う。サラさんの怒りや憎悪の感情を引き出して、彼女の眼窩に眠るルーアッハの聖霊を覚醒させようとしたに違いない。


 サラさんは、彼女の日常を奪ったナチスの軍隊を恨み、自分のせいで殺されてしまった友人への罪悪感に浸り、自らの運命を呪いながら未知の星で監視された生活を強いられていた。


 アルザルへ来て数日が経過し、精神的に追い詰められていた時に、大天使ラファエルらの一党がサラさんに接触してきたという。そして彼女は、ラファエルから、彼女に秘められた天使の力を伝えられ、属性八柱というに選ばれしであると教わった。


 キリスト教徒のサラさんは、大天使ラファエルがナチスの軍隊を従えていたことに疑問を感じつつも、実在した天使たちに従うことを誇りに感じていた。それからサラさんは、ラファエルの導きでヴァイマル帝国武装親衛隊のドラッヘリッターに所属し、忌み嫌っていたナチスの軍隊に従軍する形で現在に至るのだという。


 リーゼルさんと同様に、属性八柱に関わる一切のことを、天使たちから知らされないままに。


 五年後に迫る厄災のこと。属性八柱の呪われたような運命のこと。そして、ラグエルが語った、地球の人類を滅ぼそうとしていること……。ハルと私がそのことを伝えると、私たちを信頼してくれたサラさんは、愕然としてしばらく言葉を失っていた。


 シェムハザの話では、飛行タイプのドラゴニュートの女士官は、既に覚醒していると言っていた。サラさんは、その女士官のことで思い当たる節があったのだと思う。彼女がショックを受けていたのは、信頼していた天使たちに騙されていたことを知ったからだろう。


 それにしても、ラファエルたちパワーズが、旧世界のナチスの軍隊を従え、属性八柱を集める理由がわからない。私が接触した監視者ラグエルは、厄災を防ぐどころか、彼らアヌンナキを創造した意思を持つ宇宙母船ヤハウェすら沈めるつもりでいた。ましてや、地球上の人類を滅ぼそうなどと……。


 けれど、もしも……、ラグエルが言ったことが真実なら……。


 ヤハウェが沈んでしまえば、神竜王アジ・ダハーカの呪怨が解け、ニビルの軌道が変わり、厄災そのものがなくなる。そうなれば、属性八柱の悲劇だって自動的に解消されることになる。


 ラグエルが語った言葉が、私の頭の中で蘇り、思考をかき乱す。


 人に都合のいい解釈を吹き込み闇へ落とす。それが悪魔の特技だと、アナーヒターは言っていたけれど……。


「な? 彩葉も、そうした方がいいと思うだろ?」


 突然、ハルに話を振られたものの、考え事をしていた私は、彼の質問の意図がわからなかった。何か一つのことを真剣に考えてしまうと、目の前のことが見えなくなってしまう。これは、昔からの私の悪い癖だ。


「あ、うん……」


 返答に戸惑った私は、声が裏返ってしまった。


 ハルの冷ややかな視線が痛々しい。私が考え事をしていてハルの質問を聞いていなかったことがバレバレだった。


「あのな、彩葉……。『あ、うん……』じゃないだろ……。ナチの増援が来るまで、時間がないんだぜ?」


 わざわざ声を裏返し、私の真似をして嫌味を言ったハル。ハルが言いたいことはわかるけど、その言い方は、ムカつく……。


「わ、わかってるわよっ! 別に、そんな風に真似することないじゃない!」


 そして、つい言い返してしまう私……。


「あはははは……。ハル君とイロハちゃんって、初めて見た時から感じていたけど、本当に仲がいいんだねぇ」


 サラさんは、私たちのやり取りを見て笑いながらそう言った。


「彩葉と俺は、家も隣同士だったこともあって、アルザルに来る以前から、ずっとこんな感じなんです。そして俺は、彩葉に助けられてばかりで……」


 ハルは、軽く息を吐き、少し照れ臭そうにサラさんに答えた。そして、私を見つめて微笑む。私は、ハルの笑顔を見た途端、沸々と湧いていた苛立ちが収まり、ハルに笑顔を返した。


 ハルの笑顔を見ると、いつも安心感に満たされて癒される。それに、ハルの笑顔には、何でもできそうな不思議な力が湧く魔法的な力があった。剣道の試合など、緊張した場面の度に、何度この笑顔に救われたか数えきれない。アルザルに来て、ハルが本物の魔法使いだと知ったけれど、それ以前から、私にとってハルは魔法使いだった。


「フフッ……。お互いをよく知る幼馴染同士の恋人だなんて、少し妬いちゃうなぁ」


 相変わらず笑みを浮かべたまま、サラさんは私とハルを交互に見比べてそう言った。


「わ、私も……、ハルに助けられてばかりで……」


 恋人とか面と向かって言われると、照れ臭くて誤魔化し笑いしかできなくなる。


 あぁ……。本当は、こういう話をしている場合じゃないのに……。


 言葉に詰まってしまった私は、助け舟を求めてハルに視線を送った。すると、ハルは優しい笑顔のまま私の視線に軽く頷いて応じ、それからすぐに真剣な表情になり、サラさんをレンスターへ迎えるための、核心に迫る話を切り出した。


「サラさん、時間も押してますので本題に入らせてください。先程の話の続きですけど、もうすぐサラさんの上官たちがSSの増援を連れて、このアガモア砦に来るのですよね?」


「えぇ。もう、いつ到着してもおかしくない頃合いね」


 サラさんも真剣な顔つきでハルに答えた。敵の増援が到着したら、ドラムスナ橋まで戻れなくなる危険がある。いつまでもエドワード公子殿下やアスリンを三号で待たせるわけにいかない。


「俺は、サラさんと戦うことなんてできません! レンスターが劣勢なことは、承知の上でのお願いです。力を合わせれば、きっと打開策があるはずです。俺たちにも天使たちがついていますし、氷雪竜アスディーグも味方してくれています。俺たちを信じて、天使シェムハザと天使アナーヒターに会っていただけませんか?」


「私からもお願いします! 他の属性八柱の方も含めて、厄災の犠牲などという残酷なことに巻き込まれていいはずありません!」


 私は、ハルと共にサラさんに願い出た。客観的に考えれば、既に包囲されつつあるレンスターに彼女が寝返るメリットなんて一つもない。それでも、私たちを信じて心を開いてくれた彼女なら、きっと……。


「そうね。厄災や属性八柱のことが本当なら、私はそうすべきなのだと思う。けれど、あなたたちが乗ってきた車両の定員は四名よね? 小柄なエルフの子とイロハちゃんなら、一名として数えられるかもしれないけれど、私が乗るスペースはないでしょう?」


「それは、そうかもしれませんが……」


 キューベルワーゲン三号の定員を問われ、ハルは言葉を詰まらせてしまった。たしかに彼女の言う通り、三号に六名乗ることは、物理的に厳しいかもしれない。


「それに私は、流れで配属されたとはいえ、衛生兵として従軍している。アルスター公子と鉢合わせた時の小競り合いで、大怪我をした二人を見殺しにすることなんてできないわ。一見、手遅れに見えるけど、私が定期的に治癒の呪法を施せば二人とも意識が戻るはず。ハル君とイロハちゃんが誘ってくれることは、本当に嬉しい。でも、今すぐという訳にいかないかな」


 笑顔のまま首を横に振るサラさんの返事は、私の予想を裏切る結果だった。


「もし、サラさんが自動車を運転できるのであれば、俺と彩葉は、走って戻ることになっても構いません! だから……」


 ハルは、珍しく苛立っていた。握られた拳が小刻みに震えていたのですぐにわかった。


「落ちついて聞いて、ハル君。あなたたちがレンスターへ戻れなければ、何も成さないでしょう? 私たちの指揮官を務めるマクシミリアン・フォン・エーベルヴァイン大尉が戻ってから、あなたたちの話を伝えれば、彼もその話を信じると思う。マックスは、ハンガリー王国出身で生粋のナチズムの思想家ではないし、ラトマー中尉が別人のようになってしまった頃から、天使たちに疑念を抱いていたの。そんな彼も風属性の属性八柱のうちの一人であり、イロハちゃんと同じドラゴニュート。ドラゴニュート化してから心を失いかけていたリーゼルが、レンスターで笑顔を取り戻せたことを知れば、マックスもきっと喜ぶはず。私が彼を説得してから、一緒にレンスターへ向かうというのではダメかしら?」


 サラさんが言った人物は、この砦を制圧したドラゴニュートの指揮官のことだと思う。もし、サラさんが言ったように、彼女たち二人が確実にレンスターへ来てくれるのであれば、彼女を信用するのがベストなのだろうけど。こんな時に、シェムハザの星読みや堅牢のロレンスの最善の知恵があれば助かるのに……。


「サラさん、俺たちは、マックスさんに会ったことがありません。サラさんにとって、彼は信頼に値する人ですか?」


「それはもちろん! 少し真面目過ぎるところがあるけど、マックスは、根が陽気で紳士な人。彼とリーゼルは、ドラッヘリッターに配属された私を、温かく迎えてくれた人たちなの。彼は、私にとって大切な上官であり仲間でもある。別れを告げず、突然いなくなってしまうなんて、もう嫌なの……」


 サラさんの最後の一言が、私の胸に刺さった。彼女もアルザルへ拉致された時、大切な人たちに、何も言えずに離ればなれにされた辛さを経験している。彼女が納得しないまま、レンスターへ向かうことを強要すれば、それは拉致と変わらなくなってしまう。


 それに、彼女の話し方を聞いた限り、サラさんとマックスさんは、仲間以上の特別な関係にあるように感じられた。これは、あくまでも私の勘だけど……。


「ねぇ、ハル。サラさんを信用していいと思うけど、どうかな?」


「彩葉、俺もそう思うよ」


 ハルは、私の提案に快く承諾してくれた。


「ありがとう、ハル君、イロハちゃん」


 サラさんは、胸を撫で下ろしながら嬉しそうに私たちに礼を言った。


「サラさん、レンスターへ来る際は、アガモア砦から東のレンスター川に架かるドラムスナ橋からではなく、ラムダ街道沿いのドラムダーグ橋を使ってください。俺たちは、撤退しながらドラムスナ橋を爆破しますので……」


「わかったわ。情報ありがとう。このことは、上層部に伝えないようにするから安心してね。それより、あなたたちは、早くレンスターへ戻って、市民に避難を呼び掛けてもらいたいの。遊撃旅団は、明後日十二月二日の正午に、レンスターを空襲してから総攻撃を仕掛けるつもりよ。既にキルシュティ基地から第九軍の機甲師団が、エスタリア騎士団を率いて進撃を開始している。私が所属する第七軍も、アルスターからレンスターへ挟撃する形で進軍する予定なの」


「なんですって?!」


 私は、総攻撃が近いことに戸惑いを隠せなかった。総力を挙げたヴァイマル帝国が、挟撃する形でレンスターへ仕掛けてきたら……。しかも、空襲まで……。


「いよいよ総攻撃か……。やっぱり、晴れが続くと滑走路が乾くから空軍も動けるのか……」


「今の遊撃旅団は、想定外のレンスターの抵抗に焦っている。私たちの第七軍に届いた命令も普通では考えられない行軍ルートだったの。コノートからアルスターに進軍する際、無理な山越えが災いして、半数の車両が故障しているから、立て直しに時間がかかるはず。だから、総攻撃と言ってもアルスター側は、多少手薄なはず。この電文が、現在の状況と作戦行動よ。これを持って行って。ドイツ語で書かれているけど、国防軍の人やリーゼルなら読めるはずだから」


「こんな重要な書類。ありがとうございます、サラさん」


 ハルが礼を述べながらサラさんから書類を受け取った。そして、それを丁寧に折り畳んでコートの内ポケットにしまった。


「お礼なんていらないわ。今は、これくらいしかできないけれど、地球の人類の存亡が関わっている以上、何でもするつもり。大切な家族や友人を失うなんて嫌だもの。私たちだって、いつか地球へ帰らないとだしね」


 サラさんがそう言った時、砦の外から数台のオートバイのエンジン音が聞こえてきた。きっと、マックスさんたちが増援を連れてアガモア砦に近づいているのだと思う。


 急がなければ私たちは戻れなくなる。きっと、私たちがアガモア砦から戻るのを待つアスリンが、気を揉んでひやひやしているはず。


「ハル、オートバイの音が聞こえてきたよ!」


「くそ……。俺には聞こえないけど、もう来ちまったか」


「ハル君! 最後にお願い! 私をそのロープで縛って欲しいの。その方が、アルスターの公子に不意を突かれたことにできるわ。私は、衛生兵。咎められたりしないから」


「わかりました」


 ハルは、サラさんに返事をすると、壁に掛けられたロープを手に取り、椅子に座ったサラさんをロープで縛った。ハルとサラさんには、まだ車両の音が聞こえないらしい。でも、確実にエンジン音が近づいて来ている。


「ハル君、ありがとう。私は、マックスを説得して、総攻撃に乗じてレンスターへ投降します。タイミングは難しいかもしれないけど、何とかしてみるね」


「わかりました……。レンスターの騎士たちに、赤十字のロゴの衛生兵を攻撃しないよう伝えておきます。サラさん、必ず帰りましょう、地球へ!」


「もちろんよ。ハル君、イロハちゃん。どうか無事で!」


 サラさんは、椅子に縛られた状態で、私たちの無事を祈ってくれた。サラさんの表情は、出会った時と異なり希望に満ちていた。きっと、また会える。その時は、彼女ともっと話がしたい。ドラゴニュートの私は地球で生きられないけど、彼女はハルとユッキーと一緒に地球へ帰るべきだ。彼女の帰りを待つ大切な家族がいるのだから。


「サラさんもどうかご無事で! 急ごう、ハル!」


 私は裏口に通じるドアへ移動しながら、サラさんに別れを告げ、ハルに呼びかけた。


 レンスターに戻ったら忙しくなる。空襲や市街戦になる以上、市民に避難を呼びかけ、レンスターの守りを固めなければならない。


 こうして私たちは、サラさんと再会を約束し、アガモア砦を後にした。

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