第95話 カタストロフ(上)

「汝らが動揺するのは無理もない。突然現れたヤマネコの姿をしたアヌンナキが語る世界の終わりの話を信じろという方が難しいからの。ただ、五年後にカタストロフが現れるのは、約束されているからのぅ……」


 大きなヤマネコの姿で私たちの前に現れた天使シェムハザ。このヤマネコは、コノートヤマネコという種のヤマネコ科の大型の肉食獣で、愛嬌のあるターキッシュバンに似た顔と極端に太く長い二本の髭を除けば、全体の見た目はレオパルトに似ている。


 これまでに私が出会った天使たちは、一様に傲慢な性格で人間を蔑視べっしする傾向にあった。ところが、このシェムハザは、喋り方に独特の特徴があるものの、口調は穏やかで眼差しに温かさがある。私がこれまでに出会った天使の中で、最も人間とかけ離れた姿でありながら、最も人間味のある天使だ。


 そのシェムハザが語った話は、五年後に必ず訪れるという大規模な厄災についてだった。にわかには信じがたい現実離れした天使の話に、大聖堂のホールは重い沈黙に包まれ、誰もが険しい表情となっている。


 厄災という超常現象は、天使たちの仇敵であるレプティリアンが、カタストロフという異界の門を超えて襲来することで始まる。そして、その星を死の星に追いやる可能性がある天変地異をもたらすものなのだとか。


 レプティリアンは、敵対するアヌンナキと同様に何十万年という太古の時代から宇宙を支配している上位生命体だ。彼らは、妖魔族から神として崇められ、ジュダ教や地球の宗教の教えではと畏怖される、アヌンナキと敵対している存在だ。


 厄災を齎すレプティリアンは、ニビルという名の彗星から現れる。ニビルは、プレアデス星団の恒星の一つ、アルキオネを公転する彗星で、その軌道上に太陽とケンタウロス座アルファ星の中間点があるのだとか。ニビルという名前の星は、地球でも聖書や預言書に度々登場する凶兆の星として記されている。


 レプティリアンの襲来は、今回が初めてではない。ニビルの周期に合わせ、過去に何度もアルザルと地球に災いを齎しているのだという。


 過去に起きた厄災の被害例を挙げると、ソドムとゴモラを滅ぼした小隕石の衝突、ノアの箱舟伝承の元となった未曾有の大洪水、地球上を灰で包みビザンツ帝国やペルシア帝国を衰退させた大規模なカルデラ噴火など、神の裁きとして現代に伝わる超自然災害ばかりだ。


 しかも、それらの被害は、レプティリアンの討伐や撃退に成功した上で発生した被害状況なのだという。もし、レプティリアンの撃退に失敗すれば、きっとアルザルと地球は消滅してしまうだろう。


 天使を嫌うアスリンさんは、シェムハザの話に虚偽を見破る風の精霊術を使っているはず。そのアスリンさんが、黙っているということは、シェムハザの話に虚偽がないということ。


「シェムハザ猊下。我々は、大厄災を受け入れて、待つことしかできないのでしょうか? レプティリアンが現れる前に、異界の門カタストロフを探し出して破壊できませぬか?」


 長く続いた重い沈黙を破り、シェムハザに質問したのはサガン大主教だ。


「それは、無理な話だの。カタストロフは、地上ではなく遥か宇宙そらを巡るニビルの軌道上に現れる。レプティリアンどもは、そこから降りてくるからの」


 皆の中心で床に伏せている状態のシェムハザは、サガン大主教の質問に掠れた声でゆっくりと答えた。


「そうとも知らず……、申し訳ございませぬ、猊下。私めの勉強不足にございます」


「気にせずともよい、サガン大主教。汝らに何も伝えていない、そなたらの天使どもが悪いのだからの。ワシが汝をここに招いたのは、汝が知らないジュダの訓えを正しく伝えるためだからの」


「は、はぁ……」


 サガン大主教は、天使シェムハザが他の天使を批判する異例の光景に、どのように対応してよいのかわからないといった感じだ。


「シェムハザ猊下。レンスターの行く末を案ずる身として、一つ質問してもよろしいかな?」


 公王陛下は、小さく挙手してシェムハザに伺った。


「レンスター公王よ、突然訪問したのはワシの方だ。そうかしこまらなくて良いからの。質問に遠慮など要らぬ」


 シェムハザは、長い髭をピクピクと震わせながら公王陛下に言った。


「カタストロフを超え、恐ろしく強大なレプティリアンこと悪魔たちが大地に降臨し、このアルザルとテルースに厄災を齎すことは理解できました。天使は、悪魔が現れると全力を挙げて戦うと伺っております。その悪魔を駆逐する天使こそ、猊下が保護しようとするグリゴリの戦士たち。そういうことですかな?」


 公王陛下の質問に、シェムハザは、満足そうに目を細めて頷きながらゆっくりと口を開いた。


「公王よ、察しがよいのぅ。グリゴリの戦士こそが、レプティリアン対策のために創造されたアヌンナキでの。その中でも属性八柱は、それぞれが異なる八つの強力な属性エレメントを司る戦士だ。彼らは、自らの聖霊を『ルーアッハ』と呼ばれる水晶体に変え、選ばれた人間の血筋の中で厄災に備えておるのぅ」


 グリゴリの戦士である属性八柱は、対レプティリアンのための特別な戦士。シェムハザが得意気に言ったことは、そこまで理解できた。けれど、それ以上のことは、知らない言葉が多すぎてわからない。


 私を見て首を横に振るリーゼルも、シェムハザの会話の内容がわからないようだ。親衛隊竜騎士団ドラッヘリッターに所属していたリーゼルは、大天使ラファエルと接触していた期間が長い。そのリーゼルが五年後に迫るレプティリアンの襲来を知らないということは、ラファエルたちが私たちに隠蔽していたことに他ならない。


「天使シェムハザ。俺は……、あなたが仰る言葉の意味がわかりません。ニビル、グリゴリの戦士、そしてルーアッハ。いずれも初めて耳にする言葉です。それと、俺たち属性八柱という堕ちた天使たちの末裔は、天使と人間が交わって誕生した子孫という感じですか?」


 私が疑問に感じていたことを、ハロルドさんが代わりに質問してくれた。不安そうにシェムハザに質問するハロルドさんの隣で、彩葉さんがハロルドさんに寄り添っている。いつも軽口を叩き合いながらも、大事な場面で互いをしっかり支え合う二人を見ると、微笑ましくなるのと同時に羨ましさを感じる。


「汝は、ラハティやアグニから聞いておらんのかの?」


 ハロルドさんに質問するシェムハザは、私とリーゼルを堕ちた天使の名で呼んだ。


「いいえ。彼女たちからは、属性八柱のことについて聞きましたが……」


 ハロルドさんがシェムハザに答えると、シェムハザは、コクリと頷いてからゆっくりと立ち上がり、私とリーゼルの前に歩み寄って来た。


「汝らは、ヴァイマル帝国の出身だの? ラファエルどもは、ニビルのことやワシらグリゴリの戦士について、何も話しておらんのかの?」


 掠れた小声で呟きながら、私とリーゼルを相互に見比べるシェムハザ。私とリーゼルは、互いに目を合わせてそっと頷いた。


「存じ上げません。ハロルドさん同様に、初めて耳にする言葉です」


「私もです。私たちが堕ちた天使の末裔であるということ以外、何も聞かされておりません」


 シェムハザに返事をするリーゼルに続き、私も正直に答えた。


「なるほどのぅ。ラファエルらの不審な動向を気にはしておったが……。これで属性八柱の中に、覚醒を繰り返す者や臨界を迎えた者がいる理由が理解できたの……。ラミエルよ、先程の汝の質問に答えよう」


 シェムハザは、意味深な独り言を呟きながら深い溜息を吐き、ハロルドさんに向かって話しかけた。シェムハザなりに、不明な点が色々と繋がって解決したのだと思う。


「お願いします。その前に一つ。俺は、ラミエルと言う名ではありません。両親が名付けてくれたハロルドという名があります。それから、彼女たちのこともラハティやアグニという堕ちた天使の名ではなく、人としての名で呼んでいただけませんか?」


 ハロルドさんは、シェムハザから堕ちた天使の名で呼ばれることを拒んだ。それから、私とリーゼルのことも、人としての名前で呼ぶようにシェムハザに提案してくれた。私は、ラハティという炎天使の名で呼ばれることに慣れてしまっていたけれど、会ったこともない得体の知れない天使の名で呼ばれることが正直不快だった。


 私は、ラハティなどではない。私には本当の両親がつけてくれたキアラという名前がある。そして、私を育ててくれた優しい父は、キアラという異国の名前をとても気に入り、そして深く愛してくれた。だから、私は、ハロルドさんが名前の呼び方について、シェムハザに提案してくれたことが嬉しかった。


「フム……。たしかに汝らは、アヌンナキではないからの。ハロルドよ、すまなかったの。それからの娘たよ、汝らの名も聞かせてもらえるかの?」


 シェムハザは、私をジッと見つめながら名前を尋ねてきた。シェムハザの素直なところは、本当にラファエルたちと同じ天使なのかと疑いたくなるくらいだ。ハロルドさんと彩葉さんは、私を見て頷いた。この際なので、私は自身とリーゼルだけでなく、特殊魔導隊の全員の名前をシェムハザに伝えることにした。


「天使シェムハザ。名前でお呼びいただけるなんて光栄です。私のことはキアラとお呼びください。こちらは、リーゼルです。そして、彩葉さんと幸村さん。それから、エルフ族の女性がアスリンさんです」


 私は順に特殊魔導隊の皆を紹介した。コノートヤマネコのシェムハザが、人の名前を一度にたくさん覚えられるかわからないけど……。


「承知した、キアラよ。汝らの名前は全て把握したからの」


 シェムハザは、私たちを順にゆっくりと見渡し、尾を振りながら目を細めてそう答えた。たぶん、これはコノートヤマネコの笑顔だ。


「へぇー。今ので名前が覚えられるなんて、さすが天使さんだぜ」


 いつもの調子で幸村さんが、シェムハザに話し掛けた。私たちのやり取りを見ているうちに、幸村さんは、シェムハザが語った厄災という重く沈む気持ちから解放されたのだと思う。


「ちょっと、ユッキー。いくら可愛いネコの姿をしていても、仮にも天使なんだから失礼でしょ?!」


 そして、幸村さんを叱る彩葉さんの恒例の光景。しかし、シェムハザを可愛いと言う時点で、彩葉さんも十分失礼な気がしなくもない……。それ以前にコノートヤマネコは、顔こそ愛嬌があるけれど、お世辞にも可愛いと言い難い猛獣だ。公王陛下とアスリンさんは苦笑いし、ハロルドさんとサガン大主教が俯いて首を横に振っている。


「彩葉とユッキー、だったかの。ワシは、人間の礼法など気にせぬ。安心してよいからの」


「こ、こんな場面でも、ボクだけニックネームっスか……?」


 幸村さんに直接言うと拗ねてしまいそうだけど、彼の名前に限って言えば、本名よりもニックネームの方が呼びやすいことは間違いない。


「ほら、ユッキー? いつまでもふざけてないで、天使シェムハザの話を聞こう? きっと私たちにとって、大切なことなんだから」


「はひ……」


 アスリンさんにたしなめられ、急に素直になる幸村さん。アスリンさんは、間違いなく幸村さんの取り扱いを熟知している。


「汝らと話していると、すぐに話が逸れてしまうの……。ハロルドよ、汝がワシに問うた、堕ちた天使について答えようかの」


 シェムハザがハロルドさんの質問に答えようとすると、周囲の空気に緊張が走るのがわかった。


「属性八柱こと堕ちた天使。その名の響きこそ悪いが、ワシらグリゴリの戦士は、どこぞの経典にある堕天使ではないからの。属性八柱は、己の聖霊を生命の体ではなく、無機質で魔力の高い水晶体ルーアッハに宿らせ、人と同化してレプティリアンに立ち向かう戦士だ。そもそも聖霊とは、具現化したアヌンナキの魂そのもの。ワシらアヌンナキの本体だからのぅ。ワシの場合は、聖霊をヤマネコに宿らせておるがの……」


「具現化した魂……。ドラゴニュートに宿る竜族の魂……、みたいな感じですか?」


 ハロルドさんが、彩葉さんとリーゼルを横目で見ながらシェムハザに尋ねた。


「厳密に言えば少々異なるが、竜族が他の生命に魂を宿す考え方は、近いかもしれないのぅ。ワシらは、汝らが思い描くような不老不死の生命体ではない。ワシらは、聖霊を他の生命の魂と一体化するか、ルーアッハのような通電性の高い無機な電解質に憑依して生き続ける。故に肉体が滅びたとしても、聖霊が滅しない限りワシらは生き続ける」


 天使は、他者から他者へと憑依を繰り返して生きる生命だというのだろうか。シェムハザの衝撃的な言葉に、皆が言葉を詰まらせて数秒の沈黙が流れた。


「それで、天使シェムハザ。ルーアッハに宿る属性八柱の聖霊と、ハルたちに宿っている属性八柱。どんな関係があるのですか?」


 重苦しい空気の中、ハロルドさんに寄り添う彩葉さんがシェムハザに質問した。すると、その質問を待っていたかのように、シェムハザは長い髭を揺らしながら彩葉さんに振り向いて答えた。


「一つの厄災が終わると、ルーアッハに宿る属性八柱の聖霊たちは、魔術の素質が高い八名の新たな人間たちの体内に埋め込まれての。やがてルーアッハの聖霊は、人間の魂と融合し、その人間の一族の遺伝子配列に溶け込んで仮死状態のまま生き続ける。そして、時が過ぎ、再びニビルの到来が近づくと、一族で最も魔術の適性が高い者の眼窩に、ルーアッハを再生させ、聖霊を復活させる仕組みでのぅ。既に汝らの目は、ルーアッハからマナの光が溢れておるの? つまり、汝らは、聖霊と融合した人間たちの中で、選ばれたということになる」


「アヌンナキが……、俺たちの体内に寄生している……、ってことですか?!」


 ハロルドさんは、握りしめた拳を震わせながらシェムハザに質問をぶつけた。シェムハザが言ったように、私たちは、片目からマナの光が溢れている。これがルーアッハから溢れるマナだというなら辻褄が合う。そうなると、私の右目は炎天使ラハティのルーアッハということなのだろうか。


「寄生とは酷い言われようだが、あながち間違いではないのかもしれないの……」


 自分ではない別の意思を持つ存在が、私の中に寄生しているかと思うと、私は何だか急に気持ちが悪くなった。私は自分の右手で右目を覆い被せた。ルーアッハに宿るラハティが私の中に入り、自分が自分でなくなるかもしれないと思うと怖くてたまらない。心臓がバクバクと脈を打ち、体が震え、呼吸が乱れ、冷や汗が背筋を滑り落ちた。


 そんな軽いパニックになっている私の左肩に、誰かがそっと優しく手を乗せてくれた。


 私の肩に優しく手を差し出してくれた人物は、意外にも幸村さんだった。彼は、笑顔で私の左肩に右手を添えて、大丈夫だと頷いてくれている。


「あ、ありがとうございます、幸村さん……。すみません、少し取り乱しました」


「聞いているだけのボクだって怖いくらいだぜ? キアラが怯えるのは当然さ。だけど、キアラは一人じゃない。キアラには、アイシュバッハ大尉だっているし、ボクたち特殊魔導隊だっている。何て言うのかな……、運命共同体ってヤツ? まぁ……、ボクは大して役に立たないかもしれないけど。それでも、ボクは、全力でキアラの力になるつもりだぜ?」


 幸村さんは、時と場所など関係なく、突然いつもと違う優しさを見せるから本当に対応に困る。雨の夜のクニルプスの時もそうだった。幸村さんと目が合うと、私は目を逸らした。先程と違った意味で鼓動が速くなり、頬が熱くなるのが自分でもわかった。


「キアラよ? 大丈夫かの? 炎の呪法を使ったわけでもないのに、顔が赤く染まっておるぞ?」


「そ、そんなことありませんっ!」


 私は、心配そうに声を掛けてきたシェムハザに、思わず大きな声を出してしまった。シェムハザは、目を見開いて毛を逆立てた。たぶん、私の声に驚いたのだと思う。


 公王陛下を始め、ハロルドさんたちも私とシェムハザを見てクスクスと笑い始める。ほとんど表情を変えずに黙ったままでいたリーゼルも笑っていた。リーゼルの笑顔を見たら、私も釣られて笑ってしまった。唖然とするシェムハザを慌てて宥めるサガン大主教以外、この場の空気が和んだことは、結果的に良かったのかもしれない。


「やっといつものキアラに戻ったね。ボクはキアラの笑顔、割と好きなんだよね」


 悪戯染みた笑顔を浮かべ、小声で私にそう言った幸村さん。


「も、もう……。それ以上変なこと言わないでください……。でも、少し心が楽になりました。ありがとうございます……幸村さん」


 どこまで本気で言っているのかわからないけど、私は幸村さんに感謝した。シェムハザが語る重苦しい話に、耐えきれなくなりかけたけど、彼のおかげで圧し掛かる重圧から解放されたように感じる。


 世界の真相。


 得体の知れない恐怖。


 そして、図り知れない重圧。


 シェムハザが語る話に驚くことは、まだたくさんあると思う。だけど、もう取り乱したりしない。幸村さんが言ったように、私は一人ではない。信頼できる仲間が、ここに一緒にいるのだから。

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