第11話 ドラゴニュート

 ……ここは、どこだろう……。


 何となく音が聞こえる。……これは音楽……? 私の好きなフレーズだ。


 音もだんだんとはっきりと聞こえて来るようになり、松任谷由美の曲だとすぐにわかった。


 歌っている声の主は……、どうやら私だ。


『春よ、来い』


 先月の祥鳳学園祭のライブステージでオープニングに歌った曲だ。


 ぼやけていた視界もだんだんとはっきりと見えてくる。


 どうやら学園祭の自分たちのライブステージをリスナー側の席で視聴いるらしい。


 中央でベースギターを演奏しながら歌っている私と、私を挟むようにハルとユッキーが演奏しているのが見える。自分が歌っている姿を客席側から見ている光景は、何だか凄く違和感を感じる。


 そもそも、どうして私はここにいるのだろう。


 丁度一曲目が終わって、私の挨拶とメンバー紹介が始まる。


「リスナーのみなさん、こんにちわー! ドラゴンズラプソディです! 今年の祥鳳学園祭も恒例の生徒会特設ステージで歌わせてもらっています。最後までお付き合いよろしくお願いしますね!」


 うわー……痛いな、私……。


 それでも、リスナー席は歓声があがり盛り上がっている。恥ずかしさもあるけれど少し嬉しい。


「続きまして、メンバーの紹介を致しまーす! アコースティックギター担当のハル!」


 ハルは紹介に合わせてギターのソロパートを披露してお辞儀をする。ハルのお辞儀に合わせて客席から拍手が巻き起こる。アコースティックギターだけれど、サウンドホールに取り付けたピックアップのおかげで会場内に音が良く響き渡っている。私のベースギターも彼と同じ仕様で音量を調節している。


「そして、バイオリン担当のユッキー!」


 ユッキーもハルと同様にソロパートで、祥鳳学園の校歌の冒頭を演奏してから客席に向かってお辞儀をする。うっとりするような彼のバイオリンの音色に客席から拍手が起こる。


「そして私、ボーカル兼ベース担当のイロハです! それでは短い時間ですけど、一緒に盛り上がって行きましょう!」


 懐かしい回想のような思い出を見つめていると、先程起こった事件の記憶が徐々に蘇ってきた。


 たしか、私はハルとユッキーを拉致しようとした奴らに、突然背後から撃たれて……。たぶん……、死んだはず……。死後の世界って、こんな感じなんだ……。二人は無事だったかな……。


 でも、死後の思い出の中で、ハルやユッキーとこうして一緒にいる姿が見られるなら、私の最期は幸せだったのかもしれない。


「それでは続けて三曲、ご視聴ください!」


 大ヒットした映画タイタニックの主題歌である『My heart Will go on』、セリーヌ・ディオンの曲が、ユッキーの伴奏とともに始まった。メジャーな曲のイントロに客席から拍手と歓声が沸いた。オープニングといい、曲の順番も今年の学園祭の時と同じだ。


 周囲の人たちが総立ちで私たちに拍手を送ってくれている。同級生たちだけでなく三年生の先輩や中等部の生徒、それから試合会場でアドレス交換をした城北高校の三人組の女子生徒たちの姿も見える。


 つい先月の事だというのに、とても昔のように懐かしく感じる。こうしてみんなとずっといられるのなら、死後の世界というのも悪くないのかもしれない。


 本当にたくさんの人たちが、私たちの学園祭ライブを聴きに来てくれている。笑顔で喜んぶリスナーを見るのはとても幸せだ。私も立ちあがって周りの学生たちと一緒に拍手を送る。


 その時、拍手をしている自分の手の甲を見て呆然とした。


 何、これ?鱗……?!


『聞こえるか? 人の子よ。我は黒鋼竜くろがねりゅうヴリトラ……』


 突然、頭の中に誰かが話しかけてくる。


 直接頭の中に伝わるこの声に聞き覚えがあった。たぶん、あのとき語りかけてきた竜の声だ。


 辺りの景色は学園祭ではなくなって、大きな黒い鱗の竜と正面から対峙する形で、亜空間に浮かんでいるような状態になる。流れている音楽もなくなって辺りは静寂に包まれる。


『そなたが見ていたものは、そなたの夢。そなたの記憶。我がそなたを器として魂を宿すことで、そなたの魂は死者の国へいざなわれていない。我々竜族は、言葉を持たぬ。代わりに意思を対象の脳の中に伝えることで意思の疎通が可能である。心の中で思いを念じれば、そなたも我と同様にこの力が使えるはずだ』


(死者の国……? 思いを念じる……? どういうことなの……?)


 よく見ると硬く冷たい鱗があるのは、手の甲だけではなかった。肘や肩、大腿部の外側にも見える。触れてみると首筋の他にもブラウスの下の脇腹や背中にもそれがあるのがわかった。そして、尾骶骨の辺りで後ろに引かれるような重さと揺れるような違和感は……尻尾?! 何これ……、冗談じゃない……。


 自分の身に起こったことに対して、私はパニックに陥っているはずなのに、心の底からワクワクするような楽しさに似た高揚感がどんどん湧いてくる。


『焦らずに聞くのだ、人の子よ。そなたの記憶通り、そなたは一度命を失いかけた。そなたが見た通り、我もまたあの場所で、そなたと同様に滅びるところであった。しかし、我ら竜族の魂は、器となる肉体さえあれば、その肉体に魂を移し、死者の国へ旅立つことを避けられる。我はそなたと共にいた人の子らと契約を交わし、そなたの体内へ我が魂を宿らせた。我と一つになることで竜族の強靭な生命力の恩恵を受け、そなたの滅びかけた肉体と魂は、再び生を取り戻した』


 私はあの時に一度死ぬはずだったけど、竜の力で生き返ることができたということは何となく理解できた。


(私はあなたと一体化したってこと?)


『そなたと完全に一つになった訳ではない。そなたの肉体と精神に、竜の力と竜の心が備わることになったが、そなたはそなたのままだ。我が魂は、そなたの肉体を寓居ぐうきょとしているに過ぎぬ』


 竜の力と竜の心……。体の鱗や尻尾はその代償や証だったりするのだろうか……。一生このままだったら、どうしよう……。


(契約をした人の子らってハルとユッキーのこと? あの二人は無事なの? それに、契約って何なの?)


『そなたと共にいた二人は無事だ。我やそなたを滅ぼそうとした罪人を討ち果たし撃退した。あのいかずちを操る人の子は、テルースの人の子にありながら相当な力の持ち主だ。我がその者らと交わした契約とは、我がそなたを蘇生させる代わりにそなたの体に宿る我が魂を神竜王ミドガルズオルムの元に届けることだ。つまり、そなたは神竜王ミドガルズオルムに会いに行かねばならぬ』


 二人は無事だったんだ。よかった……。二人が無事だと知った私は安心して胸を撫で下ろす。それにしても雷を操る人の子って……。私が撃たれる前に、将校がハルの魔法がどうとか言っていたけど、ハルは本当に魔法使いだったということなのかな? 罪人を討ち果たした……。つまりあの軍人たちをハルが殺したということなの……?


 竜の存在なんて今まで生きてきた中で、物語や伝説でしか聞いたことがない。ハルのことが心配で、嫌な予感がしてくるのに、また心が高揚してくる。私は精神的に少しおかしくなっているのかもしれない。本当にわからないことだらけだ。


(ヴリトラ、あなたの魂を届ける神竜王ミドガルズオルムはどこにいるの?)


『我らが住まう星、アルザルに神竜王ミドガルズオルムはおわす。ヴァルハラと呼ばれる地に向えば竜の祠がある。そこを訪ねれば神竜王の居場所はわかるだろう。すでにそなたは、我と契約を交わした人の子らと共に、そなたらが地球と呼ぶテルースを離れアルザルに渡っている』


(契約のために地球ではない場所にいるってこと? あの二人は地球へ帰してあげて! 契約なら私が引き継ぐから!)


『我と契約を交わしたのはそなたではない。そなたらはすでにアルザルへと旅立った後だ。いずれにしても、我の肉体が滅びたことにより、我が守護するシンクホールは、既に消滅しておる。故に元の場所へ時空を超えて転移することは叶わぬ』


(そんな……。時空を超えて転移って、あなたを見たときの紫の霧みたいなのがその入口で、あなたはその門番みたいな感じなの?)


『概ね正解だ、人の子よ。この宇宙で強大な文明を手にしたアヌンナキという種族が、星々の間を船を使わずして、僅かな時間で移動する手段を創造した。その気が遠くなるような年月をかけて創造したものがシンクホールである。ただ、瞬時にシンクホールを動かすためには、強力な生命エネルギーが求められた。そこで奴らが目をつけたのは、我ら竜族の強靭な生命力である。我らは遥か昔に数百年に及ぶ戦いの末、奴らの文明と魔力の前に敗れた。それ以来、我ら竜族はアヌンナキに従属し、アルザルでシンクホールを守護することになっている』


 竜の言葉が頭の中に響いてくるけど、たくさんの用語が出てきて一度で覚えられそうにない。


(聞いておいてごめんなさい、ヴリトラ。一度に覚えるのはちょっと無理っぽくて……。あなたが住むアルザルは、色んな星々と繋がっていて、その門を竜が守っているのは理解できたけど、アヌ……何とかって何? 宇宙人……ってこと?)


『アヌンナキは星間を自由に行き来する、高度の文明を持つ宇宙の民である。テルースやアルザルに住む人の子らは、奴らのことを神に仕える天使と呼んでいるはずだ』


 ヴリトラから宗教的な天使と宇宙人の関係を伝えられた。けれど、急には信じられない。でも、今こうして私がここにいることだって不思議な話なのだから、ヴリトラから伝えられていることは、きっと本当のことなのだろう。


(ねぇ、ヴリトラ。契約を果たしたら、私たちは地球へ帰ることができるの?)


『その道は神竜王ミドガルズオルムが示してくれよう。我が守護していたシンクホール以外にも、テルースへ通じるシンクホールは存在する。契約を果たせば、我の魂はそなたから離れ、我は長い年月を経て再び肉体が戻るであろう。だが、その前に、もしそなたが滅びれば我も滅びる。故に我はそなたが生き抜くために、竜の力と竜の心について伝えなければならない』


 たしかに竜の力や心はどんなものなのか知りたい。竜の説明は少し難しいけれど、これからの自分のためにも必要な気がする。


(ヴリトラ、できればわかりやすく伝えてくれるとありがたい……かな)


『承知した。そなたも気づいているであろうが、その鱗は我の竜の力の現れである。人の子らが作るいかなる金属よりも硬く、あらゆる攻撃を弾くであろう。硬化した爪は鋭利な刃にもなる。しかし、鱗に覆われることのない眼や黒鋼の弱点である高熱や雷撃には用心するのだ。思考の中で念じれば、そなたは自在に竜の力を操り、また、それを解くことも可能だ』


(どんな攻撃でも弾く……)


 おとぎ話に登場するドラゴンと言えば、炎を吐いたりするイメージだったけれど、ヴリトラが持つ竜の力は私の想像と違っていた。でも、この鱗があらゆる攻撃を弾くのであれば、いざという時に本当に役に立つかもしれない。


 見た目は泣きたくなるほど嫌だけれど……。この鱗や尻尾が原因で、ハルに避けられるようになったら悲しすぎる。


『我がそなたに委ねられる竜の力は、天空竜のように空を舞うことや黒炎竜のように炎などを操ることはできぬ。しかし、硬化の力は必ずそなたの役に立つであろう。そして、竜の心についてだが、我には人の感情がわからぬ故にうまく説明ができぬ。人の子らに存在するとされる恐怖という感情が竜族には存在しない。逆に決して誰にも譲れなくなる執着の感情は人には存在しない感情であると、遥か昔に神竜王から聞いたことがある』


 恐怖という感情がない……だからかもしれない。先程から異様な高揚感に包まれる理由がわかったような気がする。


 それにしても、なぜそこまで強力なヴリトラがあの軍人たちに敗れてしまったのだろうという疑問が湧いた。


(あらゆる攻撃を弾くのに、どうしてあなたは……あの時、やられてしまったの?)


『遥か昔、我ら竜族はアルザルではなく、そなたらが住むテルースで暮らしていた。ある時、アヌンナキがテルースへ侵入し戦になった。その際、個の力でアヌンナキを上回る我ら竜族は、奴らに対して善戦を続けていた。しかし、科学と魔法の力を以て組織的に我らを上回っていた奴らは、竜族の肉体を滅ぼすアルゴンという物質をテルースの大気に散布した。我ら竜族は、その気体が存在する場所では竜の力を発揮できぬ。それどころか肉体が徐々に分解され、生きてゆくことすらできぬのだ。多くの同胞を失った我ら竜族は、種の滅亡を避けるために、奴らに従いアルザルへ移住することになった』


 なんだが想像がつかない話を聞かされて、頭の中で整理ができない。


(竜族は地球で暮らしていたけど、天使に負けて従属している。そして、地球で生きられないからアルザルへ渡った……、ということなの?)


『残念ながらその通りだ、人の子よ。竜族はテルースで生き続けることも竜の力を使うことができぬ。我を謀った卑しき罪人らは、それを知っていた。実に口惜しいことに、我は神竜王の勅命であると欺かれていた。我がシンクホールを作動させて、奴らをアルザルからテルースへ転移させた直後に襲撃された。罪人どもの真の目的はわからぬが、我の竜の力を得ようとしたことも、その目的の一つだったのかも知れぬ』


(竜の力は地球では効果がない……それどころか生きられない……。それってもしかしたら、竜の力が備わったと言っていたけれど、私も……なの?)


『答え難いがその通りだ、人の子よ……。神竜王ミドガルズオルムの力を以てすれば或いは……。だが、そなたは僅かな時間しかテルースで生きられないものと理解せよ』


 いつか地球へ帰る時に、私は地球へ戻っても生きられない。つまり、その時にハルとユッキーと、本当のお別れをしなければならない。寂しさと悲しさで涙が溢れてくるのがわかった。


 こんな状況でも、楽しさに似た高揚する気持ちになるのは、やっぱりヴリトラが言っている恐怖がないということなのだろう。この高揚感は恐怖に変わる感情だと割り切るしかないのかもしれない……。


『間もなくそなたの肉体は、回復して意識が覚醒する頃だろう。まだそなたらの周りには、忌まわしき罪人の子らの仲間がいるはずだ。竜の力が備わったそなたの力は、アルザルであれば、奴らを討ち果たし打開することができよう。そなたら敵の数は、それ程多いわけではない。そなたの仲間を救ってやれ。極めて危険な状況であることに変わりはない』


(戦わずに済めばいいけれど……。もし、敵に出逢ってしまったら戦えということなの?)


『竜族は同胞を守るために全力で命を賭して戦うもの。そなたは人にして人にあらず。敵に出くわせば、そなたが戦うことは必然である。ただ、竜の力におごらぬよう気を引き締めよ。我の魂はそなたと共にある。そなたが滅びれば我も滅び、契約が成り立つことはなくなる。また、そなたのように竜族の血液を体内に取り入れて竜の恩恵を受けた者を、アルザルではドラゴニュートと呼ぶ。アルザルに住むそなたら人の子は、ドラゴニュートを嫌悪する者が多いことも留意せよ』


(私は……、ドラゴニュート……。わかった。目の前のことから頑張ってみるね、ヴリトラ)


 目の前に危険が迫っているというのであれば気を引き締めなければいけない。今度は私が人を殺めることになったとしても、竜の力を使ってハルとユッキーを守らなくてはダメだ。


『前向きで感心だ、まだ名を聞いて……、いなかっな、人の子よ。そなたの名を……、教えてくれぬか?』


(私の名前は彩葉! ヴリトラ、次はいつあなたと会えるの?)


 対峙するように話をしていたヴリトラが、どんどん離れていくのがわかる。


『イロハか……。そなたの国の……、言葉では、万事の始まりを意味するのか。良き……名だ。そなたが眠れた時にまた会えることも……、あろう。しばしの別れだ,イロハよ……』


 ヴリトラの声もフェードアウトするようにだんだん遠くなっている。私の目が覚めが近いのかもしれない。やがて竜の声は、聞こえなくなった。そして、意識と感覚がだんだんとはっきりしてくるのがわかった。


 耳元で風に揺れる草の音が聞こえてくる。


 不思議な感覚の夢だったけれど、ヴリトラとの会話はきっと現実のものなのだろう。意識が戻った私は、ゆっくりと目を開けた。


 眩しい陽射しに照らされる中、黒鋼竜ヴリトラの力を授かるドラゴニュートとして、私の新たな人生が始まった。

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